16.奪われた者たちの祈り
「エルの体に何をした?」
オルトの声は低く、抑えきれない怒気がにじんでいた。
しかし、“それ”は平然と、無表情のまま答えた。
「何も危害を加えるつもりはありませんよ。あなた様が着いてきてくださえすれば...ですが」
「.....ふん。いいだろうついて行ってやる」
オルトは鼻で笑いながら、じりじりと距離を詰めた。
「だがひとつ、条件を出す。――その子供を傷一つつけるな。そして、着いたらすぐに、エルの体から出ろ。」
その言葉に、“それ”はふっと口角を上げて――
「ええ、約束しましょう」
ゆっくりと頷いた。
やがて案内されたのは、森の奥深くにある苔むした洞窟の入口だった。
周囲は鬱蒼とした木々に囲まれ、空気すら重く感じる。
「こちらです」
“エル”は淡々とそう言い、洞窟の中へと入っていく。
その足元に合わせるように、洞窟の壁に埋め込まれた魔石灯がひとつ、またひとつと淡く点灯し、薄暗い通路を照らしていく。
(自動起動の魔石灯……か)
オルトは眉をひそめながら後に続いた。
どんどんと深く、螺旋のように下る洞窟の道。
そして――
「た、助けてくれぇえ!!」
「俺たちは……俺たちは一体どうなっちまうんだ……!」
「誰かッ、誰か!!」
⸻
断続的に響く、人間の悲鳴と呻き声。それは明らかに、ただの幻聴ではなかった。
オルトが立ち止まり、目を細めて問う。
「……この声は、なんなんだ?」
“エル”はゆっくりと振り返り――薄く笑った。
「ふふふ……ただの、動物の鳴き声ですので。どうか、お気になさらず」
「動物、ね」
オルトの額にしわが寄る。
しばらく、螺旋の通路を進んだその先に――
突然、空間が開けた。
「ここが洞窟の中かよ……」
オルトは思わずつぶやいた。
そこに現れたのは、綺麗に整えられた岩肌、そして、まるで王宮の一室のように整えられた大扉だった。
荘厳な装飾が施され、中央には古代魔族の文字が刻まれている。
「こちらです」
“エル”が無機質に言い、大扉を押し開ける。
ギィィ……
扉の奥に広がっていたのは、重厚な書棚に囲まれた書斎のような部屋。
中心には黒曜石の机、その後ろに静かに佇む一人の男がいた。
「お待ちしておりました、魔王オルト様」
落ち着いた、低い声。
振り返った男の姿に、オルトは一瞬だけ目を細めた。
銀髪。
黄金の瞳。
手足が長く、耳は鋭くとがっている。
――エルフ族。
「…お前は誰だ?」
オルトが冷ややかに尋ねると、男はわずかに口角を上げて答えた。
「初めまして。私はマニエール。エルフ族の“残響の一派”に属する者です」
「マニエール。今すぐエルの催眠を解け」
オルトの声には怒気が混じっていた。
だが、マニエールは穏やかにうなずく。
「はい。約束は守ります。魔王オルト様」
そう言って、マニエールが指をひとつ鳴らす。
その瞬間、傍らに立っていた“エル”の身体がふらりと揺れ、力なく崩れ落ちた。
「っ……!」
オルトは素早く駆け寄り、エルの身体を受け止める。
その小さな身体は気を失っているだけのようだった。
脈も魔力の流れも正常に戻っている。
オルトは安心し、エルを部屋の隅にある長椅子へそっと横たえた。
「それで……お前の目的はなんだ?」
オルトは静かに、しかし鋭く問いかけた。
マニエールの唇がわずかに持ち上がる。
その表情は穏やかというより、どこか“悲しみすら含んだ微笑”だった。
「――ふふふ……魔王様。私たちの目的は、たったひとつ」
彼はゆっくりと両手を広げて言った。
「あなたと共に人間界に連れてこられた魔人や魔族を救い出し、人間界と魔界をひとつにすることです。」
「……なんだと?」
オルトの瞳が鋭く光る。
「魔王様。あなたはご存知のはずです。
三百年前、あなたが人間界と魔界を繋ぐ“全てのゲート”を一つにまとめ、二つの世界を隔てた。
お互いに干渉せず、平和を保つために」
マニエールは机の上にある古い魔導書に指をすべらせながら、静かに言葉を重ねた。
「ですが――その後、人間界の一部の者たちはどうしたと思います?」
オルトは、黙って耳を傾けた。
「彼らは“召喚魔法”を使ったのです。
魔界から魔族を、魔物を、無理やりこの世界に呼び寄せた。その多くは、“兵器”として使われ、あるいは“見世物”や“奴隷”として虐げられた」
「……それは知っている。だが、俺は人間界の王に交渉して、それを禁止させたはずだ」
オルトの声に、わずかな怒気が混じる。
マニエールは頷いた。
「ええ。確かに一時は収まりました。
