14.予言の勇者
男――教皇アントは、玉座の間に澄んだ声を響かせた。
「私はこの国の教皇アントと申します。
そして、あなた様のお名前は?」
ハルは、一拍の間を置いてから答えた。
「……俺――いえ、私はハルと申します」
アントは、満面の笑みを浮かべ、興奮気味に言葉を続けた。
「ハル様……! やはり、あなたなのですね!!」
「はい?」
困惑するハルをよそに、アントの瞳はまるで狂信者のように光っていた。
「金色の髪……蒼き瞳……氷を操る神の力。
すべてが、カイール神の予言に記されていたのです!」
「予言……?」
ハルは少し眉をひそめた。
アントは手を組み、まるで神に祈るかのように語り出す。
「――“蒼き瞳の氷の子、黄金の冠を戴きて現れ、
我らが地に混沌をもたらす悪魔を封ぜん”」
「それが……ハル様、あなたなのです!」
「……」
ハルは言葉を失った。
「あぁ……申し訳ありません。つい、興奮してしまって」
教皇アントは咳払いしながら、口調を改めた。
「この国を創り給うたカイール神は、かつてこうした予言を残したのです――」
彼は手を胸に当て、まるで朗読するように語り出す。
「“人の地に魔の物現れしとき、
黄金の髪と蒼き瞳を持つ氷の王子、現れん。
彼こそが魔王を討ち、混沌を鎮めん”」
ハルの瞳がかすかに揺れる。
「……それが、俺だと?」
「そうですとも、ハル様! 貴方の存在こそ、予言の証!どうか、神に選ばれしその力――この聖教国、そして世界の救済のために使ってはいただけませんか?」
ハルは、口を閉じたまま黙っていたが暫くして静かに問いを投げかけた。
「……あなたは、あの魔物が“魔力飴”によって暴走した人間である可能性があることをご存知ですか?」
教皇アントは、わずかに眉を上げてから頷いた。
「ええ。“そういうものがある”という報告は、確かに受けています。しかし、詳しくはまだよく分かっていない状態です。」
「....私たちは、以前ミンゼル街でも同じような魔物に遭遇しました。
当初はただの魔物だと思われていましたが、調査の結果――その個体は“魔力飴”によって変異した元・人間だったと判明したのです。」
ハルの声には、わずかに力がこもる。
「ですから、今日現れた魔物も、人間が変異した存在である可能性が極めて高いと考えています。... もしかしたら、魔力を吸い取ることで元の人間に戻ることもあるかもしれません。」
アントは静かに頷き、騎士の方を一瞥してから言った。
「……なるほど。それならば、改めて騎士団と魔法科学部に調査を命じましょう。貴重なご報告に感謝いたします」
そう言ったあと、アントはため息まじりにぽつりと呟く。
「やはり、魔界から来るものは、人間を狂わせる……」
その言葉に、ハルの目が細められる。
「――なぜ、それが“魔界から来たもの”だと、断言できるのですか?」
アントは微笑を浮かべたまま、穏やかに、しかし迷いなく答えた。
「簡単なことです。この神に選ばれし世界――人間界に、あんな禍々しいものが生まれるはずがない。
つまり、それは外なる穢れ――“魔界”の所業です」
その瞳は、曇り一つない。
(思い込みじゃない……この人、“信じてる”んだ)
ハルは、拳を握りかけた自分の手を、そっと解いた。
「…そうですか」
「じゃあ……“魔王を倒す”って、どういう意味なんですか?俺が倒すべき“魔王”はどこにいるんですか?」
ハルはアントをまっすぐ見ながら聞いた。
「カイール様からの啓示では、すでに“魔王”は人間界に入り込んでいるそうです」
アントは少し眉を寄せ、静かに続けた。
「このままでは、今から約6年以内には魔人や魔物が各地で暴れ出し……300年前の大災厄をも超える惨状になると」
「……」
「だからこそ、その“魔王”を討てる唯一の存在――それがあなたなのです、ハル様」
「....そうですか」
ハルの瞳がわずかに揺れる。
「しかも、ハル様が現れるひと月前に聖女様が現れたのです!その名前はハンナ様といい、強大な魔力を持ち、触れただけで全てを癒す“治癒魔法”の奇跡を起こされました」
「そして他にも、“予言”に記されていた騎士、魔術師……全ての役者が揃い、あとは――勇者である、あなたのみだったのです」
(だから、こんなに舞い上がっているのか)
「もし俺が、それを“断った”としたら?」
そう静かに問うたハルに、アントはわずかに首を傾げた。
「ふふっ……断るはずがありませんよ。あなたは、魔人や魔王に――強い憎しみを抱えているはずですから」
ハルの瞳から、一瞬だけ鋭さが消えた。
「……」
だが、すぐに視線を戻す。
「――いいでしょう。」
ハルはまっすぐにアントを見据えて言った。
「ですが、条件があります。」
「ほぅ……」
アントは、にこりともしない笑みを浮かべ、
細めた青い瞳でハルを見つめた。
「詳しく――聞かせていただきましょうか?」
冷たくも柔らかいその声が、玉座の間に静かに響いた。
