ヤリモクだろうが愛してる!!
紙のストローがしなびてきて、そろそろ新しいものをもらいに行こうかと思った頃だった。
「ユウさ、好きって言ってくれるけど本当はそうじゃないよね」
ずっと沈黙を守っていたその人が話し出す。
対面に座っているのは悠希の恋人……だった人になるかもしれない。
「どうだろ」
「そういうところ。ユウってさ、人に興味ないよね」
付き合って三ヶ月。今までと比べれば長く続いた方だといえるだろう。
「そうかも?」
別れ話は面倒くさい。長々と話さずに、「別れよう」の一言で終わらせてほしい。
あと、食事代は置いていってほしい。
こういうところが、「人間に興味がない」だとか「心がない」だとか「常識がない」と言われる所以なのだろう。
そしてフラレる原因になる、と。
「だからさ、ユウ、もう、別れない?」
まるでこっちが別れたくないと思っているかのような言いようだな、なんて思う。
「あー、いいんじゃない」
ズズッっと、空気を吸い込む。あ、もうジュースなくなっちゃった。
元恋人が席を立つ。悠希は丸まっていたレシートを開いた。
合計一六五◯円。どーしよ。フラレたってことはこっちにも非があったってことだし、反省代として一五◯円くらいは払おう。
「帰るなら一五◯◯円置いてって」
無言で財布を開いてくれた。
時々一銭も置いていかないでそのまま帰ってしまうやつがいるので、この人はいい人だ。
「まじでクズだわ」
耳に響く笑い声。マイクを通してエコーがかかって聞こえる。
染めた茶髪に電灯の光が綺麗な輪っかを作っていた。
長谷川蒼生。カラオケボックスの一室、中学時代の友人と、フラレ祝いをしているというのはどういう状況か。
「なんだっけ、その子の名前……? 中島さんだっけ」
「えー? 中川とかじゃなかった? 中島ではないと思う」
「うーわ、お相手さんかわいそすぎ。お前に三ヶ月間振り回されてたとか。最長記録じゃない?」
最長記録である。まず一ヶ月持ったのが奇跡というものだ。あの人の忍耐力に感謝?
「でもあっちも、『ユウ』って読んできてたし、自分『ユウキ』だし。覚えてたかもわからんのに」
「流石にそれはないでしょ。告ってきたのあっちなんでしょ?」
今まで付き合ってきたどの人も、悠希の方から「付き合って」なんて言ったことがない。
「別れて」の方も同様で、相手の方からやってきては、勝手に離れていく。
「悠希の顔に騙されちゃったんだなぁ〜。顔だけは完璧なんだけどね」
蒼生がため息をついた。そういう蒼生の顔立ちも、あるべき場所に宝石をはめ込んでいった造形美の極地のようで、それに騙されてきた人は数しれず。
今のため息でさえ、場所が場所なら物憂げでミステリアスな美人だともてはやされるだろうに。
「その子の写真見せてよ。顔良かったら付き合う」
お人形みたいな顔をして、その実中身は悠希と同じくらい遊び人である。
面食いだし、性別問わず食い荒らしてるし、こうして授業を抜けてカラオケに来るくらい、遊びに人生をかけている。
インスタにツーショットくらい送られているかもしれない。
nakayama-makoto。
流石にブロックはされていなかった。もしかしたら近いうちに見れなくなるかも。
「あった」
日付は結構前。最近全然会ってなかったな、なんて思う。
写真はフォルダにダウンロードすらしていなかった。付き合った人の写真をいちいち保存しても、どうせ見返さない。
「残念、中山さんでした」
「中山かぁ〜。てかお前も外してんじゃん」
写真を見せてやる。さっぱりとしたヘアスタイルにそこそこ整った顔立ち。有名な進学校の生徒で、育ちが良さそうな雰囲気をしている。
蒼生の好きなタイプかもしれない。
「おぉ〜、好きかも。やる気なさそうな目がいい」
好きになるポイントそこなんだ。
「学校どこ? 友達いたら紹介してもらお」
蒼生は色んな学校に『友達』がいる。どういう繋がりかは分からない。でも多分、中山さんと同じ学校の友達くらいいるだろう。
悠希は「付き合って」と言われない限り、自らアプローチをかけることはほぼないけれど、蒼生はガンガンアタックしていくタイプだ。
フッた数とフラレた数は、同数くらいになるのではないだろうか。
学校名を言うと、知ってる! と歓喜の声上げた。むしろ有名な高校だから、知らない方が問題である。
「そいじゃ失恋ソングでも歌いましょ」
ありえないくらいの切り替えの早さで、蒼生がタッチパネルを操作する。見たこともない曲名が予約され、イントロが流れ始めた。
「失恋ソングとかミリも知らない」
「ディエットだからリードしちゃる」
音痴がリードしてもどうにもならないことは分かった。
歌詞の朗読会の評価は、辛辣な点数によって表されていた。
「いい出来だったと思うんだけど!」「点数見たら? 機械壊れてるんじゃないかってレベルじゃん」ふたりで笑う。「音痴!」
それからひとしきり歌を歌って、蒼生の音痴はやっぱり改善しなかった。
プルルル。曲と曲の合間、電話が鳴る。蒼生の携帯から。蒼生は迷わず通話ボタンを押した。
「みーたん?」
部屋を出たら? と思うけれど、蒼生は構わない。
イントロが流れ始めた部屋、蒼生が声を張る。「うん、うん、今? カラオケ!」
こちらとしても、歌っていいのか迷う。電話に他人の声が入るのは嫌じゃないのだろうか。
「んー…………」
どんな電話をしているのだろう。蒼生がこちらを見た。目が合う。
