34 悪役令嬢は破滅するらしい
「――長い」
「「ごめんなさい」」
もちろん、怒っているのはユリ様。
私とエルは、向かいのソファに並んで座って、小さくなっていた。
「自分達で人払いしておいて、それを忘れるってどういうことなの」
「ごめんって」
「なんか大声での言い合いしてたから、風魔法で防音して内容を聞かないようにとか、気を遣ってたのよ? 優しさを踏み躙られた私の気持ち、分かる?」
「悪かったよ」
既に今は6限目。私達は結局、午後の授業を連続でさぼってしまっていた。
何故なら、仲直りしたばかりの私とエルが、時間を忘れて長いこと二人の世界に入ってしまっていたからだ。
顔から火が出るとはこのことだ。5限目終了のチャイムが鳴るまで、隣の部屋にいる彼女を忘れて、散々楽しい時間を過ごしてしまった……。
「はー全く。……無事に仲直りしたのね?」
ため息をつきながら、ユリ様は許してくれた。
そして、逆に私に謝ってくれた。
「シェリーちゃん、ごめんね。不用意に誤解させちゃって」
「いえ……」
「何かして欲しいことがあったら言ってね。シェリーちゃんのためなら、何でもする!」
そう言って熱のある目で私の目を見る彼女に、私は一瞬怯む。
よく分からないけれども、とても好意を向けてくれているのを感じる。でも、私は言わねばならない。
「ユレンスタム男爵令嬢、あの」
「ユリって呼んでください」
「え、ええと、ユリ、様……」
「はい!」
「『シェリー』は、エルだけの呼び名だから、あの……」
ユリ様が、絶望が絵になったみたいな顔でこちらを見ている。
エルが感極まったように、「シェリー!」と叫んで私を抱きしめてきた。
「にーちゃんの馬鹿ぁ!! 私、友情エンド狙いだったのに……!」
「出遅れてくれてありがとう」
「最悪うぅ! だいたい、友情エンド以外は、シェリーちゃんが危ないんだからね!? 絶対守りなさいよ!」
びくりとエルが震えた。私も驚いて、目を瞬く。
「……由里」
「この話がしたくて、ずっと待ってたの。どこかの第一王子が感じ悪くて、ぜんぜんシェリーちゃんに近づけなくて困ってたんだからね?」
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そこから、私はまず、この世界に似ているというゲームの説明を受けた。
『えくぜくてぃぶ☆ときめき学園ラブリー生活』、通称『とき学』。
主人公のユリアネージュ=ユレンスタム男爵令嬢が、学園生活を送りながら、男の人と仲良くしていき、誰かと恋人になったら終了、という乙女向けのゲームらしい。
恋愛小説のような内容で、会話の選択肢の選び方次第で話の内容が分岐して、結末が変わるんだとか。
何それ、面白そう……!
興味で頰を染める私に、ユリ様がにんまりと笑う。
「フィリーちゃんもこういうの好きなんだ」
「いえ、そんな……」
「シェリーは意外と、流行りの恋愛小説が好きだもんな」
「エル!」
趣味を暴露されて顔を赤くする私の頭を、エルが愛おしそうに撫でる。
ユリ様は、その様子を意外そうな顔をして見ていた。
なお、ユリ様の私の呼び方は、『フィリーちゃん』に落ち着いたようだ。
「にーちゃん、嫉妬するかと思ってた。僕以外と恋人になりたいのかって」
「そう?」
「うん。……まあそうだよね、今際の際にギャルゲー持ってた人が言える事じゃないよね」
「ぎゃるげー?」
「ああ、フィリーちゃんは分からないか。えっとね、『魅惑の魔王と美少女……」
「こらやめろ! シェリーに変なことを吹き込むな」
エルが横から私の耳を塞ぐ。
喧嘩して仲直りした直後だからだろうか、エルとの距離が近いだけで、何だか嬉しい。
悪戯をするように、耳を塞ぐエルの両手に自分を手を添えて、チラリとエルの方を見ると、エルは「シェリーが可愛い」と言って肩を引き寄せてきた。それだけで心が弾んで、笑顔が溢れる。
でも、ユリ様に「このバカップルども……」と呟かれた。ごめんなさい。
その後、私がそのゲームの中で、悪役令嬢であることが告げられた。
私は王立劇場でエルを庇って消えない傷を負い、その結果、エルと仲良くなるヒロインに対して、壮絶な嫌がらせを行う悪役令嬢となる予定だったらしい。
「……シェリー、大丈夫?」
目を瞬いたまま動かない私を心配したのだろう、エルが私の手を握って声をかけてきた。
私は、エルを安心させるように軽く微笑む。