◆◆◆
オルトとエリーナがアチアル山を訪れてから、3日が過ぎた。
木漏れ日が揺れる中、
エリーナとオルトはサーシャと共に、小さな礼拝所の裏手で作業をしていた。
「ありがとうございます。薪を割るのは、なかなか骨が折れますから……」
サーシャは、涼しげな笑顔で礼を言った。
「別に、このくらいは簡単なことだ。気にするな」
オルトはそう言って、片手で軽々と斧を振り下ろし、太い薪を真っ二つに割る。
パキン、と小気味よい音が響いた。
その様子を遠くから見ていたエリーナが、勢いよく声を上げる。
「サーシャ、私も何か手伝うわ! 洗濯物、やる!」
タタタ、と駆け寄ろうとするエリーナに、
「エリーナ様は、どうかお休みになってください!」
サーシャは慌ててタオルを持って追いかける。
「洗濯場は滑りやすいのでございます!」
「もう……また“様”って……」
小さくむくれるエリーナ。
その光景を見ながら、オルトはふと手を止め、額の汗をぬぐった。
「ふぅ…結構、暑いな…」
森の木陰にいるにもかかわらず、じっとりとした陽気が肌にまとわりつく。
「人間界の夏って、魔界より地味にキツいな……」
ぼやきながら、木陰に腰を下ろす。
ザッ……ザッ……ザッ……!
木々のざわめきの中に、重い足音が混ざり始める。
オルトの目が鋭くなる。
「これは.....まずいな」
すぐに斧を放り投げ、足元の地を蹴った。
一気にサーシャとエリーナの元へ駆け戻る。
「エリーナ! サーシャ! 何かが、こっちに向かってる――数が多い!」
「え...?」
エリーナの顔が青ざめる。
「エリーナ様とオルト様は――どうか中へ、隠れてください!」
サーシャは即座に判断し、両手を広げて小屋の中へ促す。
ドンドンドン!!
戸を叩く、重く荒い拳の音。
「オルダナ国・聖教騎士団だ!
ここにエリーナ様が匿われているのは分かっている。――今すぐ出てきなさい!」
緊迫した沈黙の中――
ガチャ
サーシャはためらうことなく扉を開けた。
修道服の裾を揺らし、毅然と騎士たちの前に立つ。
「――何の御用でしょうか?」
凛とした声が、緊張を切り裂くように響いた。
「サーシャ様」
襟まである深い赤髪をなびかせた聖教騎士団長・キアラが、毅然とした声で言った。
「ここに“エリーナ様”と……黒髪の男が来られたでしょう?」
「……一体、なんのことでしょうか?」
サーシャはまるで呼吸するように、落ち着いた声で応じた。
キアラは小さくため息をつきながら、両手を軽く広げて言う。
「はぁ……安心してください。
我々は“連行”に来たわけではありません。確認しに来ただけです」
「確認――?」
サーシャが眉を寄せたそのとき。
すっ……と人影が前に出る。
キアラの背後から現れたのは、金髪に蒼い瞳をもつ、美しい青年だった。
その気品ある顔立ちは、まるで王子のよう。
だが、声には懐かしい色があった。
「――師匠!!いるんでしょう!?」
その声に、部屋の奥で息を潜めていた黒髪の男が目を見開いた。
「……ハル? ハルなのか!!」
ガタン―― と音を立てて扉が開く。
ハルはオルトの姿を見つけるや否や、勢いよく駆け寄り、そのまま力いっぱい抱きしめた。
「師匠……ご無事で、本当に……よかったです」
「お、おう……お前、ちゃんと来たんだな。……って、ちょっと……苦しい……!」
オルトが苦笑混じりに声を上げると、ハルはハッと我に返り、慌てて腕を離した。
「す、すみません……つい、勢いで……」
顔を赤らめてうつむくハルの姿に、オルトはふっと笑みをこぼす。
そして周囲に目を向け、騎士団の面々を見やりながら、小さくつぶやいた。
「で……これはどういう風の吹き回しだ?」
オルトが聞くと、ハルは俯いていた顔を上にあげ静かに言った。
「話すと――長くなります」
「……つまり、俺とエリーナを匿う代わりに、勇者役を引き受けたってわけか?」
オルトの赤い瞳が、わずかに細められる。
「――まあ、そんなところです」
ハルは視線を逸らさず、静かに答えた。
その言葉に、オルトは額をかくりと押さえた。
「お前なぁ...」
思わず声が漏れる。だが、怒りではない。
心配と、呆れと、――少しの嬉しさが混じっている。
「ハル.....ありがとう」
サーシャの後ろに隠れるようにしていたエリーナが、少し申し訳なさそうに言った。
その姿を見たオルトは、ふっと小さく笑みを浮かべたが、すぐに真剣な表情に戻り、静かに問いかけた。
「…で、“魔王を倒す”って話――どういう意味なんだ?」
ハルの瞳がわずかに揺れたが、口調は冷静だった。
「教皇によると、“魔王”はすでに人間界に潜入していて、その影響で魔力飴が出回り、魔人や魔族たちが暴れている――と」
オルトの頭の中に、さまざまな記憶が駆け巡る。
(全て俺や魔界のせいにされてるのか...まぁ、人間にとって魔界はあんまり良いイメージねぇからな...)
