猫ちゃんも咽せるのね
別に答えが欲しかったわけじゃない。独り言に近いような言葉だった。
けれどヴィーは焼きプリンタルトをがっつくのをやめて、耳をピクピクと動かし聞き耳をたてるような素振りをしている。やがてわたくしの顔を緊張した面持ちで見上げて……また視線を逸らした。
「……マリエッタというのは、セレン嬢の妹御だろう? その、なんと言っていたんだ?」
「ふふ、他愛もないことよ。恥ずかしいからヴィオル様には言わないでね」
黒猫ちゃんのお鼻を指でツンとつついて、「もうちょっとだから食べてしまって頂戴ね」とわたくしは残り少ないタルトの部分を差し出す。
相手が黒猫ちゃんだとはいえ、集中して聞かれるのはなんとなく気恥ずかしい。
それが分かったのか、ヴィーも大人しくタルトの残りをはぐはぐと口に入れる。けれどもそのお耳はしっかりとわたくしの方を向いていて、ちゃんと聞こうとしてくれているのが分かった。
わたくしは内緒の話をするように、その可愛いお耳に唇を寄せる。
本人に聞かれたら「バカなことを」と一笑に付されても仕方のないことだと思いながら、わたくしは囁いた。
「あのね、マリエッタが言うには、ダンスは好きな人を誘うものなんですって。ダンスに誘ってきた人たちはお姉様に気があるんだと思うの! なんて力説するのよ。おかしいでしょう?」
言った途端、ヴィーがブホッと咽せた。
ゲホゴホガハッっと盛大に咽せまくって、小さな体が苦しそうに揺れる。
「た、大変。どうしましょう、猫ちゃんが咽せたときってどうしたらいいの?」
せ、背中をさすってもいいものかしら。ああわたくし、こんな時全然役にたたないわ。
「ヴィー、ヴィー、大丈夫? どうしたらいいのかしら、人を呼んだ方がいい?」
「だい……じょうぶ、だ……」
わたくしの腕にたし! と前足をおいてヴィーが立ち上がりかけたわたくしの動きをおさえる。
「落ち着いてきた」
そう言いつつもまだケフッ、カハッと苦しそうな猫ちゃんを前に、何もしてあげられないのがもどかしい。そっと背中を撫でていると「ありがとう、もう大丈夫だ」と顔を上げてくれた。わたくしもホッと胸をなで下ろす。
「ああ驚いた。猫ちゃんも咽せたりするのね」
「俺も初めて知った」
「本当にもう大丈夫? お水でもどう?」
「いや、やめておく。刺激したくない」
はあ、とため息をついてヴィーがテーブルにうずくまる。たくさん咳き込んで疲れたんだろう。わたくしはテーブルを軽く拭きながら、ヴィーに詫びた。
「ごめんなさいね、わたくしが変なことを言ったばっかりに」
「いや、別にセレン嬢のせいでは……それに、その……妹御が言うことも一般的にはあながち間違いではないだろう。俺もそういうものだと聞いたことがある」
「ヴィーってやっぱり物知りなのね。わたくしも知識としては知っていたのだけれど……今まで誘われたことがなかったものだから自分ごとだとは思えなくて、実はマリエッタに叱られたの」
「妹御にか。なんでまた」
「各々事情があってわたくしを誘っただけだと思う、と言ったら『勇気を出して誘った人たちに失礼だ』って。あんなに怒ったマリエッタなんて、そうは見ないのに」
「へぇ、意外だな。妹御はダンスに誘う輩にそれなりの敬意を持っているわけだ」
「とても真摯だと思うわ。ダンスを申し込むだけでも勇気が要るんだって……その気持ちは分かって欲しいって言うの。わたくし、自分が恥ずかしかったわ」
「なるほどな。面倒なだけだと思っていたが、そう言われると確かに妹御の言うこともわかる」
「そうでしょう? あんなにたくさんの人から申し込まれて、きっと面倒だと思うこともあるでしょうに、マリエッタは偉いわ」
わたくしがそう言うと、ヴィーは興味深そうにわたくしを見上げてこう言った。
「ちなみに、さっきセレン嬢は色々な事情があってダンスに誘ったと思う、と言っていたが、思いあたる事でもあるのか?」
「ボーデン様は多分、ヴィオル様を助けるためにわたくしにダンスを申し込んでくださっただけだし、リース様はボーデン様に頼まれたのかも知れないわ。それにマシュロ様が好きなのはマリエッタですもの、きっとわたくしはダンスの練習台だと思うの。そんなには真実から外れていないと思っていたのだけれど」
「お……主は?」
「え?」
「主はなぜ申し込んだと思ったんだ?」
ヴィーの大きくて真っ黒な瞳がわたくしをまっすぐに見つめていて、なぜか照れてしまう。だってダンスの時に見上げたヴィオル様の瞳の色に、本当にそっくりなんですもの。
「それが一番分からないの」
わたくしは自分の気持ちを落ち着かせようと、ヴィーの頭から首のあたりまでをゆっくりと撫でながら言った。
「きっと責任感が強い方だから、わたくしが魔術をちゃんと使えているかの確認だと思う、とマリエッタには言ったのよ。でもそうなのかは本当に分からなくて……」
じっと見上げる黒い艶やかな瞳に問いかける。
「ねぇヴィー、あなたはどう思う? どうしてヴィオル様は、わたくしをダンスに誘ってくださったのかしら」
「さぁな」
そんなつれないことを言いながら立ち上がったヴィーは、目を閉じて珍しくもわたくしの手にスリ、と頬を寄せてくれた。滑らかな毛並みがわたくしの手をスリスリと撫でてくれる感触が心地いい。
いつにない行動に感動して、ヴィーの気持ちよさそうな顔から目が離せずにいたら、急にパチリとヴィーの目が開いて、わたくしをじっと見上げてくる。
立ち上がったせいでさっきよりもヴィーの黒い瞳が間近にあって、ああ、やっぱり綺麗な瞳だと感じた。
「セレン嬢」
「なぁに?」
「俺はその、主の気持ちまでは分からないが」
そこまで言って、急にヴィーはわたくしの手を離れ、テーブルから窓下へとジャンプした。そこで振り返って、ヴィーは小さな声でわたくしに訴える。
「苦手なダンスを練習してまでセレン嬢にダンスを申し込んだんだ。その……だから」
言いながら窓を必死に引っ掻くヴィーが可愛らしくて、わたくしは窓を開けるために立ち上がる。窓を開けてあげると、ヴィーはわたくしをもう一度だけしっかりと見つめた。
「だから、その、そういうことだと思うぞ」
それだけを言い置いて、ヴィーは脱兎のごとく去って行く。あとは自分で考えてくれとばかりの態度に、わたくしはなんだか可笑しくなってしまって朝日の中で声を潜めて笑った。
どうしてヴィーがあんなに照れているのかしら。




