30.憎しみの先には
3人は秘密の経路を辿り、城の地下へとたどり着いた。
「……これは……」
最初に声を漏らしたのはハルだった。彼の目が見開かれ、震えている。
そこには、牢の中で首輪と鎖に繋がれ、うずくまる魔人たちの姿があった。彼らの体は汚れ、服もボロボロで、空気には血と腐敗のような強烈な異臭が漂っている。
「本当に、魔人を奴隷に……」
ハルは視線を伏せ、複雑な表情を浮かべた。
「……これが、この国の……罪のひとつです」
アンナが、かすれるような声で呟いた。
「ひでぇ……これは、あんまりだ……」
オルトも言葉を失いながら、唇を噛んだ。
「こちらに、牢の鍵があります!」
アンナが小走りに近づき、腰の鍵束から1本を取り出して差し出した。
オルト、ハル、アンナの3人はそれぞれ手分けして牢の鍵を回し、重たい鉄格子を開けていく。
「この鎖……なんとかして切らねぇと……」
オルトが魔人たちの首輪の鎖を見ながら言った。
「師匠、任せてください」
ハルが静かに剣を抜き、一歩踏み出す。その姿に、近くの老魔人が怯えたように叫ぶ。
「ひ、ひぃ……やめてください……殺さないで……!」
その声に、ハルの表情が一瞬だけ揺れた。
「……大丈夫。俺は――」
ガキン!
乾いた音と共に、首輪を繋いでいた鎖が切断された。
「お前たちを解放する」
オルトがはっきりとした声で告げた。
その言葉に、数人の魔人がオルトを見上げる。瞳に一筋の光が差し込んだように、声にならない感情が顔に浮かぶ。
「……あっ、貴方様は……」
その瞬間、何かに気づいた魔人たちの目が輝いた。
「何も言うな!!」
オルトが鋭く叫んだ。
ハルが驚いたようにオルトを見る。
「師匠、どうしたんですか……?」
「……いや。……とにかく、黙って俺たちについてこい」
オルトは表情を引き締め、魔人たちに目を向けた。
「一言でも喋ったら、その場で逃がしてやるのはやめだ。黙っていろ。いいな?」
魔人たちはおびえたように、だが確かに頷いた。
その場に、かすかに震える沈黙が広がった。
オルトたち一行は、城の秘密の抜け道を通って、ついに城外へと脱出した。
だが――
カンカンカンカンッ!!
無機質な鐘の音が、静かな夜の空に響き渡った。
「脱獄者発生!脱獄者発生!!ただちに周囲を封鎖せよ!!」
城壁の上から兵士たちの怒号と共に、警報が響き続ける。
「急ぐぞ!」
オルトの声に、全員が駆け出した。アンナが待機させていた大きな馬車へと、一斉に乗り込む。
ハルが手綱を取り、魔人たちを中へ押し込む間、オルトはアンナの隣に乗り込んだ。
「……それで。ここからどうするつもりだ?」
オルトが低い声で問う。
アンナは一瞬迷うように目を伏せたが、すぐに顔を上げて答える。
「戦場に向かいます。まずは……アストン殿下に、この真実を伝えたいのです」
「……本気か?関わっている証拠がないからと言って味方だとは限らないんだぞ?」
オルトの言葉に、ハルもちらりとアンナを見やった。
「……わかっています。確証なんてない。けれど……私は、彼を信じたいのです」
アンナは、まっすぐにオルトを見据え、覚悟を宿した瞳で静かに言った。
「信じたい、か……」
オルトは眉をひそめたまま、息を吐く。
「……だったら俺も賭けてやるよ。その信じたいって言葉にな」
馬車が揺れ、背後で警報の音が遠のいていく。
「行くぞ、戦場へ。――真実を暴くために」
城を抜け出した一行は、遠く離れた戦場の前線基地へとたどり着いた。
荒れた空気の中に、緊張が漂っている。兵士たちが慌ただしく行き交い、指揮官の怒声が飛び交う。
「ここで待っていてください」
アンナが馬車を降りると、魔人たちに穏やかに声をかけた。
「……俺も行く」
オルトが彼女の横に立つ。
「それなら俺も――」
「バカかお前は」
オルトがすぐに言葉をかぶせた。
「ここは敵陣だ。お前がここにいることがバレれば、オルダナの立場は一気に不利になる」
「……」
ハルは渋々頷いたが、その目には未練の色がにじんでいる。
「心配すんな。すぐ戻るさ。万が一のときは……逃げろよ」
「……はい」
ハルは小さく返事をし、馬車の奥へと視線を戻す。
オルトは目を細め、しばしハルを見つめてから、アンナの方へ向き直った。
「行こうか。王子さまに会いにな」
「ええ。覚悟はできています」
