37 お仕置き 後編 ※残念王子目線
先生達から解放された後、一度王宮に帰った後、簡単に手紙を書く。
そして、王都の有名な花屋に立ち寄った後、シェリーのいる王都のブランシェール公爵家別邸へと向かった。
結局、あの白い紙は、シェリーにかけられた魔法の起点とはなっていなかった。
謎の紙をクリフトン先生に――ネストリヴェル先生は破ったり舐めたりしそうだったので避けた――に渡して距離をとってみたけれども、やっぱり僕にだけシェリーを見ることはできなかった。一体どういう仕組みなんだ。闇魔法が基軸なことだけは分かったけれども……。
「大変申し訳ありませんが、当家の主人はまだ帰宅しておりません」
そう言って迎えてくれたのは、ブランシェール公爵家の執事だった。
うん、知ってる。ブランシェール公爵はこの時間帯、まだ王宮で働いているからな。
「シェリーにこれを渡してほしいんです」
そう言って、花束と手紙を渡す。
花は、謝罪と愛を伝えるというピンクのマーガレットを選んだ。接触は禁止されたけれども、手紙や花を渡してはいけないと言われてはいないので多分大丈夫だろう。……大丈夫だよな?
本当はシェリーに会いたいけれども、会っても認識できないので、そのまますごすごと家に帰る。
帰る直前に、シェリー付きの侍女のマリアンヌが僕に、「お嬢様が大変喜んでおられます」と伝えてくれた。
よかった、物はシェリーの手に渡ったのか。
微笑んでいるであろうシェリーを想像すると、自然と笑顔が溢れる。
ますますシェリーに会いたくなった。
……僕は本当に、シェリーのことしか考えてないな……。
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翌日の昼休み、アベラール侯爵令嬢達が僕に話しかけてきた。
「先日は、差し出がましい真似をいたしまして、申し訳ありませんでした」
3人に囲まれて、何を言われるのかと若干冷や汗をかいていた僕は、その言葉にキョトンとする。
「……フィリー様から、殿下の謝罪を受け入れたとお聞きしましたの」
おお、愛称で呼んでいる。急に仲良くなったな……。
ほのかな照れを含むその呼び方に、僕は目を丸くしながら、僕が悪かったので気にしないようにと伝えておく。
むしろこちらから、シェリーを気にかけてくれたことに対する感謝を伝えた。
「フィリー様を大切にしてくださいませ。私達、あの方のファンなんです」
そこから3人が、いかにシェリーが素晴らしいかを懇々と語ってくるので、僕も調子に乗って、僕だけが知るシェリーの素晴らしさについて滔々と語ってしまう。
だんだん盛り上がってきた僕達は、学園内のカフェまで行って、残りの昼休み中、延々とシェリーについて4人で語り明かしてしまった。
ファンクラブを作ろうという話で合意し、誰が会員ナンバー1になるかで揉め始めたところであえなく時間切れとなったため、教室に戻った。
教室に戻ってから気がついた。またむやみにシェリーの話を沢山してしまったので、更にシェリーに会いたくなってしまったじゃないか……。
あーシェリーに会いたい、と思っていると、次の小休憩でソフィア嬢に声をかけられる。
ソフィア嬢目線だと、どうやらシェリーは昼休みの僕達の会合について若干やきもちを焼いているらしい。
はっきりとは言わないが、頰を赤くしてぷんぷんしているのだとか。
なんだそれは。可愛い。密室に連れ込んで撫で回したい。ていうか、僕だって見たい!
ソフィア嬢には、シェリーに、謝罪とファンクラブ結成が近いことについて伝えてくれるようお願いしておいた。
本当は、直接伝えたい。
まだ接触禁止2日目か……この世界、魔法でタイムスリップとかできないんだよなぁ……。
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「殿下。少しいいですか」
放課後、そう言って話しかけてきたのはバージルだった。
「いいけど、どうした?」
「内々に話をしたいので、場所を移しても?」
「……いいけど」
そう言われて、僕は席を立つ。
移動した先は屋上だった。
「フィルシェリー嬢のことなのですが」
……ほほう、シェリーのことを名前で呼ぶようになったのか。なるほど、シェリーが僕のことを相談してた相手はこいつか?
