32.三年前の約束
オルトはマニエールたちと別れ、ハルと共にオルダナへ向かっていた。
「三年前の約束守れたな....」
静かな馬車の揺れの中、オルトがふと口を開いた。
その声に、ハルは少し微笑んで頷いた。
「はい.....約束通り、会えてよかったです」
イゼルディアの件が終わったあとから、ハルはずっと何かを考え込んでいた。
だがオルトがそっと心配の目を向けると、まるでその視線に背を押されたかのように、彼は徐々にいつも通りの調子を取り戻していった。
「お前、今いくつになったんだ?」
オルトがふと尋ねた。
「今年で……18になりました」
「18か……」
オルトは腕を組み、じっとハルを見つめる。
「たった三年で……ここまで大きくなるとはな。声も低くなって、背も俺よりもずっと伸びちまって……」
そう呟いたあと、少しだけ目を細めて、優しく笑った。
「戦場での魔法、なかなかだったぞ。正直、驚いた」
「そんなことないですよ」
ハルは少し頬を赤らめながら答える。
「まだまだです。師匠を守るには、全然足りません」
「……守る、ねぇ。そんなこと言ってたな」
オルトは照れくさそうにそっぽを向き、軽く鼻を鳴らした。
「でもよ、俺が魔人だって分かったなら――もう守る必要なんてねぇんじゃねぇか?」
するとハルは、真っ直ぐな瞳でオルトを見つめて言った。
「師匠は、師匠ですから」
その言葉に、オルトは一瞬、言葉を失った。
馬車の中に静かな時間が流れる。
「……まったく、お前ってやつは……」
オルトは天井を見上げて笑い、肩の力を抜いた。
そして、夕暮れが染める道を、二人を乗せた馬車は静かに走っていった。
オルダナ国の王城にたどり着いたハルとオルトは、馬車から静かに降り立った。
そのとき――
「オルト! ハルーっ!!」
澄んだ声とともに、鮮やかな赤髪の少女が駆け寄ってくる。まだ幼さの残る、しかし凛とした10歳ほどの少女――それは、かつてふたりが助けたオルダナ王国第十三王女エリーナ姫だった。
「おお、お前……身長伸びたな!」
オルトが驚いたように目を丸くする。
「ふふっ、そうでしょ? 毎日しっかりご飯食べてるから!」
得意げに胸を張るエリーナに、ハルも柔らかく微笑んだ。
その後ろから、修道服姿のサーシャが歩み寄ってくる。
「お久しぶりです、おふたりとも」
彼女は静かに、しかし温かく挨拶をした。
「お久しぶりです、サーシャさん」
「……久しぶりだな」
ハルとオルトもそれぞれ返礼する。
「実は、教皇様が――」
サーシャは少し声を抑えて言った。
「お二人の功績は大きいとして、直接お会いになることをお許しくださいました」
「おお...そうか...」
オルトは苦笑いをした。
「では、教皇様の間へご案内いたします」
サーシャの言葉に、城門が静かに開かれ、ふたりはエリーナとともに王城の奥へと足を踏み入れていった――。
「おおっ!お戻りになられましたか、ハル様!!」
大広間に響く声と共に、壮麗な衣をまとった教皇アントが喜びに満ちた顔でハルに駆け寄ってきた。
「そちらが……今回、イゼルディア王国の混乱を治めたという、“ハル様のご師匠様”ですか?」
「はい」
ハルは一歩前へ出て、簡潔にうなずく。
その直後、ハルはそっとオルトの耳元で囁いた。
「……師匠。教皇アントは魔人を嫌っているんです。正体は、まだ言わない方がいいです」
オルトは目を細めて、無言のまま小さくうなずいた。
「いやはや……さすがハル様のお師匠様!このような勇気と知略をお持ちの方とは、お目にかかれて光栄です!」
アントは満面の笑みでそう言いながら、少し距離をとって礼を述べる。
「ところで……あそこに控えている三人は?」
オルトの視線の先、礼儀正しく控えている三人の姿があった。どこかで見たような顔もある。
「はい、彼らはハル様と同じ使命を背負った仲間です」
教皇アントが紹介しようと一歩前へ出たそのとき、三人のうちの一人、茶髪の元気な少女が勢いよく頭を下げて言った。
「はじめまして!私はハンナと申します!ハルさんの師匠様、お噂はかねがね……よろしくお願いしますっ!」
