七十 初仕事2
お店に着いたのは、アルトアカフェのオープン時間の、約三十分ほど前だった。
着替えて軽く打ち合わせをするには丁度良い頃合いだろう。
カフェの扉を押し開けるて中に入ると、多種多様な珈琲豆の芳しい香りが広がった。
一周年パーティーの準備は着々と進んでいるようだ。
「「おはようございます!」」
僕とグレンはカウンターの中で作業に追われるガミエさんに、声を合わせて挨拶をした。
「あ、あぁ、おはよう。今君達のエプロンを持ってくるから、少し待って貰えるかな?」
「はい」
それぞれ臙脂色のエプロンを受け取ると早速身に付けた。
僕の物はAラインタイプのエプロンで、グレンのソムリエエプロンに胸当てがついた様な形だ。
むぅ。グレンが身に付けたエプロンの方が格好良い。
と言うか、このAラインのエプロンは……まぁ、些細な事だし、いいか。
ガミエさんはばたばたと小走りで動き回っている。
どうも忙しそうだ。何かあったのだろうか。
「えと、何かお手伝い出来る事はありますか?」
「あ、助かるよ。此処にあるダスターでテーブルを拭いて貰っても良いかな?」
ちなみにダスターとは端的に言うと台布巾の事である。
二人で手分けをして、程よく湿らせたダスターでカウンターとテーブルを拭いていく。
先日はあまり気にしていなかったが、木目の暗い色をしたテーブルは、開業して一年だからかまだまだ綺麗だ。
「いや、悪いね。息子が手伝ってくれると言うから私も気を抜いていたよ」
「息子さん……冒険者の、ですよね」
「あぁ、昨日まで外に出ていたみたいだから、今日は寝坊だろうな」
「疲れているんですね」
「多分ね。自分の準備に手一杯で想像出来ないんだから、私はまだまだだね」
ガミエさんは幾分か余裕が出て来たのか、顔を緩ませる。
その手は喋りながらもテキパキと用意をしているが。
「え?」
ガミエさんが取り出した珈琲豆の入った茶色の紙袋に、目が釘付けになった。
ラベルには『カル・ムスク』と書いてある。
「ガ、ガミエさん、カル・ムスクって、あのカル・ムスクですか?」
「出た、珈琲オタク……」
グレンが茶々を入れてくるが、それどころではないのだよ。
ガミエさんは僕の言葉に目を細めた。
「おや、ご存知かな?」
「多分、珈琲が好きなら名前くらいは聞いた事があります」
カル・ムスクは国内有数の高山地帯で採れる、希少な珈琲豆だ。
ムスクウィレルという魔物の主食で、その魔物が巣穴で珈琲豆の世話をして育てているので流通量が少ないのだ。
だから普通には殆ど手に入れる事は出来ないし、その値段もかなりの物になる。
なにしろ、ムスクウィレルの生息する山は過酷な自然環境の上に魔物も多い。
ムスクウィレル自体は体長一メートルほど。
山の魔物の中では弱い方だが、普通の魔物とは違って魔法を使うし、周りに生息する魔物達はかなりの強さだという。
それ故に、探索にはランク7のパーティーが推奨されている。
──ちなみに、ムスクウィレルは保護指定にされていて、止むを得ない場合以外は狩ると罰則があり、素材の買取をして貰うにも制約が入る。
「うーん、これはいつも来てくれるお客様に振る舞おうと思っているんだが、後で飲んでみるかい?」
「えっ、いいんですか!?」
とと、つい声を荒げてしまった。
一杯の値段は安い店でも1000Cから、高い店になると2000Cと、かなり高い。
そしてそれ以上に希少で、入荷しているタイミングに店に行かなければならない。
学生が飲むにはとても贅沢な物だ。
「って、一周年記念でお客様の為に用意したんですよね?
僕が頂くわけにはいきません」
「好きな人に飲んで貰うのがいいからね。これも何かの縁だ、遠慮しなくて良いんだよ」
「そう、ですか?じゃあ、もしも良かったら是非」
「じゃあ俺も」
「グレンには一口分けて上げるから」
苦いのが得意ではないくせに、人が美味しく飲んでいるのを見ると欲しがるのだ。
子供かよ。
……あ、僕もグレンも成人前だったわ……。