「大丈夫です。なんというか、言われてみると不思議と、そうなんだろうなという思いしかなくて」
私は、ユリ様の話を聞いて納得というか、すとんと心に落ちるものを感じていた。
夢で見てきたもの、ユリ様を見た時のよく分からない不安、エルとユリ様の二人が一緒にいるのを目撃した時の、あのどうしようもない諦観……。
『悪役令嬢』という言葉で、それが、一つに繋がったような気がしたのだ。
私が続きを促すと、ユリ様が頷いて口を開いた。
「ここからは前世でも話してないことだから、にーちゃんもよく聞いてね。悪役令嬢となったフィリーちゃんは、必ずエンディング一歩手前で姿を消すの。卒業パーティーで断罪どころか、卒業パーティーにも出てこない」
「姿を消す?」
「理由はルート次第で違うんだけどね。どこかの国に留学にいったとか、修道院に行ったとか、精神的疲労のため療養に出たとか。でもとにかく、姿を消してしまうの。……でも、隠しルートでの情報を合わせると、どうやら姿を消した理由は全部嘘みたいなのよね。多分だけど、姿を消すルート全部で、フィリーちゃんは殺されてる」
あまりのことに、私はぎょっとする。
エルも固まっていた。
「殺されるって、誰に?」
「多分、国に。……このゲーム、隠しルートは二つあってさ。一つはにーちゃんも知ってる、友情エンドね」
言いながら、ユリ様が右手の人差し指を立てる。
「一つ目の友情エンドは、ヒロインのユリアネージュ=ユレンスタム男爵令嬢と、悪役令嬢のフィルシェリー=ブランシェール公爵令嬢が仲良くなって終わり。男爵令嬢が学園内で作った隣国のツテを利用して、二人で攻略対象全員を置いて、隣国に出ちゃうの。その時、『聖王』と『魔王』の情報について、隣国の王子妃がこっそり教えてくれるらしい」
「……聖王と魔王? 聖女や聖者じゃなくて?」
「うん」
ユリ様が、2本目の指を立てる。
「二つ目は、隠し攻略キャラのルートね。このルートは、精神を病んで暴走している悪役令嬢のフィルシェリー=ブランシェール公爵令嬢を主人公が直接倒して、国に差し出すことになるらしいの。『聖王』とか『魔王』とかの裏設定の詳細が分かるけど、後味が悪すぎてめちゃくちゃ嫌われてるルートね。このルートを終わらせると、なんとなく、他のルートでフィリーちゃんが姿を消していたのは、多分全部国によって始末されてたんだろうなって分かるらしいわ」
エルが痛いくらい強く、私の手を握りしめていた。
私も、情報の多さと、何よりその内容に、まだ全てを受け入れられないでいる。
「それで、隠しキャラって誰なんだ」
「……知らない」
「――由里!」
「だって、死んじゃったんだもん! あの時私がゲームを買ったばっかりだったの、にーちゃんだって知ってるでしょ!?」
睨み合う二人に、私は困惑することしかできない。
「私が持ってる情報は、ネットで調べた、フィリーちゃんに関する情報だけ。死ぬ前にも言ったけど、攻略対象が誰とか、裏設定の詳細とかは全然知らないの! だから、なんとか友情エンドにしようと思ったのに、にーちゃんがフィリーちゃんを囲ってるから! ゲームと違っちゃっててどうしたらいいか分からないんだよ!」
ユリ様は肩で息をしている。
エルは、ユリ様の言い放った内容に、放心したように固まっていた。
私も私で、恐怖と驚愕でしばらく動けなかった。
私は、ほとんどのルートで殺されるのか。
そして、唯一私が死なないという『友情エンド』ルートを正確に辿ることは、きっともうできない……。
怖い。
私だって、死にたくはない。
急にそんな話をされて、現実感はまだ全然なくて、それでも、死ぬと言われてしまうとやはり怖かった。
でも。
「……シェリー?」
気持ちの赴くままに、立ち上がる。
そのまま、ゆっくりと歩いて、向かいのソファに座る彼女の隣に腰を落とした。
「ユリ様、泣かないで」
ハンカチで、隣に座る彼女の頬を拭う。
ユリ様は、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「……っ、フィリー、ちゃん……」
涙に濡れた目を向けられて、私はふんわりと微笑む。
自然と、笑みが溢れた。
「大丈夫」
そっと彼女を抱きしめると、彼女は息を止めて身を固くした。
「……私も正直、心の整理ができていないのですが……。まだ、私が死ぬと決まった訳ではありません」
「でも……」
「不安になるのは分かります。でもね、聞いてください」
