【ヴィオル視点】天使か……!
ダンスというのは存外に難しいものだ。
型を習っても、実際に女性と踊ると足をどこに出せばいいのか分からなくなってくる。踏んではならないと思えば思うほど足が変な場所に出るし、腰はひけるし、下を向いてしまう。そもそも他人とこんな近距離だということ自体が緊張しか生まないんだが。
よく皆、あんな平気な顔で踊っていられるものだ。むしろダンスが好きだなどという物好きもいることを思うと、酔狂としか言いようがない。
そう思っていたというのに。
セレン嬢と踊っているうちに段々と楽しくなってきた。
夜会では踊っている印象はあまりなかったが、言葉通りセレン嬢は本当に踊り慣れているようで、俺の危なっかしいステップにも動じないし、足を踏みそうになってもさりげなく躱してすました顔をしている。
しかも、絶対に楽しい思い出になる、とまで言ってくれた。天使か……!
ヘリオス殿下たちに揺さぶりをかけて動向を見てみるのが主の目的だった筈なのに、セレン嬢とこうして踊れていることが、こんなにも胸を暖かくするものだとは。
知らず、セレン嬢の柔らかな手を握る力が強まったのを感じた瞬間、セレン嬢が顔を上げてその琥珀色の瞳が俺を見つめる。可愛い。
「ようやく、少しだけ落ち着いてきた」
見つめられてついそんな言葉を口走ったが、その実全然落ち着いてなどいない。むしろ一瞬で緊張が高まったことで、セレン嬢の腰に回していた腕に勝手に力が入ってしまって、自然と抱き寄せたような形になってしまった。
近い。
近い、近い。
猫の姿でもないのに、この距離感はマズイ。
内心ではそう思っているのに、じっと見上げてくるセレン嬢から目が離せなかった。
そのまま見つめ合うことどれくらいなのか。一瞬のようにも長いこと見つめていたようにも思うが、とりあえず、曲はまだ変わってまではいないようだ。
危ない、危ない。淑女をあまり見つめすぎるものではないと、特級魔術師になって貴族のマナーを教えて貰ったときに学んだではないか。見過ぎだろう、俺。
第一、なにか……なにか話さなくては俺の心臓がもたない。とっさに出たのはこの言葉だった。
「大丈夫か?」
「……え?」
「いや、先ほどよりもちょっと、なんかこう、元気がない気がした。もしかして俺の下手なダンスに付き合って疲れたか?」
とっさにでた言葉の割に、本当にそうかも知れない、と思える内容だったが、セレン嬢は「まさか!」と即座に否定してくれた上に、「とても……とても楽しいです」と、花が綻ぶような笑顔で言ってくれた。
天使か……!
「良かった、俺もだ」
自然にその言葉が口をついて出ていた。
「今までダンスなど緊張するし小難しくて面倒なだけだと思っていたんだが……こんなに楽しく幸せな気分になるものだとは知らなかった。ありがとう、セレン嬢」
勝手に口が言葉を紡ぐが、言いながら「ああ、これは俺の本心だ」と思い当たる。そうだ、今俺は純粋にダンスが楽しいと思えている。
「いえ! ……わたくしも、存分に、楽しんでおりますから……!」
そう言って恥じらうように目を逸らすセレン嬢が可愛すぎて、未熟な俺は即座にステップが乱れてしまう。さしものセレン嬢も今度は避けきれなかったようで、バランスを崩して後ろへと重心が傾いた。
「おっと」
危ない。なんとか支えられた。
セレン嬢がダンスフロアで転ぶなど、あってはならないことだ。真面目にヤバかった。背中を冷や汗がツーッと伝うのが分かる。もちろん即座に謝ったが、なぜかセレン嬢が自分が悪いように謝り返してくるものだからお互いに謝り合うという不思議な状況になってしまった。
避けきれなかった自分が悪い、とは懐が深すぎるのではないだろうか。
「セレン! 大丈夫か」
そうこうしているうちに、金色の華々しい男が猛然と駆け寄ってきた。おお、殿下だ。
俺は一気に背筋が伸びた。
セレン嬢とのダンスが楽しすぎてうっかりしていたが、そうだ、そもそも俺は殿下たちがどう出るかを確認するためにここにいるんだった。
俺の印象では殿下はセレン嬢への興味が薄いのではないかと思っていたんだが、意外にも殿下はすっ飛んできて、「足をくじいたりはしていないか?」などとセレン嬢を心配している。
そして、静かに俺を睨むとこう言った。
「ヴィオル魔術師団長。僕の婚約者と踊るのならば、せめて足を踏まない程度の嗜みは身につけておいて欲しい。見ていてはらはらした」
「……申し訳ありません」
本当にその通りだ。殿下の言うことは尤もで、俺も謝るしかない。危うくセレン嬢を転ばせてしまうところだったし、そこはもう激しく反省だ。ていうか殿下、相当やんわりとではあるが、ちゃんと牽制してくるじゃないか。
などと考えていたら。
「殿下、これは失礼いたしました。我が友は魔術には類稀なる資質があるものの、ダンスの資質はこの通りからっきしでして」
なぜか悪友のボーデンが割って入ってきた。こいつのことだから、俺がやらかしたと思って助け船を出しに来てくれたんだろう。昔っから小さな事にも気がつく聡いヤツだった。
澄ました顔して優しいヤツだ。
「今後このような不手際がないよう、この朴念仁には私がしっかりとダンスの教育を受けさせますので」
ゲッ、と声が出そうになった。
待て待て待て。ええ? 俺、またあの地獄の特訓、受けるのか? いや、さすがに今日のはダメだったと自分でも思うが、でも、今日の失態を知ったブレーズ伯、厳しさに拍車がかかるんじゃないか……?
「ところで殿下、どうやら次の曲が始まるようです。次は私がセレン嬢の手をとってもよろしいでしょうか」
密かに震える俺にお構いなしに、ボーデンはあっという間にセレン嬢をかっ攫ってダンスフロアの向こう側へと走ってるレベルのスピードで行ってしまった。
あいつ、小器用な男だとは知っていたが、ダンスもめちゃくちゃうまいじゃないか。
面白くない。
非常~に! 面白くない!




