17 残念王子は大変モテる
「フィリー。あなたの婚約者ってモテるのね」
掃除の時間、そう言って話しかけてきたのは、同じクラスのソフィア=ソーンダーズ公爵令嬢だった。私の父とソーンダーズ公爵とは妙に仲が良くて、娘の私達も幼い頃からの友人なのだ。
「ソフィ」
「男女問わず大人気じゃない」
「……エルは八方美人だから」
そう、エルはモテた。優秀な令息令嬢が集まるこの特進クラスですら、一番モテていた。
最初の方こそ、第一王子ということで遠巻きにしている者も多かったけれども、エルは12歳の頃から同じ年頃の令息と一緒に王太子教育を受けるようにしていたとのことで、元々仲のいい優秀な令息が多い。わいわい騒いでいるうちに、遠巻きにしていた者達もだんだん近づいてきて、気がつくといつも集団の真ん中にエルがいる、といった状態だった。
しかも、エルはなんていうか、人を褒めるのが上手いのだ。周りをよく見ていて、当たり障りのない褒め言葉に加えて、その人ならではのところをさらっと褒めるから、段々人が寄ってくる。去る者があまりいないから、周りに人は増える一方だった。
――だから、エルはずっと人に囲まれていて、なかなか私と話す暇がなかった。
軽くむくれている私に、ソフィアは呆れた顔をする。
「フィリーって本当に分かりやすいわよねぇ。王妃教育でその辺りのこと、言われなかったの?」
「エルのこと以外は私、完璧なの」
「はいはい、ご馳走様」
元々私はそんなに愛想のいい方ではない。内弁慶で、笑ったりこんなふうに感情的になるのは、身内認定した相手の前だけなのだ。
そして、この吊り目がちのアイスブルーの目で黙って冷たく見ると、それはもう色んな人に怯えられたもので、逆にその冷たい威圧感を、王妃教育の講師は褒めてくれたくらいだ。
しかしモヤモヤする。
私はエルに八方美人を我慢しなくていいと伝えていたから、今の状況に文句を言うつもりはない。エルが人気者なのは私としても嬉しいし、将来王になるであろうエルにとってもいいことだと思う。
でも、そのことと、エルに恋する女性としての気持ちの問題は別で、やっぱりエルが私以外の人にずっと構っているのは不満なのだ。
それでも、大人気ないと分かっているので、ソフィアの前でだけ頬を膨らませて我慢していた。箒の扱いが、つい雑になってしまう。
「ちょっとちょっと、逆に埃が舞ってるわよ」
「……お掃除って意外と大変なのね。埃がなかなか綺麗にちりとりに入らないわ」
「私達、掃除なんてしたことないものね。ここからも一生しないから、学園でだってしなくていいのに」
セイントルキア学園では、各教室の掃除は生徒達が行うことになっていた。
この学園では、なんでもやってみて学ぶ、というのが基本理念となっている。何事においても、やり方やその苦労が分からないようでは、将来のためにならないということらしい。
「皆さんは将来、人の上に立つ人材になるでしょう。その時に、やったことがある、知っている、ということが、とても大きな財産になります」
そう入学式で生徒全員に向けて話してくれたのは、学園長だった。
掃除一つにしても、経験することで、掃除をする者の雇用条件を考えやすくなるし、感謝の気持ちだって生まれる。体術だって勉強だって、知識や経験があるのかないのかで、見るもの感じるもの、考え方や発想に違いが生まれるはずだ、というのが、学園の学舎としての姿勢らしい。
「私は悪くないと思うけどね。毎日これをやるのって、本当に骨が折れるって、身に染みて分かるもの。侍女達は凄いわ」
「はいはい。未来の王妃様は立派なのねぇ」
ため息をついたソフィアに、私はくすくす笑ってしまう。
ソフィアは笑う私をみると、なんだか複雑そうな顔をして言った。
「……あなたのその笑顔、プレミアついてるの知ってる?」
「ええ? 何それ」
「普段冷たい顔だから、笑った時のギャップがいいんですって。不用意に笑顔をばら撒くと、意図せず色々寄ってくるわよ」
「色々って……皆そんなに暇じゃないわよ。全く」
「もう、無自覚なんだから。今は『氷の女王』の異名が邪魔して皆遠巻きにしてるけど、あんまりニコニコしてると、殿下と変わらないくらい囲まれるに違いないんだから」
「私まだ『氷の女王』って言われてるの!? ……私、怖がられるばっかりで、全然モテないもの。私目当てで近づく人なんていないわ」
「フィリーはもの凄く美人だし、自分で思ってるよりずーっと可愛いのよ? もう少し自覚しないと」
ええ……と思いながら、私はふと視線を感じて、振り返る。クラスメートの女の子3人と、ぱちりと目があった。
私は仲良くしたくて、心からにっこりと微笑むと、彼女達は顔を赤くして目を逸らしてしまった。
――何がプレミアなの!?