間近に彼女を見つめると、彼女は縋るような目で私を見てきた。
「悪役令嬢になった私は、きっと、ユリ様ともエルとも、こんなふうにお話できたりしなかったと思うんです。もっと余裕がなくて、なんだか、とても追い詰められていて」
「……フィリーちゃん?」
「私、たまに夢に見るんです。お腹に消えない傷を負っていて、あなたとエルが仲良くしていて、夢の中の私は、いつもそれを恨めしく思っていて」
私の言葉に、ユリ様もエルも目を丸くする。
「……私、フィリーちゃんが怪我するはずだった場所、言ってない」
それだけ驚くということは、私が怪我するはずだった位置はお腹だったのだろう。
でも、エルがお腹を刺されているのだ。そのことを知っている私が、偶然、同じところを怪我する夢をみてもおかしくない。
だから、あの夢が本当に起こるはずだったことなのかどうかは分からない。
「もしかしたら、夢に見たあれが本当に起こるはずのことだったのかも。でも、そうじゃなくてもいいんです。あの夢は、私に大切なことを教えてくれました」
「大切なこと?」
「はい。私が今、とっても幸せだってことです」
私の言葉が意外だったのか、彼女は私の言葉に目を見開く。
「私は今、あんなふうに誰かを恨んだりしていない。とても幸せで、少なくとも、誰かに害しようと思うような精神状態にはありません。
だから、私が国に殺されるとしたら、私自身の咎によるものではなく、誰かの悪意によるものか、巻き込まれてのことだと思います。
――それなら、きっとエルが助けてくれるし、エルだけじゃなくて、ユリ様だって助けてくれるでしょう?」
「……! もちろん! 絶対、力になる!」
「ありがとうございます。ならきっと、大丈夫です」
まだ戸惑っている彼女に、私は続ける。
「ユリ様。この世界は、お二人が知っているゲームに似ているかもしれません。そしてそのゲームの知識は、未来視に近い形で、今後を有利に動かす鍵となり得るものなのかも。けれども、必ず起こる未来を指し示すものではないと私は考えます。だって、私達の意思で覆せる程度のものなんだから」
「意思……」
「そうです。既に、ゲームならあり得るはずだったことで、今起こっていないことが沢山あるんでしょう?」
「……うん。フィリーちゃんが怪我をしないルートも、第一王子とフィリーちゃんが仲良くするルートも存在しない……」
……。それはなんとも困ったゲームだ。
「私、今のこの世界が好きです。エルが傍にいて、こんなふうに素直な気持ちであなたとお話しすることができて、誰にも嫌がらせする必要がなくて。私の死だって確定してないし、きっとなんとかできる。……だからね、二人とも。まだ起こっていない未来のために、そんな辛そうな顔をしなくていいの」
私は、泣いているユリ様だけではなく、エルに対しても、言葉を向ける。
何かに切り付けられたみたいな顔をしているエルがそこにいた。
「エルもこっちに来て」
「……シェリー」
掠れた声で私を呼ぶ彼を、私は手招きする。
「いいから、ほら」
エルは恐る恐る、ユリ様のいない方、私の左隣に腰を落とす。
私は、二人の手を強く握った。
「大丈夫よ。きっと、大丈夫。二人とも、心配性ね」
「僕が、シェリーと婚約しなかったら……」
「私はもっと安全だったかもしれないわね」
絶句するエルに、私は笑う。
「でもね、エル。そういう後悔の仕方はだめ。決めた時に知らなかったことを理由に、後悔しないで」
私に叱られて、エルはそれでも、納得ができない様子で戸惑っている。
「それに、後悔の必要なんてないの。私は、エルが私と婚約することを選んでくれたことが嬉しい」
「……シェリー」
「エルは、私と一緒にいたいと思ったから、私と婚約したんでしょう? それに、私のことをちゃんと守ってくれたわ」
「……あれは運が良かったんだ。あそこで襲われるなんて、僕は思ってなかった。王立劇場さえ、避ければいいと思って……。それだけじゃない、これからも君を危険に晒してしまうなら、僕は……」
頬を思い切りつねった。
「痛い」
「そうでしょうね」
私は笑顔を浮かべる。
黒々とした気持ちを隠さないその笑みに、エルが目を丸くした。
「あれだけ責任をとってくれればいいって言ったのに、まだそんなことを言うの」
お腹の底から湧き上がる怒りに、体が震える。
またか、またなの。――入学前、あんなにお願いして、約束したのに!
