第1話 想像できる能力が全てある世界
ああ、頭がいてえ。ソファーから体を起こしたおれは、昨日の飲み会が終了した状態ままのリビングを見て絶望し、再び倒れ込むように横になりつつ記憶をたどる。
一軒家に住んでいるということもあって、おれの家では会社の飲み会の3次会以降が開催されることが多くあり、昨日は途中参加も含め計7人が入り乱れてハードにアルコールを摂取しつつ、先日行われた甲子園のダイジェストが流れる中でウクレレの音が響き、また離婚相談に離婚経験者と結婚未経験者が答える中、別の2人が人間の限界であろうと思われるぐらい盛り上がりながら初めて婚活サイトに登録していたら不思議、もう朝。
そして皆が帰った後、そのままソファーに突っ伏して就寝、そして起きた今現在午前11時になっていた。
あれは、そうだな。うん、あれぐらいはいける。よし、この話題も大丈夫。よしよし、酔ってたことを加味したら問題発言はなかったはずだ。あ、怜子さんはタクシーか? まあ帰ってるということは大丈夫だろう。ってやっぱり無理だ、頭痛い。
おれは勢いをつけて立ち上がり、食べかけのカラムーチョ大袋や、どん兵衛、ストロングゼロの空き缶を通り抜けてキッチンに向かい、そして冷蔵庫を開けて350mlのビールを1本取り出し、上に置いていた解熱鎮痛剤1錠を流し込んでいると、2階から足音が聞こえ、端末を手にした木崎さんがあくびをしながら階段を降りてきた。
「ちょっと二司君、これ見て。会見みたいなのやってる」
「会見? なにそれ」
「とりあえず送る」
昨日の日常着から部屋着に着替えてる木崎さんは、端末を操作しながら冷蔵庫からビールを取り出しソファーに座った。
木崎さんはおれと同じ会社に勤めており先輩ではあるが同じ25歳。そして10代から派遣で勤め、現在正社員として働いている木崎さんは、おれが中途で採用された初日に「性別やこれまでの経歴は関係ない。ここでは自分の方が先輩だ」という態度を表明した。
それに対しおれは、自分としては特にこだわりも主張もない。あなたの言うように先に入った人が偉い制度で問題ない。と返答し、その関係性のまま1年が経過し現在に至る。また木崎さんは、おれの家で行われる飲み会には昨日も含め概ね参加しており、大体朝方になると帰る皆と一緒に家を出て、どこかのコンビニに寄ってからうちに戻ってくるのが習慣になっていた。
最初にその行動を目の当りにしたおれは、この人何を考えているんだ?と強い疑問を持ったが次第に考えを改めていく。
そうだよ。こういった異性の行動を疑問に思うだけで、好意に気付かないやつにおれはなりたくない。今はあんまりないけどそういう登場人物に死ぬほどむかついてきたんだ。
しかしそう思いながらも用心深いおれは、2回目の飲み会が終了した30分後、再び玄関の前に立つ木崎さんを見た時も判断を保留した、万が一を考えて保留した。が、3回目の飲み会の後も同様のことが繰り返されたその日をもって、木崎さんはおれに好意があるとし、以降はその前提で接するようになった。
「ん、これ政府の人?」
木崎さんから送られてきたリンクを開くと、どこか狭い部屋でまあまあいいスーツを着た中年男性が、くたびれたスーツを着た中年男性達に質問を受けていた。
「そう、何かの長官だと思う。大分キレ気味だけど」
「ふーん、長官ね。え?」
気になる単語が長官から出たので、おれは端末の音量を上げた。
だからさっきから何回も言ってるだろ! こっちだって今知ったんだよ。お前ら記者と一緒だ、一緒なんだよ。何かしらの能力がマイナンバーに紐付けてそれぞれに割り振られてる。それを見てくれって言ってるだけだ!