「ソフィの嘘つき……」
「あー、今のは、うん。フィリーが悪い」
「私が!?」
「私、殿下より貴方の方が怖いわ。多分そのうち、本気の子が出てきそう」
「もう、好きに言ってなさいよ」
私は、ソフィアの持論を理解することを諦めた。
ソフィアはおっとりして優しげな雰囲気の美人だ。私のような、ちょっと目線を投げるだけで目を逸らされてしまうような吊り目できつい顔の女の気持ちなんて、きっと分からないのだろう。
「それはそうと、あなたの殿下、こっちに来るわよ」
「え?」
「――シェリー」
エルはちょうど、掃除を終えて、教室に戻ってきたところみたいだった。今日は、ぞろぞろと女の子達を引き連れている。
その姿を見て、一瞬心に黒い気持ちを感じたけれども、エルが溢れんばかりの笑顔でこちらを見てくるから、なんだか毒気を抜かれてしまった。むしろ、あまりに輝くその微笑みに、今度は恥ずかしくてうまく言葉が紡げなくなってしまう。
「……エル」
「授業も終わったし、帰るんだろう? 一緒に帰ろう」
エルの後ろから、「もう帰るんですか?」「部活見学にいきましょうよ」などの声が聞こえる。エルは、自分の後ろにいる取り巻きの女性陣が全く気になっていないようだ。流石は王子様、といったところなのだろうか。
「掃除が終わったから、今からソフィア達と部活見学に行くんです」
「じゃあ僕もついていく」
「えっ」
エルも来るの? 後ろから、「私達と行こう」だの「ついていく」だの、色々と声が上がっていますが! 大所帯になってしまう。
「いえ、私達は構いませんから、どうぞフィリーを連れていってください」
「えっ!? ちょっとソフィア、私をこの中に置いていくの?」
「殿下と行ってきなさいよ。リサ達だって分かってくれるわ。二人になりたかったんでしょ?」
「――ソフィ!」
赤くなって慌てる私に、エルが嬉しそうな顔をした。
「そうなの? シェリーは可愛いなぁ」
「違います! 私は別に、そんな」
「僕の天使は恥ずかしがり屋だ」
そう言って、エルが流れるように私の髪にキスをしたりするから、周りの女生徒達から黄色い声が上がってしまった。
「そんな訳で、皆ごめんね。今日はシェリーと二人で行くから、また今度遊ぼう」
反対の声が上がるかと思ったら、意外なことに、周りの女性陣は好意的な反応を見せた。
「分かりましたわ、殿下。またの機会に」
「ブランシェール公爵令嬢は本当に愛されているのね」
「私達に向ける笑顔とは全然違いますわ。見ているこちらがときめきました……!」
「顔を赤くなさって、ブランシェール公爵令嬢って、噂と違ってとても可愛らしい方なのね」
何なのこの、生暖かい視線の数々は!?
や、やめて。皆もう、私を見ないで……!
「もう知らない!」
「シェリー、待ってよ。――じゃあ皆、また明日ね」
エルはそう言って、ニコニコしながら私についてきた。
「皆いい子達だろう? いつも、僕のシェリーへの気持ちを楽しそうに聞いてくれるんだ」
「私の話をしてるんですか!?」
「うん。僕の頭の中の半分以上は、シェリーで占められてるからね。授業中だってシェリーをいつも見ていられるように、後ろの席の子と席を替わってもらったんだよ」
「そんな理由で!?」
そういえば、入学式の日、目の悪い子と席を替わっていた。
エルったら優しい! 素敵! と思っていたのに……!
