【マリエッタ視点】私、卑怯でイヤな子だわ
「悪かったね」
ヘリオス様の紫色の瞳が、やっと私を見てくれた。
「少し気がかりなことがあって」
そんなこと言われなくても分かってる。気がかりなことってお姉様でしょう? あの石像……氷の魔術師団長に連れ去られるようにあっという間にホールの向こうに行ってしまったもの。ヘリオス様がその方向を目の端で追っていることなんて、嫌でも分かるわ。
なんなの、あの石像。
たったひと月であんなにダンスがうまくなるだなんて。まるでヘリオス様に挑戦するような顔をしていた。お願いだから、ヘリオス様の心をこれ以上かき乱さないで。
「マリエッタとのダンスに集中するよ」
そう言ってヘリオス様はいつものように笑ってくれるけど、私、いつもみたいに笑えなかった。だって、ヘリオス様がお姉様に見惚れてうまく話すことすらできていない様子だったの、さっき私、この目で見てしまったんだもの。
これまで、誰に対しても同じ笑顔で、同じ声のトーンで、同じように紳士的で。
自分を特別に思ってくれていないこともわかっていたけど、ヘリオス様の心は誰のことも向いていないって自分を慰めることができた。
でも……今は違う。
正しいことよ。お姉様の妹としては、喜ぶべきことだって分かってる。
なのに、私の胸は張り裂けそうに痛むばかりで、その夜の夜会は楽しむことなんて到底できなかった。
***
「はぁ……」
思わずため息が出てしまった。だって明日と明後日はお姉様がいない。
先週は私が慣れていないからとずっとサロンに来てくれていたけれど、本当なら平日の4日間のうち、お姉様がサロンに来るのは前半の二日間だけ。
お姉様がいないサロンに行くのがこんなに気が重いのには訳がある。
だって、お姉様が特別だと思っていたんだもの。
子供の頃からみっちりと王妃教育を受けてきて、遊ぶ間も寝る間も惜しんでずっとずっと努力してきたから今があるってこと、私は知ってたんだもの。
お姉様が出来ることを私が出来なくても、許されていた。
お姉様はゆくゆくは王妃になる、特別な存在。だから人並み以上に努力して、人並み以上になんでもできて、私が追いつけなくたって仕方ないって思ってた。
でも、まさかリンデ様やラーディア様がこんなに砂が水を吸い込むようにサロンでなされる会話を理解し、即応できるなんて思わなかったの。
もちろんお姉様やサロンにいる他の先輩方には遠く及ばないけれど、交わされる言葉の意味すら半分くらいしか理解できない私とは天と地ほどの開きがある。
「私はもともと文官を目指していたからな。アカデミーでの学習の他に、文官として求められる知識は意図して習得しているんだ。父が教師も付けてくれたしな。できて当たり前だ」
「わたくしもリンデ様ほどではないですけれどぉ、基礎は学びましたわぁ。将来旦那様の領地経営の助けになれるよう、基礎だけは学ぶ許しがあったんですのぉ」
リンデ様はそんな風にサラリとおっしゃるし、ラーディア様には鉄壁の笑顔で返されてしまった。
続く「平民の方々はアカデミーの資料室から知識を得ておりますわぁ。わたくしも知識の大半は資料室で手に入れましたしぃ」という言葉には、暗に「自ら学ぼうとしなかっただけでしょう?」という問いが隠されているように思える。
本当にその通りだと思った。
お姉様に丁寧に教えてもらって、お父様やお母様に頼み込んで休みの日には家庭教師を入れて貰う事にしたけれど、そう簡単に皆に追いつける訳じゃない。今日だって、お姉様やヘリオス様が丁寧に教えてくれたけれど、何度も何度も言葉を変えて説明してもらって、なんとか分かる程度だった。
もう脳味噌がパンクしそう。
こんなに詰めてお勉強したのなんて初めて。お姉様はこんな事をずっと続けてきたっていうのかしら。
「お疲れ様。今日もとてもよく頑張ったわね」
家へ帰る馬車の中、優しい声に顔を上げれば、お姉様が聖母のような穏やかな笑みを浮かべて私を見ていた。
「私なんて……」
つい、そんな言葉が出てしまった。だって、お姉様みたいに頑張れない。あんな風に集中できないんだもの。
「そういえば、今日偶然ベントゥ先生にお会いしたの。家庭教師についてくださったのはベントゥ先生だったのね。昔講義をした時とは雲泥の差だって手放しで褒めていらしたわよ。とても真剣に授業を受けていて、教えがいがあると嬉しそうだったわ」
「……っ」
「まぁ、ベソなんてかいて。可愛い天使のようなお顔が台無しだわ」
幼かった頃みたいに私の手を包み髪を優しく撫でて、お姉様が私に笑いかける。
「大丈夫よ、マリエッタ。貴女はちゃんと毎日成長しているわ。焦らなくてもいいのよ」
お願い、そんな風に優しくしないで。
私、卑怯で嫌な子だわ。自分で自分が嫌になる。お姉様に優しくしてもらえる価値なんてない子なのに。
夜会の日だって今日だって、ヘリオス様がお姉様を意識して緊張してうまく話せなくなっているってわかっているのに、私、何もしていない。
私がヘリオス様に忠告すれば。
私がお姉様にヘリオス様の気持ちを伝えれば。
きっと二人は今の微妙な距離なんて一瞬で消えて、仲睦まじく笑い合えるってわかってるのに……。
でも、どうしてもできないの。
ごめんなさい、お姉様。私やっぱり、ヘリオス様が好きなの。
お顔やお姿も好きだけど、なんでもできて努力家で、完璧なように見えるのに不器用なあの方が、好きで好きでたまらないの。
お姉様が誰か別の人を好きになってくれたら私、誰のことも好きじゃないヘリオス様を全力で落として見せるって、そう思ってた。
なのに今は。
ヘリオス様がお姉様を好きだって気づいているのに、それでも私、お姉様からヘリオス様を奪ってしまいたいって、そう考えてる。ヘリオス様のぎこちない態度を、お姉様が勘違いしてくれればいい、そんなことまで願ってしまっている。
サロンでのお仕事も人一倍できないのに。こんなに優しくしてくれるお姉様と、大好きなヘリオス様の幸せすら応援できない。
自分の醜さがはっきり自覚できて、嫌で嫌でたまらない。
それでも。
私は涙が溢れるのも構わず、お姉様を見上げる。
ごめんなさい、お姉様。……それでも、私。




