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7、老人の網

 ユアンは熱中して蝙蝠のまる焼きを食べ続けた。わたも抜いていない本当にただ焼いただけの肉だったが、その割に苦味がない。むしろほんのりとした甘みがあり、歯ごたえも柔らかかった。森で食べていたものだと、葉食い蟻の炒めものに似た味わいだ。

「よく食べるわね」

「ああ」

 ミラは食事中のユアンに何度も話しかけたが、その度に生返事をされるので、諦めてテアニを呼びつけ、薬を持ってこさせた。水に溶いたエラの解毒剤を指ですくい、喉の粘膜に塗りつけていく。テアニは何度もえづいて嫌がったが、ミラが優しく言い聞かせながら頭を撫でると、やがて諦め、体の力を抜いた。

「それじゃ不十分だ」と、七匹目を食べ終わって満腹になったユアンが口を挟んだ。

「水に溶ける薬があるんなら、鼻から吸い込ませろ。喉だけ洗うのは片手落ちだ」

「それもそうね」

 ミラは薬瓶と水差しをテアニに預け、ユアンには分からない言葉で何事かを囁いた。テアニは何度も首を振ったが、やがてユアンをちらりと見てから、それらを受け取って、奥に下がった。

「ずいぶん優しいのね」ミラはユアンの前に足を揃えて座り直した。

「テアニ、気にしてるわよ。あなたに口づけされたこと」

「口づけ?」

 ユアンは眉をひそめた。「ああ、解毒のことか。何か、まずかったのか」

「口づけの意味を知らないの?」

 ミラは首をかしげてユアンを見つめたが、彼がふざけているのでないと分かると、深くため息を付いた。

「私、エルフってみんな、大人でなんでも知っているんだと思っていたわ。そうじゃないのね。あなたみたいなエルフもいるんだ」

『ふふふ』

 何処からかアリアの笑い声がする。

「……その、下に住んでるっていう、大人でなんでも知ってるエルフのことだが」

 ユアンは不愉快さを噛み殺しながら尋ねた。

「姓名は分かるか?」

「何も。ナスカと名乗ってはいるけれど、たぶん、自分で付けた名前だわ」

 ミラは指で毛皮の虎縞をなぞりながらそう言った。

「ゲーレンが素直に名乗るはずもないか。知っている部族かもしれないと、思ったんだがな」

 基本的にノースエルフは他の部族とは没交渉だが、物資が枯渇しがちなゲーレンの中には、草原エルフを真似て交易に励むものもいる。知らない名前もないではなかった。

「ナスカはたぶん、他のエルフとは切れていると思う。地脈(カデルラ)から出ないもの」

「カデルラ……。下の洞窟のことだな。そこでドワーフたちと住んでるのか」

「そうよ。医者をやっているの。月に一度上にも巡回に来てくれて、それで知り合ったのよ」

「エルフの、医者か」

 ユアンは違和感を覚えた。

 洞窟の番兵たちの言葉が頭をよぎったのだ。エルフらしく体でも売るか、そう彼らは言っていた。

「他に住んでいるエルフはいないのか」

「ナスカだけよ。他のゲーレンもたまに森を抜けてくるそうだけれど、みんなドワーフたちとの殺し合いを選ぶそうよ」

「……そうか」

 ユアンはしばらく口元に手を当てて黙り込んでいたが、やがて話題を変えた。

「実のところ、俺も殺し合うか迷った。生意気な連中だったからな。結果は、どうだ。そいつらは洞窟を抜けられたのか」

「番兵を切り抜けても、中にはドワーフだらけですもの。そう長くは持たないそうよ」

「そうか……」

 試さなくてよかったと安堵する一方で、戦死した先達者たちを羨む気持ちも、ユアンの中にこみ上げてきた。

「――さて、そろそろ本題に入るか。確認しておきたいんだが、山を越えて南へ行きたいってのは、本気なんだな?」

「はい」ミラははっきりと頷いた。「理由は訊かないで。きっとあなたにとっては、下らないことだから」

