3.そういえば腹が減ってたんだった
「……」
村の人々が泣いて喜び、再会を分かち合ってる中。
魔王オルトは、その光景を特に感動する様子もなく眺めていた。
(……やれやれ、結局めちゃくちゃ働かされたな)
ほんの散歩のつもりが、思わぬ騒動に巻き込まれた。
とはいえ、久しぶりに魔法を使ったせいか――少し、心がスッと軽くなった気がしないでもない。
そして。
「……ああ、そういえば」
ポンッと手を打ち、ぼそっと呟いた。
「俺……腹減ってたんだった」
すべてが終わった今、ようやく思い出した自分の“第一目的”。
「なあ」
オルトは近くにいた村の若い男に声をかける。
「飯屋、あるか?」
「へっ!? め、めし、ですか……!?」
村の若い男は戸惑いながらも、オルトに道を案内する。
そして、ふらりと現れた“謎の黒髪の旅人”は、そのまま村の食堂へと向かうのだった――。
――――――――――
案内された食堂の戸を開けた瞬間――
「……誰もいない」
オルトは、がらんとした室内を見回して、ぽつりと呟いた。
中はひどく荒れていた。
椅子や机は倒され、棚の皿は割れ、食材の入っていた樽は空っぽ。
明らかに、先ほどの襲撃で荒らされた痕跡だった。
「……やっと飯にありつけると思ったのに」
肩を落として深いため息をつく魔王。
彼の赤い目が、虚しく床を見つめていたそのとき――
「魔法使い様っ!」
背後から、明るく小さな声が響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは、先ほど助けた三つ編みの少女――ヒナだった。
さっき見たときとは違って、彼女の茶色い瞳は生き生きと輝いている。
小さな手に何かを握りしめ、息を弾ませながら駆け寄ってきた。
「私の名前、ヒナ・クラークっていいます!
さっきは、お父さんとお母さんを助けてくれて……本当にありがとう!
魔法使い様の名前は、なんていうの?」
ヒナは首をかしげながら、ぱっと笑顔を見せてそう尋ねた。
「オルトだ。オルト様って呼びな。」
オルトは少し偉そうに、けれどどこか照れたように微笑んだ。
「ふふっ、オルト様……! あの、これ!」
ヒナはそう言うと、ほんの少しだけ恥ずかしそうに、小さな茶色い布の袋を差し出した。
「お礼に……。お腹、減ってるんでしょう?
うちに少しだけ残ってたお菓子、持ってきたの!」
袋の中には、干した果実と、手作りの硬いクッキーのようなものがいくつか入っていた。
オルトは一瞬、何かを言おうとして言葉を失った。
「……お、おう」
照れ隠しのように鼻を鳴らして受け取ると、まだ無事だった椅子に腰をかけ、袋の中身をひとつ取り出し、口に入れた。
「……うん」
もぐもぐ。
「……甘い」
ほんのりとした甘さと、手作りの素朴な味が、口の中に広がっていく。
決して豪華ではない。
けれど、それはボロボロになった村の子どもが“誰かのためにできる最大限の贈り物”だった。
オルトは目を細め、ふっと小さく笑った。
「ありがとな、ヒナ」
その一言に、ヒナの顔がぱっと明るくなる。
「そういえば、お前の兄ちゃんはどうしたんだ?」
菓子をひとつ噛みながら、オルトはふと思い出したようにヒナに尋ねた。
「ハル兄のこと?」
ヒナは小さく首を傾げ、すぐに明るく答えた。
「村が荒らされちゃったからね、今は修復の手伝いに行ってるよ!」
「ふーん……」
オルトの脳裏に、一瞬だけ――
あの時、剣を構えた少年の、強い光を宿した青い瞳がよぎった。
(……もしかすると、あのガキ……)
そう思いかけたところで、彼はわざと頭を振った。
(……いや、考えるのをやめよう。面倒ごとは嫌いなんだ)
「そうか。ま、元気そうで何よりだ」
そう言いながら、オルトは椅子から腰を上げた。
「俺はそろそろ、この村を出ようかな。ヒナ、ここら辺に景色のいい所はあるか?」
「うーん……」
ヒナは口元に指を当ててしばらく考え――ぱっと笑顔になった。
「あっ、あるよ! 村の南にまっすぐ行くとね、マルア山っていう山があって、その麓にすっごく綺麗な湖があるの!」
「ほう……それはいいな」
オルトの目がわずかに輝いた。
「よし、そこに行ってみるか」
袋を小脇に抱え、オルトは食堂の扉を押し開けた――
ギィィ……
そして、すぐに立ち止まる。
「……暗っ」
