魔術の世界は奥が深い
「リース様ほどではなくとも、魔術学校に通ったことがある方は、わたくしが魔術を使っていることくらいは分かる可能性があるのね」
「そうだな。言い訳は考えてあるのか?」
「わたくし、稀に寝不足でフラフラしていることがありますから……見かねて疲労回復の魔術を教えてくださったのだ、とでもお答えしようかと」
さっきリース様にとっさに言おうと思ったことを告げてみた。ヴィーは考えを巡らせるような素振りをして、わずかに頷いている。
「うーむ、ちょっと苦しいが……だがそれならば常時展開している理由をもこじつけられるな」
「やっぱり苦しい言い訳かしら」
「魔術を常時展開しているほうが疲れる上に魔力を消費しすぎて昏倒する場合もあるからな」
「えっ……」
「今日も魔力の消費が激しすぎないかを確認するために、この時間を設けたくらいだ」
知らなかった……。魔術の世界は奥が深いのね。
「だが、素人考えで常時展開したほうが効果が高いと考えた、と言い逃れができる」
したり顔でヴィーがそんな事を言うものだから、吹き出してしまった。一気に気持ちが楽になる。
「そうね。もし聞かれた場合は、ヴィオ……主様に教わったと話しても問題ないかしら?」
危ない、危ない。外に居るときにはできるだけヴィオル様のお名前を出さない方がいいのだろうと思い当たって、わたくしは呼び方を変える。ヴィーも理解したのか片目だけ開けてすぐにフン、と鼻を鳴らして目を閉じる。
「特に問題ない。むしろ公爵家のご令嬢のお体を慮って教えたという方向なら、お……主の首が飛ぶこともないだろう」
「まぁ、首なんていまどきそう簡単に飛ばないわ」
つい笑ってしまったら、ヴィーは至極真面目な表情で「こちらとしては大問題だぞ」と反論する。でも本当に、そんな心配は要らない。妃教育を受けたからこそよく分かる。
わが国は王政はしいているけれど、能力さえあれば平民でも文官や騎士、魔術師に取り立てられる。恋愛も自由恋愛が主で、婚約などという古風なことを未だに行っているのは、将来国を担うことが決定している皇太子だけというのが現状なのだ。
「この平和な国でそんな無体を働けば、身分を剥奪されるのはこちらのほうだと思うけれど」
ふーん、とヴィーが意外そうな顔をするけれど、もちろん物理的に首が飛ぶだなんてこと、この国では数百年ない。わたくしが知る限り、理不尽な理由で身分や職位を剥奪されることもなかった筈だ。
「主様のご迷惑にならないならば、お名前を出すことにいたしますね」
「ああ、好きにしろ。……それよりもその、そろそろもう、いいか?」
「? なにが?」
「いや、もう充分に癒やされたのなら、君もそろそろ戻った方がいいのではないか?」
「ああ、そう……ね。もう戻らなくては」
気が重いけれど、わたくしにも与えられた課題がいくつもある。皆も今頃案件処理に勤しんでいるだろうし、わたくしもそろそろ頑張らなければ。
「でもその前にひとつだけ……あの、わたくし時間を見つけて資料室にある魔術関連の本で自習しようと思うのだけれど、ヴィーは何か推薦できる本を知っているかしら。もし知らなければ、主様に聞いて貰えると嬉しいわ」
猫ちゃんが本を読めるとも思えない、でも使い魔だし、と思うと微妙な聞き方になってしまう。それでもヴィーはしっかりと答えてくれた。
「資料室にある本なら『初級魔術の系統と実践』『できる! 図解で分かる初級魔術の手引き』あたりがオススメだな。それと、セレン嬢の魔力なら風系統の指南書がいいだろう」
「わたくし、風属性なの?」
「今は風が一番強いな。極めていくと隣の属性の扉が開くことがあるから、鍛錬するといい」
「ありがとう、ヴィー。今日さっそく色々と本を借りて勉強してみるわ」
「頑張りすぎるなよ。ほどほどに休まないと効率が悪いからな」
これまで指導についてくださった先生方と同じような注意をされてしまった。わたくしはどうも、放っておくと無理をしすぎるように見えてしまうらしい。
「気をつけるわ」
ヴィーの言葉の中では隣の属性の扉が開く、というのが今ひとつよく分からなかったけれど、きっと紹介してくれた本をよく読んでみたら分かることなのだろう。自分の中でそう結論づけて、わたくしはベンチから立ち上がると同時にヴィーを解放する。
するりとわたくしの膝から滑り降り、ヴィーはうう~ん、と長くなってノビをした。きっとああ見えてずっと緊張していたんだろう。申し訳ないことをしてしまった。
「ありがとう、ヴィー。おかげでとても元気が出たわ」
「……ふん、結果で返してくれればそれでいい。もう行け」
つれない素振りでプイと向こうを向かれてしまったけれど、耳がピクピク動いてこちらを気にしてくれているのがわかる。
「ヴィーを紹介してくれて本当に良かったわ。主様にもよろしく伝えておいてちょうだいね!」
わたくしはそう伝えると、また小走りで今度はサロンへ向かって駆けだした。さきほどサロンから逃げ出した時よりは、本当に随分と心が軽くなっている。
ヴィーがこんなに頑張ってくれているのですもの。他にわたくしに努力できることはないかしら。
考えを巡らせながら、わたくしは小道をひとり駆けていった。