闇を繋いだホウキボシ
透明で頑丈なドームにより、世界は完全に隔離されている。ミクロの薄さを誇る天幕を包むその天使の羽衣は、しかし我らの自由を束縛する砦のように精神を遮った。
僕は探している、あの夜見た夢、初めて出逢った僕のホウキボシ。
君は尾を靡き僕の空を満たす、眼を覚ましてベッドの上で、火傷のような痛みを左手の小指に感じていた…僕の小指の第二関節には、くっきりと細い痕が残った。
街だけが僕ら住人の領域で、それは隣街もその隣も…ずっと永遠に刻まれた、絶対的なルールであった。皆はもう諦めてしまい、むしろそれを楽しんで、狭っ苦しい世間の中で交友や友愛を謳歌していた。
僕だってそうだった、気づいてしまうその前までは…
幸いこの街は以前の国の文明の中心地であって、イカした人間や魅惑的に着飾ったオンナ達の有触れた、いわば狂った街であり、刺激には事欠かなかったのである。皆は楽しんだし騒ぎまくった。それを恨めしそうに眺める郊外の亡霊共に取り囲まれて、それはなお一層我らこの街の住人を満たしていった…
しかし、それも長くは続かない。
閉塞感!
刺激だけを求めていても、結局人と人の触れ合いを育てる結果にはならなくて、人と人は日に日に、すれ違いから軋轢へと、段々とその空虚な快楽の渦を悪化させてしまうのであった。
街は火花のように…
結果的に、人々は出逢いを避け、自らの部屋へと篭るばかりであった、その流れを最初に造ったのは、偶然にも僕なんだろう…
僕は街を覆う荒んだ空気を吸うより先に、ある個人的な理由で絶望してしまっただけだった。その理由も夢みたいに霧散して、今では確かな実感も記憶も僕の内面に留めてはいない。今思えば、理由なんてどうだって良いんだ、結局は皆同じように、それぞれの理由があって、心を閉ざして関係を絶った。
部屋のフローリングの硬い床を見れば、何故だか精神は統一されて、閉ざされた世界や街やこの部屋から、みるみる広がっていく感覚が僕を連れ去って行き、僕はもう簡単に、宇宙を泳いでばかりいる…
特殊繊維に張り巡らされたこの床の下には、世界中へと張り巡らされた光ケーブルに加えて、併走して高性能な道管が広がっている。それのおかげで我らは皆、それぞれの自宅の蛇口を捻るだけで、分相応の栄養水をいとも簡単に手に入れる事が出来るのだ。
世界は閉ざされ、同時に広がっていた。
貨幣はとっくに消滅し、情報だけが全ての価値となる、それを創るモノ、運ぶモノ、盗むモノ、当然ながら浪費するモノもいた。
生活や人生の殆どが、たった一つの部屋で成立して、そして過去世界よりむしろ、皆は自由を覚えて広がっていくのを日に日に感じるばかりだった。
そんな世界、僕以降の人間の辿った、これまでとはもうひとつの自由、価値。
パソコンに向かう人々、僕。僕は得意の文章世界で、情報という絶対価値を洪水のように産み出した。僕は最早神である…
一休み。ジンジン疼く左手の小指を見遣る、ピンと世界の遠くまで伸びていくその糸の未だ見ぬ持ち主を思ったら、胸が切迫する…逢いたい!
彼女は恋愛依存症だった。この世界を悪魔の混濁した黒い炎で染め上げてしまったあの事件の核、もう捨て去られた過去の戦争時代の英雄は、今や平時の悪魔と見做されて…しかし、彼女はそれでも彼のことを忘れることは出来なくて…
世界に息づくことは出来ない。地下生活を余儀なくされた彼女らや僕らは、あの悪鬼を揶揄し、恨み、困苦の捌け口の的とした。それで長い間の時を潰した。
彼女は密かに想っていた、それを、口が裂けても言えない毎日が辛くて敵わない。何をするにも手につかず、虚ろで、軈て鬱は彼女の全身へと取り憑いた。
部屋、何も生み出す事が出来ない寂しいうらぶれた女。修復され無数のドームに取り囲まれて、地下世界から這い出したその日以来。
彼女は生きる術を持たずして、ひとつ部屋に取り残される。高性能の水道管も、先週あたりから止められている。
死…
僕は直感に従った。この先を進めばきっと…
インターネットは情報の船としてだけでなく、最早精神を運ぶ願いの糸…
ここを辿ればきっと…僕の願いの終着駅を探して…
ある日、僕は迷い込んだ、否、レーダーに従い正確に進んだ筈だった、そしてそこは、闇の只中であった。
「ここに…?」
僕はケーブルの細い管の内部で独り言ちた。そこは、未だ使用されたことのなかった、地図にはない場所だった。
「…そうか、やはりダークファイバのなかに…」
希望は闇を輝かすというのか、嘗ての世界を滅ぼしたあの悪魔の黒い炎のように、黒煙に光輝するもうひとつの世界がそこに広がっているとでもいうのか!
闇が刺さる!僕は眼をシバタタク!この涙を突き抜けた先に、僕の彷徨い求めたあの夢に見た、赤い糸はあるのだろうか…君は…そこにいるんだろうか!
部屋…そこは僕が住んでいる部屋と同じく、簡素で、小さな平凡な部屋で。
そして君はそこに寝そべっていて…
辿り着いた、探し求めた君、眼が合う、瞬間が止まる、僕の鼓動が高まっていく…
君は僕を見ていた、僕も動けない程に心臓を掴まれている、君は死んでいる。
涙を流す君、その視線の先には、僕ではない他の誰かを激しく冀求して、死んでもまだ続いていく、空涙。