エピソード3 美弥子
久しぶりに夢を見た。もう何十年も昔なのに色鮮やかな夢
そしてまだ8年しか経っていないのに、色が落ちたモノクロの夢
それは、幼なじみだったあなたが私の事を抱き上げ、肩車をしてくれた日の夢
それは、夫となったあなたが桜子を抱き上げ、肩車をしてあげた日の夢
大切なあなたの夢
「…………ふぅ」
淡いオレンジ色の照明の下目を醒ました私は、微かに濡れた瞳を擦る
外は暗く、ふと時計を見るとまだ4時過ぎ
もう一眠り出来るけれど……
私は隣に眠る桜子に擦れた布団をかけ直し、寝室を出た
リビングへ行き、何気なしにクローゼットにしまってあるアルバムを取り出す
アルバムにはまだ幼い桜子の姿と、笑顔の私。そして今はもういない夫の姿
「…………ふふ。久しぶりね、あなた」
夫と私は子供の頃から一緒だった。
夫は幼い頃、呉服店だった私の実家に引き取られ、それからずっと家の手間や仕事のお手伝をしていた
私が産まれたのは夫が12歳の頃。彼は忙しい仕事の中で、1番私の面倒をみていたと周りの人は言う
子供の頃からずっと一緒だった年上の優しい男の人。恋をするのに、時間はそう必要無かった
淡い想いを持ち続け数年が経ち、私が高校を卒業した頃、今まで態度を濁していた彼は初めて私を受け入れてくれた
そして婚約したいと、私の両親に申し入れる
結果は散々な物だった
恩知らず、不届き者、出て行け不埒者
今までずっと家へ奉仕して来た彼に浴びせた言葉は罵倒のみ。誰一人、彼を庇う者はいなかった
そして彼はあっさり家を追い出され、反対する彼を強引に説得し私は着いていった
珍しくも何ともない駆け落ち
二人で小さなアパートを借りてがむしゃらに働いた
大変で辛くて、幸せで……そう、幸せだった。彼がいればそれだけで幸せだった
それなのに……
彼は優し過ぎて、そして責任感が強すぎたのだ
同棲し、結婚してすぐ彼は異常なぐらい働き始めた
裕福な家庭に育った私を苦労させない為、朝から夜中まで働く
止める私を彼はやんわり断り、毎日毎日とにかく必死に働いた
そんな事を続けて2年が経ち、ある程度の資金が集まった彼は、知識と経験を生かし、海外に着物や袴を輸出するインターネット会社を立ち上げた
それは成功し、彼は益々忙しくなる
結婚から4年目の春、私達に子供が出来た
それを機にアパートを出て立派な、家を建てる
『後、数年頑張れば、いよいよ落ち着くと思う。それからはゆっくりするよ』
小さな公園で小さい桜子を肩車し、出来上がった家を見上げながら彼……裕一は微笑んだ
それから2年後、裕一は死ぬ
過労死だった
『かろう……し?』
それからの二年は、余り記憶に残っていない
ただ生きているだけの抜け殻になっていたから
『……ママ』
『………………』
『……ママ』
『………………』
桜子呼び掛けを無視し部屋に閉じこって寝る。桜子の事は雇ったお手伝いに全てを任せた
お金だけは沢山あるもの
桜子は何一つ文句を言わずいつしか私に話し掛ける事も無くなった
『…………桜子』
もし貴女まで失ってしまったら……
……怖い
もう生きるのが怖い
『……が! っだろ!!』
『…………?』
ある日の事、痛む頭を抱え寝ていると外が急に騒がしくなる
何と無く気になって、ちょっと窓から覗いてみると隣の森崎さん宅から黒いスーツを着た人達が5人程、追い出されるかの様に出てきた
『何てガキだ! 折角私達が面倒を見てやると言っているのに!!』
『子供だけの生活なんて無理よ! ……とにかく弁護士に相談して、私達がお金や、七海を管理を出来る様に……』
『あの生意気な子供では話になりませんな。しかしあの子は大婆様の……』
彼等が家の前で何かを話していると、玄関のドアが開き、真新しい中学校の制服を来た男の子が飛び出して来た
『まだいたのかお前ら! ぶっ飛ばすぞ!!』
男の子は大人達に塩を投げ付け、右手に持ったバットを振りかざす
大人達は罵声と悲鳴を上げ逃げ去って行った
『………………』
唖然として見ていると、玄関から今度は可愛いらしい女の子が出て来る
女の子は泣いている様で、しきりに目を擦っていた
そんな女の子の元に男の子は近付き、頭を撫で……。
きっと、凄く優しく微笑んだ
『………………』
何度も頷く女の子。女の子は男の子の手を握って胸で抱きしめる
多分、もう頬は濡れていないだろう
『…………』
事情は分からないけど、多分あの男の子は女の子を守っている
女の子はそれを分かっている。そして信頼している
他者から見ても分かる、揺るぎない信頼関係
まだ幼い二人は、既に本当に大切な物を知っている
そして恐れていない
それに比べて私は……
『…………何をやっているんだろ、私』
ぽろぽろと涙が零れた
夕方、学校から帰って桜子と久しぶりに夕食を食べる
『……ねぇ桜子?』
『………………』
『今度のお休みの日、動物園に行こうか』
『………………え?』
『決定!』
『………………』
一日や二日で信頼を取り戻そうなんて思わない
でも、必ず取り戻せる自信はある。何故なら私は桜子を愛しているから
迷わない。怖くない。逃げ出さない。
全力で桜子を愛する
それから桜子と完全に打ち解けるまで、1年の月日を要した。短かったのか長かったのか……
『行ってきます、ママ』
『はい、いってらっしゃい』
掛け替えのない桜子
命に代えても守りたい、そう思える存在
『…………大丈夫』
私はもう大丈夫
大切な物、あるから
もう二度失わないから
……だから、心配しないでね。裕一
「…………ふふ」
アルバムの最後のページを閉じ、軽く伸びをする
外は明るくなって来ていて時計は7時を指す
そろそろ桜子が起きる時間だ
窓のカーテンを開け、光を入れる。今日もいい天気
「…………? あ!」
一也君!
一也君は欠伸をしながらコンビニの袋を持って歩いていた
「一也く〜ん!」
窓を開けて一也君に手を振る
「ん? 美弥子さん。おはよう」
これからもずっと愛しているよ、裕一
1番大切だよ、桜子
でも……
「おはよう、一也君!」
恋ぐらいならしてもいいわよね、二人とも!