2人は静かに前線の指揮テントへと歩き出した。
ザッ
「――止まれ。ここは王子殿下の陣営です。何の御用ですか?」
テント前に立つ衛兵が鋭い目を向ける。威圧感のある声に、一瞬場の空気が張り詰める。
アンナは一歩前へ出て、落ち着いた声で言った。
「第一王子に伝えてください。アンナ・ウィラードが参りましたと」
衛兵は一瞬だけ目を細め、アンナを上から下まで値踏みするように見た。
「……ふん」
鼻で笑い、彼はテントの中へと消えていく。
その直後――
「変な女だと...?誰がそんなことを言った!!すぐ通せ!!」
中から怒鳴り声が響いた。
「し、失礼しました!」
衛兵が慌ててテントの外に飛び出し、姿勢を正して言った。
「どうぞ、お通りください!」
「ええ。ありがとう」
アンナは静かに返し、オルトと共にテントの中へと足を踏み入れた。
そこには、長い紫の髪をたなびかせた、堂々たる体躯の男――アストン・ウィラードが立っていた。
その隣には、どこか影のある表情のギウル・ウィラードの姿もある。
ギウルがふとオルトに視線を移した。
その瞬間、彼の目がわずかに見開かれ、驚きの色が走る。
(……なんだ?俺の顔に何かついてるか?)
訝しむオルトは、ギウルをキッと鋭く睨みつけた。
するとギウルは、まるで本能的に怯んだように一瞬たじろぎ、すぐに視線を逸らす。
「……何の用だ?」
アストンの低く響く声が、場の空気を引き締める。
「第一王子に、お伝えしなければならないことがございます」
アンナは静かに膝を折り、深く頭を下げながら言った。
アストンは一瞬、複雑な表情を浮かべた。
だがそれもすぐに打ち消すようにして、無表情に戻り言う。
「……伝えることを許可する」
「ありがとうございます」
アンナは静かに頭を下げたまま、書類の束を取り出し、丁寧に差し出す。
「これは……?」
アストンがそれを受け取りながら、眉をひそめる。
アンナはゆっくりと顔を上げ、静かに答えた。
「それは……この国が行ってきた“魔人召喚”と“奴隷化”の実態を記した資料です。これまで極秘裏に行われていた非道な実験、そして魔人たちが兵器として利用されていた証拠です。」
アストンは眉をひそめ、資料に目を通す。
「……これは……!」
厚い資料の中には、魔人の名前、年齢、召喚に使われた人間の記録、そして買い取った貴族たちの詳細が、綿密に記されていた。
「こんなもの……どこで手に入れた?」
「すべて、この城の地下で集めた情報です。……私が見たこと、信じていただけるなら――」
「待て。」
アストンが資料から目を離し、隣に立つギウルにゆっくりと視線を向けた。
「おい、ギウル。お前……これは本当なのか?」
ギウルは一瞬だけ顔を引きつらせたが、すぐに表情を取り繕って微笑んだ。
「兄さん。証拠もない噂話に耳を貸すんですか?これは誰かが陥れるためにでっち上げた――」
「証拠は、俺が見た」
オルトが低い声で割り込む。
「地下牢に繋がれていた魔人たちの姿。召喚された証拠。それを実際に、この目で見てきた」
「っ……」
ギウルの瞳が揺れる。
「アンナ、何があったのか……すべて話してくれ」
アンナは小さく頷くと、ゆっくりと、真実を語り出した。
「――二十年前、魔人が王妃を殺害してから、国王は魔人を召喚し始めました。そしてその儀式に必要な“人間の魂”は、最初、罪人で賄われていたのです。
ですが、それもすぐに足りなくなり……国王は奴隷制度を設け、身寄りのない人々を捕らえて魔人召喚の供物にし始めました」
アンナの声は静かだったが、確かな怒りと痛みがにじんでいた。
「十三年前のある日、アストン様から一通の手紙が届いたのです。そこにはこう書かれていました。
『魔人召喚と魔人奴隷制度の拡大を手伝いなさい。これは国家命令である』――と」
「なっ……! 私は、そんな手紙を出していない!!」
アストンが憤然と立ち上がる。
「ええ……今にして思えば、あれはギウル様、あるいは国王が“アストン様の名を騙って”送ってきたのかもしれません」
アンナは目を伏せ、続ける。
「私が見たのは、地獄そのものでした。
人間奴隷は魔人を呼ぶ“餌”となり、召喚された魔人は――手足、目、耳……あらゆる部位を切り取られ、“素材”として売られていく……。
どうにかして止めたかった。でも、私の力では何もできなかった。
