眠る動物たち
善は急げって、誰が初めに言い出したのかしらね。私たちはあれからすぐに、オンボロ橋へ向かった。幸いにもまだ深夜にもなっていないので、光の来る方へ向かうことは、そう難しくない。
オンボロ橋に片足だけを乗せ、ゆっくりと体重をかける。きい……と音を立てて軋み、あたしは慌てて元いた岸に引っ込んだ。
腐りかけた木の踏み板は隙間だらけで、あたしの体くらい簡単に落ちてしまう。空いた空間から下を覗くと、凄まじい勢いで流れる水があちこちで砕け、白いしぶきを上げているのが見えた。あたしは泳げないわけではないんだけれど、この流れに落ちたら命はないだろう。
ぞっとして尻尾を丸める。あちこち腐ってシロアリのごはんと化した橋は、踏み場所を誤れば、あたしの体重でも崩れ落ちてしまうかもしれない。一歩一歩、慎重に進まなければ。
「……大丈夫?」
しゅるしゅると、心配そうな顔をしたヘビちゃんがあたしの顔を覗き込む。
「ヘビちゃん……」
「無理はしなくていいんだよ。落ちちゃったら大変だもん」
「ありがと。でも平気よ。ダイエットした甲斐があったわ」
「えぇ……、リスちゃんはそれ以上痩せちゃダメだよぅ」
あたしはヘビちゃんと笑いあう。少し緊張がほぐれた気がした。
「よぉしっ!」
あたしは前足で頰を張った。ペチペチと音がして、あたしの覚悟も固まった。
そろりとオンボロ橋に踏み込む。前足、後ろ足。とうとう尻尾が岸から離れた。少しずつ、しかし確実に進んでいく。ここまできてしまったら、もうあとは進むしかない。それに橋を渡っている最中に光に触れて気を失っては困るから、あまりのんびりもしていられない。
後ろから仲間たちが応援する声が聞こえる。
あたしはその言葉に背中を押され、恐怖をどこかに追いやった。
「リスさん、頑張って。何かあったら僕が支えて飛んであげるから」
コマドリちゃんがあたしと並走して飛んでいた。反対側からはダイゴが飛んでくる。
「大丈夫だよ。ほら、もう向こう岸が見えてきた」
顔を上げると、ダイゴの言葉通り、もう岸はすぐそこだった。あたしはずっと足元ばっかり見ていたから気づかなかったけど、実はもうかなり進んでたみたい。
ようやく向こう岸に着くと、あたしはその場に崩れるように倒れこんだ。橋を渡っていた時間はとっても短かったはずなのに、私は全身汗だくで、荒い息を吐いていた。向こう岸のみんなが手を振っている。
「勇敢なレディ、格好良かったよ」
「お疲れ様、リスちゃん」
コマドリちゃんが私に翼を差し出してくれた。私は前足で彼の翼を掴み、立ち上がる。
「でも……ここからが、本番よね」
あたしは向こう岸に残った仲間たちに手を振り返し、生い茂る深い木々を見上げた。向こう岸と同じ森とは思えないくらい、暗い。
「僕がついてる」
「俺もね」
「そしてあなたちには、あたしがついてる」
光は、森の奥から飛んでくる。あの向こうにきっと、アライグマちゃんがいるのね。
「行きましょう」
暗い森に足を踏み入れる。恐怖と仲間を携えて。大丈夫。きっと大丈夫。何度も何度も、自分自身に言い聞かせた。
月の光すら届かない、薄暗い森。あたしはちらっと後ろを振り返った。橋の向こうに残った仲間たちのいる場所が、ぼんやり光って見える。
ああいやだ。帰りたい。あっちにあたしも帰りたい。唐突に湧き上がった感情に従いかけた時、ダイゴが口を開いた。
「アライグマくんってのは、どんな子なんだい?」
その声があたしをぎりぎりのところで踏みとどまらせた。
「アライグマちゃんは……一言で言うと、そうね。ガキ大将みたいな子かな」
「ガキ大将! 言い得て妙だな」
「でしょ? なんだかね、乱暴者って言葉だけだと、伝わりきらない気がするの」
「まあ、あいつがただの乱暴者なら、僕たちもこれほど必死に探したりしなかったよ」
「あはは、そうね」
笑い合うあたしたちを、ダイゴは目を細めて眺めていた。
「……見つけようね、アライグマくん」
「もちろんよ」
「そのために来たからな!」
光の数が増えていく。発生源に近づいている証拠だ。あたしとコマドリちゃんは、近づいてくる光から逃げながら進む。幸いにも、あたしたちと相性のいい記憶はなかったみたいで、光に追われる事態にはならなかった。
やがて光は、低木の茂みの中に吸い込まれていった。頭からそこに突っ込むのは勇気がいるけれど、オンボロ橋を渡りきって、森の南半分を探検しているあたしたちに、もう怖いものなどない。
鬼が出るか蛇が出るか。立ち向かってやろうじゃない!