「うん」
「彼女は殿下とユレンスタム男爵令嬢が仲睦まじくしていることについて悩んでおられたようですが、ご存じですか?」
「よく知ってるな。その件なら、シェリー本人と直接話をして、解決したよ。まあ、僕が全面的に謝っただけなんだけど」
「解決……ですか。今のその状態は、その件の続きなのでは?」
「……何が言いたい?」
流石に眉を顰めて声を低める僕に、バージルが挑発するように言葉を紡ぐ。
「いえ、殿下も迂闊だなと思いまして。格闘訓練の際には殿下は私の油断を突く側でしたが、普段の生活ではどうでしょうね」
「バージル」
「……フィルシェリー嬢は泣き顔も可愛いのですね。泣き止んだ後、名前で呼んでほしいと私に微笑む姿もお見せしたかったですよ。昨日、結果報告に来てくださったときも……ああ、そういえば殿下は今、彼女が見えないんでしたね。失礼しました」
へえ。
なるほど、そうきたか。
…………。
二人の間で、しばし沈黙が続く。
最初に言葉を発したのは、バージルだった。
「……私では、嫉妬するにも足りませんか?」
「そうじゃない」
はあ、とため息をつく。
さて、何から話せばいいのか。
「……シェリーの望みだから」
「彼女の?」
「そう」
今回シェリーと仲直りした直後、シェリーは僕に言ったのだ。
「エルはね、自覚が足りないと思うの」
「自覚?」
目を瞬く僕に、シェリーがぷりぷりしながら言い募る。
「そう。私に好かれてる自覚」
そう言われてみても、首をかしげるしかない。
「前より好かれてる自覚はあるよ? ほら、こういうことをしても怒られないし」
そう言いながら、僕はシェリーを抱きしめて好き放題に色々なところにキスを落とす。「そういうことじゃないの!」と頬を赤くして抵抗するシェリーを、逃げないようにしっかり抱きしめながら、続きを促した。
「それで?」
「……エルは、他の男の人にすぐ嫉妬するでしょう?」
それはまあ、そうだ。
シェリーは可愛いから、いつだって安心できない。
「それはね、きっと自覚がないからよ」
「……君に好かれてる自覚?」
「そう」
そう言われてみると、そんな気もしてくる。
「自覚というか、自信はないかも」
シェリーの耳を咥えながら、ふむ、と考える。
「そこで喋らないで!」と涙目で身を捩るシェリーもやっぱり可愛い。
「僕は君がいないと生きていけないけど、君はそうじゃないからなぁ」
「どういうこと?」
「僕は常に君を追いかけて生きてるから、自信も余裕もないってこと」
僕の言葉にシェリーは少し考えるようにした後、上目遣いでこちらを見てきた。
「……余裕のない男の人は嫌い」
ビシリと固まる僕に、シェリーは悪い顔をして首に巻きついてくる。
「たまに焦ってるエルを見るのは愉しいけど……。普段はもっと自信を持っててほしいわ。私のこと、信じてくれないの?」
「信じる……」
「そう。私がエルに夢中だってことを信じて」
仕返しとばかりに耳を甘噛みされて、焦った僕は待ったをかける。でも聞いてもらえなかった。シェリーは意地悪可愛いくて困る。
「大体、本当は信じるも何もないのよ? こんなに私を振り回して、挙句にこんなに私の心を掴んでおいて……無自覚なのがとっても許せないわ」
「シェリーは誰の目から見ても魅力的だから、いつも心配で仕方がないんだ」
「……不安になったら、一杯キスして」
僕の頬に口付けをしながら、小悪魔可愛い僕の婚約者が囁く。
「あんなふうに怒るのはだめ。私を閉じ込めるのは別にいいけど、もっと愉しそうにして。エルが余裕でいられるくらい、私を沢山甘やかして、エルから離れられないようにして……私を、籠絡してくれるんでしょう?」
無自覚に僕を籠絡済みの彼女は、艶っぽい笑みでそんなことを言ってくる。
なんて悪い御令嬢だ。これはお仕置きが必要なのでは。
「お仕置き?」
彼女がきょとんとして僕を見ている。
しまった、声に出ていたらしい。
「……うん。沢山甘やかされたらどうなるのか、シェリーも少しは思い知らないとね」
あの日はそう言った後、散々睦み合っていて、隣の部屋にいる誰かのことをすっかり忘れてしまったなぁと、懐かしいことのように思い出す。
とにかく、こんな経緯で、僕は努めて余裕のある男でいるよう心がけているのだ。
大切な彼女からのおねだりだ。しかも彼女は、滅多に僕におねだりをしない。叶えないという選択肢は、僕にはなかった。
僕は思考を、目の前にいるバージルに戻す。
「どうせ、ブランシェール公爵の依頼なんだろう?」
「よく分かりましたね」
肩を竦める友人に、僕は問いかける。
「公爵は何を交換条件に出してきたんだ?」
「最近公爵領で見つかった珍しい金属の加工契約、優先権付き」
おいこら腹黒公爵!
ガチの政治ネタじゃないか、僕への嫌がらせ程度のために何をやっているんだ!
しかも専属じゃなくて優先権に留めているところがせこい!