「……下らないこと?」

「笑われたくないの。大事なことだけど、私一人のことだから。――私だって、あなたが森を越えてきた理由を訊かないわ。それじゃいけない?」

 ミラは余裕ぶった口調を保っていたが、表情からは微笑みが消え、苛立ちが顕になっていた。

 本気、なのだろう。そうユアンは判断した。いずれにしても、汎用語を話せるミラは貴重な情報源だ。ここで袖にする選択肢はない。

「方法は?」

「それはまだ話せないわ」とミラは答えた。「方法を話して、あなた一人で行かれたら、困るもの」

「もっともだな」ユアンは苦笑した。

「大まかな方向性ぐらいは話してくれないか。山を登るか、洞窟を抜けるか、どっちだ」

「私の体力じゃ、山を登ることはできないわ」

「蜘蛛を使っても?」

「蜘蛛は……使えない」

 ミラはゆっくりと首を振った。

「ここの蜘蛛はね、一見誰もが簡単に使っているように見えるけど、本当は違うのよ。あの老人が予め命令した範囲でしか動かないし、動かせないの」

「あの、老人」

 ユアンはパウークの渋い顔つきを思い出した。

「それってあいつのことだよな。汎用語話せるじいさん。名前は?」

「彼は誰にも名乗らないわ」とミラは言った。「謎の多い人なの。誰とも暮らしたがらないけど、蜘蛛の生態を隅から隅まできちんと分かっている人は、彼だけだから、頼りにはされている。何か問題があるたびに駆り出されて、それを処理するのを仕事にしているわ」

「――分かりにくいな。長老ってことでいいのか」

「そう、なるのかな。そういう表現が近いとは思う。積極的に仕切りはしないけど、誰もが彼を無視できない」

 ミラは奥歯に物が挟まったような言い方を続けた。

「日常の業務は、それぞれの職長たちが仕切っている。蜘蛛の飼育、家の整備、服の修繕、食事の配備、警備と、配給に不平等がないかどうかの観察。衣食住の全て、どの仕事にも蜘蛛が関わっていて、蜘蛛なしじゃここの生活は成り立たない。――なのに、私たちは理解していないの。蜘蛛が何故人間のいうことを聞くのか。いざ聞かなくなったとき、どうすればいいのか。それを分かっているのは、老人だけ。だからみんな恐々としているわ。彼が死んだときがこの集落の終わりだから」

 ユアンにはピンと来ない物言いだった。

「必要なことなら、脅してでも聞けばいいだろうに」

「そうしようとした人もいたらしいわ。私が生まれる前に、老人は過激な若者たちに監禁されたことがあると、母から聞いた。でもうまくはいかなかった。彼が閉じ込められた途端に、集落の蜘蛛が一匹残らず、動くのをやめてしまったの。どんなに命令しても、脚一本動かせなかったそうよ」

「――なるほど。本当に蜘蛛を動かしてるのは、あいつ一人ってことなのか」

「そうなるわね。私たちは使わせてもらっているだけ。老人は対価を求めない。でも、蜘蛛を動かす力を、決して誰かに教えようとはしない」

「不気味な奴だな」

 ユアンはパウークの頑なな態度を思い返した。あれはユアンがよそ者だからではなく、誰に対してもあの調子だったようだ。

「あいつはこの集落のことをパウーク村と呼んでいたけど、ミラはただ集落と呼ぶよな」

「ええ。私たちは老人への反発を込めて、あえて彼が使っている表現は避けているの」

「嫌われているのか」

「そうね。この集落は平等によって成り立っているけれど、あの老人だけは、明らかに、特別なところにいるから。そこから降りてこようともしないから」

 ミラは部屋を見回してから、足元の毛皮をいじった。

「先に言っておくけど、この部屋の装飾品が多少豪華なのは、不平等の埋め合わせなのよ。あなたに余ったお肉を上げられるのも、そのおかげ。私の境遇の特別さは集落の皆が認めるところだから、老人と一緒にはしないでね」