彼女の明るい笑顔に、場の空気が一気に和らいだ。
「私はカレンよ。ふふっ、初めまして――かしら? 魔術師をやってるわ。よろしくね」
緑色の髪の女性はゆったりとした口調で笑みを浮かべながら、軽くスカートの裾を摘まんでお辞儀をした。
「俺はランスだ!よろしく頼むな、師匠殿!」
快活な声と共に、濃いオレンジの髪をリーゼントのようにまとめた青年が右拳を胸に当てて礼を取る。
「……ああ。オルトだ。よろしく頼む」
オルトは肩の力を抜いたように挨拶を返したが、その視線はすでに教皇アントに向けられていた。
すると、アントが口を開いた。
「イゼルディア王国との戦争が無事終結し、まずは安堵しております。が――実は、別件で懸念すべき報せが入ってきておりまして....」
アントは声を落とし、表情を引き締める。
「コンゴ独裁国家にて、“謎の魔物”が多発しているというのです」
「……コンゴ独裁国家……」
ハルが低く呟いた。
その名は、ハルにとって忘れもしない国名だった。
8年前、オルトがハルに出会うきっかけともなった、アルファ国のサント村を襲った兵士たち。彼らが属していたのが、他でもない“コンゴ独裁国家”の軍勢だった。
ハルの拳が、ゆっくりと震え出す。
オルトは横目でその様子に気づき、無言でハルの肩に手を置いた。
「それ、俺もついて行っていいか?」
オルトがさらりと言うと、場の空気が一瞬止まった。
「えっ?」
教皇アントが目を丸くした。
「……そ、それは……」
アントは明らかに戸惑っている。
しかし、それよりも先に声を上げたのはハルだった。
「俺は――師匠が来てくれるなら、心強いです」
静かながらも決意に満ちた言葉だった。
ハンナ、カレン、ランスも次々にうなずく。
「強い力を持つ仲間は多い方がいいわ...」
「俺も文句ねぇよ!師匠ってくらいだ、きっとすげぇんだろ?」
アントはしばらく考え込んだが、やがてゆっくりと頷いた。
「……わかりました。ですが、オルト殿、コンゴ独裁国家では魔法を使うと捕まる可能性があります。どうかお気をつけて。」
「安心しな。隠れるのは慣れてる」
オルトは笑った。
「では、任務の詳細をお伝えします」
アントは背筋を正し、皆に向き直った。
「標的は“謎の魔物の正体”と“その発生源”。そして……“王直属の異能部隊”への接触です」
「異能部隊……?」
ハルが聞き返す。
「はい。最近、彼らの中に“人間離れした力”を使う者がいるとの報告が――。
もしかすると、それこそが魔物事件の核心かもしれません」
オルトとハルは一瞬、目を合わせた。
◇◇◇
ガチャ――
教皇アントが用意してくれた部屋に、オルトがゆっくりと足を踏み入れた。
重厚な扉が閉まると、室内の静けさが一層際立つ。
「……ふぅ」
オルトはコートを脱ぎ、ふかふかのソファへ深く腰を下ろす。
そして、オルトはそっと腕のブレスレットに手をかざした。緑の魔法石がわずかに光を放ち、微かな振動と共に声が返ってくる。
「ハンス……いるか?」
『はい、魔王様。』
応答と同時に、魔石の中から淡い音波が広がる。
オルトは静かに、イゼルディア王国で起こった一連の出来事を語り始めた。奴隷制度、魔人召喚、人間を魔人に変える禁術……そのすべてを。
『……兵器として魔人を……そして、人間を魔人に変えるだと……』
ハンスの声に、わずかな震えが混じる。
「ああ。三百年前の魔法飴よりも、よほど酷い話だろ……?」
『ええ、本当に……背筋が凍るようです。魔王様は、これからどうなさるおつもりなのですか?』
「コンゴ独裁国家って場所で、得体の知れない“化け物”が現れてるらしい。魔力飴との関連性も高い。次はそこを調べに行く」
『了解しました。私の方でも、人間界に召喚された魔人たちが安全に魔界へ戻れるよう、ゲートの安定化と改良を急ぎます』
「頼んだ」
一拍の間を置き、オルトはふと視線を落とし、懐かしむように呟いた。
「ハンス、お前……覚えてるか?」
『何を、でしょうか?』
「魔界を作った三柱の神の話を……」
