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三題小説

三題小説第四十三弾『超能力』『宗教施設』『顔を隠す』タイトル「ハゼムラ君の顔を思い出すこと」

作者: 山本航

 SNSというのは便利なものだけど恐ろしいものだ。たとえば顔を思い出せない小学校の同級生に二十年ぶりに飲みに誘われる、などという地雷イベントが発生しうるのだ。

 断ればいい? そりゃそうだ。しかし既にバーにて酔っている俺はついつい了承してしまった。彼が来る一時間前にその軽率さに気づき、そして小心者ゆえに断れなかった。彼は直接このバーにやって来るらしい。共に飲んでいた同僚の女の子は気を使って帰ってしまった。というか気まずくなるのを予想したのか。というか体よくフられたのか。まあ、深く酔った挙句見知らぬ同級生を呼び寄せる男だ。当たり前の判断だ。


 バーテンダーは他の客の相手をしている。ウィスキーを含み、スマホの画面をちらと見る。


『ハゼムラです。覚えてるかな。久しぶり。IDは皆本に聞いた。今、こちらにいると聞いて連絡した。良ければ近いうちに飲みにいこう。』

『ハゼムラって小学校の時のハゼムラ? 今、○○で飲んでんだ』

『知ってるバーだ。行き着けなんだ。近くにいるから、行っていい?』

『おう。来い来い』


 何が『おう。』なのか。酔った勢いというのは恐ろしい。


 ハゼムラ君。今の今まで忘れていた。いや、覚えていたけれど取り出す事のなかった記憶だ。何せ小学校以来なんだ。彼は同じ中学にはいなかった。おそらく受験でもしたか、引越しでもしたのだろう。

 ハゼムラ君。みんなそう呼んでいた。俺もそう呼んでいた。確か本名だったと思うけどハゼの漢字が分からない。彼のメッセージでもカタカナだ。


 彼に関する記憶を一つ一つ思い起こしていく。それほど苦労する作業でもなかった。小学校卒業以来、これまで一度も取り出していなかったのに埃一つかぶらずに残っている。記憶が確かなら六年生の時だけ同じクラスになった。


 ハゼムラ君は色々な点で変わり者だった。少なくとも俺の記憶の中ではいつも変わり者だ。もしかしたら変わり者エピソードだけ記憶に残っているのかもしれないとも思ったけれど、確かに当時から俺はハゼムラ君を変わり者だと思っていた。そう記憶していた。


 まず決して甘いものを食べなかった。給食に出るデザートは必ず余り、わがクラスのお昼時はいつもじゃんけんをしていた覚えがある。俺も何度かそのお零れに預かった。だけど、そうだ。いつからか俺はそのじゃんけんに加わらなかった。


「甘いもの嫌いだなんて珍しいな。というか何で甘いものなら残してもいいんだろうな。人参は残しちゃ駄目なのにさ。な? ハゼムラ君」


 俺がそう言ったのはある日の放課後の帰りだ。覚えている。二人ともが鍵っ子で午後六時まで生徒を預かる教室があった。だから時折彼と共に帰る日があったんだ。人参は今でも嫌いだ。


「別に嫌いじゃないよ」


 そう言ってハゼムラ君が微笑む顔を、いや、微笑む顔は思い出せない。でも寂しげな自嘲気味な台詞だったと思う。俺はごく自然に疑問を呈した。


「好きなら食べりゃいいじゃん? 何で食わねーの?」


 普通はそうだ。当然だ。何の捻りもない疑問だ。


「残さなきゃいけないルールなんだ」


 ルール。当時の俺にとっては中々に曖昧で、それでいて底知れぬ威圧感を感じる言葉だった。


 そうだ。ルールといえばハゼムラ君は飼育委員だった。ある日彼がとても激昂していたのを覚えている。原因は、たしか、誰だかの不注意でウサギが小屋から逃げ出し、一羽が道路で犠牲になったのだった。犯人はすぐに分かった。下級生だったと思う。ただ彼は誰より先生や学校を責めていた。曰くルールの不備が原因なのだそうだ。


