11.路地裏の子供
「まぁいいよ!」
八百屋の男は腕を組んでニヤリと笑った。
「うちの商品、買ってくれたら許してやろう!」
「おっさ……ゴホン、ゴホン……兄ちゃんは、この八百屋の店主なのか?」
オルトが無理に言い直しながら訊ねる。
「おうともよ!」
男は小太りの腹と胸を張って答える。
「うちの野菜は新鮮で、味もピカイチ! 今朝採れたてのキュウリなんて絶品だぜ!」
「それじゃあ、そのキュウリを3本と……あとそこのトマトとじゃがいもを2つずつください」
ハルが迷いなく言った。
「まいどあり! 6点で――300ゼルだ!」
「わかりました」
ハルは懐から、マリアとジョージが「感謝の気持ちだから」と無理に持たせた銭袋を取り出し、そこから300ゼルを取り出して男に手渡した。
「へっ、ありがとよ!」
男は器用に野菜を包みながら、にやりと笑った。
「ところで兄ちゃん」
オルトが買った野菜の包みを受け取りながら、ふと口を開いた。
「この辺りで、“飴を配ってる小さな子供”を見なかったか?」
「飴……?」
店主の男は少し首をかしげたが――すぐに「ああ」と声を上げた。
「……ああ! そういや、見た気がするなぁ」
「どんな子供でしたか!?」
ハルが一歩踏み出し、思わず食い気味に問いかける。
店主はやや驚いた様子で後ずさりしながらも、記憶を手繰るように言った。
「お、おう……そんなに慌てんなって。えっとな……」
「確か、背は俺の腰くらい。年の頃は……たぶん10歳前後ってとこだ。
服装は、黒い帽子に緑のベストを着ていて……“ここらじゃ見ない感じ”だったな。旅人の子って感じだ」
「……!」
オルトとハルがちらりと目を合わせる。
――間違いない。マリアとジョージが言っていたのと同じ子供だ。
「その子供……店主さんが見たあと、どこへ行ったか分かりますか?」
ハルが真剣な表情で問いかけると、男は顎に手を当てて少し考え――思い出したように指をさした。
「えっとな……確か、ちょうどうちの店の前を通りかかった夫婦に話しかけてたな。
それこそ、お前たちが言ってた飴を渡してたと思う。
で、そのあと――あの裏道に走ってったよ」
男が指したのは、道の向こう側。
雑貨屋と本屋のあいだに挟まれた、薄暗い細い道だった。
オルトとハルは一瞬目を合わせ、こくりと頷き合う。
「ありがとうございます」
ハルがしっかりと頭を下げると、2人はすぐさまその裏道へと歩き出した。
足元の石畳が、やや湿っている。
建物の影に挟まれたその通りは思った以上に薄暗く、奥の方にはかすかな光があるものの、先の様子はほとんど見えない。
「……行くか」
オルトが低く呟くと、ハルは無言で頷いた。
ふたりはゆっくりと、その暗がりの中へと足を踏み入れた――。
「俺が先に行きます」
ハルが小声で言い、慎重な足取りで暗い裏路地を進んでいく。
オルトはそのすぐ後ろを、静かに続いた。
そのとき――
「……っ、すす……ひっく……」
かすかに、泣き声が聞こえた。
「師匠……」
ハルが呟きながら、そっと手を後ろに伸ばしてオルトの手を握る。
“何かいる”という無言の合図。
「……ああ。子供の声だな」
オルトは赤い目を細め、暗がりの奥に視線を凝らした。
すると、薄い光の差し込む先――
壁際に、小さくうずくまる人影が見えた。
長い髪に、痩せた背。どうやら女の子のようだ。
「……情報で聞いた飴の少年とは違うようだな」
「しかし、変装の可能性もあります」
ハルが低く囁く。
「……まあ、確かにな」
ふたりがそっと様子を伺っていると――