目を丸くしている僕に、バージルは苦笑する。
「そんなに分かりやすかったですか?」
「そりゃあね。お前は理由もなく、こういうことをする奴じゃない」
「信用されて、嬉しいような、嬉しくないような」
「……それでも、バージルがシェリーのために怒ってくれてるのは分かってるよ。色々とすまないな」
バージルは本来、シェリーに関することで僕を煽ったりするような奴じゃない。奴は、僕がどれだけシェリーのことしか考えていないのか知ってる。
その上でバージルがブランシェール公爵の依頼に乗ったのは、僕に怒っていたからだろう。こいつはシェリーのために、一肌脱いだのだ。
「はあ……本当に仲直りされたのですね。それにしても、こんなに落ち着いて対応されると、男として立つ背がないですよ」
不満そうにするバージルに、今度は僕が苦笑する。
「今回の件をきっかけに、シェリーと色々と話したんだよ。彼女を無闇に疑うことはしない。信じるって決めたんだ」
「そうですか。……お二人が仲良くしてくださるなら、それが一番です。彼女を大切にしてあげてください」
「うん。ありがとう」
吹っ切れた気持ちで笑う僕に、バージルが意地の悪い笑みを浮かべる。
「でもそうですか。こんなに平気そうにされるんじゃ、最後の保険は要らなかったな」
「保険?」
「フィルシェリー嬢の涙を拭ったハンカチです」
………………。
そのハンカチは、ほのかにシェリーの魔力を帯びていた。
煽りでなく本当に、シェリーはバージルの前で泣いたのか。
「殿下が本気で怒ってしまった時のために、保険で持ってきていたのです。でも、殿下は私程度の煽りでは全く動じていないようですからね」
「……」
「彼女は誰かのせいで、可哀想なくらい泣いていましたからね。本当に可哀想でした。ハンカチくらい差し出しますよ、当然でしょう。私が彼女をどんなふにお慰めしたのか、気になりますか?」
「……」
「大丈夫です。誰かと違って、彼女がどんなに可愛らしくても、抱きしめたりはしていません。ただ、他の男が彼女が使ったハンカチを持っているのは、婚約者として御不快かなと思ってお持ちしただけで……ああでも、殿下は彼女を信じているから、嫉妬なんてなさらないですよね」
「……」
僕の顔を見て満足そうにしたバージルが、「契約分の仕事はしたかな」と言いながら、どうぞと言ってハンカチを差し出す。
何も言わず、受け取った。受け取ってしまった。
「適当に処分してください。変なことに使わないでくださいよ、元は私のハンカチです」
「変なことってなんだ。破廉恥な奴だな」
「他の女と抱き合ってた殿下に言われたくありませんね」
くつくつと笑いながら、バージルは屋上を去っていく。厄介な友人だった。
本当に、厄介だ。
「――くそっ!」
思わず、屋上の壁を左手で殴りつける。
痛かったし、手から血が出たけれども、構わなかった。
――余裕なんて、全然ない。ある訳ないじゃないか!
シェリーが望むから、平気そうなふりをしているだけだ。
不意のハンカチの登場でヒビが入るくらいの、脆い仮面だった。
僕は、血が出ていない方の手で握っているハンカチに目をやる。
今回の仲直りした時から既に、彼女はバージルのこともニコラスのことも名前で呼ぶようになっていた。
――そんなに、仲良くなったのか。
本当は問い詰めてしまいたい。
何があったのか明らかにして、その上で二人と引き剥がしてしまいたい。
それが叶わないなら、どこかに閉じ込めて、僕だけを見る籠の鳥にしてしまいたい。
ねじれた愛情でそう思う一方で、それは違う、とも僕は思う。
僕はただ、シェリーが好きで、シェリーにも僕を一番だと思ってもらいたいだけなのだ。
シェリーには、自由でいてほしい。
自由に選ぶことができる状態で、彼女の意思で僕を選んで、僕の傍で笑っていてほしい……。
だめだ、思考がぐちゃぐちゃでまとまらない。
分かっているのは、こんな情けない自分を彼女に見せる訳にはいかないということだった。それは、以前やったことがある王子様演出のように、本音を隠すという意味ではない。
彼女は、ありのままの僕を知っている。だから、僕がこんなふうに葛藤していることは分かっていると思う。
だけど、彼女はその上で、僕に期待しているのだ。僕がそれを乗り越えて、彼女を信じることを望んでいる。
死ぬかもしれないと言われてなお、迷わず僕を選んでくれた彼女に、そんなふうに望まれて、へこたれる訳にはいかなじゃないか。
だから、今は空元気でもなんでもいいから、僕は余裕のある男ぶって頑張るしかないのだ。
きっと彼女が傍で見ていてくれたら、いつかそれが、本当の余裕になる日が来るに違いないのだから。
だけどシェリー、一つ誤算があるんだ。
君は不安になったら沢山キスをして甘やかしていいって言ってくれたけど、今の君は、僕の触れられるところにいないじゃないか……。
結局のところ、やっぱり僕はシェリーに会いたい。
ただ、それだけだった。
お仕置きがしっかり効いているようです。




