エピソード6‐2
私達の駅から二つ隣の駅にある市民プール
県最大の市民プールと言われるだけあって、とても大きく、普通のプールは勿論、流れるプールやウオータスライダーまであるこのプールは、混む事でも有名
美鈴と先輩を先頭にプールの入口を潜り、料金を払う
『ん〜やっぱり初日に来て良かったわね』
『そうだな。いきなり明日プール行くって言われた時は焦ったけど、これだけ空いてれば文句ないよ』
確かにこの日は凄く空いていて、貸し切りに近い状態だった。これほど空いているのは本当に珍しい
『じゃ、中に入って着替えよっか』
『ああ、プールで会おうな』
『覗くなよ〜』
『どうやって覗くんだっての』
『一也ならやりかねないでしょ?』
『やるか!』
更衣室に入るまで続いた口喧嘩に、私と七海先輩は顔を見合わせ、やっぱり苦笑いをする
『さーてと、さっさと着替えて一也をからかいに行かなくちゃ』
私達以外誰も居ない広い更衣室。美鈴が楽しそうにそう言って着替え始めた
私もバックからタオルとオレンジ色のワンピース水着を取り出し、着替え始める
『……ん、やっぱりちょっときついかな』
実際に水着を着てみると胸の辺りが少し息苦しい
『ん? 体育の時も思ってたけど、理名、去年よりも大きくなってない?』
『す、少しだけだよ! それにそれを言うなら美鈴ちゃんだっ……て』
余り変わってなかった
『私が……何?』
『…………き、着替え終りです! ほら、美鈴も七海さんも早く着替えて下さい!』
『……ごまかされた』
『ふふ。……ほら美鈴、早く着替えましょう。タオルがズレて胸が見えてますよ』
『どうせ無いし見られても平気よ! ……よし、着替え終り!! どう? 悪くない?』
美鈴は軽くポーズを取って私達に見せる
美鈴の性格によくあっている、スポーティーで泳ぎ易すそうな黒のセパレート水着だった
『似合ってるよ、美鈴ちゃん』
『ええ、カッコ良いと思います』
『サンキュ…………ってな、七海……』
嬉しそうだった美鈴は、七海先輩を見て絶句する
『どうし…………え!? え、えっと……学校のですか?』
後ろを見ると、うちの小学校で使用している黒くて地味な水着を着ている七海先輩
『え、ええ。学校指定ですから……やはり変でしようか?』
『……う、ううん! 全然変じゃないです!! む、むしろ私の方が変です! こんなきつきつの水着なんて恥ずかし過ぎます!!』
『そんな事無いですよ。よく似合っていて可愛いです。……正直羨ましいです』
『え?』
『あ、いえ、なんでも。それより一也お兄さんが待っています。早く行きましょう』
『は、はい』
七海先輩が私の何を羨ましがったのかは未だに分からない謎の一つ
『よーし、行くべ〜』
『遅いぞ、三人とも』
更衣室から出てプール場へ行くと、先輩はシャワーの横で退屈そうに私達を待っていた
『ごめん、ごめんって熱いわね〜』
太陽はジリジリと肌を焼き、床もまた火傷しそうなぐらい高温
『待ってる間、何度もシャワー浴びたよ。ほら、暑いし早く入ろうぜ!』
『はいはい』
『落ち着いて一也お兄さん。まずは入る前の準備が先です』
そう言って美鈴も七海先輩もわざと呆れた顔をしたけれど、内心では夏の暑さと高いテンションの先輩に触発されて、早く入りたがっていたのは一目瞭然だった
『……はい、準備終りです。それじゃ入りましょうか!』
『はい!』
七海先輩の合図で私達は一番近いプールに入り、水を掛け合ったり浮かんだりしてプールを楽しむ
……深く無くて良かった
『美鈴、次は向こうのプールで五十メートル勝負しようぜ!』
プールに入って三十分。先輩が競泳用のプールを指差して美鈴に提案する
『おっと、美鈴ちゃんに勝負を仕掛けますか。 去年までの私じゃないけど良いのかな〜? 負けた方はみんなにジュースを奢るのよ』
『一ダースでも良いぜ』
『随分な自信ね〜。理名と七海はどっちに賭ける?』
『そうですね……二人とも応援します』
『それじゃ賭けに……ってま、いっか。理名はどっち応援する?』
『わ、私は……』
『美鈴、早く来いよ』
いつの間にか先輩は、向かいのプールに入っていて、既に準備をしていた
『はいはい。応援よろしくね』
『う、うん』
美鈴も向かいのプールに入り、私達は側で見る為にプールの脇に座る
『じゃ七海、合図頼む』
『はい。……よーい、スタート!』
どっちを応援するのか決まらないまま、七海先輩の合図と共に、二人の競争は始まった
『頑張って、一也お兄さん。美鈴も頑張って〜』
二人とも凄く早く、あっという間に半分近く泳ぎ切る。差は殆ど無い
『あ、えっと……が、頑張って美鈴ちゃん。も、森崎さんも……』
先輩の泳ぎ方はバシャバシャと水しぶきを派手に立てて、ちょっと無駄な動きが目立つ。
対して美鈴は静かで、綺麗なフォーム。一定のリズムを守りながら泳いでいる
後半になって、少しペースが落ちてきた先輩
徐々に差がついてきて、このまま美鈴が勝つかなって思っていた
『一也お兄さんは……』
『はい?』
『兄さんは此処からが凄いんです』
信頼の言葉。
それは裏切られた事が無い、自信に満ちた響きを持っていた
『…………本当だ』
五メートルは開いた差。それがどんどん縮まってゆく
美鈴のペースが落ちた?