 ユアンには、ミラが何を弁護しているのか、今ひとつ分からなかった。

『パウークと違ってずるはしていない、と言いたいんだ。善良さを示したいんだよ』

「……そんなものか」

 アリアの言葉で、少し取っ掛かりがつかめた気がした。

 ずるはしない。それがミラの、いや、この集落の倫理なのだ。

「あの老人はずるをしているの。私たちには分からない形で、対価を得ているはずなのよ」

 ミラは興奮を隠し切れない口調で、そう続けた。

「何故って、母が子どもの頃から、ずっと今のような老人の姿だったんですもの。――おかしいの、あの人は」

「ふうん。――老いてはいるが、老いで死なない。なるほどな。それで、老人、という言葉だけで、足りるわけか」

「むしろ彼以外には使わない言葉ね」

 ミラは少し咳き込んで、胸を押さえた。手元を見ると、やはり、不自然に白い爪が目につく。

「蜘蛛が使えない理由は分かった」とユアンは言った。「パウークは、ミラがここから抜け出すことを、認めないだろうってことだな」

「私だけじゃないわ。彼は、集落の人間が、集落を離れることを嫌うの」

 ミラは小さく首を振った。「理由は分からない。彼に聞いても、何も答えてくれないから」

「つまり」ユアンは話をまとめた。

「蜘蛛なしでの山越えは難しい。それどころか、パウークからの妨害が入るかもしれない。ドワーフを出し抜くか、通行料を払うかして、洞窟を抜けた方がいい。それがミラの判断なんだな」

「ええ、そうよ。そのための算段をつけるのに、あなたに協力してほしいの」

「俺に頼みたい言伝てというのはそれか。ちなみに、出し抜くか、払うか、どちらにするんだ」

「なるべくなら、きちんと払いたいと思っているわ。ドワーフたちがずるをしなければ、の話だけれど」

「信用できる相手ではない、ということだな。……大筋は分かった」

 ユアンは、摂取したばかりの栄養を活用して脳みそを回し、ミラの話を検討していった。

 出てきた結論は、ミラをそう簡単に信用するわけにはいかないというものだった。結局のところ、ミラは大事なことを話していない。信用するに当たって重要な、どうして南へ行きたいのかという動機の部分。どうやったら南へ行けるのかの具体的な説明もまだない。問い詰めればなんらかの答えは返ってくるだろうが、その真偽を判断できる材料は、今のユアンの中にはないのだ。

「まずは、ナスカに会いたい」とユアンは言った。「洞窟も、内側からちゃんと見ておきたいな。俺がばれずに下へ行ける方法はないか」

「私の知る限り、洞窟をうろつくのは難しいわ。でも、ナスカの住んでいる部屋までなら、ドワーフも知らない抜け道がある。羽なし蝙蝠の飼育穴から行くから、まずばれる心配はない」

「飼育穴?」

「この城跡で、唯一蜘蛛が入り込めない場所よ。私がナスカと会っていることは、老人にも漏れていないと思うわ」

 ユアンには飼育穴がどういうものか想像しにくかったが、おそらくは、地下深くまで続いている縦穴なのだろう。そう当たりをつけた。

「丁度いいわ。言伝ては、ナスカ宛てなの」とミラは言った。「今の私に、飼育穴を行き来できる体力はないから。向こうから来てくれるのを待つか、あなたに行ってもらう他はない」

「――それは分かったが」

 ユアンは背後で糸ぐるまを回し続けている女たちが、さっきから気になって仕方がなかった。

「人払いをしなくていいのか」

「いいのよ。彼女たちはもう、耳が聞こえないから」

 ユアンは膝を立てたが、思い直して、おとなしく座った。近づいていって、本当に聞こえていないか試すのは、さすがに悪辣に思えたからだ。

「ここはね、蜘蛛の蜜が持つ毒に、体が耐え切れなかった女たちが住む部屋なの」

 ミラは微笑を浮かべて、そう告げた。

「生まれた後から与えられるものは平等だけれど、持って生まれたものまでは、どうしようもないから。その不平等を埋め合わせるために、多少のわがままは許されているのよ。私たちは、あなたに上げた蝙蝠と同じ。全ての蜘蛛に行き渡った後の、余りのようなものなの」

 ユアンにはミラの言っている意味が、分からなかった。

「毒には強いって、さっき言ったばかりだ」

「それも本当。蜘蛛の蜜は完全食で、食べると怪我にも病気にも強くなる。他の毒を追い出す作用もあるわ。私だってエラの毒を吸い込んでも、テアニと同じぐらいには、すぐに元気になれるの」

「毒、なのにか」

「毒と薬は紙一重よ」とミラは言う。「ナスカもそう言っていたわ。老人はきちんと分量を計算して、蜘蛛に蜜を出させているって。適応できる人間にとってはこれ以上の良食はないって、そう言っていた」

「……なら、今は、蝙蝠の肉を食べて?」

 ユアンは、そうではないとうすうす感づきながら、そう尋ねた。

 付け合せも、調味料もないというのなら。

「今も蜜をすすっているわ」とミラは答えた。

「だって、私たちだけお肉を食べるのは、不平等ですもの」


「そういう、ことか」

 ユアンは呻くようにそう言って、しばらく座ったまま動けなかった。


 

 

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