だからせめて、と……私は密かに魔人たちを引き取り、地下で活動する“魔人部隊”を作ったのです」
「フン……そんなの綺麗事だ。お前は魔人を兵器として使いたかっただけだろ?」
ギウルが嘲るように口を挟む。
「黙っていろ!!」
アストンの怒声が鋭く響く。
「……けれどある時を境に、奴隷の数さえ足りなくなり――ついには、この国の外れにある村の住民を捕らえて召喚に使え、という命令まで下されたのです」
「……生きている、罪なき人々まで……」
アストンが、拳を握りしめながら呻く。
「……そして、一年ほど前のことです。
魔人召喚の儀の準備中、アストン様を呼ぼうとして部屋に伺った時、私は……ギウル様が“アストン様の姿”に化けている現場を目撃してしまったのです」
「――それが、これに記されている真実か」
アストンは、震える手で書類を握りしめた。
「……父の思いは理解していた。魔人召喚についてはある程度の犠牲は仕方ないと、黙認していた。だが……ここまで惨たらしい現実があったとは……」
彼は、苦しげに目を伏せた。
国を護るため、父を信じるために目を逸らしてきた事実が、今、全ての重みとなって彼の心に突き刺さっていた。
アンナは静かに、しかしはっきりとした口調でアストンに語りかけた。
「……これが、この国で行われてきたすべての真実です。このままでは、この国の民全てが魔人召喚に使われる未来も少なくないでしょう」
話し終えると、部屋の空気は一瞬にして重たくなった。
アストンはしばし沈黙し、やがて低く問うた。
「……なぜ、今まで黙っていた?」
「証拠が揃うまでは、下手に動けば命を狙われる恐れがありました。けれど……この戦争が始まって、もう我慢できなくなりました」
アンナは拳を握りしめ、震える声で続ける。
「これ以上……人間も魔人も、無意味に犠牲になってほしくなかったのです」
アンナの瞳は揺れず、まっすぐアストンを見据えていた。
「兄さん、こんな女の言葉に耳を貸すのですか?」
ギウルが苛立ちを滲ませて口を挟む。
「黙れ、ギウル!!」
アストンが鋭く一喝すると、その声にテントの外まで響くような威圧がこもっていた。
「……この戦争は、オルダナ国が姫を誘拐し、その犯人の魔人を匿っているという情報に基づいて始めた……」
その言葉を聞いて、オルトは内心で血の気が引く。
(……俺が原因だったのかよ……)
アストンは深く息を吐き、鋭い眼差しでギウルを見据えた。
「ギウル・イゼルディアを――逮捕せよ。」
「……っ!?」
周囲の兵士たちが一瞬、顔を見合わせる。
「命令が聞こえなかったのか!? 私は第一王子だぞ!!」
その怒声に、兵士たちはすぐさま動いた。
「はっ!」
ギウルは抵抗する素振りも見せず、ただ黙って兵士たちに両腕を捕られた。
「……」
彼の瞳には怒りとも悲しみともつかない、感情の読めない色が浮かんでいた。
「そこの黒髪の男は誰だ?」
アストンが低い声で尋ねると、アンナが一歩前に出て応えた。
「この方は……魔人族の中でも、特に高位の存在。名をオルトといいます」
アストンはじっとオルトを見つめた。
その視線は厳しくも、どこか深い迷いを孕んでいた。
次の瞬間――
バッ
アストンは膝をつき、深く頭を下げた。
「っ!? な、なにしてんだお前……!」
オルトは目を見開き、思わず声を上げる。
「……許されるとは思っていない。だが、この国の代表として謝罪させてほしい」
アストンの声は震えていた。
「俺は、ずっと……この国の裏で魔人たちが蠢いていると信じ込んでいた。母を、魔人に殺されたと聞かされてから……父の様子は一変した。俺もそれを真に受け、何も疑わず、憎しみに身を任せてきた」
「だが、真実は違った……俺たち人間の手によって、罪のない魔人たちが傷つけられ、利用され、捨てられていた……しかも、その憎しみのせいで、自国の民を傷つけていたなんて」
「その事実に気づかず、疑いもせずにきた自分が、情けなくてたまらない……!」
拳を強く握りしめるアストンの手は、震えていた。
沈黙の中、オルトはゆっくりと息を吐いた。
「……ああ、ずいぶんと素直に頭を下げる王子様もいたもんだな」
「……」
「ただな、アストン・イゼルディア。あんたの言葉が本物かどうかは、これからの行動で証明してもらう」
オルトの目は鋭く、それでいてどこか哀しげだった。