「ん? え、能力って?」
「わからない。一応わたし自分のマイナンバー探したいから閉じる。そっち流しておいて」
木崎さんはビールの蓋を開けて一口飲んだ。
「いいよ。あ、長官退場しそう。はいはい、2人来るのね。この辺は様式美だなあ」
おい、1人で行ける! 離せ、いいから離せ! 長官が両脇から抱えられてモニター枠から外れると、横からもう一人の男が出てきて、頭を下げた後、名前を名乗り話始めた。
「あ、副長官来た」
「へえ、早いね」
おれの言葉に木崎さんは気のない返事を返す。
……で、説明は以上です。まず皆様にお願いしたいのは、今表示されてる場所にアクセスしマイナンバーから自身の能力の確認です。その際、見て貰えればわかりますが、1人ひとりが基本的には違う能力です。つまり我が国には1億以上の能力があります、故に。
副長官は一度区切って間を作る。
「皆さんが想像できるものは全てある。と思って下さい」
副長官は一礼し、くたびれたスーツの男達からの質問を無視して部屋から出た。
「二司君マイナンバーわかる?」
「わかるよ。おれ覚えてるもん」
おれは動画の概要欄にあったリンクを開く。
「でもこんなに煽っていいのかな。みんなが信じて一斉にアクセスしたら耐えられないんじゃ」
「そりゃあさ」
お、あった。おれはマイナンバーを入れてサイトにログインする。
「サーバーをタフにする能力あるんじゃない? 知らんけど」
「え、それありなの? というかわたしまだログイン」
「木崎さん、おれは割とドキドキしているんだ。あんなドッキリに引っかたくない気持ちと、こういう時に信じないでスタートダッシュを失敗したくないというのが混在してる。ってうお! なんじゃこりゃあ!」
端末の画面一杯に表示されている数字に驚き声をあげると、本当にあるの? と木崎さんが横から覗き込む。
「これはPC推奨だわ。拡大がめんどすぎるし、指だと横の列を押して」
「あ、わたしも入れた」
木崎さんは座り直し自分の端末を凝視する。
数分後、根気強く端末を操作していたおれは自分の番号の列を見つけた。
「この列だ……。まじでなんか震える、受験の番号探してるとき以来の。お、あった。あった! え、え?」
「ん、あったの? なに、どんなのなの?」
「何っていうか。ええっと『水を鉄に変える能力』だって」
「へえ、そう」
木崎さんは自分の端末を操作しながらを答える。
「割と当たりの部類じゃないの?」
「うーん、当たりかなあ? なんでもありってことは、岩割ったり、何日も食事しなくても大丈夫とかも」
「あるんじゃない? 想像できるものは全部あるって言ってたし。あ、わたしのあった。確かにどきどきするかも……」
気持ちを整えるためか木崎さんが目を閉じつつ上を見上げていたので、おれはその間を利用してキッチンに移動。そして蛇口から出した水に指を触れ、鉄になる? そっちが言ったんだからな。おれはそれを信じてやってるだけだからな。と心の中で言い訳していると、パチンコ玉のようなものが指先から1つこぼれ落ちた。
「うおおお! まじかあ!」
「ちょっと! 今大事なとこなんだけど」
「いや、ほら。これが」
おれはぶるぶると震えながらなんとかつまんでいる玉を木崎さんに見せる。
「え? なにそれ。本当に水が?」
「ああ。一切のジョーク無しで出た。触れると変わるっぽい」
「え、すご……。じゃあわたしも」
気持ち勢いをつけつつ木崎さんは端末をタップした。
「どう、何系? 変えるやつ?」
おれは死ぬほど気になっていたが、気になっているけどそこまででもない。という体で自分の端末の画面を見ながら訊く。
「うん。これ、これだ。わたしは『能力を強制的に発動させる能力』だって」
「……いや、最高じゃん。能力いじる系は絶対PTに入れて貰えるって。それに比べておれは、みんなに柄がないナイフを配るか、野宿の時に鍋を作るぐらいしか……」
おれは別の意味で震え出した手で持っていた玉を握りしめた。
「ちょっとそんなのはいいから。二司君、今やるべきこと考えようよ」
木崎さんは立ち上がってビールの缶をシンクに置いて、棚から自分のコップを取り出しケトルに水を入れた。
「ごめん、若干やる気は無くなってるけど。えー、とりあえず明日の会社は休む?」
「行く人もいそうだけど。わたしは行かない」
「そうだよな。あ、そうだ。親知らず抜いとこう。いつまでも歯医者がやってるとは思えないから。歯を甘く見ると大変なことになるって読んだことが」
「いいんじゃない。わたしはコンタクト注文しておく。届くかどうかもわからないけど。あと眼鏡の予備も欲しい」
「視力無くなるのは致命的だよなあ。食料とかってどうする? 一応おれんちある程度備蓄あるんだけど」
「食料?」
木崎さんは立ち上がって背伸びをする。
「どうせ誰かがばかみたいに集めるでしょ。それを相手が悪いやつだったら奪って、いい人だったら何かと交換するなりで貰えばいいんじゃないの」
「ああ、その辺躊躇ない設定ね。というか鉄の玉で食料奪えるかなあ……」
「とりあえず土日もやってる歯医者探したら? わたしも着替えて出掛ける。シャワーそっち先でいいよ」
木崎さんが2階に上がるのを見送ってから、おれはシャワーを浴びて歯医者を検索。奇跡的に開いていた歯医者を探し出し電話を掛けると、キャンセルが多く今日入れるとの返答を受け、そういうものかと思いつつ支度をして家を出た。
自転車で駅前の歯医者に向かう途中、いくつかあったコンビニは店外まで溢れるぐらいの列ができており、おいおい、きみたち歯は大丈夫なのかい? キャンセルしてまで優先すべきことは本当にそれかい? という優越感と共におれはコンビニ横を通り過ぎた。
歯医者では最初のカウンセリングで上1本だけでなく残りの3本も位置が微妙で、虫歯になったり悪さをするかもしれないと言われたおれは、それなら全部一気に抜いて下さいと頼むと、さすがにそれはと一瞬止められたが、今日しかないと説明した結果、4本同時抜歯を施行。抜いた後、今後何かあったらということで夜間救急の説明と血が止まらなくなった場合の対処を教えられている時、やりすぎたかもと反省しつつ、次回受診も必要だと言われた瞬間、次まで世界がまともなのかと不安になり、先程の反省が後悔に変わった。