『……もちろんです。幼い頃から、絵本で耳にタコができるほど聞かされましたよ。』
『確か――約千年前、人間界に絶望した三柱の神、厄災の神、破壊の神、常闇の神が、その力を注ぎ込み、魔界と魔人を創り出した。厄災の神は知恵を、破壊の神は強靭な肉体を、そして常闇の神は深淵なる魔力を授けた……そういう伝承でしたね?』
「……ああ、そうだったな。」
『どうして急に?』
「……いや。なんとなく、思い出しておきたくなっただけだ。」
コンコン――
扉を叩く音が部屋に響いた。
「悪い、誰か来たみたいだ。もう切る」
『はい、魔王様。ご武運を祈ります。』
プツ
オルトは通話をきり、扉の方へ向かって尋ねた。
「誰だ?」
「俺です。ハルです」
聞き慣れた声に、オルトの表情が少し緩む。
「おお、ハルか。入っていいぞ」
キィ――
扉が静かに開き、ハルが姿を現した。姿勢を正し、丁寧に一礼してから部屋に入る。
「失礼します」
「まぁ堅苦しいことはいい。そこに座れ」
オルトは向かいのソファを顎で示す。
「はい」
ハルは素直にうなずき、オルトの正面に腰を下ろした。
二人の間に、ほんの少しの静寂が流れる――。
ハルは黙ったまま、何も言わずに俯いていた。
その様子に、オルトがため息交じりに口を開く。
「……お前、なんで連絡が途切れたんだ?」
少しの沈黙の後、ハルが静かに答えた。
「……これ、修行中に壊れてしまって」
そう言って、胸ポケットからそっと取り出したのは、赤く光る魔法石が埋め込まれた指輪だった。
だが、その魔法石には大きなヒビが入っている。
「お前……相当強い相手と戦ったんだな」
オルトがそう呟きながら、指輪をそっと手に取る。
指先から、穏やかで力強い魔力が静かに流れ込んでいく。
やがて、赤い魔法石に入っていたヒビが、まるで時間を巻き戻すようにゆっくりと消えていった。
「ほらよ」
オルトは修復された指輪をハルに差し出した。
「ありがとうございます……」
ハルは深く頭を下げ、指輪を受け取る手がほんの少しだけ震えていた。
「……お前、俺になにか聞きたくて来たんじゃねぇのか?」
オルトがふと、目を細めて問いかける。
ハルは少しだけ躊躇したあと、ゆっくりと口を開いた。
「……師匠は、なんで俺を弟子にしたんですか?」
「気まぐれだよ。それ以外に理由なんてねぇ」
オルトは軽く肩をすくめて言う。
「……じゃあ、師匠は魔人として……人間のこと、どう思ってますか?」
一瞬、オルトの表情が静かになる。
「人間も魔人も、何も変わらねぇよ。違うのは見た目と寿命と、生きてきた環境くらいだ。どっちも、笑って泣いて、怒って、傷ついて――それだけの存在だろ?」
ハルは黙って、膝の上で組んだ手をぎゅっと握りしめた。
「……師匠。俺は、両親を殺した魔人たちを……どうしても許せません。だから……倒したいと思ってます」
ハルの声は震えていた。
「だけど……師匠や、ルーク、マニエールさん達のように……優しい魔人たちを傷つけたくないんです」
オルトは少しの間黙ってから、ゆっくりと口を開いた。
「――その気持ち、間違ってねぇよ」
オルトの声は、いつになく穏やかだった。
「お前は……本当に優しいな」
オルトはふっと笑みをこぼし、ゆっくりと立ち上がると、ハルの隣へと歩み寄った。そして、躊躇いなくその頭に手を置き、優しく撫でた。
「……子ども扱い、しないでください……」
そう言いながらも、ハルの声はどこか照れくさそうだった。
「ははっ、そうだな。お前はもう十分、心も体も――いろいろと大きくなってたもんな!」
オルトが茶化すように言うと、ハルの顔が一気に真っ赤になった。
「し、師匠っ!!」
声を上げて抗議するが、その口調は怒っているというより、どこか嬉しそうでもあった。
その後、二人はゆったりとした時間を過ごしながら、修行の日々、出会った人たち、危険な任務、別れ際のことなど、三年間の出来事を少しずつ思い出しては、たわいもない話を続けた。
まるで時が戻ったように、あるいはようやく取り戻せたかのように――
静かな夜の部屋には、二人の笑い声が優しく響いていた。




