43 白い悪魔の怒り
『ほほう。あの教師、そのようなことを言っておったのか。よく勉強しているな』
私の目の前で、そんな台詞を吐きながら、こよなく楽しそうに微笑んでいるのは、エルの契約精霊である魔王様だ。
私とエルとユリ様とルリさんは今、裏庭のベンチに座っている彼の前に立っている。校舎内を探して探して、ようやく魔王様を見つけたところだった。
「お前、召喚に応じろよ……」
『忙しいから無理なのだ』
「暇そうに座ってるじゃないか!」
フハハハーと笑う魔王様は、大量の精霊を侍らせながら、怒るエルを見て愉快愉快と楽しそうにしている。
実は、エルは魔王様のことを、初回の1回しか召喚していない。
初めて精霊召喚をしたあの日、他の精霊達は挨拶もそこそこに元の場所に帰っていったのに、魔王様は帰らなかったのだ。それどころか、ネストリヴェル先生に指示して教室内に座席まで用意し、生徒のように全ての授業を受け、休み時間中には校舎内を徘徊し、夜はエルに用意させた王宮の一室で優雅に過ごしている。
そして今日、エルが「聞きたいことがあるから来てくれ」と核石で呼びかけたら、『今校舎巡りで忙しいから無理』という思念波が返って来たのだそうだ。エル……。
「魔王様の周り凄いわ、精霊だらけ。殿下、これどうなってるの?」
「……こいつ、《魅惑の魔王》だから」
『ふむ、我の設定を覚えておるのか。優秀優秀』
ふんぞり返っている魔王様を横目に、エルが私達に説明してくれた。
《魅惑の魔王》様は、周囲の者を強く魅了してしまう能力を有している。生まれた時から常時その能力が発動している魔王様は、常に孤独を感じていた。
そしてある日、魔王を討伐する者として現れた6人の《美少女勇者達》。彼女達には何故か、魔王様の魅了能力が効かなかったのだ。
初めての体験に、魔王様は夢中になって、6人を囲い込んでしまう。
最初は「くっ、殺せ……」状態だった勇者達も、次第に魔王様に絆されて――?
という設定らしい。
「つまり魔王様の《魅了能力》で、そこら中の精霊が魅了されてるってこと?」
大量の精霊を侍らせている魔王様を見ながら、ユリ様が呆れた顔で問いかける。
エルはユリ様の質問に、何も答えなかった。私を後ろから抱きしめながら、私の肩に顔を埋めて、「死にたい」と何度も呟いている。どうやら、ゲームの設定を説明するだけで、羞恥心の限界を振り切ったらしい。エル……。
『うむ、そうらしいな。ただし、現世では、我の魅了能力はお前達人間には効かぬようだ』
「それが心地よくて、現世を謳歌しまくってるのか?」
『おお、我が主殿は理解が早くて助かる。外来産にしては頭が回るようだな』
目を丸くするエルと私達に、魔王様まで目を丸くする。
『ん? どうした、前の世界のことは覚えているのであろう?』
「……なんでそれを知ってる」
『何故も何も、精霊の間では周知の事実だ。世界樹の精が、この世界の寿命を伸ばすために、面白い円盤を拾ってきた。お主ら二人は、そこにくっついていた付随物にすぎぬ』
世界樹の……大精霊様? 世界の寿命?
『お主達二人を経由したことで、我とそこの精霊は、この世界の理から外れた。世界の成り立ちについて語っても、自動消滅はしない。いや、愉快愉快』
『あまり喋りすぎると、自動消滅はしなくても、そのうち消されますよ』
フハハハーと笑いが止まらない様子の魔王様に、引き気味のルリさんが苦言を呈する。
そんな二人の様子を見ながら、私達人間3人は目を白黒させていた。軽い様子で話しているけれども、内容が重すぎる。円盤? 付随物?