「そもそもウサギが小屋から逃げ出すっていう単純な事実を理解していない奴がいるんだ。飼育委員は代々先輩から教えてもらうから分かってるけど。学校の生徒が全員それを知っているわけじゃない。低学年の生徒なら知らない可能性はもっと高い。なのに学校はそういう生徒でも飼育小屋の鍵を渡す。ただ兎で遊ぶだけの生徒のために鍵を貸す必要なんてなかった。少なくとも飼育委員や先生の同伴を義務付けるべきなんだ」


 俺に言ったのだったか、先生に言ったのだったか、そもそも本当にこのように言ったのだったか、定かではない。本当に言ったとして何故こんなにも長い言葉を覚えていられたんだ。おそらく俺の脳が勝手に補完しているのだろうとは思うけど。


 この言葉を言っている時のハゼムラ君の顔は、顔はどんなだったか。さっきからハゼムラ君の言動や行動はするすると出てきているのに、顔を思い出していなかった。


 そうだ。それもそうだ。何より変わり者である点がそこにあった。


 彼は常にお面をかぶっていたんだ。


 お祭りの屋台で売っているようなプラスチックのお面だった。何代目だか分からないけどテレビのヒーローのお面だ。彼は学校でも給食の時間でもそれどころかプールの時間でもお面をつけていた。


 グラスが空になっていることに気づく。


「お連れさん。帰られましたよ」


 バーテンダーの男が気を使ってくれている。さすがに連れが帰ったことくらい気づいている。というか暇乞いくらいしたはずだ。


「ああ、うん。ありがとう。また別の人を待ってるんだ」

「失礼しました。何か飲まれますか。それともお連れさんがいらっしゃるまで……」

「いや、同じのください」

「かしこまりました」


 常にお面をつけていただ? そんな事があるわけないだろう。普通は注意される。

 だけど、記憶の中の彼は常にお面をつけていた。これもいわゆる脳内補完なのか。それとも……。


 彼はいつも一人ぼっちではなかった。そう、あんなに変わり者なのに彼は遠ざけられていなかった。だけど受け入れられてもいない、そういう空気だった。

 皆が気を使っているような、腫れ物に触るような、触らないような、撫でるような距離感だった。

 ハゼムラ君は変わり者。これが皆の共通認識、暗黙の了解、不文律。


 そうだ。それにハゼムラ君についてとても重要な点がある。これは彼自身の問題でもないけれど、彼にまつわるあらゆる物事に対して多大な影響を及ぼすファクターだ。


 彼の家は新興宗教に深く関わっていたようだった。教祖だか幹部だか分からないけれど、その団体の中枢に関わっているらしかった。

 何か事件を起こしているような危険な団体ではなかった――少なくとも表向きは――けれど、新興宗教という言葉が広まった時代が時代であったから、その地域ではあまり良い目で見られていなかった。もちろん子供たちにも、その親たちによって、ハゼムラ君は遠ざけられる。

 また同時に仲間はずれはイジメだから、決してハゼムラ君を除け者にすることもできない。そういう引力と斥力のバランスの上にハゼムラ君は漂っていたのだろう。


 常にお面をつけていられた事に関しても、もしくはそれを注意されなかった事に関しても、触らぬ腫れ物に痒みなしだったのかもしれない。


 お面について尋ねた事もある。


「何でいっつもお面つけてるの?」


 純粋かつ不躾な質問だ。でもごく当たり前の質問だ。いつもお面つけてる奴なんて他にはいなかった。その質問はハゼムラ君以外の誰にもぶつけられない。


「母さんや皆は僕が救世主なんだって言うんだ」とハゼムラ君は言った。


 俺にとっては『キューセーシュ』だった。


「何それ?」

「世界を救う人だよ」

「どうやってどうやって? どうやって救うんだ?」


 もうちょっと賢そうな返答だった気もする。


「よく分からないけど超能力みたいのものだって」

「すっげー。かっけー」


 うん。あの頃は純粋だったな。


「本当にそうなれたならカッコいいんだけどね」

「で、何でお面?」


 ちょっと察しの悪い子だな。この子は。


「つまり救世主っていうのはヒーローなんだ。いつもの顔は決して誰にも見せちゃいけないんだ」

「なるほどー」


 そこで納得するのか、俺よ。もうちょっと追求したらどうだ。


 だけど思い出したのはそこまでだ。


 雨音に気づく。バーの入り口のガラスの扉が雨粒でモザイクを作っていた。気がつくと俺の他には客がいない。ウィスキーにはほとんど口をつけていない。バーテンダーは俺が物思いに耽っているのを邪魔しないように静かに仕事をこなしていた。