「どっちだと思う?」
しばらく、相手口の声に耳を傾けていた蒼生が、やだなぁ、と笑った。「ただの友達ー。うん?」
「だいじょーぶだよ。みーたんが一番だよ? うん、うん、好き好き大好き。うん、バイバイまた明日〜」
曲が終わる。一番好きな曲だったんだけど、歌えなかった。
「なんて? てか、誰? みーたん」
通話を切って、蒼生がにっ、と笑った。
「いま付き合ってる子。いまどこ? 誰といるの? それって女? 男? だって」
「束縛系じゃん。蒼生はその子とあと一週間で別れる。超当たる予言。てか前付き合ってた子はどうなったの」
もう一度同じ曲を予約する。ピッピピ、という電子音。
「悠希、前会ったのいつよ?」
「一ヶ月くらい前?」
「じゃあみーたんはぁ〜、まだ二週間しか付き合ってないので〜、まだあっちの忍耐持つと思いま〜す」
悠希の勘が当たらなかったらスタバ奢って、と蒼生が言う。
じゃあ当たったら蒼生が奢って? と返すと、何故か「精進します!」という返答である。
何を精進するつもりなのだろうか。早く別れろ。そしてスタバを奢れ。
「その一曲歌って、あともう一曲くらいで時間来そう」
携帯を開いたまま、蒼生が教えてくれた。
マイクを手に取る。「最後は蒼生が決めていいよ」と言うと、ふたりの知っている歌……と悩み始めた。いつもの定番でいいじゃん。
カラオケを出ると外は真っ暗だった。フリータイムを最大時間まで使い切って、一日中狭い中幽閉されていたせいか、空気が澄んでいる気がする。
都会の空気がおいしいとは思えないけれど。
「それじゃ、蒼生が今の……付き合ってる子……名前……なんだっけ……と別れたら会お」
「みーたんだよ。ミサキだよ。どうするよ、年単位で付き合えたら」
「可能性ゼロなので考慮しません」
蒼生が笑った。蒼生はよく笑う。
初めて会った時はこんなに笑う人だっただろうか。覚えていない。もう随分前のように思える。たった五年前? かなり前だったわ。
「あばよ」
と、手のひらを振って蒼生が薄闇の中に駆けて行く。
と思うと立ち止まってまた戻って来た。リュックサックがポンポン揺れる。
「どした?」
「一週間だっけ」
「なにが?」
「さっき言ってた悠希先生の超当たる大予言」
まだ覚えてたのか。蒼生はこういうところの記憶力だけは無駄に良い。テストの点数いつも赤点のくせに。
一週間、つまり七日。七日で奢るか奢らないか決まるのは結構キツイ気がする。
「えー、じゃあもう一週間延長して、二週間にして」
「超当たる大予言を変更しちゃうのかぁ……。いいよ、絶対奢らせるから」
「なんの勝負だよ」
本当の本当にあばよ! と、確かに今度こそ本当の本当に、蒼生は闇に消えて行った。
携帯を開くと不在着信とメールが嵐のように降ってくる。
LINEを開いた。適当に、上の方にある名前からトーク画面に移動して、『今めっっっっちゃムラムラしてんだけど、泊まってい?』と送る。
すぐに既読が着く。『イイよ! ヤろ♡♡♡♡♡♡』セフレって便利で良い。
▶▷▶○▶▷▶○
二週間かぁ。悠希に絶対奢らせたいから、一五日か一六日に別れればいいか。
暗い夜道。ちょっとスキップ気味になってしまう。
でも通行人は誰もいないから、どんなに浮かれても誰にも見られることはない。
顔が勝手に緩んで笑みの形になる。悠希と会った日はなんとなく上機嫌になってしまう。
理由なんて考えたこともない。考える時間があったら楽しいことを探さないと。
悠希は自分から別れを切り出すことはないというが、蒼生は違う。悠希に会いたいときに別れるために、人と付き合ってる、と言ってもいいくらい。
悠希と会うのは、どちらかが別れたときと決まっている。いつからそんな変なルールが出来たのかも分からない。
なんでもない時会うと、会話がなくて困るからかも。悠希と話すことはもっぱら恋人の話とセックスの話で、あとは時々、テストや先生の話とか、高校生らしいものが少しだけ。
「なかやままこと……」
悠希の別れたばっかりの元恋人。
三ヶ月もアレと付き合ったのは快挙といえる。あいつ付き合った途端に全額奢らせるし、性欲おばけだし、セフレもいるし、何股もかけてくるし、モラルないし、恋人としては最悪だと思う。
だからきっと、まことは献身的な性格なんだろう。都合がいい。献身的な人は病みやすい。経験則がある。
話を聞くうえでは、悠希へのフリ方も優しかった。
「いいじゃん。いいじゃん。メンヘラにしちゃうもんね!」
悠希の恋人をデロデロにして、その子の愛を自分のものにしちゃうのときが一番楽しい。
悠希のことなんか忘れちゃいなよ。あっちは少しも覚えてないんだからさ。悠希のことを考えてるのは自分だけでいい。最後に戻って来る場所は、『ここ』でいてほしい。
寂れたアパートに辿り着く。悠希は今頃どっかのセフレの家に泊まってんだろうな。
「ただいま」
しんとした音だけが、蒼生を迎える。ママは仕事。パパはいない。
意味がちょっと変わってもいいなら、ママもパパも大勢いるけど。
みーたんからのLINEが一◯◯件を超えていた。
そろそろ別れる準備、進めておいた方がいいかも。メンヘラ製造は楽しいけど、包丁で刺されるのは嫌だ。
「あと二週間でバイバイだね」
そんな文章を送ったりはしないけど、思わず呟いてしまう。
なかやままこと。
うん、いい響き。悠希と会う日が楽しみになってきた。