違う、先輩が早くなったんだ
『……凄い』
『一也お兄さん! 頑張って〜』
『……が、頑張れ森崎さん!!』
結果は先輩の勝ちだった
『はぁ、はぁ、っん……は、早くなったな美鈴。まさかこんなに接戦になるとは思わなかったよ』
先輩は先にプールから出て、美鈴に手を差し延べた
『はぁ、はぁ……ふぅ。必死だった癖に……』
美鈴はその先輩の手を取って……
『えい!』
ぐいっと引っ張った!?
『うわ!?』
先輩はプールに落ち、バシャンと大きな水しぶきを立てる
『な、何するんだよ!』
『へへ〜ん! いちあの癖にカッコつけるからだよ〜』
『ぬ〜待て美鈴!』
泳がず、プールの中で追いかけっこする二人
『……仲良いなぁ』
何となしに呟いた言葉。それが聞こえたのか、隣に居た七海先輩は
『お二人は子供の頃からずっと一緒でしたから』
と、何だか寂しそうに呟いた
『よし、次はあっちの流れるプールに行こう!』
プールに来てから約二時間。そろそろ遊び方も尽きてきた頃に、先輩が隣のプールを指差して言った
『良いわよ行き……あ〜向こう結構深そうね。う〜ん止めっ!』
『深いって言っても七海がギリギリ立てるぐらいだし、泳いでいれば気にならないだろ?』
『あ〜でもね〜』
美鈴は困った様に視線を泳がす。多分私の事を気遣ってくれていたんだと思う
『あ、えっと……。私、泳げなくて……』
情けないなぁって思いながら、手を知らない間に特訓をお願いしていた
『よし。と言う訳で暫く特訓するから。一時間またこの辺りに集合な』
『はいはい。じゃ行こ、七海』
『はい。理名さん、一也お兄さんが何かしたら直ぐに呼んで下さいね』
『は、はい』
『どれだけ信用無いんだよ俺は……さてと、やろうか』
『は、はい……』
森崎さんと二人きり……なんて甘い事を思ってる暇が無いぐらい、先輩の指導は熱血だった
『違う! クロールはこうだよ!』
とか
『そう、そこで足!』
とか
『息継ぎが悪い! 魚じゃないんだから水中で吸うな!』
とか、et cetera
それでその結果
『やったな、高梨!』
『は、はい! 森崎さんのお陰です!!』
始めて十メートルを泳げた!
『なんか俺もすげ〜興奮したよ! 一回泳げたら後は少しづつ距離も伸びていくと思うから、また今度練習しよう高梨』
『はい! ……あ、そうだ。森崎さんも七海さんと同じ様に私を理名って呼んで下さい』
『ん、分かったよ理名』
とくん
名前を呼ばれた瞬間、自分の心臓が凄く高鳴ったのを感じた
『あ、あれ?』
『どうした?』
『え? あ、な、何でも無いです!』
どくん、どくんと痛いぐらいに激しく鳴り始めた心臓
『わ、私、ど、どうしたんだろ?』
『っ! とにかくプールから出よう!!』
そう言って先輩は私の体を横抱きした
それは普段の先輩なら絶対にやってくれないお姫様抱っこ
一瞬何が起きたのか分からなくて、慌ている先輩の顔をぽかんと見つめてしまう
『大丈夫か、理名!』
『え? あ、はい……』
心配そうな先輩の声。その声を聞いて、何故だか涙がポロっと零れた
『…………あ』
胸がギュっと締め付けられる。切ない
そしてすぐに理解した
私、この人が好きなんだ
私、恋をしたんだ……って
『……ごめん、俺が無理をさせたから』
先輩は私をプールの端まで連れていってくれ、大丈夫だと言う私に付き添ってくれた
『本当に大丈夫です。私の方こそごめんなさい……』
『いや、良いよ。それより余り酷く無くて良かった。七海と美鈴が戻って来たら帰ろう』
『あ、私一人で帰れますから森崎さん達はプールに……』
『最初から三時間ぐらいで帰る予定だったんだ。……夜は花火やるつもりだったけど、大丈夫?』
『は、はい! 全然大丈夫です』
『そうか、良かった』
そう言って、ほっとしたように先輩は笑った
『あ……う……』
そんな先輩の顔を、何だか恥ずかしくてまともに見れない
『ん? ……と、顔赤いな。ジュース買ってくるけど……大丈夫?』
『は、はい』
『よし。じゃ、急いで行って来るよ』
先輩は言葉通り直ぐに戻って来てくれたけど、この日はもう、まともに先輩と話す事は出来なかった
先輩を好きだと感じた日から苦しいだけの恋が始まった
胸は痛いし、落ち着かないし、会いたく無いのに凄く会いたい
もう自分でも訳が分からなくなって、意味もなく泣いたりもした