……しかし、人間は“忘れる”種族です。
欲望の前に理性など無意味。
『見つからなければいい』『記録に残さなければいい』……そうして、また繰り返すのです」
彼の指が止まり、瞳がまっすぐオルトを射抜いた。
「私は……その召喚魔法でこの世界に連れて来られた者のひとりです」
「……!」
オルトの目が見開かれた。
「私は最初……ある人間貴族の“ペット”として飼われました」
マニエールの声は、淡々としていて、それが逆に不気味だった。
「それはそれは、屈辱的な日々でした。
鎖を巻かれ、言葉も奪われ、魔法も殆ど使えない私は――逃げることさえ、許されなかった」
オルトの眉がピクリと動く。
「…だが、私には“知性”があった」
マニエールは指先をゆっくりと組みながら、微笑んだ。
「そのおかげで、私は生き延びました。いや――生き抜いたのです」
オルトが低く問いかける。
「……それで。人間を、恨んでるのか?」
マニエールはふっと目を細め、静かに首を振った。
「いいえ?恨みなど抱いてはいませんよ。
むしろ、感謝しているくらいです」
オルトはマニエールの言葉に眉を上げた。
「人間は、私に気づかせてくれた。
“強き者だけが生き残り、弱き者は排他されるべき”……それが、世界の真理だと」
「……っ」
オルトがほんのわずか、口元を引き結ぶ。
「私は、その貴族に教えを授けました。
――どうすれば、より効率的に魔族や魔物を従わせられるのか。
――どうすれば、“召喚の触媒”を安定して得られるのか」
「そして彼らは、喜んで従ったのです」
マニエールの口調は、まるで美しい絵画の解説でもするようだった。
「“人権のない人間”――罪人、奴隷、孤児、病人、旅人、身寄りのない者。
そういった者を捕まえては、魂を削ぎ、召喚の媒体として差し出した」
「ふふふ……愚かで、可愛いでしょう?」
「自らの手で、“同じ人間”を生贄に差し出すのですよ?」
⸻
オルトの拳が、無意識に震えていた。
「……」
「魔王様。人間とは、そういう存在です。
そして私は、それを否定しません。
私は人間を利用し、導いてきたのです――滅びではなく、進化の先へと」
「それじゃあ……お前が、あの村の人間たちを捕まえたのか?」
オルトは静かに問うた。
マニエールはにこりと、まるで花でも愛でるような顔で答えた。
「ええ。あの村の人々はもう“用済み”だと告げられましたので――全員、回収しました」
「……用済みだと?」
オルトの目に、わずかに怒気が宿る。
「ええ...彼らは、イゼルディア王国の末端の村のもの達です。紛争で財力や兵力が減ったので、彼らはいてもいなくても良い存在。つまりもう用済みだそうです」
「誰が、お前にそんなことを言ったんだ。」
「ふふっ、それはあなた様が私の願いを叶えてくださるのならお教えしましょう。」
「....お前は……俺に何をさせたい?」
マニエールは、まるで待ってましたと言わんばかりに、ゆっくりと膝を折った。
――魔王に、跪く姿勢で。
「私が望むのは、ただひとつ」
「……」
「魔王様。どうか私を、貴方の配下としてお迎えください」
オルトの眉がピクリと動く。
「……どういうつもりだ?」
マニエールは、伏せた目をゆっくりと上げ、オルトを見つめる。
その瞳には狂気も忠誠も、等しく混ざっていた。
「ふふ....私は、かつて魔界で……貴方様に命を救われた者です。貴方が魔界を統一したあの頃。虐げられていた知性種族だった私に、魔王様は初めて“名”をくれた」
「名を…?」
「はい。私に“マニエール”という名を授けてくださったのは……他でもない、あなたなのです」
「…記憶にねぇな」
「ええ、当然でしょう。貴方様にとって私は、ただの一握りの塵だったのかもしれない。けれど――私にとっては、“神”そのものだったのです」
空気がぴたりと張り詰めた。
「魔王様のためなら、私はなんだっていたします。殺せと言えば殺しましょう。滅ぼせと言えば国ひとつ滅ぼしましょう」
「……じゃあ聞くが――」
オルトの瞳が細くなる。
「今すぐ人間を捕まえるのをやめろ。……従えるんだろ?」
少しの沈黙のあと――マニエールはにこりと、花が咲くように笑った。
「――ええ、もちろんです。
ただし――貴方様が、本当にそれを望むのなら」
「どういうことだ...?」
低く問うたオルトに、マニエールは微笑みを浮かべながら静かに答えた。
「魔王様、あなたは――お優しすぎるのです。
魔界を統一し、秩序をもたらしたあの日から三百年。
それでもなお、今ではあなたは人間という愚かな存在すら救おうとされる。
