行方不明のアライグマちゃん
それから数日、逆さ虹の森にアライグマちゃんの姿は見られなかった。最初の何日かは、あたしたちもそれほど心配しなかった。
そもそもこの森から、あたしたちは出られない。逆さ虹の森は、ちょうど鳥の卵みたいな形をしている。その卵の周りをぐるりと囲うようにして、根っこ広場と呼ばれる鬱蒼とした空間が広がっている。北に行っても、西も東もそうなのだ。
あたしたちが根っこ広場に近づくと、地面から大きくせりだした根っこが、あたしたちを捕まえる。そして逆さ虹の森に逆戻りさせるのだ。嘘だと思うなら行って試してみるといい。あたしも何年か前に試してみたけれど、全然だめだったんだから。
南だけは、話が別だ。この卵型の森には、東西に大きな川が流れていて、その川が森を二分している。森の南半分に行くには、吊橋を渡らなきゃいけないんだけど、この橋がちょっと、曲者なのよね。
とにかく、この森に住む動物は、この森から出られない。それは紛れもない真実だ。なのにアライグマちゃんはいなくなった。これはとっても、おかしなことだった。
そこであたしたちはいつもの広場に集まって、アライグマちゃんの行方について相談することにした。
全員が輪になって座り込むと、進行役のキツネちゃんが咳払いをした。全員の視線が集まる。
「みんな、集まってくれてありがとう。もうとっくに知っていると思うけれど、念のために確認するよ。
……アライグマくんが、姿を消した」
皆知っていることだったけれど、改めて言葉にすると、なんだか恐ろしさが増したみたいで、身震いした。クマちゃんなんか、体が大きい分ブルブルも大きくて、隣に座ったあたしは地面からちょっと浮いたほどだ。
キツネちゃんは珍しくも怖い顔で、全員を見やる。
「僕がアライグマくんを見たのは、あの日……彼が『森を出て行ってやる』と叫んだ時以来だ。誰か、その後で彼に会った動物はいるかい?」
あたしたちは無言のまま首を振った。ヘビちゃんが悲しそうにうつむきながら、ぽつりとこぼす。あのヘビちゃんが、抱えたリンゴをかじってもいないなんて、よほど悩んでいるのだろう。
「あのとき、私たちが追いかけてれば、アライグマくんは、今ここにいたのかなあ」
「だめよ、ヘビちゃん。自分を責めないで。あのときは誰も動けなかったんだから」
あたしだって、動けなかった。ヘビちゃんだけの責任ではないのだ。
「でも……」ヘビちゃんがブルーベリーみたいな瞳から、ポロポロ涙をこぼす。「私、アライグマくんに噛みついちゃった。きっと痛かったよね。もしかして私のせいで、アライグマくん、どこかに行っちゃったのかなぁ」
ちちち……、と綺麗な声でコマドリちゃんがさえずる。
「それは違うよ、優しいレディ。アライグマは、そのかわいい牙で噛んだ程度で逃げ出すような、男気のない奴じゃない。だろ?」
「でも、じゃあ、どうして?」
ヘビちゃんの問いに、誰も返す答えを持たない。そのとき、控えめにクマちゃんが前足を挙げた。
「あの……。いなくなったのもおかしいけれど、あの日のアライグマくん、なんだか変じゃなかったかなあ?」
クマちゃんの言葉に、あたしはすぐに同意した。
「あたしもそう思うわ。普段なら、彼は乱暴な言葉で話しはしても、暴力なんか絶対に振るわないもの」
「そうだよね、確かに変だった。……どうしてだろう? 何かあったのかな?」
「わからないけど……」クマちゃんが遠慮がちに言う。「嫌な話を、聞いたことがあるよ」
「嫌な話?」
目を見開くあたしに、クマちゃんは小さく頷いた。
「この森は、たまに……本当にたまに、動物がいなくなるんだって」
しーんと、空気が凍りついた。キツネちゃんが慌てて聞いた。
「その動物が、どうなったのかわかる?」
クマちゃんは俯いたまま、「わからない」と消え入りそうな声で答えた。
「ほ、他に何か、アライグマくんについてか、もしくは、この森について知ってる子はいない? 一見関係のない噂話でも、もしかしたら真実につながるかもしれない」
取り繕うように、キツネちゃんが言った。
噂でいいなら、とヘビちゃんが口を開く。
「ドングリ池の噂を、聞いたことがあるよ。とっても綺麗な池でね、ドングリを投げ入れて願い事をすると、叶うんだって」
ドングリという素敵な言葉に、あたしの耳がピクリと動いた。
「それ、本当かしら?」
「さあ。試そうにも、どこにあるのかもわからないから……」
「でももしかしたら、アライグマの奴、ドングリ池を見つけて、森を出るという願いを叶えたのかもしれないぞ」
コマドリちゃんの言葉に、あたしたちはぎょっとした。それじゃあ、アライグマちゃんは、もう森を出てしまっているってこと? 仲直りもしていないのに!