そんなことを思っていると、不意に、刺さるような鋭い気配がした。
びくりとする間も無く、魔王様を取り囲んでいた精霊が全員、一斉に姿を消す。残った精霊は、魔王様とルリさんの2人のみ。
そして、血が通わない精霊のはずの魔王様は、血の気がひいた蒼白な顔をして、手のひらをこちらに向けていた。正確には、私たちの背後にいる存在に向けて。
『待て。話し合おう。話せば分かる』
震える魔王様の――魔王様震えてるの!?――目の前にいるのは、一匹の猫。金色のハートマークを背負った、美しい猫だ。いつも会う、白い猫。
魔王様でなくても分かるくらい、その白猫は怒気に満ちていた。
そしてその目は、漆黒に染まっている。
固まる私達の5人の前で、白猫がその真っ黒な目を、私に――正確には私の左手の小指に光る核石に向けた。
その視線を受けたからか、ふわりと核石が光って、私の前に立ちはだかるように黒猫が現れた。
「ティティ」
可愛い私の契約精霊の名を呼ぶと、黒猫はくるりと私の方に振り返ってらふりふりと尻尾が揺らした。どうやら、黒猫はご機嫌らしい。
そのまま、黒猫は私の足にその体を絡めて……。
ちらり、と見せつけるように、白猫を見た。
――ぶちん。
と白猫の堪忍袋の音が切れた音が聞こえたのは、幻聴だっただろうか。
二匹の猫は、お互いにシャーッと威嚇しあったかと思うと、もの凄い勢いで互いに飛びつく。
そして、世にも壮絶な取っ組み合いの喧嘩が始まってしまった。
猫同士の喧嘩を見るのは初めてだ。まさか、こんなに過酷で激しいものとは思わなかった。牙も爪も全て利用して、全力で喧嘩をしている。とても手を出して無事でいられるとは思えない。
「ティティ! 白猫さん! だ、だめよ、落ち着いて!」
必死に声をかけるけれども、興奮状態の二匹は全く気にかけてくれなかった。
後ろから、ユリ様とエルの声が聞こえる。
「殿下ー、これ、どうしたら止まるかな?」
「気がすむまで放っておくのは……」
白猫さんの猫パンチと共に衝撃波が走り、そのまま近くの木に当たった。というか、なんなら私達にも若干当たっていたけれども、魔王様とルリさんが貼ったと思しき2枚の結界のおかげで事なきを得た。
ミシミシ、と音をたてて、近くの木が倒れていく。私達を守ってくれた結界は、衝撃波の端が当たっただけなのに、パリンと音を立てて割れた後、消滅した。
「だめだと思うけど」
「……分かった」
ユリ様の固い声に、渋々エルが対策を練り出す。
その間にも、二匹から漏れ出る衝撃波で、魔王様とルリ様が張ったであろう結界がパリンパリン割れている。二人はどうやら、私達だけでなく、校舎も守ってくれているようだ。
血の気がひく思いで二匹の喧嘩を見つめていると、エルが魔王様に声をかけた。
「おい、魔王」
『主殿、空気を読め! せっかくこちらが標的ではなかったのだ、撤退だ、撤退。結界だけは張ってやるから、我に話しかけるな。気配を消せ』
「いつも偉そうなんだから、こういう時こそ頑張れよ!」
『ううむ、ヘタレが此度の主人に似たのかもしれぬな。本来の我は勇敢も勇敢、威厳と勇気の魔王と呼ばれておるのだぞ? 本当だぞ? いやはや、誠に遺憾なことだ』
「ちょっと、僕を盾にするな! もういいから、そのマントをよこせ。別にでかい布があるならそれでもいい」
そう言いながらマントを引っ張るエルに、魔王様は、『この追い剥ぎ! BL野郎!』と小声で叫びながら、どこからか取り出した二枚目のマントを差し出す。びーえる?
エルはそのマントを奪い取ると、「僕に結界張れよ!」と魔王様に命じながら、そのマントを、二匹の猫達に被せた。
「ふぎゃ!」
「に゛ゃう!?」
二匹の猫達は、急に暗くなった視界に動揺しているようだ。取っ組み合いのが中断した気配がする。
その隙に、エルが二匹の猫を布越しに引き離す。二匹の声が聞こえなくなったところで、私は黒猫と思しき膨らみに駆け寄り、そっと撫でた。
「シェリー!? 危ないから下がって」
「それはエルだって同じだわ! 私の契約精霊だもの、やらせて」
そうやって撫でていると、黒猫は少しずつ落ち着いていっているようだった。手からほのかに伝わる心音が、ゆったりとしてきているように感じる。
「ティティ、布をめくるわね」
そっと、被さっていた布を取り払う。
そうしたら、気まずそうに首を項垂れて目を逸らす黒猫が現れた。しかし血だらけである。黒猫は精霊なのに血が出るのか。
「こんなに血が……本当に、心配したのよ」
そう言って、腰を落としたまま抱き上げる。黒猫は私のされるがままになっていた。
「殿下、これ今思いついたの?」
「いや、昔見た猫動画で動画主が言ってた」
「あー、便利だよね、ようつべ」
そんな話をしながら、エルは白猫と思しき塊を撫でている。そして、「……めくるよ?」と声をかけながら、恐る恐る布をめくった。
私と黒猫をガン見している白猫が現れた。
「怖い」
「しっ、ユリ黙れ」
思わず漏れたユリ様の本音に、エルが慌てて叱責する。白猫はおそらく、人語を理解している。せっかく喧嘩が止まったのに、ここで白猫を憤らせたら、元の木阿弥だ。
白猫が、ゆっくりと私に近づいて来る。
正直、私も怖い。けれども、ここで逃げたら事態を悪化させる気がする。白猫はあからさまに、私に執着している。
私は勇気を出して、「おいで?」と手を差し出してみた。
白猫は、私の手を見て、ぴたりと動きを止める。
その手を見ながら、けれども、その手に触れることはなく。
白猫は涙を落とした。
(((…………!?)))
