五十二 懐郷
街を吹き抜ける風も暖かくなって、昼食を取った後の授業では、ユラユラと船を漕ぐ生徒も出ている。
相手がまだ小さな子供という事もあってか少し微睡むくらいなら先生も見逃してくれるようだ。
本日の授業が全て終わり、僕は荷物を纏めてネヴィスの方に振り返った。
彼女はぼーっとしていて、心ここに在らず、といった様子で窓の外を眺めていた。
そう言えば、いつも授業中はわたわたと落ち着かないネヴィスが、今日は大人しかったなぁ。
「ネヴィス、帰らないの?」
いつもなら学校が終わるとさっさと──しかも勉強道具は教室に置いたまま──荷物を持って、早く教室を出ようと急かすのに、声を掛けても反応がない。
顔の目の前で手の平をヒラヒラとさせると、漸く覗き込む此方に気付いたようだった。
「あ──どうしたの?」
「もう、放課後だよ」
「え?」
ネヴィスはきょろきょろと疎らになった席と教室を出て行く生徒を見て、少し驚いているようだ。
「なにか、辛い事でも、あった?」
「ん……ううん、辛いというか……。
えと、今朝、パパとママの夢を見たの」
あぁ、なるほど。
「学校はね、楽しいの。
最初は不安だったけど友達も出来たし」
「うん」
「でも、ね……やっぱり、寂しいよぅ」
目尻に溜まった涙が、ぽろぽろと頰を伝って溢れていった。
そりゃ、そうだよな……。六歳だったらまだ両親に甘えたい盛りだろうに。
最近寮の中でもどことなく陰を感じる生徒を見るのは、ホームシックに掛かっていたからなのか。
そんな簡単な事にも気付けないなんて、まだまだ鈍いなぁ。
「そう。もうずっと会えていないから寂しいよね」
「うん……」
「ネヴィスはパパとママの事が大好きなんだね」
「うん、でも」
「うん?」
「パパも、ママも、学校でお勉強を頑張りなさいって。
あたしは側に居たかったのに……二人共、あたしが嫌いになっちゃったのかな……」
そう呟くと、俯いて更にぐずぐずとしゃくり上げながら涙を流した。
普通に考えれば嫌いな娘をわざわざ国立の学校に入れて通わせるなんて有り得ないのだけれども、不安に駆られている今だと、そんな事は思えないのだろう。
「ネヴィスは、ネヴィスの事をパパとママが嫌いだから学校に入れたって、本当にそう思うの?」
「え?」
出来るだけ和かな笑顔で、目を合わせて、ネヴィスが考えを巡らせるまで黙って待つ。
たっぷりと一分は考えた後に、ネヴィスはゆっくりと首を横に振った。
「……思わない」
「どうして?」
「パパもママも、あたしを学校に入れるために、凄く忙しそうだった」
「そうだね、僕もそう思う。パパとママは、ネヴィスの事が大好きなんだよ」
「……うん」
「だから──勉強を頑張って良いところを、見せないとね」
「う、ん?……うぇー」
ネヴィスは頷きかけて、すげー嫌そうに顔を顰めた。
ふぅむ、騙されないか。残念。まぁ泣き止んだから良しとしよう。
「ね、ミアンは?」
「ん?」
「ミアンはお家が恋しくなったりしないの?」
「──そ、れは」
ネヴィスが先ほどしていたように、窓の外へと視線を向けた。夏に近付いて、日が長くはなってきたとは言え、じきに夕方になる。
空には少し、赤みが多く混じってきているように見える。
窓の下に広がる校庭には生徒達が行き交い、スポーツや、武術に打ち込む子供も居た。
その様が、僕の記憶の底にある、いつかの放課後に、少し似ている気がして……。
「少し、帰りたくなる時も、あるよ」
「……ミアン?」
「あ、いや」
ちょっと語感がおかしかったのか、ネヴィスは不思議そうな顔で僕を見ていた。
いけない、いけない。
軽く頭を振ると、懐郷の念を心の奥底へと優しく沈めた。
過去にばっかり囚われていたら、前には進めなくなってしまう。
「早く父様と母様に会いたいな」
「そう。やっぱりミアンでもそう思うよね」
「あはは、そりゃそうだよ」
「なんかあたしだけじゃないんだって、少し安心した」
そう言って、ネヴィスは笑顔を見せた。
陰は残っているけれど、目の前の穏やかな微笑みを見る限り、ちょっとは力になれたのかな。
「よし、帰ろうか」
「うん!」