「そんな顔をしないで、リスさん。綺麗な君には笑顔が似合うよ」
「でも」
「大丈夫。もしそうなら、僕たちもアライグマみたいにドングリ池を見つけて、願い事をすればいいのさ。アライグマを見つけてくれってね」
「そう、そうよね!」
「あ、あの。一つ、いいかなあ?」
盛り上がるあたしとコマドリちゃんに待ったをかけたのは、クマちゃんだ。
「あのね、僕も、アライグマくんには戻って欲しいよ。でも、その上でなんだけどね。……ドングリ池を見つけてまでこの森を出たがったアライグマくんを、ここに連れ戻すのは、かわいそうなんじゃないかなって」
「あっ」
誰かの口から声が漏れた。もしかしたらあたしだったかも。でも、そうだ。あたしは自分たちの都合ばかり気にして、アライグマちゃんのことを考えていなかった。
それを指摘したクマちゃんは、今にも泣きそうな顔だ。その頭を、キツネちゃんが優しく撫でる。
「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。少なくとも俺は、アライグマくんと喧嘩したまま離れるのは、嫌だな」
「それは、もちろん、僕だって」
「なら、探し出して、仲直りしよう。それからちゃんと話をしよう。それでもアライグマくんが森を出たいというのなら、俺たちで送り出してあげようよ」
「そっか、うん。そうだ、そうだね!」
笑顔の戻ったクマちゃんに、キツネちゃんも笑顔を向けた。
「他に何か、知ってることがある子はいる?」
今度はコマドリちゃんが翼を挙げた。
「この森にはさ、夜間外出禁止令があるだろ?」
あたしたちは頷いた。逆さ虹の森は、日が沈むと皆それぞれの家に帰る。そして日が昇るまで眠る。夜の間は、決して外に出てはいけない。でないと、怖いお化けに食べられてしまうのだそうだ。
もちろん、誰も彼もがそれを信じているわけではない。けれど慣習として、皆がそれを守っている。そもそも夜は暗いし眠たいから、わざわざ起きようとする動物などいない、というのが本音だ。
「そのお化けを、森の西で見たって奴がいた」
ひいっとクマちゃんが悲鳴をあげた。
「あ、いや。あくまで噂、噂だから」
「ねえ、その子はお化けを夜に見たの?」
あたしの問いに、コマドリちゃんはかぶりを振った。
「いや。夕方らしいよ」
「昼間っから、お化け?」
「暗い夜に見たってよりは、信憑性があるだろう? この森は真っ暗だからね。夜じゃろくに見えもしない」
「そうかもしれないけれど」
あ、とキツネちゃんが前足を合わせた。
「夜の話なら、俺も聞いたことあるな。お化けの話じゃないけど。
なんでも、すごい数の蛍が飛び交うんだって」
「へえ、女の子を誘って見てみたいな」
「でもその子、蛍を見た直後に寝ちゃったらしくて、いまいち信憑性に欠けるんだ。もしかしたら夢だったのかも」
「なんだ、ガセか」
「そうがっかりしないでよ、コマドリくん」
「ごめんごめん」
「さて、他に何か、知ってることはある?」
でもそこで、またみんな黙ってしまった。結局、関係がありそうな話はほとんどなかった。強いて言えば、あるかないかもわからないドングリ池だけ。不安げな、暗い空気を一掃するように、コマドリちゃんが(多分わざと)明るい声で言った。
「よし、一度話をまとめよう」
一、森から出られないはずのアライグマが、姿を消した。
二、姿を消す直前、アライグマの様子は明らかにおかしかった。
三、逆さ虹の森では時々、動物が姿を消す。
四、アライグマはドングリ池で願い事を叶えた?
五、夜に出歩くとお化けがやってくる? (日中に目撃例あり)
六、夜、森には蛍が飛び交う?
「こんなところか」
「ありがとう、コマドリくん。
……さて。じゃあ情報も集まったところで、これを踏まえて、どこに、どうして、どうやってアライグマくんが消えたのか、考えてみよう。きっと彼を見つけるのに、役に立つはずだから」
「うーん」
しかしどれほど頭をひねっても、小さなアイディア一つ出てこなかった。あたしは頭を抱えて、呻いた。
「だめだわ。これじゃラチがあかない。一つずつ考えましょ。
まず、そうね。どうしてアライグマちゃんの様子がおかしかったのか」
それがわかれば、アライグマちゃんがこの森を出たがった理由がわかるかもしれない。
「悪いものを食べた、とかかなあ?」
とヘビちゃんが言う。なるほど、彼女が言うと説得力が違う。
「私、二年くらい前に変なキノコ食べて、二、三日笑いが止まらなかったことがあるんだぁ」
まさか実話だったとは。説得力がさらに増した。




