未来、来訪
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
あなたは未来の存在を、信じているかしら?
ひょっとすると、一分、一秒先には、自分の命は潰えて、未来を迎えられなくなってしまうかもしれない。
なのに私たちは、「明日もきっと生きていられる」と、これまでの積み重ねた過去から判断して、できる限り死を考えないようにしていることがしばしばある。
未来。今を生きる私たち全員がいなくなっても、あり続けるもの。それをめぐって、私も不思議な出来事に巻き込まれたことがあるわ。その時の話、聞いてみない?
私が中学生の時、科学部だったって話、したことあったっけ?
活動内容はその時々の流行りに、大いに左右されて、中学一年生の夏前は「ミステリーサークル」についてが、研究の題材に挙げられたわね。
「近隣にある、ミステリーサークルらしきものを見つけたら、即撮影! データなり写真なりを部室へ持ってくること。期限は一週間」
先生から部員全体へ、そう通達されたわ。
科学部の調査は個別に行うことが推奨される。「二人以上で同じ場所、同じ観測をされては世界が縮まる。この広い世界で、せっかく個人として生まれたのだから、自分しか得られないものを探せ」というのが、先生の考え。
私たちは放課後、各地へ散った。探索範囲を打ち合わせして、他の人とかぶらないようにね。
侵入を咎められそうな家や企業の敷地内は避けつつ、私たちはミステリーサークルを探させてもらったのよ。
そして調査最終日の早朝。今日の部活で提出となるミステリーサークルを、私はまだ確保していなかった。言い訳したくはないけど、それらしいものが全然なくって。
普通の場所じゃダメだと、近くの神社の縁の下へ、デジカメ片手に潜りこんだのよ。
するとね、爪の先にも満たないようなアリたちが、わらわらと集まっている箇所があったわ。「甘いものでも垂らしたのかな?」と思いつつも、私は指で彼らを押しのけていく。
去っていく彼らの後に残ったのは、あのアリたちのあごに抱えられるほどの大きさをした、色とりどりの小石たちがなす楕円形の並び。その輪郭は整っているとは言い難く、離れて見ると、できの悪い軟体生物の肉体みたいだった。
これは好都合。下手に整っているよりも、ずっと奇妙な感じを醸し出している。
嬉々として撮影した私は、そのデータを学校へ持って行ったわ。
そして部活。各々の収穫が全員の前でさらされた。
私以外の写真は、どれも大仰なサークルばかり。明らかに石灰を使って描いた、地上絵のようなものも混じっている。
「あ、見つからなくて、自分ででっちあげたな、これ」と、一目で判断できてしまう代物。提出した当人は顔を赤くしていたっけ。
そのうち、私が出したものの順番がくる。部員たちもじっと見ていたけれど、取り分け先生の視線が鋭い。あまりの釘付けっぷりに「なんか、まずいものを出しちゃったかなあ」と不安が首をもたげだした時、唐突に先生が告げたわ。
「君、今日の夜、理科室へ来てくれ。入れるように手配をしておく。なんなら親御さんへの連絡もしよう」
――あちゃあ、やっちゃったぞお。
私は周囲からの視線を浴びながら、冷や汗ものだったわ。
その日の晩。先生が買ってきた夕食を食べた私は、先生の指示で理科室のベランダに置いてあるプランターから、草をむしっていたわ。どれも見覚えがあるようでないような、不思議な形をしていた。
先生が用意した小さい中華鍋に草たちを入れると、黒板に向かって最前列、窓際の席へ座るよう促される。向かい合って座った先生と私の間の机の上に、鍋が置かれたわ。もう日が暮れるのに、教室には明かりをつけない。
何をするのか尋ねると、先生は一言。
「もうじき『未来』が来るから、その対策さ」
先生は懐からマッチを取り出し、一本に火をつけると、鍋の中へ投げ込んだ。先ほど摘んだばかりで水気を含んでいるはずなのに、草の山はあっという間に火に包まれたの。
吐き出される煙の量が多い。閉め切っていた室内は、たちまち白い幕の中へと隠されてしまい、私は慌てたわ。
練炭による自殺。話に聞いたそれに、よく似た状態だったものだから。
――冗談じゃない! やってくる未来が、「死」だなんて!