夜の闇が、どこまでも静かに、村を包んでいた。
魔界ではありえない、真っ黒な夜空。星が瞬き、月が高く浮かんでいる。
「そうか……人間界の夜は、ちゃんと“暗く”なるのか」
オルトは静かに、ぽつりと呟いた。
魔界の夜は巨大な赤い月が上り照らしているため、夜も明るいのだ。
――――――――――
「オルト様!」
夜の静けさを破るように、背後から声がかかった。
振り返ると――
そこには、腰を大きく曲げた白髪の老人が、杖をつきながらこちらへと歩いてきていた。
「ん……だれだ?」
オルトは少しだけ顔をしかめながらも、問い返す。
「ヒナから聞きました。この村を……救ってくれたのは、あなた様だろう?」
老人は、静かに立ち止まった。
「わしは、このサント村の村長――シゲ・サントと申します」
そう言って、深く頭を下げる。
「村を代表して、心よりお礼を申し上げます。……オルト様、本当に、ありがとう」
その言葉は、短く。だが、決して軽くはなかった。
長くこの地で生きてきた男が、自分のすべての言葉を込めて放った、感謝の言葉だった。
オルトは少し目を見開いた後、どこか気まずそうに鼻を鳴らした。
「……別に、礼なんていらねえよ。散歩してただけだし....」
口調はぶっきらぼうだが、その背中は、どこか居心地悪そうにそわそわしていた。
「……けどまあ……助かったんなら、それでいい」
少し照れくさそうにオルトは答えた。
「なぁ……じいさん。今日、この村を襲ったヤツらって……」
「……あぁ。西方にあるコンゴ独裁国家の連中じゃよ。
あいつらは、この国アルファ王国と戦争がしたくてな、
こうして時々、ちょっかいをかけに来るんじゃ。
それが――たまたま今日、このサント村だった、というわけじゃな。」
(人間界も……くだらない奴が多いんだな……)
オルトはそう思った。
「ところでお前さん――」
シゲ村長がふと問いかけた。
「こんな夜中に、出ていくつもりかい?」
オルトは空を仰ぎ、真っ暗な夜空ときらめく星をしばし眺めてから、頷いた。
「……ああ。長居するのも悪いしな。もう出ていくつもりだ」
村長は目を細め、優しく口を開く。
「それなら――ぜひ、この村に一晩だけでも泊まっていってくれんか?」
「……ん?」
「食料や金品は奪われてしまったが、何とか家だけは残っておる。外で寝るよりかは、幾分かマシじゃろう?」
その言葉に、オルトは少しだけ口元を歪めた。
「……まぁ、確かに。寒い夜風の中で寝るのはごめんだしな」
「なら決まりじゃ」
村長はにっこりと笑い、背を向けて杖をつきながら歩き出す。
「案内させよう。年寄りの足じゃ追いつけんでな。……ゆっくりしていくといい」
――――――――――
案内に現れたのは――あの金髪の少年、ハルだった。
「……こっち」
そう言って、背を向けたまま歩き出す。
オルトは特に何も言わず、その後ろについていった。
夜の村は静かだった。
瓦礫が残る道を抜け、たどり着いたのは小さな木造の家。
年季は入っているが、しっかりとした作りで、どこかあたたかみがあった。
ギィ……
ハルが扉を開けると、月明かりがふわりと差し込んだ。
「ここ……村の誰も使ってない家だから。村長が、好きに使っていいって」
「ほう……なかなかいいじゃねぇか」
オルトは中を覗き込みながら、思わず感心した。
中は質素な作りだったが、きちんと掃き清められ、ベッドにも薄いながらも清潔そうな毛布が敷かれていた。
「おまえ……名は、確かハルだったな。
これ、お前が掃除したのか?」
ハルは答えず、ただ小さく頷いた。
オルトが中へ足を踏み入れたとき、背後からぽつりと声がした。
「あの……」
その声は、どこかためらいがちで、言葉が喉に詰まっているようだった。
「……なんだ?」
そう返すと――
「……やっぱり、いい!」
ハルはそれだけ言い残し、ぱたぱたと夜道を駆け去っていった。
オルトはしばらくぽかんと、その背を見送っていたが――
「……はぁ、なんなんだ一体」
ぽつりと呟く。
「ガキは……ほんと、よくわかんねぇな……」
オルトは片手で自分の黒い髪をくしゃくしゃとかいた。そして家の中に入り、ゆっくりと腰を下ろし、くたびれた毛布に体を預け、背を伸ばす。
「……ふぅ。たまには、こういうのも悪くないかもな」
オルトは、そう呟いくとそっと目を閉ざした。