固まっている私達の前で、白猫はボロボロ涙をこぼす。止まるそぶりはない。声もなく、ただただ泣いている。
あまりに悲壮感漂うその姿に、私がつい頭を優しく撫でると、さらに涙の量が増えてしまった。号泣状態だ。もう何がなんだか分からない。一体どうしたら……。
途方に暮れていると、黒猫が私の膝を降りて、とてとてと歩き出した。
向かった先にいるのはエルだ。彼のズボンの裾を甘噛みしながら、黒猫はエルを白猫のところまで誘導する。
泣いている白猫が、力無いそぶりで黒猫を振り返ると、黒猫はエルの足に肉球を押しつけるようにして、エルを指し示した。なんだか自慢げな素振りだ。
「……ん? 僕?」
指し示された本人は、驚きしかないようだ。
黒猫は一体、何がしたいのだろう。
白猫は、ゆっくりと顔を上げて、エルを指し示す黒猫をぼんやりと見ている。
そうして長い間思案したかと思うと、白猫は、ぷい、と顔を逸らした。
それを見て、黒猫は心底驚いたように目を見開いた。
「に゛ゃ!?」
「……」
「に゛ゃう!」
「……」
「に゛ゃああ!」
驚いたように、黒猫は、何度もエルの足にポフポフと肉球を押し付けながら、白猫に話しかけている。
しかしながら、白猫は項垂れたまま、黒猫にもエルにも目を向けなかった。
勝手に差し出されて、勝手に振られたエルは、何とも言えない顔をしてその光景を見ている。
『主殿、振られている場合ではないぞ。今だ。今こそ、その不埒で迂闊な人たらしぶりを発揮する時だ。そこな白猫を落とせ』
「どういう評価だ! 大体、何でそんなことを……」
『これ以上言うと我が消される、健闘を祈る!』
それだけ伝えると、魔王様はそのまま後ろに下がって、ルリさんの背後に隠れて震えていた。ルリさんは呆れた顔をしていた。私も同じ顔をしている自信がある。
「おいユリ、いいのか? 白い悪……いや、その……」
「分からないよ。分からないけど、魔王様なんだか訳知り顔だし、とりあえず従ってみたら?」
「雑すぎる……」
そう呟くと、エルはそのまま、白猫に目線を合わせるようにしゃがみこむ。
「なあ」
「……」
「お前もシェリーが好きなんだろう?」
「……」
「僕といると、シェリーの傍にいられるぞ?」
ちょっとエル? 何を勝手に、人を売り渡しているのだ。
「シェリーだってほら、この白猫の興味あるものって、シェリーだけだから……」
抗議するような私の目線に、エルがしどろもどろに言い訳をする。
しかし、その言い訳の言葉に反応したのは、私ではなく白猫だった。
パチパチ目を瞬いて私を見た後、ととと、と私の方に寄ってくる。座ったままだった私の膝に乗ってきて、そのまま私に擦り寄ってきた。私はそれを拒否する訳にもいかないので、そのまま優しく体を撫でてあげる。すると、「なーん」と一声鳴いて、白猫は消えてしまった。
そう、消えてしまったのだ。
これに慌てていたのは、黒猫だ。
「に゛、に゛ゃあああ!?」
思わずといった雰囲気でひと叫びすると、黒猫はプルプル震えながら右足で地面を何度も叩いている。地団駄?