「だれ!?」
丸まっていた少女が突然こちらを振り向き、叫んだ。
だが、まだ彼女の目にはオルトたちの姿がはっきりと見えていないらしい。
「私は帰らないわよ!!おっさんと結婚なんて絶対にいや!!」
叫びながら、少女は裏道の奥、かすかに光る出口へと駆け出した。
ハルとオルトは、反射的に走り出した。
「待て!」
「怪しい者じゃない、話を聞かせてくれ!」
暗い路地に、足音と呼び声が響き始める――
ハルが少女に追いつき手を掴んで捕まえた。
「いや!!離してよ!!この、無礼者!!」
泣きじゃくる少女は、年の頃――おそらく9歳ほどに見えた。
「おい、お前が何から逃げてるのかは知らねぇけどな、俺たちは、“おっさんと結婚させるため”に追いかけたわけじゃねぇよ」
オルトが静かに言葉を投げかける。
その声に、少女ははっとしたように顔を上げる。
裏口の出口まで走ったのか、頭上から差し込む陽の光が、少女の姿をやわらかく照らし出した。
太陽のように明るく燃える赤髪。
本来はきれいにハーフアップにまとめられていたらしいその髪は、走り回ったせいでボサボサに乱れていた。
そして――髪に負けないほど鮮烈な赤い瞳。
その瞳には涙がたまり、けれどもどこか強い光も宿っていた。人形のように整った顔立ちに、高貴さと幼さの入り混じった、不思議な存在感を放っていた。
「……あ、あなたたち……イゼルディア王国の……兵士じゃ、ないの?」
少女はおそるおそる言葉をつむぐ。
「イゼルディア王国の兵士? そんなもんじゃねぇよ」
オルトが肩をすくめて答える。
「私たちは、このあたりで君くらいの年齢の“少年”を探してたんです」
ハルがやや丁寧に補足する。
少女はしばし黙ったのち、鼻を鳴らすように言った。
「……そう、なの。……ったく、紛らわしいわねっ!!」
そう言って、泣いていたとは思えない勢いでふんっと顔を背けた。
オルトが目を細めて、あきれたように尋ねる。
「……はぁ。で、お前、なんで逃げてたんだよ?」
少女はほんの一瞬、目を泳がせた。
「……それは……あなたたちには――」
言いかけた、その時だった。
「ガルディア隊長! 見つけました! エリーナ様です!!」
裏道の出口から声が響いた。
振り返ると、昨日見た連合軍の兵士のひとりがこちらを指さして叫んでいた。
少女――エリーナの顔から一気に血の気が引いた。
「エリーナ様!!お戻りください!!」
その声が響いた瞬間――
少女は、反射的に立ち上がり、すぐにハルとオルトが入ってきた裏道の方へと駆け出した。
だが――
「……っ!」
反対側からも、ザッザッと複数の足音が迫ってくる。
「ど、どうしよう……っ!」
エリーナの声は、明らかに震えていた。
その小さな体は、今にも揺れ崩れそうだった。
「ったく、仕方ねぇなぁ……!」
オルトが低く吐き捨てるように言い、ハルに目で合図を送る。
ハルは迷いなく頷いた。
次の瞬間――
オルトは、霧の札を裏路地の出口に向けて投げつけた。
シュッ――パァン!
札が炸裂し、瞬く間に辺りは黒い霧で覆われる。
視界が、一気に奪われた。
同時に――
ハルは懐から移動の符を取り出し、地面に押し当てた。
「……展開します!」
その言葉とともに、霧に包まれた路地の中心部に、
パァァァァ――ンッ!
眩い青い閃光が走る。
裏路地の暗闇を貫くように、魔力の紋章が浮かび上がった。
「っ!!また……あの霧!!」
外から叫ぶ兵士たちの声が、かすかに聞こえたが――
すでに、3人の姿はその場から消えていた。
◆◆◆
ガタン――ッ!
