30 残念王子は嫉妬する ※残念王子目線
明らかに、シェリーの様子がおかしい。
それは分かっているのだけれども、肝心のシェリーが相談してくれなかった。それどころか、何も言ってくれない。僕から話したいことがあったけれども、それどころではなさそうだ。一体何があった。
ある日の朝、いつもどおりシェリーを迎えに行ったら、僕のことを大嫌いだった以前のように、シェリーがジト目で僕を睨みつけていた。
よく分からないけれども、その時点で相当に怒っていることだけは理解した。
シェリーは吊り目美人で、その色もシルバーブロンドとアイスブルーという冷たさを助長させるものなので、怒るとブリザードが吹き荒れるような威圧感が出る。
彼女の色は大好きだし、怒った顔も美しいのだけれども、怒らせた原因が僕にあるとなると、話は別だ。本気で怖かった。
その後、馬車に一緒に乗ってくれなかったり、理不尽の塊みたいな駄々っ子シェリーが爆誕していたところまではまだ良かった。可愛かったし。
その後がまずかった。どうやら僕はどこかで何かを誤ったらしく、気がついたらシェリーは駄々っ子から魔性の女にジョブチェンジしていた。
色気全開の悪い顔で「……今日は、私のことだけ考えてて」と囁かれて、彼女に恋する僕は一溜りもなかった。
心臓はバクバクしていたし、頭の中はシェリーで一杯だし、彼女の顔を見るのも辛いくらいだったので、もはやこのまま帰ろうかと思ったくらいだ。
しかし、こんなことでめげる訳にはいかない。
僕は、シェリーが怒っている理由を聞き出さねばならないのだ。でないときっと、明日の朝、彼女は怒って、また一緒の馬車に乗ってくれないに違いない。
そう思ったのだけれども、理由を聞き出すどころか、まさかの一日中、シェリーに弄ばれることとなった。
午前中は心臓が落ち着かなかったので、シェリーを避けようとしていたのだけれども、シェリーが行く先々に現れて僕にちょっかいをかけていく。
昼休みに階段でこっそり耳を噛まれた時には、ちょっと抑えが効かなくなりかけて危なかった。この無邪気な小悪魔は、僕が耐えられなくなった時に自分がどうなるのか分かっていないのだ。そんなところが可愛いのだけれど。
どうやらシェリーを避けることは難しいようなので、思い切って放課後に屋上に呼び出してみた。
彼女は、僕と一緒に嬉しそうに屋上に上がっていく。
機嫌がいいぞ、これなら……! と思っていたのも束の間、屋上に着くなり、彼女は魔性の女モードに入ってしまった。そして手酷く弄ばれるだけで終わった。僕は本当にヘタレだった。
しかし、このままではいけない。
今日こそは、何があったのか聞きださねば……!
そう思って、内心ビクビクしながら、翌朝いつもどおり、シェリーを迎えにブランシェール公爵家の王都別邸へ向かった。
そうしたら、シェリーはいつもどおりのシェリーに戻っていた。
「おはようございます、エル」
いつもどおり微笑んで迎えてくれるシェリーに、僕は拍子抜けする。
昨日の君は一体何だったのだ。熱でもあったんだろうか。
「おはよう、シェリー。今日は一緒に馬車に乗ってくれる?」
「もちろんよ。ほら、行きましょう」
笑顔で促すシェリーに、僕は違和感しかない。そして嫌な予感がひしひしとする。
ふと、シェリーの侍女のマリアンヌに目をやると、一瞬ジトっと見られた後、そっと目を逸らされた。……本当に、嫌な予感しかしない。
「シェリー。昨日は一体何があったの?」
馬車の中でそう尋ねると、時が止まったかのように、シェリーが固まった。
数秒、沈黙が流れる。
「……何もないわ?」
そんな怪しい素振りで、信じる人なんているのだろうか。
「シェリー」
「何もないわ」
「……」
「……」
僕の目線に耐えられなかったのか、シェリーは顔を窓の外に向けてしまった。
「……シェリー、僕はそんなに頼りない?」
「そんなことないわ」
「じゃあ、どうして何も言ってくれないの?」
微妙な顔をするシェリーに、僕はつい眉を顰める。
「要するに、僕が原因に絡んでるんだね?」
「え」
「言えないような内容なんだ? 何が不安なのかな」
「いえ、その」
「シェリー、あまり隠すようなら、暗部を使う」
「ええ!? そ、それは困るわ……」
「へえ、僕に知られて困ることがあるんだ」
シェリーが青い顔をして俯く。
だんだん、腹の中に黒い感情が渦巻いていくのを感じる。
「あのね、エル。まだ、自分でもどうしたいのか分かってなくて。心の整理がつくまで、もう少し待って欲しいの」
「絶対に嫌だ」
「えっ……そんな」
「その顔は碌でもないことを考えている顔だ。もう少し待って変に覚悟を決めたら、別れるとか他の女をあてがうとか、絶対に変なことを言い出すに決まってる」
僕の発言に、シェリーが目を見開いて、ギクリと肩を震わせる。
「やっぱり」
「いえ、その……」
「僕に気に入らないところがあるなら直すし、何かしてしまったなら謝る。でも、今の君からは、心の整理がついたあと、場合によってはサクッと僕を捨てそうな気配がするんだよね」
「そんな……」
「シェリー、この辺で白状しておいた方がいい。僕は君が絡むと、正直自分でも何をするか分からない」
「ええ?」
シェリーは目を丸くしているけれども、決して冗談ではない。