『あー、振られてしまったなあ主殿。残念至極。我はちゃんと助言したということを覚えおくのだぞ?』
「もう何なんだよ! 僕が白猫に振られたらなんだって言うんだ?」
『今回も人死にが出そうですね』
「え?」
さらりと言うルリさんに、私とエルとユリ様はギョッと目を向く。
『まあ仕方のないことよ。ここ1000年、毎回であろう。選定のセンスがないのだ、フハハハー……はっ』
気がつくと、魔王様が学園の校舎の壁にめり込んでいた。
犯人はお察しのとおり、黒猫だ。調子に乗っている様子の魔王様に、猫パンチをくらわせて吹っ飛ばしたらしい。
何が恐ろしいかというと、強化に強化を重ねてあるはずの学園の校舎の壁をめり込ませる勢いだったことと、魔王様が即時に張ったと思しき結界が、10枚以上破れた形跡があることだ。
私達が絶句していると、騒ぎを聞きつけたのか、ようやく先生達が現れた。
先頭にいるのは、ネストリヴェル先生だ。
「こ、こ、こ、これはどういうことですか!?」
もっともな質問だ。
裏庭の木々は薙ぎ倒されている。
校舎には魔王様がめり込んだ穴が空いていて、というか魔王様が現在進行形でめり込んでいる。
地面も沢山の穴が空いていて、結界で守られていた私達の周りだけが無事にいつもどおりの平坦な姿を見せている。
そこに立っている、疲れ果てた顔の私達人間3人と精霊が1人、そして、私の腕の中にいる気まずそうに項垂れた血だらけの黒猫。
放課後の、しかも生徒達がほとんど帰ってしまった時間帯で本当によかった。こんな惨状に巻き込まれた生徒はいないようだ。
そしてそんな最中、口を開いたのは、今まで気配を消していたルリさんだった。
『申し訳ありません。私と魔王様が喧嘩をしてしまったのです』
「「「!?」」」
ルリさんは急に何を言い出すのだ。
しかしながら、なんとなく余計なことを言うとまずいと察知した私達人間組3人は、無表情の仮面を被ってルリさんを注視する。
「け、喧嘩……ですか!?」
『はい。魔王様が私に対して性的な嫌がらせ発言をしたため、成敗いたしました。お仕置きに少し熱が入ってしまって、こんなことに……本当に申し訳ありません』
目を潤ませながら間近で謝るルリさんに、ネストリヴェル先生が顔を赤らめながら目を泳がせている。
私の顔でそういうことをするのは本当にやめてくれないかしら……!?
『弁償は魔王様の主人であらせられるラファエル殿下が行ってくださるそうです』
「!?」
「そ、そうですか……それなら、まあ……」
「!!?」
エルが絶句しながら、ルリさんとネストリヴェル先生を何度も見ているけれども、ルリさんは素知らぬふりだ。エル……。
「ええと、殿下方。なんにせよ、事情をお聞きしたいので、職員室までよろしいですか」
結局、私達3人は職員室まで呼ばれて、事情聴取を受けることとなった。
何となく、白猫と黒猫の喧嘩について触れてはいけないのだということだけは察したので、口裏を合わせるまでもなく、3人ともそのことについては黙っていた。
全ての責を押し付けられた魔王様は、眉をハの字に歪めて私達を見ていたけれども、お強い魔王様ですらどうにもならないことを、私達か弱い人間組にどうにかできるはずもないので、諦めて欲しい。
なお、弁償についてだけれども、木の再生と地面の補修はネストリヴェル先生の精霊のピトさんが、校舎外壁の結界補修は魔王様とルリさんが行うことになったため、凹んだ校舎の外壁の物理的な修繕工事費のみで済むそうだ。そして、学園が加入している精霊保険も適用された。結果、500万デリー以上かかりそうだった弁償費用が、30万デリー以下で済みそうだということで、エルがホッと息をついていた。
流石に公爵家で払うと申し出たけれども、二匹の猫のことを隠したいからと、エルが全額負担していた。本当に申し訳ない……。
先生達の説教に疲れ切った私達が馬車の停留所に向かっている最中、ルリさんが黒猫に向かって囁いた。
『これでよろしかったでしょうか?』
それに対して、黒猫は満足に、「にゃ!」と返事をしている。
一体、この力関係は何なの。
色々と思うところはあったけれども、疲れ切っていた私達は、全てを保留にしてとりあえず帰途についた。