転移の衝撃が軽く響き、3人は一斉に床に足をついた。
そこは――マリアとジョージの家の中。
見慣れた家具、差し込む午後の光。
静かで穏やかな、住宅街の一角にあるマリアの家だった。
「……ここはどこ……?」
エリーナはぐるりと部屋を見回し、驚きで目を丸くしていた。
「この街の住宅街にある家のひとつです」
ハルが落ち着いた声で答える。
幸い、マリアとジョージは外出中らしく、家の中に他の人影はなかった。
オルトは壁にもたれながら、腕を組んでエリーナに向き直る。
「で? お前を助けてやったんだから、話してくれるよな。“何から逃げてたのか”を」
その問いに、エリーナの体がぴくりと震えた。
視線を落とし、小さな手でスカートの裾を強く握りしめる。
しばらくの沈黙――
やがて、彼女は少しずつ、震える声で口を開いた。
「……私は……」
深呼吸一つ。
「私は……聖教国オルダナの……第十五王女――エリーナ・クリスタルなの」
「……オルダナの……?」
ハルは目を見開き、思わず声を漏らした。
エリーナは小さく頷くと、拳をぎゅっと握りしめたまま、語りはじめた。
「……あなたたちも知ってるでしょう? イゼルディア王国と、私たちの国――聖教国オルダナとの間に、長い間紛争が続いているって」
ハルとオルトが静かに頷くのを見て、彼女は続けた。
「最近、紛争が激しくなってきた原因――それは、イゼルディア王国と聖教国オルダナを繋ぐルミア川よ。
オルダナは、あの川の水に頼って農業も生活も成り立っていたのに……
イゼルディアが突然、軍を使って一方的に水路を封鎖してきたの。」
「……水を封じたってことか」
オルトが低く呟く。
「ええ。他の川や湖、港も、軍が見張ってて近づけなくなった。
食糧も、医療も、水も全部……少しずつ足りなくなっていったわ」
エリーナの声が少し震える。
「そんな中で……イゼルディアの国王は私の父にこう言ったの。
“オルダナの姫をひとり、我が国に嫁がせれば、ルミア川の封鎖を解いてやろう”って」
ハルは思わず言葉を失う。
政略結婚――いや、人質。
オルトが腕を組んだまま、低く息を吐いた。
「……交渉って言葉でごまかしてるが、やってることはただの“脅し”だな」
「父は……その“条件”を聞いたあと、姉たちを次々に、自国の兵士や協定を結んだ国へ嫁がせて……
最後に残った私に、こう言ったの。
“この国のために、穢れたお前でも役に立てるんだ”――って……」
「……穢れた?」
ハルが小さく呟く。
エリーナは俯いたまま、わずかに肩を震わせながら、絞り出すように言葉を続けた。
「私は……“ちゃんとした生まれ”じゃないから……」
ハルもオルトも、言葉を挟まずにただ静かに耳を傾ける。
エリーナは、少しずつ胸の内を吐き出していく。
「国の役に立てるならって……そう思って、私はここまで来たの。だけど……どうしても辛くなって逃げ出してしまったの」
顔を上げたエリーナの目に、涙が浮かんでいた。
その大きな赤い瞳は、必死に何かを訴えていた。
「分かってるわ。私が逃げたら、国に迷惑がかかるって。でも……でも、40も年が離れた相手と結婚なんて――まだ、心の準備なんて、できるわけないよ……!」
その姿は、“王女”であると同時に――ただの、九歳の“少女”だった。
オルトはやれやれと小さくため息を吐き、壁に背を預けた。
(あっちもこっちも、腐ってやがる)
内心でそう吐き捨てながら、淡々と――しかし優しく問いかける。
「お前は、その40歳も離れたおっさんと……国のために結婚したいのか?」
その声は冷たくも鋭く、けれど不思議と温かかった。
エリーナは言葉を失い、オルトを見つめる。
小さく呟いた。
「私は……」
彼女は膝の上で握りしめた手を見つめたまま、再び俯く。
「……国のために結婚するべきだとは、思ってる。
でも、少しだけ……時間が欲しいの……」
その声には、“王女”という立場も、年齢以上の覚悟も、すべてを背負わされてきた“少女”の、静かな悲しみが滲んでいた。
「はぁ……ガキにこんなこと言わせるなんて、ロクでもねぇ大人ばっかだな……」
オルトがぼそりと呟く。
その横で、ハルがふとオルトを見やった。
何かに気づいたように、低い声で言う。
「師匠……これは、国と国の問題です。
そう簡単には、解決できる話じゃありませんよ」
「……そうだな」
オルトは腕を組んだまま、ゆっくりと頷いた。
そして――その口元に、にやりとした笑みが浮かぶ。
「――でも、“国の問題”なんてどうでもよくなるくらいの出来事が起これば……話は別だろ?」
赤い瞳が、ゆらりと妖しく光を放つ。
「……え?」
エリーナが、戸惑いながら顔を上げる。
「師匠……今度は、何を考えてるんですか?」
ハルが訝しげに目を細めた。
オルトは肩をすくめながら、どこか楽しそうに笑う。
「ふっ……この作戦がうまくいきゃ、
“魔力飴”の件と、イゼルディアとオルダナの紛争――
それに、エリーナの政略結婚まで、まとめて片付けられるかもしれねぇな」