僕が人生を通して欲しいと思ったのは、シェリーだけだ。シェリーがいなくなるなら僕の人生に価値はないし、シェリーを手に入れるためなら何だってする。
僕が刺されて1週間後のあの日、あの時が、シェリーが僕から逃げられる唯一のチャンスだったのだ。僕の欲望に良心が勝った唯一の瞬間だった。
その機会を、シェリーは自分で握りつぶした。それどころか、僕の心をガッチリと握り込んでしまったのだから、逃げようとしてももう遅いのだ。
絶対に、何があっても絶対に離さない。例えシェリーの心を籠絡できなくても、誰に何を言われようとも、周りから囲い込んで絶対に逃すつもりなんてない。
しかし、狂おしい程のこの気持ちは、当の彼女には全く伝わっていないらしかった。
隠すつもりもないし、これだけ毎日愛を伝えているというのに、本当に一体、何故なんだ……。
「僕は君を閉じ込めて、白状するまで虐めるぐらいは平気でやるよ?」
「!?」
「2年間、執拗に君を追いかけてきた僕の執着心を侮らない方がいい。今だって嫉妬でおかしくなりそうだ」
「……嫉妬?」
「だって、僕以外の誰かには相談してるんだろう?」
シェリーはやっぱり、驚いたように目を瞬いていた。
僕が気がつかないとでも思っていたんだろうか。
「エル……」
「……シェリーが一人で悩んでるのは嫌だよ。でも、僕に話せないことを他の人に相談してると思うと嫉妬しかないし、信用してもらえないのも辛い。相談相手が男じゃないことを祈ってるよ」
シェリーが、目を見開いて、体を強ばらせた。
「……シェリー?」
へえ。なるほど、相談相手は男だった訳か。
「その反応は、家族じゃないね。――僕以外の男と、そんなに仲良くなったんだ?」
いや、これは駄目だ。昨日の様子を見る限り、シェリーは何らかの形で相当傷ついている。
なのに、僕が彼女を追い詰めてどうするんだ。
分かっているのに、嫉妬が止まらなくて、声が固くなってしまう。
シェリーは震えながら、それでも涙目で、こっちを睨むように言い返してきた。
「エ、エルにだけはそんなこと、言われたくない……」
「どうして?」
「ぅえ? そ、その……エルの方が、私以外の女の子と一杯仲良くしてるから……」
「じゃあ、他の女の子とは必要最低限を除いて口を利かない。君が他の男と仲良くするより全然いい」
「……!? ええと、そこまでしなくて、いいの」
怯えて挙動不審になってるシェリーを見て、僕はどうしようもなく悔しくて不安になる。
僕の知らない誰かは、シェリーを今朝の状態まで落ち着かせたというのに、僕はこんなふうに怯えさせることしかできないのか。
シェリーを引き寄せて、唇を重ねる。シェリーは驚いていたけれども、拒絶はしなかった。
「……僕とキスするのは嫌じゃないんだ」
「それは、もちろん……」
「そう。今はまだ、その男より僕のことを好きでいてくれてるのかな」
そう言って、何度もシェリーの唇を奪う。
困ってはいるもののいつもどおり受け入れているその素振りに、泣きたいぐらい安心している僕は、本当に情けないなと思う。
しばらくそうしていたら、シェリーが僕の腕を服を握って、問いかけてきた。
「閉じ込めていじめるって、何をするの?」
その純粋な響きを持った問いかけに、僕は思考を止める。
僕を見つめるその目は、怯えだけでなく、無垢な好奇心も孕んでいた。そんな目でなんてことを聞くんだ。
それまで僕の心は嫉妬で真っ黒だったけれども、なけなしの理性が戻ってきた。
これは一体、何をどこまで答えれば……。
「……ええと、靴を脱がして部屋から出られなくするとか」
「それで、エルは他の部屋へ行っちゃうの?」
「え? いや、僕は同じ部屋にいるよ」
「……じゃあ、私の目の前で女の子を一杯侍らせるとか」
「え!? そんなことしないよ、二人きりで」
「そうなの? それで、何をするの?」
「……触ったりとか」
「別にいいけど……それって意地悪なの?」
首を傾げるシェリーはやはり無邪気な小悪魔だった。
彼女は、僕の答えを咀嚼するようにしばらく考え込んでいた後、「幸せ空間……」と呟いて、にまにましながら僕に抱きついてきた。
「じゃあ私、ずっと白状しないでいる」
「……そう」
シェリーは心底嬉しそうな顔をしている。
僕はそんな彼女を、呆気に取られた顔で見ていた。
これは要するに、彼女はずっと僕に閉じ込められていても構わないということだろうか。
そうか……。
…………。
「……シェリー。君ってもしかして、僕のこと、もの凄く好きだね?」
「知らなかったの?」
「いや……うん。知らなかったの、かも……」
じんわりと喜びと恥ずかしさが胸の奥から湧き上がってきて、顔に熱が集まってくる。
なんだか今日は、とても醜いところを沢山見せてしまったけれども、それでもシェリーは僕のことをもの凄く好きでいてくれているらしい。
本気で照れている僕を見て、シェリーはくすくす笑っていた。
闇堕ちしそうな僕を掬い上げてくれたのは、やっぱりシェリーで、僕は彼女に一生敵わないのだと思う。
そして僕は結局、シェリーの悩みを聞くことができないまま、学園に到着してしまった。
僕はシェリーが絡むと、決意をうまく実行できない運命らしい。
2日振りに仲睦まじく馬車を降りる。
気のせいか、不満そうな猫の声が聞こえたようが気がした。