こんなに辛いのなら恋なんてしたくなかった
それでも先輩と一緒居たい。その気持ちだけは無くなる事がなかった
『遊ぼうぜ、理名!』
『……はい、森崎さん』
夏にはお祭りへ行き、秋はみんなで山登り
冬には雪合戦をして、コタツでトランプ。初詣にも一緒に行った
季節が変わる毎に時間が経つ毎に、先輩の事を益々好きになっていく。そして再び先輩に恋をする
それは痛みと苦しさを伴う恋じゃなく、激しいけれど暖かい、辛いけど優しい気持ちになれるそんな恋
ずっと先輩の傍に居られたら嬉しい。それだけで良いと思っていた
でも別れの春はやって来る
それは卒業式の日。先輩が小学校を卒業する日
『今日は卒業式だ。式が終わったら全員校庭に集まって、卒業する先輩達を見送ってあげるんだ』
担任の先生の言葉は右から左に流れて行った
今、体育では卒業式が行われている
それが終わったら、七海先輩や先輩が居なくなってしまう
勿論本当に居なくなる訳じゃない。それは分かっているけれど、もう同じ学校へ通えない事が悲しくて……
『ど、どうした? 高梨』
『う、ぐす……っく』
突然泣いてしまった私をクラスメートや先生は心配してくれた
そして式が終り、私達は校庭へと出る
全生徒で六年生の通る道を作り、校舎から出てくるのを待った
『お、来たみたいだぜ。さっさと終わらせて帰りたいよ』
クラスメートが言ったその言葉で、六年生達が出て来たのを知る
四年生の私達は、六年生達が通る道とは近い場所では無かったから、背の高い人ならともかく私には……
『…………』
先輩達の姿は見えない
『……見えないよ』
立ちすくみ、そう呟いた私の肩を、後ろから誰かがポンと叩く
『え!? み、美鈴ちゃん?』
『行くよ理名』
『え? 行くって』
『ほら!』
強引に手を引かれ、私は六年生達が歩いている道の方に連れて行かれる
『なっ!? こら! 高梨に前川! 列を離れるな!!』
『うっさいな〜。ほら、あの先生は私が相手するから行ってきな』
『み、美鈴ちゃん?』
『その列の向こう。一也が居るからさ』
『も、森崎さんが? でも……』
『いーからとっととこれ持って行きなさい!』
そう言って美鈴は、卒業生が在校生から貰う造花のワッペンを私に渡す
『五年生から奪って来たのよん。……と、先生が来た。じゃ、しっかり渡してあげるのよ』
『前川! 高梨! お前達は』
『先生、私、おしっこ行きたい』
『はぁ? トイレか? 我慢出来ないのか?』
『駄目。てゆーか動くとヤバイ……漏らしちゃいそうです』
『そ、それは困ったな。校庭のトイレまで我慢出来るか』
『な、なんとか……うっだ、駄目かも……』
『が、我慢だ前川! 焦らず冷静に……』
美鈴が先生を止めてくれている間に、私は五年生の列の中に入る
美鈴の代わりだから。そんな言い訳をしてしまう自分が少し嫌になるけれど、それでも勇気を出す事が出来た
そして強引に列を抜けると、ちょうど先輩達のクラスが歩いていて……
『ん? 理名? どうした? 並ぶとこ間違えたとか』
先輩は私を見付け、足を止めて近付いて来てくれた
『ち、違います。そ、その……』
『ん?』
『そ、卒業おめでとうございます、森崎さん!』
『ああ。ありがとう、理名』
式で泣いたのか、少し赤くなっている目を擦って先輩は優しく微笑んだ
だから私も泣きたくなるのを精一杯我慢して微笑む
『本当に……本当におめでとうございます』
もうこれでお別れなのかな……
『ああ。これからも宜しくな』
これから……
『は、はい……はい!』
これからも一緒に居られるの?
『……うれしい』
『ど、どうした? なんで泣くんだよ』
『ご、ごめんなさい。
……卒業、おめでとうございます…………先輩』
ようやく本当のおめでとうが言えた
『ありがとよ、後輩』
『はい、はい! 先輩!』
その後、先輩に渡したワッペンは、強く握ってしまったのかクシャクシャだったけど、先輩は笑いながら胸に付けてくれた
嬉しかったなぁ
『……そして私は罰として一週間トイレ掃除っと』
『て、手伝うよ~』
「ん……手伝う~」
「ん? ……寝言か。たく、どんな夢を見てるんだか」
「きっと兄さんの夢を見ているんですよ。おやすみなさい、理名。そして……」
「んにゃ……」
「おめでとう、理名。兄さんを宜しくお願いします」