……ですが、私は思うのです。それはあなた様が背負うべきものではないと。」
「何が言いたい。」
オルトの声に鋭さが滲む。
「魔王様、私はこの人間界で、召喚され、奴隷にされ、ペットとして扱われた魔族たちを保護してきました。
彼らは口々に言うのです。“もう、許せない”と。“この世界の人間たちに私たち魔人と同じ目に合わせてやりたい”と。彼らは復讐を望んでいます。」
沈黙が落ちる。マニエールは一歩、近づいて言葉を続けた。
「魔王様――あなたは、魔界と人間界……いったいどちらの“味方”なのですか?」
「俺は……」
オルトは言葉を詰まらせる。
その瞳には、迷いと怒りと、かすかな悲しみが混ざっていた。
「ふふ……ごまかさなくて結構。
私にはわかっておりますよ。貴方様のその心の奥底――本当は、あなたも人間を恨んでいる。
それでもなお、その感情を押し込めてきたのです」
「……」
「さあ、魔王様――私たちの“同志”の元へご案内いたします」
マニエールはそう言い残し、ゆっくりと重厚な扉を開けて先へと進み始めた。
オルトは何も言わず、ただその背中を追って歩き出した。
マニエールが案内した先に広がっていたのは、薄暗い洞窟とは思えないほど整えられた広間だった。
そこには――小さな魔人の子どもたちから、白髪を蓄えた老いた魔人たち、そして檻に収容された魔獣たちの姿があった。
彼らの目が、いっせいにオルトの姿を捉えた。
「お前たち!我らの魔王様がご到着なさったぞ!」
マニエールの声が響くと同時に――
「おおっ!魔王様だ!!」
「我らが、救い主――魔王様!!」
魔人たちは歓声を上げながら一斉に駆け寄り、オルトの周囲を取り囲むようにして膝をついた。
目を輝かせ、涙を浮かべる者さえいる。
「ほら、ほら……落ち着きなさい、皆」
マニエールは優しく、まるで教師のように彼らを宥めた。
だがそのとき、ひとりの若い魔人が口を開いた。
「魔王様――いつになったら、この世界を“ひとつ”にしてくださるのですか?」
すると別の魔人が、声を上ずらせて答えた。
「それは……これからだろう!
魔王様が来てくださった今、きっと“その時”はすぐに来る!」
再び、魔人たちの間に期待の声が広がっていく。
まるで“救世主”の到来に胸を膨らませる、民衆のように。
オルトは、目の前に広がる光景をただ黙って見つめていた。
魔人たちは――確かに生きていた。
だが、そのどれもが“どこかが欠けていた”。
小さな子どもは片目を失い、尾を断たれ、恐怖に震えるように肩をすぼめている。
老人の魔人は、鼻がなく、ひどく痩せこけ、皮膚の下から骨が浮き出ていた。
そして、ある若い魔人に至っては、両腕が肩から先ごと存在していなかった。
「……マニエール」
低く、絞り出すような声でオルトは言った。
「ここにいる連中は……なぜ、こんな姿なんだ」
マニエールは目を細め、あくまでも冷静に、淡々と答えた。
「理由は単純です。
“売られた”からです。
――人間にとって、我らのように“異形の姿”をした存在は、それだけで高値のつく“素材”なのですよ」
その言葉に、オルトの眉がわずかに動く。
「たとえば――あの子」
マニエールが小さな魔人の少女を指さす。
「彼女は『千里眼』を持っていました。
その目は貴族たちにとって貴重な道具でした。
だから、片目だけを抉られ、目玉がついたまま奴隷市場で売られていたのです。」
オルトの赤い瞳が、少女に注がれる。
その小さな体に浮かぶ古い傷跡が、何よりの証拠だった。
「――そして、あの男。両腕がないでしょう?
彼は“鋼鉄の鱗”という珍しい魔性を持っていた。
だから、“素材”として、両腕を切り落とされたのです。
彼らの“力”や“部位”は、人間の金と欲望によって切り取られた。」
マニエールはひとつ息を吐き、最後にゆっくりと付け加えた。
「…ここにいる者のほとんどが、“何かを奪われた者たち”です。魔法、器官、尊厳、名前――あらゆるものを、人間の都合で」
その言葉を聞いたオルトの瞳が、鋭く細められる。
「……どこの、どいつが……そんなことをした」
怒気は抑えられていた。
だが、背後の空気がわずかに震え、魔力がわき立つのがわかる。
それを見たマニエールは、ふっと笑みを浮かべた。
「――やっと、魔王らしいお顔になられましたね」
そう言うと、彼はくるりと背を向けて歩き出す。
「詳しいお話は、明日またお話しましょう。今は魔王様もお疲れでしょうし...お部屋を準備させました。どうぞそちらでお休み下さい」