目を白黒させる私に、エルは優しく笑う。
「……女の子は皆、恋バナが好きだからね」
「恋バナ?」
「恋愛の話。僕にはシェリーがいるから、あの子達も、気楽にそういう話ができて楽なんだと思うよ。彼女達の婚約者達も、僕がシェリーに夢中なのを知ってるしね」
だから嫉妬しなくても大丈夫だよ、と言うエル。
私は、嫉妬なんかしてません! と言いながら、赤くなってむくれてしまう。
「じゃあこの膨らんだほっぺはどうしたら元に戻るのかな?」
「エルが一杯甘やかしてくれないと、元に戻りません」
「それは大変だ」
そんなふうに話していると、廊下の向かいから、ピンクブロンドの髪の女の子が現れた。
「あ……」
彼女と目が合う。
彼女はびくりと体を震わせて、私と、隣にいるエルを見た。
「……ご機嫌よう、ラファエル殿下。ブランシェール公爵令嬢」
「ご機嫌よう、ユレンスタム男爵令嬢」
「……どうも」
なんだか空気が固い。
彼女は、入学式で私達が保健室に連れて行った令嬢で、名前をユリアネージュ=ユレンスタムという。ユレンスタム男爵家の令嬢だ。
この学園では、1学年4クラス編成で、身分と入学前のクラス分け試験により、特進クラス、上級クラス、中級クラス、下級クラスに分けられる。
男爵令嬢は通常、中級、下級クラスに配属されることが多いけれども、彼女はクラス分け試験で優秀な成績を残したとかで、なんと私達と同じ特進クラスに配属されていた。
そんな彼女は、身分差からかクラスで若干浮いていて、なんだか居心地が悪そうだった。
何より、何故かは知らないけれども、エルと非常に仲が悪そうだった。
「行こう、シェリー」
「でも、エル……」
「いいから」
エルは厳しい顔をして、私を引き連れて強引にその場を去ってしまう。
彼女はなんだか、寂しそうに私を見ていた。
「エルはなんで彼女にだけ冷たいの?」
「別に普通だよ」
「そんなことないわ」
エルが柔和な笑顔を崩すのは珍しいことだ。エルは、彼女を見ると不思議と普段の冷静さを失ってしまう。私はそれを見ると、なんだか胸の内にざわつくものを感じてしまうのだ。
「……彼女は特別なのね」
「そんなんじゃない」
「エル」
ムキになった自分に気がついたのだろう、エルはため息をついて私の手を握った。
「シェリー、僕がもし変なことを言い出したら遠慮なくこの手で殴り飛ばして」
「……今、変なことを言い出してるけど」
「今は大丈夫だから」
慌てた素振りのエルに、私はゆったりと微笑む。
「エル、大丈夫よ。エルが浮気したら、すぐ身を引くから」
「全然大丈夫じゃないから。身を引かずに、僕のことを張り倒して欲しい」
「そんなことできないわ。直接手を汚さずに始末する方法なら、いくつか思いつくけど」
「思いつくの!?」
なんの気無しにぽろりと言った言葉に、エルが食いついてくる。
「腹黒宰相の父の血なのかしら。色々教えてもらったし、私も腹黒いこと、多分得意よ」
「悪役令……げふげふ、ブランシェール公爵は何を教えているんだ。いや、その。シェリーはとても優秀なんだね」
珍しく怯えた目で私を見るエルに、私はふふ、と黒い微笑みを向ける。
「今はエルのことが大好きだから、浮気されたとしても、実行はしないけど。大嫌いなままだったら、全部試したかもしれないわね」
「君が僕のことを大好きでいてくれて、こんなに嬉しいことはないよ……」
疲れたようにため息をつくエルの肩に、私はこてんと頭を寄せる。
その仕草を見て、エルがほんのり頬を染めたところで、私は優しく微笑んだ。
「今でも、相手の令嬢に何をするかは分からないわ」
「顔と台詞が合ってないね!?」
こういうことは、安心しすぎも良くないのだ。
第一王子とピンク髪は仲が悪いらしい。
若干調子に乗ってる第一王子は、そのうち余裕がなくなります。