 もう一度スマホをつける。あと十五分ほどで約束の時間だ。通知バナーが表示されている。ハゼムラ君のメッセージだ。


『少し早く着けると思う。待たせて悪いね。』


 メッセージは十分前に届いていたようだ。


『良いって事よ。ところで今でもあのお面付けてるの?(笑)』


 顔を思い出せないのは顔を見たことがないから? 彼は一度としてお面を外さなかった?

 いいや、そんな事はない。確かに俺は彼の顔を見たことがある。


 そうだ。その日も雨の日だった。今のように強い雨ではなく、音も無く降る小糠雨だった。

 ハゼムラ君の弟か、妹かが亡くなった。

 ハゼムラ君が心配だったことと、不謹慎な好奇心が俺をかの新興宗教の施設に足を向かわせた。すんなり入れたと思う。彼の友人だとでも言ったのだろう。


 ある飾り気の無い建物の中に案内された。たしか納骨堂だったと思う。そこで俺はハゼムラ君の素顔を見た。彼は確かにお面を着けていなかった。涙を流してもいたはずだ。


 だけど顔は思い出せない。俺の記憶の中のハゼムラ君の顔に白い靄がかかっていて、だけど二つの瞳から涙を流している。止め処なく流れる涙を見ていて俺も胸が苦しくなった。


 彼が俺の存在に気づいた時、俺はどこかへ逃げ出してしまった。

 結局どこまで逃げたのだったか。俺はどこかまで逃げて、どこかでハゼムラ君に追いつかれた。その時の俺は終始俯いていて彼の顔を見れなかった。靴の先で地面をいじり、上から降ってくる雨音とハゼムラ君の言葉を聞いた。


「妹が死んだんだ」


 そうだ。妹だった。


「そうなんだ。オクヤミ申し上げます」

「ありがとう。でも僕は妹を救えなかった」


 その言葉は涙声だったけど、地面に落ちた雨粒と涙の区別はつかなかった。

 俺は何も言えなかった。


「世界を救うはずなのに妹すら救えなかった」


 何一つ言葉が出てこなかった。そもそもあの時の俺はどういう気持ちを抱いていただろう。何を考えていたのだろう。


「という事は世界も救えないって事だ」


 彼の言葉にはただただ妹を助けられなかった悲しみや悔しさが篭っていて、それこそ世界の事など歯牙にもかけていなかったように思う。


「この世界は終わってしまう」


 だけど俺はその言葉が恐ろしかったのだろう。とうとう逃げ出してしまったんだ。


 そうだ。恐ろしかったんだ。俺はとても恐れていた。結局世界が終わる気配はないけれど。

 琥珀色の液体に映る自分の現在の顔にも、仄暗い恐怖の色が映っていた。具体的ではない純粋な恐怖だけが、どろりとした記憶の沼の底から浮かび上がってくる。


 いくら思い出そうとしてもハゼムラ君の顔は白い靄の奥に隠れている。二つの瞳だけがこちらを向いて泣いている。


「やあ、久しぶり」


 後ろから声が聞こえて、俺は唾を呑み、ゆっくりと振り返る。俺は何もかも思い出した。いや、初めから俺は思い出していた。

 そこにはハゼムラ君が立っていた。白い靄に覆われた顔はにこりと笑っていた。


『やっぱり覚えてたんだね』

ここまで読んでくださってありがとうございます。

ご意見ご感想ご質問お待ちしております。


何だかショートショートっぽい作りになった。

もう少し短くまとめたほうが良かったのかもしれない。

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