「エルは、私に危険が迫ると、すぐ私を捨てようとする……」
「シェ、シェリー、その……」
「私を手に入れるのが、人生の命題じゃなかったの。舌の根も乾かないうちになんなの。大体王子妃や王妃なんて危険で一杯じゃないの、何かある度に私のこと、そんなふうに軽く捨てるつもりなの!」
思うところがあるのか、何も言えないでいるエルを、私は睨みつけた。
その様子を、涙の止まったユリ様が固唾を呑んで見守っている。
「不測の事態があったかもしれない。今後も沢山、危険なことがあると思う。でもそんなのは、私達の立場を考えれば当たり前のことよ。それにね」
二人の手を、改めて強く握りしめる。
「私は、今のこの世界がとっても好きなの。エルがいて、ユリ様もいて、こんなふうに私が笑っていられる。私にとってこの現実が、一番素敵でときめく世界なの! だから、二人で勝手に『失敗した』みたいな話にしないで!」
エルと婚約をした12歳から、全てがずっと順風円満だった訳ではない。
最初の2年間は冷え切った仲だったし、襲撃にも遭ってしまったし、そもそもさっきまで喧嘩していて、それこそ悪役令嬢落ちしそうだった。
それでも、他のルートを辿りたいとは、決して思わない。今の世界を、否定するなんて許さない。
「……シェリー、君は怖くないのか」
「もちろん怖いわ」
当然だ。何しろ、私は死ぬと言われている本人だ。怖くない訳がない。
「でも、私はそれよりも、エルと仲が悪い世界にいる方が嫌なの。エルが、ユリ様が、私を見て暗い顔をしている、そんな世界は嫌。……それに、きっとこの世界の私しか結んでない、大切な約束があるの」
「……約束?」
私は、一度目を伏せる。思い出すのは、入学前のあの日。
「私の王子様がね、約束してくれたの。私の気持ちにつけ込んで、私のことを籠絡してくれるって。その約束がある今の世界が、私には何よりも大切」
エルの顔が泣きそうに歪む。
何かを堪えるようなその顔に、私はしょうがないなあと思いながら、これ以上ないくらい悪い顔をした。
「私、きっと本当に悪役令嬢なのね。ゲームの知識に酔って、悲壮感溢れる主人公のお二人に、嫌がらせがしたくてたまらないわ。既存のルートに戻りたくても無駄よ。全部私が邪魔してあげる。エルもユリ様も、覚悟して」
そう言って振り返ると、せっかく涙が止まったユリ様が、やっぱり泣きそうな顔をしていた。その表情は、なんというか、エルとそっくりだ。
なんだか分かってしまった。
おそらく私は、この兄妹の、この表情にとても弱い。
いつも一人で泣いているであろう心細そうな顔を見ると、……沢山、意地悪をしたくなってしまう。
「ユリ様」
私は再度、気持ちの赴くままに、ユリ様を抱きしめた。
耳元で「ユリ様、よく聞いて」と囁くと、ユリ様は真っ赤になって「あ」「う」と声を漏らしている。もう泣きそうな顔じゃなくなってしまったけれども、私の胸の中で小さくなっているユリ様は、この上なく可愛い。
「第一王子様だけじゃないわ。ヒロインの男爵令嬢様も、どんなに嫌がっても私のものにする予定なの。私は悪役令嬢だから」
「あぅ、……フィリー、ちゃん」
「二人とも私の近くで、私のことを守っていればいいの。そうしたら、ご褒美に沢山甘やかしてあげる。ね、悪い女に捕まったと思って、諦めてくれる?」
彼女の林檎みたいになった頰に、そっとキスをして、ぎゅっと抱きしめる。
そうしたら、ユリ様の方からも、私にしっかりと抱きついてきた。
「ユリ様」
「わ、私、フィリーちゃんが好きで、ゲームを買って……でも、それでこんなふうにフィリーちゃんを危険な目に合わせるなんて、思わなくて」
「ユリ様のせいじゃないわ。それにね、ユリ様にはもう選択肢はないの。悪役令嬢に全部秘密を暴露したからには、良いように利用される道しか残ってないんだから。――ね、私なんかよりユリ様の方が、ずっと大変でしょう?」
「フィリーちゃん……」
結局ユリ様は、私の胸でわーっと泣き出してしまった。
私はよしよしと、その背中を撫でる。
そんな私達を、エルが後ろからまとめて抱きしめた。
「エル」
「……」
「……橋渡家のご兄妹は、とっても泣き虫なのね」
それから私は、結構な長い時間、二人に挟まれていた。
私は、最初に見かけたのはこれかと思うと同時に、なんだか子供みたいな二人のことを愛しく思うのだった。