私は立ち上がろうとして、先生にぐっと腕を掴まれる。
「動けとは言わなかったぞ」
反論しようとして開いた口の中へ煙が滑り込み、咳が止まらなくなってしまう私。
結局、席へ無理やりつけさせられる。もう、目の前の先生以外は、煙に隠されてしまってよく見えなくなっていた。
先生は「静かに」とばかりに、右手の人差し指を立てて口の前へ。なおも私が暴れようとすると、掴んでいる腕を、潰さんばかりにぎゅっと握り込んでくる。
もう半泣き状態の私。次第に手足の先がしびれてきたわ。
「もう動くな。しゃべるな。『未来』が来る」
先生はその言葉と共に、すっと目を細くしつつ、ぴたりと固まってしまったの。
全身へ回ってくるしびれ。嫌な感覚を耐え続ける私の耳に、理科室の外から「ぺたん、ぺたん」と、粘り気を帯びた足音が聞こえてきたの。
ほどなく、部屋中を満たしていた煙が晴れてきて、私は息を呑んだわ。
私たちの接する付近をのぞいた、理科室の机や椅子、薬品棚もろもろ。それらがすっかり崩れて破片の山となり、床の上にうずたかく積もっていたの。
なのに、入り口のドアとその向こうに広がる校舎の内部は、先ほどと変わらない。その奇妙な光景を遮るように、突然、ドアの前へ立った影があったわ。
ガスマスク、黒い防弾ジャケットらしきものとズボンで、全身を黒一色に染めた人物。
映画とかで見る特殊部隊の格好に似ていたけど、その両手に抱えていたのはアサルトライフルじゃない。右手に金属製のスプーンを、左手に小さめのビーカーを手にしていたの。
あの「ぺたん、ぺたん」という音を響かせつつ、マスクの人物はゴミの山となった理科室に入り込んでくる。
まばたきもできない私の目の前まで来た、マスクの人影。まず先生の身体をぺたぺたと触り出し、その顔をしばらくのぞき込んだ後、今度は私へ顔を向けてきた。
口が開いたならば悲鳴をあげていたと思う。ガスマスクの両目の中には、拡大したトンボの複眼を思わせる、いくつもの区切りとふくらみが見受けられたのよ。
マスクの人影は、先生にしたように私の身体にも遠慮なく触ってくる。ただ、くすぐったさは皆無で、触れられている感覚がほんの少しあるだけ。
そしてあの複眼マスクをつけた顔を、近づけてくる人影。気味が悪いことこの上なかったけど、これで顔が離れれば終わりのはず。
でも、私の場合はまだ続きがあった。
人影が手にしたスプーンを、私の頬へくっつけてきたかと思うと、少し手元をひねったわ。
とたん、歯医者さんで使われるドリル。あれによく似た音と衝撃が、スプーンの先で炸裂したの。ほんの三秒ほどだったけど、驚いたのなんのって。
離されたスプーンの先には、白い粉らしきものが乗っかっていて、それをマスクの人影は持っているビーカーの底へこすりつけていく。
それが終わると相手は背を向け、ドアへ向かって歩きだす。けれど、その姿が完全に部屋の外へ出てしまう前に、またどこからともなく煙が湧いてきて、視界を満たしていき……。
次に目の前が晴れると、理科室は元の見慣れた状態へ戻っていた。
身体は動かせるし声も出せたけど、悲鳴はあげられなかったわ。すでに姿は無くなっていたけど、あのガスマスクの人影が戻ってきそうな気がしたから。
ややあって、先生も細めていた目を開く。「何ともなかったかい?」とのんきに尋ねてくる先生に、ちょっとカチンと来た私は、あのガスマスクの人影にされたことを告げたわ。
先生は部屋の明かりをつけ、手鏡を用意してくれた。私はそれでこすられたと思しき箇所を映したけど、もともとあったにきびがいくつか浮かんでいるだけだったの。
私が不審げに頬を触っていると、「もし、今夜ここにいなかったら、君は連れ去られていたかもしれない」と、先生は告げてきたわ。
あくまで聞いた話に過ぎないと前置いてから、先生は、あのガスマスクの人影は「未来」からやってきたものだ、と話してくれたわ。先生は小さい頃から、当時の大人たちと一緒に、何回も体験してきたみたい。
私が見つけたミステリーサークル。あの形と色合いは、遠い未来と今をつなぐゲートの役割を果たすらしいの。
ただ、歴史の遡行は未来においても非常に難しいこと。あのサークルに近づいた生命体の残滓を追いかける道筋でしか、彼らはこの時代にいられないとか。
彼らは時代同士の結びつきを確かなものとするべく、サンプルを探している。できうるならば大型で、生きている身体そのものを持って帰ろうとね。
それを防ぐのが、先生の焚いたあの煙。あれに巻かれた状態で動きを止めていると、ほんのわずかな間だけ、一気に時間が加速するんですって。
備品たちはゴミの山に。私たちは「化石」になってしまうほどの、途方もない時間がいっぺんにね。そしてそれは、大型の生命体を欲する彼らの目論見を崩すことになる。
「彼らに、完全に時間を掌握させてはいけない。先生は大人たちにそう聞かされたんだ。
もしそうなれば、この瞬間にも私たちは彼らの手によって、歴史から存在を消されてしまうかもしれないから」
今回、君からはわずかに皮脂を取っただけ。大して研究は進むまい、と先生は語ったわ。
にわかには信じられないことだったけど、あの足音は今でも耳に残っている。例の煙の焚き方は先生に教わったけど、「『未来』がやってくる時でなければ、ただの焚き火に過ぎない。まずはあのサークルを探してからにしなさい」と言われたわね。
先生の話では、かのサークルを見つけると、それから24時間以内の晩に彼らは現れる。そして、サークルに近づいてきた者に追いつくまで、帰ることはないんですって。
私が発見したサークル、その日の帰りに確認したんだけど、跡形もなくなっていたわ。