「…………? リスちゃん、尻尾の毛が逆立ってるよ。それにゆらゆら揺れてる。どうかしたの?」
ダイゴが余計なことを言う。
「! リスさん、やっぱり怖いの?」
ええ、はい。そうです。尻尾の毛が逆立って揺れてるのは、シマリスにとって最大限の警戒の証です。もうっ。
「大丈夫だったら! 足は引っ張らないから!」
あたしは半ばやけくそになって、茂みの中に飛び込んだ。後になって考えてみると、偵察もせずに飛び込むなんて、とんでもなく愚かな行為よね。反省してるわ。ちょっとだけね。
あたしは半ばやけくそで、ガサガサと音を立てて茂みをかき分けた。やがて視界が唐突に開く。眩しくて目を細めた。
そこにはたくさんの光があった。昼間でもないのにこれほど明るいのはそのせいだ。そして驚くべきことに。
「おいっ、あんたら、大丈夫か!」
コマドリちゃんが倒れ臥す動物たちに駆け寄って、ゆり起こす。コマドリちゃんの体の大きさだと、突くくらいが正しい表現だけれども。
コマドリちゃんが突っついているのは、体の大きなスナドリネコだ。スナドリネコは体を丸め、ピクリとも動かない。
ダイゴがスナドリネコに駆け寄って、その顔に前足を近づけた。
「呼吸はしてる」
「じゃあ、寝てるだけか?」
「たぶんね。俺は獣医師じゃないから、はっきりとは言えないけど」
確かにスナドリネコは、気持ちよさそうにスヤスヤと寝息を立てている。けれど、ちょっと待って。
「いくら何でも、おかしくない? ここにいるみんな、寝てるだけってこと?」
あたしの言葉に、ダイゴは渋面を貼り付けた。そして辺りを見回す。
「……おかしい、よね。やっぱり」
この広場には、たくさんの、本当にたくさんの動物たちが眠っていた。
ここにはスナドリネコ。あっちにはトカゲ。こっちにはクジャク。向こうにはタヌキ。それはもう、本当にたっくさん。
そりゃあ、この森にはたくさんの動物が住んでいる。でも、みんなそれぞれお家を持ってて、広場で眠ってしまう動物なんてほとんどいない。
大体が木のうろとか、穴の中とか、洞窟とかにお家があるから、夜の森は静かなものよ。一見すると誰もいないみたいにも見える。それを踏まえると、この光景がいかに奇妙なものなのか、わかってもらえると思うわ。
コマドリちゃんが何匹かの様子を確認し、本当に眠っているだけだと断言した。納得はできないけれど、ひとまず危険はないと考えるしかない。
光は、森のもっとずっと奥からやってきている。
「今はとにかく、先に進もう」
あたしたちは眠っている動物たちを避けながら先に進んだ。といっても、そんなに難しいことじゃない。コマドリちゃんとダイゴはそもそも飛んでいるし、あたしサイズの動物の足の踏み場がないほど、この場所がごった返しているわけでもない。
きょろきょろと辺りを油断なく見回すあたしに、コマドリちゃんが囁いた。
「何考えてるか、当てて見せようか」
「あら、あたしの考えがわかるの?」
「可愛いリスさんの考えてることくらい、わかるさ。
この中にアライグマがいないか、探してる」
「……今の所、いないわ」
そっけなく答えるあたしに、コマドリちゃんは笑いを含んだ声で、
「右は僕が見る。リスさんは左だけ見てくれればいいよ。
ダイゴ! 先導は任せる」
「オーケー。任せてよ」
順を入れ替え、先頭にダイゴが立った。あたしとコマドリちゃんは、目を皿にしてアライグマちゃんを探した。時折、「いた?」「いない」の会話だけが繰り返される。
どれほどそうして歩いただろうか。神経を削る行軍は、地味に、でも確実に私たちの体力を奪う。額に浮かんだ汗をぬぐって、空を見上げた。あまり時間が経ってしまったら、今度はダイゴが動けなくなってしまう。
「気づかなかったけど……ずいぶんと、虹に近づいてたのね」
あたしの言葉に、二匹もつられて空を見上げた。逆さ虹はかつてないほど大きく見える。近づいている証拠だ。
「近づいてるっていうレベルじゃないな、これ。たぶんもう、すぐそこじゃないか」
「虹の麓……本当に辿り着けるものなのか。お伽噺みたいだね。
さらに驚くべきことに、光は虹の麓の方からやってきているよ」
あたしたちはしばらくの間、見惚れたように虹を見上げていた。ここまで近づくと、虹の上空に例の光がたくさん散らばっていて、虹を滑り降りるようにして、その光が下降しているのが理解できた。あれは、星の光じゃなかったのね。
コマドリちゃんにも同じものが見えたみたいで、呆けたように呟いていた。
「逆さ虹が、光を集めている……?」
「そう見えるわね」
「なんで?」
「……さあ」
あたしは肩をすくめた。さっきから考えているが、ちっともわからない。
「考えても仕方ない。とにかく、虹の麓まで行ってみよう。どうせ、光の発生源に行こうとしてたんだから、同じことだよ」
ダイゴがそう言って、再び進み始めた。
それからほどなく、あたしたちは虹の麓にたどり着いた。そこは池だった。とってもきれいな水をたたえた池。
ドングリ池だ。あたしは唐突に、そう確信した。
あたしはパシャパシャと音を立て、水の中に入った。それから尻尾の中にしまいこんでいた大事なドングリを全部取り出して、水の中に放り込んだ。
お願い、お願い。アライグマちゃんに会わせて。
ぎゅうっと目を閉じて、一心に祈った。だってここはドングリ池。願いの叶う池。さあ、噂通りの力があるなら、あたしたちを助けてよ。
「リスさん!」
切羽詰まったコマドリちゃんの叫び声がして、あたしは目を開けた。コマドリちゃんは翼で池の中央を示している。
「あそこ! アライグマじゃないか!」
あたしは弾かれたように振り返り、池の中央を見た。そこにはアライグマが二匹、光を吸い込んでいた。