22 ダンスの授業 前半
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「――あなたの存在は、殿下のためにならない」
そう言って、燃えるような髪の彼は、私を睨め付ける。
底冷えするような冷たい目線に、私は黒い笑いが浮かんでくるのを感じる。腹の底に、煮えたぎるような怒りがあった。
「……何も知らないくせに。いつもいつも、知ったような口を利いて」
「あなたのことなど、知ろうはずがない」
「じゃあ私に関わらないで! あなたもあの女の肩を持つんでしょう。――あの、間女の!」
あの、忌々しい女。純粋そうな顔をして、あの人を私から奪おうとしている、あのピンクブロンドの――。
(どうせ今頃、二人で、仲良く……)
どうせあの人は、私をこんなふうにしておいて、あの女と楽しく笑っているに違いないのだ。私の意思なんか関係なしに私を縛り付けておいて、私から他の選択肢を奪っておいて、私を捨てて。自分だけ、明るい未来を手に入れようとしている。
「そんな顔をするくらいなら、最初から受け入れればよかった」
「受け入れるなんてありえない! ……本当に、体ばかり育った無神経男なのね。あなたなんかに、私に指図する権利はないわ。自分の気持ちに踏み入られたことがないから、そんなふうに厚かましくいられるのかしら」
眉を顰める彼に、私は気持ちのままに言い募る。
「私が知らないとでも思っているの。――あなたはあの女が好きなくせに」
それまで平然としていた彼は、私の言葉に、強く動揺した素振りを見せた。その様子に私は、ほんの少しだけ溜飲が下がるのを感じる。
「……そんな事実は」
「ないとはとても言えないでしょう、そんなに動揺して。しかも、あの女があの人を大切にすればするほど、あなたの思いは燃え上がるんだわ」
「――黙れ!」
「人の気持ちに土足で踏み入るから、自分もそういう目にあうのよ」
冷たく言い放つ私に彼は、彼の髪の色と同じくらい、燃えるような怒りを湛えた目で私を睨みつけてくる。
「この、悪魔……」
「……別に、あなたになんて言われようと構わないわ。物語だと、私みたいなのを悪役令嬢っていうんでしょうね」
つい、自嘲してしまう。
もう、何もかもが嫌だった。何をしても、虚しかった。
そっと、あの時刺されたお腹の傷跡に手を当てる。
この傷は、何をしてももう消えない。私が欲しいものも、きっともう手に入らない。――だけど、この怒りを、苦しみを、止めることができなかった。
私が堕ちていくなら、あの二人を――あの人も、一緒に……。
「あなたは……」
「もう、関わらないで」
そう言って、私は彼を置いて、その場を去った。
そして、私の行く先に待つのは、いつも私を怪しく黒光りする目で見つめる、二匹の猫。
ふと、涙が溢れた。
大嫌いだった。無意識にあの人を庇って怪我をして、それでも、自分の気持ちに気がつかなかった。彼が、私の方を見なくなって、ようやく私は、あの人が私のことを好きだという事実にどれだけ支えられていたのか、気がついて……。
(……もう遅いわ)
私は、私をもう止められない。
だけどもう、止めるつもりもなかった。
***************
今日はなんだか、やけにリアルな夢を見てしまった。
夢の中で私といがみ合っていたあの男性、あれはバジョット卿ではないだろうか。
あの人、というのは、きっとエルのことだろう。そうすると、あの女、というのは……。
私はそっと、自分のお腹を見る。あの時、エルが庇ってくれなかったら、私はあんなふうになっていたのだろうか。
「……私が相手では不満ですか」
「――え!? い、いえ。そんなことは……」
――しまった、ぼうっとしていて、変な指摘を受けてしまった。
入学してから、早1ヶ月半。今日は社交ダンスの授業のある日で、今はまさにそのダンスの授業の時間だった。
私は実はダンスがそれはもう大好きで、踊り子になりたいと言って両親を困らせたことがあるくらいだ。なので、入学前からずっと、ダンスの授業を凄く楽しみにしていた。
それなのに、今年は何故か、ダンスの授業も体育の授業も例年と比べて開始が遅く、今日がようやく初授業という具合だった。朝の馬車の中で、エルにその愚痴を言ったところ、何故だか目を逸らしていたので、多分エルは事情を知っているのだと思う。後でもう一回聞いてみよう。
それはさておき、楽しみにしていたダンスの授業、組合せをどうするのかと思っていたら、なんと今期の日直ペアで組まされてしまったのだ。
つまり、私の相手はバージル=バジョット卿。この間、若干仲直りした雰囲気になったものの、ダンスのレッスンで組むとなると、気まずいことに変わりはない……。
そして何より。
「…………」
「…………」
エルの相手は、ユリアネージュ=ユレンスタム男爵令嬢だった。
二人は口を利かない。もはや目も合わせていない。……あれで、ダンスなんか踊れるんだろうか。
(ピンクブロンドの――)
今朝見た夢が脳裏に思い浮かぶ。
あの女、というのは、やはり彼女のことだったのだろうか。私は、潜在意識で、彼女をそんなふうに思っていたのか。
驚きと同時に、納得する気持ちもあった。だって、現時点で既に、目も合わせない二人を見ているだけで、なんだか心のうちにモヤモヤした感情が渦巻くのを感じる。
――なんで、あの子が……。
「珍しいですね」
「?」
「殿下があんなに感情を剥き出しにするなんて。感情的になるのは、あなたに関することぐらいだったのに」
分かってる。
そんなことは分かっているのだ。
彼女のこととなると、エルは様子がおかしい。今はなぜだかムキになって彼女を避けているけれども、何かきっかけがあれば、転がるように彼女に夢中になってしまいそうな危うさを感じる。
「……すみません、無神経でした」
バジョット卿が慌てて謝罪してきた。
「そんな顔をしないでください」
「……?」
「自覚がないんですか? ……あなたが殿下のことを好きだというのは十分、分かりましたから」
「なっ……急に何なんですか」
私は若干ムキになってしまう。
なんでバジョット卿は、こうもずかずかと人の気持ちに踏み入るような発言をするのだ。
「いくら私のことが嫌いだからって、そう揶揄わないでください。不愉快です」
「……別に、嫌いじゃありません。揶揄ってる訳では」
目を彷徨わせる彼に、私は怪訝な顔をする。
「嫌いじゃなくて、信用してないんでしたか」
「……」
「……いえ、ごめんなさい」
言葉に迷っている彼を見て、私は目を伏せて、息を大きく吐いた。
なんだか彼といると、エルが大嫌いだった頃の自分に戻ってしまったような錯覚を起こす。
……きっと、彼は口下手なのだ。そして何故か、相手との距離感に関係なく、ずかずかと踏み込んだ発言をしてしまう質なのだろう。元々仲が良くないこともあって、私の気持ちを悪い意味で刺激してしまうけれども、本人に悪気はないのだと思う。痛いところを突かれて私がムキになるから、より拗れてしまっているだけで……。
バジョット卿が何か言おうとしたのだろう、口を開こうとしたところで、ベドジシュカ先生が手を叩いた。
「――はい、皆さん。前半のパートナーと配置につきましたね。」
そう言うと先生は、私達を見渡した。
ようやく、待ちに待ったダンスの授業の開始だった。