「……それでも、今の一言に免じて、殴るのはやめといてやるよ」
アストンは目を伏せ、わずかに微笑んだ。
「……感謝する」
「ガルディアを呼べ!!」
アストンの動きは迅速だった。
即座にオルダナの基地へ使者を送り、イゼルディア王国が魔人を兵器として使用していた事実、さらに奴隷制度の存在を認める報告を行った。
その上で、各国にも同様の情報を伝えることを条件に終戦への意志を伝えた。
――それから、一刻が過ぎた頃オルダナから、返答が届いた。
オルダナの教皇・アントからの文には、こう記されていた。
「悪しき思想から目を覚まされたこと、誠に喜ばしい。
我々も戦争を望むものではない。
終結に向け、出来る限りの協力を惜しまぬ所存である」
平和への道が、ようやく開かれようとしていた。
その時だった――
「アストン様!! アストン様!! ご報告いたします!!」
テントの幕が大きく揺れ、護衛隊長のガルディアが血相を変えて飛び込んできた。
「何事だ!」
アストンが立ち上がる。
「王が――国王陛下が……!」
ガルディアは肩で息をしながら、声を震わせた。
「国王陛下が……何者かに、襲撃されました!! 現在、生死不明です!!」
一同が凍りついた。
「……なんだと……?」
アストンの声が低く、重く響いた。
「誰がやった!? 犯人は判明しているのか!?」
「……それが……現場には……魔人のような姿をしたものと黒いフードを被った男がいたと……」
その言葉に、再び空気が張りつめる。
「すぐに城に戻るぞ!」
アストンの号令が響き、彼を筆頭に王国軍たちが急ぎ城へと引き返した。
突然の号令を聞いて、ハルの元へ戻っていたオルトもアンナと共に後を追いかける事にした。
「ハル。お前は――オルダナに戻れ」
唐突に告げられたその言葉に、ハルの目が見開かれる。
「……嫌です!もう、離れたくありません!」
「バカか、お前は。」
オルトは眉をひそめ、低い声で言い放つ。
「さっきまで戦争してた敵を、簡単に城に入れてくれるわけねぇだろ?それに、お前まで来たら話がややこしくなる」
「……」
「いいから戻っとけよ。今は、それが一番の助けになる」
ハルは口を結び、拳を強く握った。
だが、彼の足は動かなかった。
オルトはそれ以上言わず、くるりと背を向け、マニエールたちの元へ向かった。
ハルはただ、その背中を――少し寂しげに見つめる。
⸻
――魔人部隊のテントにて
「マニエール!!」
オルトが勢いよくテントの幕をくぐると、マニエールが驚いたように振り向いた。
「オルト様……!ご無事で何よりです! ……なぜアンナさんも一緒に?」
マニエールの目が大きく見開かれる。
「少しばかり色々ありましてね...」
アンナが控えめに答える。
「ああ、緊急の要件だ。今すぐ、戦える魔人たちを連れてきてほしい」
「……分かりました」
マニエールは一瞬戸惑ったような顔をしたが、すぐに頷いた。
「カンナ、今すぐ動ける魔人は?」
「はい! 私を含めて、ジュリア、グエール、ドンファンが参戦可能です!」
「よし、決まりだ。全員、準備して出発する!」
オルトの号令のもと、魔人部隊が即座に動き出した。
⸻
――イゼルディア王国へ向かう馬車の中
ガタン、ゴトン……車輪の揺れが響く中、静かな緊張感が漂っていた。
「アンナから聞きました。まさか、ギウルが化けていたとは……」
マニエールが、複雑そうに顔を歪める。
「……真実なんてのは、見えてるようで見えないもんだ」
オルトは短く答えると、空を仰いだ。
「まったく、面倒くさい世の中だよな」
「ええ。私も……アストンを憎むあまり、ギウルの可能性に気づこうともしなかった。本当に……悔しいです」
マニエールはそう言って、寂しげに微笑んだ。
⸻
そして、彼らが城の門にたどり着いたその時――
「何があった!?」
アストンの怒声が、門を開けた衛兵に飛ぶ。
「はっ! 国王陛下は、医師によって応急処置を受けた後、いま城の奥に……」
「無事なのか!? 命は――!」
「……命は、あります。ただし、重症で、今は意識が――」
衛兵の報告に、空気が一気に張り詰めた。
「……っ、急ぐぞ!」
アストンが駆け出し、オルトたちもそれに続く。
その一方――
城の最上階。誰もいない部屋の奥。
黒いローブをまとった一人の影が、城下の混乱を見下ろしていた。




