修行が足りなかったのです
「今までダンスなど緊張するし小難しくて面倒なだけだと思っていたんだが」
まだ笑みが残るお顔のまま、ヴィオル様が言葉を継ぐ。
「こんなに楽しく幸せな気分になるものだとは知らなかった。ありがとう、セレン嬢」
「いえ! ……わたくしも、存分に、楽しんでおりますから……!」
それだけ言うのがやっとだった。
ヴィオル様はきっと、ご自分の笑顔の破壊力をご存知ないのだわ。さっきからこんな至近距離で被弾してしまっては、平静を保つのが難し過ぎる。しかもダンスが苦手なヴィオル様に、そんなに楽しんでいただけただなんて。嬉しくて、胸が震えた。
わたくしも幸せです、ヴィオル様。
そう内心では思いつつ、わたくしは自分を叱咤する。
だとしても……ここで赤くなってはダメ!
そうだわ、ヴィオル様の顔を直視するからいけないのよ。ヴィオル様のお顔に、事あるごとにチラつく黒猫ちゃんを重ねてみれば……ああ、ダメだわ。これはこれで可愛過ぎる。
「あっ」
「きゃっ」
いきなりヴィオル様の足がわたくしの爪先を軽く踏んだものだから、バランスを崩したわたくしは後ろへとよろめいてしまう。その背をヴィオル様がしっかりと支え抱き寄せてくれて、わたくしはなんとか事なきを得た。
どうしましょう。余計なことを考えていたものだから、避けそこねてしまったわ。せっかくこのひとときを楽しんでくれていたというのに、ヴィオル様に申し訳ない。
「ご、ごめんなさい」
「いや、足を踏んだのは俺だろう。すまなかった」
「いえ、わたくしが避け損なったのです。ごめんなさ……」
気がつけば、しっかりと抱きとめられているせいで、ヴィオル様のお顔が思いの他近くにあって、わたくしは言葉を失ってしまった。
「痛くないか?」
「だ、だ、大丈夫、です。まだ体重も乗っていなかったので」
良かった。声がでた。
「結局踏んでしまったな。修行が足りなかった、すまん」
「いえ、わたくしもまだまだだと自覚いたしましたわ」
もう表情はさほど動いていないというのに、ヴィオル様の雰囲気があまりにもシュンとしているものだから、わたくしはつい笑顔になってしまう。おかげで跳ねっぱなしだった心臓もやっと落ち着いてきた。
ところでヴィオル様、わたくしもう自分で体を支えられるのですけれど。
「あの……」
「セレン! 大丈夫か」
「まぁ、ヘリオス殿下」
ヴィオル様に、もう支えなくていいと申告しようとした時、なぜかヘリオス殿下が颯爽と現れてわたくしの腕を軽く引く。その拍子にヴィオル様の腕の中から物理的に離れて、わたくしは言うべき言葉を失った。
周囲から、三度キャーッと声があがる。
令嬢達から黄色い声があがるのもうなずける。ヘリオス殿下は金の髪も相俟ってキラキラと輝く精悍なご容貌だし、ヴィオル様は髪もお召し物も漆黒で、静謐な美しさに溢れているのですもの。お二人が揃っているのをこんなに近くで見ることができるなんて、確かに眼福だわ。
「足をくじいたりはしていないか?」
「大丈夫です。わたくしがバランスを崩してしまったのですわ」
「また君はそんな……」
心配してくださるヘリオス殿下に笑ってみせたけれど、どうやら何があったのかはお見通しのようで、ヘリオス殿下は微妙な顔で眉を下げる。そしてひとつため息をつくと、静かな声でヴィオル様にこう言った。
「ヴィオル魔術師団長。僕の婚約者と踊るのならば、せめて足を踏まない程度の嗜みは身につけておいて欲しい。見ていてはらはらした」
「……申し訳ありません」
ああ、ヴィオル様、ごめんなさい。
でも、皆の前でヴィオル様を庇うのも、ヘリオス殿下にとりなすのも違う気がして、わたくしはいたたまれない気持ちでお二人を見守る。その時だった。
「殿下、これは失礼いたしました。我が友は魔術には類稀なる資質があるものの、ダンスの資質はこの通りからっきしでして」
「ボーデン宰相」
どこから現れたのか、宰相様がするりと会話に入ってきた。ちょっとヒリついていた空気が一気に弛緩した気がして、わたくしは小さく息をつく。宰相様が間に入ってくださって良かった。
「今後このような不手際がないよう、この朴念仁には私がしっかりとダンスの教育を受けさせますので」
「……ああ、頼む」
「ところで殿下、どうやら次の曲が始まるようです。次は私がセレン嬢の手をとってもよろしいでしょうか」
「無論だ。ここは社交の場だ、多くの手を取り、多くと会話を交わすことを咎める者はいないよ」
「では遠慮無く」
言うが早いか、宰相様はわたくしの手を取り、華麗なリードでぐんぐんとその場を離れていく。宰相様がこんなにダンスがお上手だなんて知らなかった。一歩のステップが大きくて、引っ張られているようなのに不思議なことに踊りにくくはない。
驚きで宰相様の顔を見上げたら、いたずら気にウインクされてしまった。
「いやぁ、気まずかったね。さっさと逃げておかないと」
「で、ですが残されたお二人の方が気まずいのでは」
「さあ、セレン嬢は私が攫ってきたし、殿下には御令嬢たちがダンスの順番待ちをしているくらいだし、大丈夫だと思うけどね。ほら、果敢なお嬢さんがもう殿下の手をとっているよ」
殿下もチラッと(^∇^)