眉間に皺を寄せ、オルトは黙り込んだ。
「……そんなわけで、師匠」
ハルが目を伏せながら口を開く。
「しばらく、俺は一緒にいられそうにありません」
その声に、オルトは一瞬だけ眉を上げたが――すぐに、ふっと笑って言った。
「別に気にするなって。
飴の調査は俺一人で進められるし、お前がここにいたほうが、情報が早く入るかもしれねぇしな。」
「…はい」
どこか、納得しきれない顔でうなずくハル。
「で、師匠はこれから……?」
「そうだな――俺は“魔力飴”の出処を探すために、イゼルディア連合国に潜るつもりだ」
「っ……!? そ、それは――危険です!」
思わずハルが前に出る。
「仮面をつけていたとはいえ、師匠はもう姿を見られています。目立てば――最悪、エリーナ様を連れ去った者だと断定されるかもしれない!」
オルトは軽く肩をすくめてみせた。
「お前、本当に心配性になったな。大丈夫だって。顔は見られてねぇし、目立つ事もしない。ヤバそうだったら変装して動くさ」
「なら、やっぱり俺も――」
「ダメですよ」
ピシャリと割って入ったのは、騎士団長キアラだった。
「あなたには、この国で果たすべき役目があります。
それに――条件は、すでに飲んでいただいたはずです」
「……」
黙って下を向くハルに、オルトがゆっくりと歩み寄った。
そして、いつものように雑に頭をぐしゃっと撫でる。
「ハル。気にすんな。
お前は――お前の場所でやるべきことをやれ。それで、いいんだよ」
「分かりました……」
ハルは渋々うなずいた。
「それでは、ハル様。お戻りになりましょう」
キアラが静かに促す。
「はい……」
ハルは名残惜しげに、じっとオルトを見つめた。
「ったく……仕方ねぇな」
オルトは小さく息をつくと、そっとハルの右手を取り、そのままぐっと引き寄せた。
「っ……し、師匠……?」
突然の距離の近さに、ハルが戸惑いの声を漏らす。
「お前からの連絡なら、いつでも応じてやる。助けが必要なら、すぐに駆けつける――だから、安心しろ」
低く落ち着いた声で、オルトはハルの耳元に囁いた。
その言葉が胸に染み込んだ瞬間、ハルの瞳がわずかに揺れた。
そして、掴まれていた手をオルトの腰へと回し、そのままきつく抱きしめ返した。
「っお前、さっきも……」
「充電です。しばらく会えないんですから、いいでしょう?」
ハルは少し抵抗するオルトを離さまいと腕に力を込めた。
「…...はいはい」
オルトは小さくため息をつきながら、黙ってその抱擁を受け止めた。
しかし――
「……」
ふと視線の先に、気まずそうに目をそらす騎士団長キアラの姿が目に入り、
「っ……ハル、もういいだろ! 暗くなる前に行け!」
オルトは顔を赤くしながら、慌ててハルを引きはがす。
「師匠....俺、頑張ります」
ハルは真っ直ぐにオルトを見つめ、力強く言った。
「おう。俺は明日にはここを発つ。ちゃんと連絡してこいよ?」
「はい!」
ハルは青い瞳を輝かせて、はっきりとうなずいた。




