16 朝のお迎え
「おはよう、シェリー」
「おはようございます、ラファエル様」
いつもどおりの爽やかな笑顔で迎えてくれたのは、私の婚約者様。私は嬉しくて、はしたないと思いつつも、つい早足で駆け寄ってしまう。
今日は、セイントルキア学園の入学式の日だ。
セイントルキア学園は、王都の近くに設立されている学園で、15歳になる歳の4月から3年間通うことができる。貴族の令息令嬢は理由がない限りは原則通うこととなっていて、平民でも、試験に通って授業料が払えるのであれば入学が認められている。そして、希望者は寮に入ることもできるけれども、大抵の貴族は王都に別邸を持っているので、そこから通う生徒が大多数で、寮にいるのは平民や、身分の低い貴族――男爵家、子爵家の生徒が多かった。
そんな状況下なので、王族であるラファエル殿下は王宮から、公爵令嬢である私は王都の別邸から、学園に通うことになっていた。
だから、私と殿下が顔を合わせるのは何もなければ学園内のはずなのだけれども、今の私達は、私の家――ブランシェール公爵家の王都別邸前にいた。
「制服、とても似合ってる」
「ありがとうございます……あの、本当に迎えに来たんですね」
「もちろんだよ。毎日迎えに来るって言ったじゃないか」
ブランシェール公爵家の王都別邸は、ちょうど王宮から学園までの道すがらにあるので、殿下は毎日公爵家まで迎えに来るつもりらしい。
「帰りはきっと一緒に帰れないことも多いだろうから、朝くらいはね」
そう言って笑う殿下に話しかけたのは、後ろからやってきたお父様とお母様だった。
「殿下。うちの娘をよろしくお願いします」
「はい。お嬢さんをお預かりします」
「……まさかこんなに仲睦まじくなるとは、正直思いませんでしたよ」
「――お父様!」
ニコニコ笑いながら揶揄ってくるお父様が、私は恥ずかしくて仕方がない。
「もう! ラファエル様、行きましょう」
「おや、もう愛称で呼んでいたと聞いたんだけどな」
「お父様なんて嫌い」
「あなた、あんまりフィリーをいじめたらだめよ。いってらっしゃい、フィリー」
「……いってきます……」
私以外の皆がニヤニヤする中、殿下は自分が乗ってきた王家の馬車に私をエスコートした。
エスコートしてくれる殿下は、ちゃんと王子様みたいに格好良くて、それを見て機嫌が治った私は、頭がお花畑のまま殿下の馬車に乗り込んだ。
「入学式、楽しみですね! ラファエル様は部活は決めたんですか?」
「……」
「ラファエル様?」
ジト目で私を見てくる殿下に、私は首を傾げる。
「この間、僕のことを愛称で呼ぶって、言ってたのに」
殿下が拗ねたような顔でこちらを見てくる。
確かに言った。この間弟のヘンリーに、殿下のことを愛称で呼んでみようかな、とは言った。そして、それを聞きつけた殿下に、無理矢理その場で愛称を呼ばされた。お父様にすら、そのことがバレていた。しかし。
「あ、あれはその。これからずっと愛称で呼ぶとは言ってません」
「呼び方をころころ変えられたら、ちゃんと反応できないよ? ほら、呼んでみて」
そう言って、殿下は私の髪をさらりと掬って口づける。
そう、殿下は最近、二人になると、流れるような仕草で私にこういうことをするのだ。
私を落としてとお願いしたのは私だけれども、こうも頻繁に恋人っぽいことをされると、正直私の精神がもたない。殿下に捨てられたくなくて必死だったとはいえ、あのお願いはちょっとやりすぎだった。後悔している。
「やっぱり、その。……そうだ、朝のお迎えは毎日じゃなくていいです」
「却下。ほら、シェリー。今のうちに練習しておかないと。学園でもちゃんと愛称で呼んでほしい」
「学園では殿下って呼びます」
「……」
「あの、ラファエル様。近いです」
意地の悪い顔をした殿下がだんだん近づいてくるので、私もじりじり後ずさる。しかしながら、馬車の中なので、当然逃げ切ることはできない。
「シェリーが僕のことを愛称で呼んでくれたら離れるよ」
「……そんなに呼んでほしいんですか?」
「シェリーだって僕に、泣きながら愛称で呼べって」
「ばか! もう、意地悪!」
「ごめんごめん」
ぽかぽか叩く私に、殿下が笑いながら謝る。
「……エルなんか嫌い」
「この間みたいに、ラフじゃないんだ」
「ラフは皆が呼んでるから、エルって呼びます」
ぷいっと窓の方を向いた私を、エルが横から抱きしめた。
「ちょっと、エル」
「ありがとうシェリー」
耳元で囁くエルに、私は頬が赤くなるのを感じる。それを隠すために、わざと殿下の胸に顔を埋めた。
「シェリー、他の男とあんまり仲良くしたらだめだよ?」
「殿下も、あんまり特定の令嬢と仲良くしないでくださいね」
「……僕が仲良くする特定の令嬢は、シェリーだけだよ」
困ったような顔をするエルに、私はしょうがないなぁという顔で笑う。
殿下の弱音攻撃や、八方美人で特に女の人を褒めまくる癖は、結局そのままだった。というか、婚約解消話をした直後は一時的に収まったけれども、あからさまに無理をしていたし、距離を感じて寂しかったので、私が止めたのだ。
「――本当に。僕の心はシェリーだけのものだから」
「……エル?」
「あーやだ。学園滅びないかな」
「登校拒否どころじゃない!?」
エルは私を抱きしめていた腕に力を入れる。
私は驚いたけれども、なんだかその手が震えているような気がして、私はされるがままになっていた。
「……僕の意思は通るんだろうか」
「エル」
「うん。ちょっとだけ、怖気づいてるんだ」
私は少し驚く。
「エルにも怖いものがあるんですね」
そういえば、嫌だ、辛い、面倒臭い、逃げたい、は聞いたことがあっても、怖い、は聞いたことがなかった。
「そりゃあね。……でも、君が傍にいてくれたら、きっと大丈夫」
「ふふ、甘えん坊さんですね」
「そうだよ。僕は一生君に甘えてると思う」
開き直ったエルが愛しくて、私は誘われるように、そっとエルの唇を奪う。
「シェリー」
「勇気が出ましたか?」
「まだ足りないな。もう少し」
「もう」
くすくす笑いながら、軽いキスを繰り返す。
それから私達は、エルは入学式の新入生代表挨拶をするらしいとか、二人とも同じクラスで良かったとか、他愛のない話をしながら、学園の正門前まで辿り着いた。
そして、馬車を降りて、2、3歩歩いたところで、ピンクブロンドの彼女に会ったのだった。
胸焼けしそうな流れで本編開始です。
10万字ぐらいストックあり。




