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6、横穴の姉妹

 

 空洞に飛び込むと、思ったよりも深かった。胃が裏返る感覚に嫌な予感がしたが、ユアンが指示を出すまでもなく、蜘蛛は自分で糸を吐き、壁にぴたりと張り付いて、ゆっくりと這いずっていった。

 底に付くと、蜘蛛が二匹通れるかどうかというぐらいの横穴が四方に伸びていた。そのうちの一つに手招きする少女の姿が見える。ユアンは蜘蛛を操縦しようとしたが、体勢を立て直そうとした際にうっかり右脚の一つを触ってしまったせいで、蜘蛛は明後日の方向に走りだしてしまった。仕方なく飛び降りて、裸足で進む。幸い横穴の床は綺麗に整地されていて、松明もきっちりと並べられている。走るのに支障はなかった。

 横穴の果てに行き着くと、今度は広々とした縦穴に行き当たった。下からは風が吹き上げてきて、底は見えない。張り出した廊下の手すりに捕まって少女の姿を探すと、遥か下の手すりから身を乗り出して手を振っている少女の姿を見つけることができた。少女はユアンに何かを示すように、一点を指さしている。ユアンが周囲を改めて見回すと、手すりの途切れているところに、滝のように太い蜘蛛の糸の束がくくられているのが目についた。

 ――これで降りろ、ということか。

 ユアンは意を決して糸にしがみついた。つるつるとした糸は掴みにくく、自然にずり落ちていってしまうが、ユアンは壁に脚をついては軽く蹴り、その反動を使いながら、一定の速度を保って降りた。木のつるを使うのと要領は同じだったが、かなりの腕力と脚力を使う。少女はどうやったのだろうと疑問に思っていると、不意に糸が持ち上がっていく不自然な感覚に囚われた。

 見上げると、はるか上空に影がうごめいているのが分かった。蜘蛛――? この糸はぶら下げられているわけではなく、今まさに蜘蛛の口から吐き出されているのかとユアンは悟った。だとすると、どれほど大きな蜘蛛なのだろう。一匹でまかないきれるような粘液の量とは思えない。

『おもしろい進化をさせている』とアリアは独りごちた。

『あれを操縦して昇り降りをしているのか。おそらく糸を弾いて命令を出すんだろうね』

「このままだとまた昇っちまうぞ」

『あそこにはしごがある。飛び移ればいい』

 アリアはユアンの頭に、自らが把握した縦穴の情報を流し込んだ。穴の数、おおよその人と蜘蛛の位置、はしご、手すり、足場になりそうな壁の凹凸、そして底の光景――。《光》を駆使するアリアのもたらす幻視は、目で見るよりも鮮やかに、どのような暗がりだろうとも関係なく照らしだす。

 ユアンは頭の中に入ってきた「かつて見たような景色」を元に、糸を手放して跳んだ。空中を蹴って位置を調節しながら、まずは手近な壁の穴に裸足を乗せる。太ももにありったけの力を込めてふんばり、宙返りしながらさらに落下。それを何度か繰り返し、ぎりぎりの速度まで減速したところで、はしごの一つに指をかけることができた。はしごは無数についているがどれも短く、場所も様々。細かな階移動をする際に使うのだろう。

「ぴたりだ」

 ユアンははしごから廊下に飛び下り、目の前で目を丸くしている少女に笑いかけた。

「それで、何処へ連れていってくれるんだ?」


 少女の後にしたがって横穴に入り、方角が怪しくなるほど角を曲がって、仕切りらしい垂れ幕(例によって赤い)を潜り続けると、冷たい空気の中に甘い薫風が混ざり始めた。

 さらに進むとナイフを持った女数人とすれ違った。思わず身構えたユアンだったが、女たちは一瞥するだけで、襲いかかってきたり叫んだりはしなかった。

 耳を澄ませると女のささやき声がそこかしこから漏れてくる。どうやらこの辺りの横穴には女しか住んでいないようだった。蜘蛛と男の気配はない。

 少女は一際大きな赤い垂れ幕の前で立ち止まった。左右の松明の炎には紫色が混ざり、神秘的な雰囲気が感じ取れる。少女に続いて中に入ると、絨毯とタペストリーが敷き詰められた広い部屋になっていた。絨毯こそ真紅だが、タペストリーには草や動物を模した色とりどりの文様が入っている。

 部屋の中には座って糸を紡ぐ女が三人いた。子蜘蛛が出す糸を糸ぐるまで丁寧に取り上げているようだ。

 部屋の奥には黒と白銀色に輝く虎の毛皮が敷かれていて、その上に、一際痩せた白髪の女が寝そべっていた。老女かと思いきや、近寄ってみると、意外と若い。むしろ少女と呼んでもいいぐらいだ。ユアンが助けた首に包帯を巻いている少女とよく似ている。毛皮ではない、おそらくは蜘蛛の糸を織って作ったのだろう、儚げな赤い着物を纏っていた。

「そんな格好で寒くないの?」と白髪の少女は笑いかけた。

「……汎用語、か」ユアンは戸惑いながらも、彼女の前に座った。

「まずは名乗りましょう。私はミラ・パテストリというの。あなたは?」

「ユアン」

「そう。ユアン……。エルフじゃよくある名前なんですってね。えっと、古代語だと所有格なんですって? 《あなたのもの》って意味の言葉」

「よく知ってるな」ユアンの戸惑いは深まる。「洒落っ気の強い名前なんだよ。希望とか栄光とか、そういう意味のある言葉を姓に持つ部族が付けるんだ」

「ああ、なるほど。栄光はあなたのもの、というような」ミラは口元に手を当てた。歯を見せて笑うのを避けたのだろう。爪に何か塗っているのだろうか、異様に白く輝いている。

「汎用語が使えるんだな。てっきりあのじいさんだけかと思っていた」

「習ったの」とミラは言う。

「誰から?」

「あなたのお仲間から」

「他にもエルフがいるのか」

「下に、ね」ミラは下を指さした。

 ユアンは先ほどアリアから送られた縦穴の情報を思い出した。底を歩いていたのは太ったハーフドワーフたちだ。痩せた蜘蛛使いたちとは全く別の暮らしをしているようでいて、縦穴を通じて繋がっているらしい。

「この娘は、妹のテアニ」

 首に包帯を巻いた少女は、小さく会釈してからミラの隣に座った。

「いたずら好きで、勝手に出歩くので困っているの。あなたが助けてくれたんですって?」

「まあな」

 適当な相槌をうちながら、ユアンはミラとテアニを見比べた。爪の色の他は、ほとんど同じ年格好だ。姉妹だとして、年子。双子ということもありえる。

 ユアンは何から訊くか迷った。あまりにも訊きたいことが多すぎる。

「――エラの毒はまだ抜けきってないだろう。熱だってあるはずだ。もう動きまわれるのか」

「私たちは、毒には強いから」とミラが答えた。「それに、エラの解毒薬なら持っているの。エルフとの交易品には、虫除けのために塗られていることもあるから。もう飲ませてあるわ」

「……交易、するのか。パウーク――上に住んでる汎用語話せるじいさんによると、ここはみな配給で暮らしているようだが」

「交易品が回ってくることもあるわ」ミラはまた口元に手を当てた。「ぜんぜん、ピンときてないみたいね。配給の仕組みも、ここの生活も」

「蜘蛛もだ」とユアンは付け加えた。「あんなにでかい虫がいて、人間と共に暮らしてるとはな」

「そんなに変かしら。草原の国には騎乗するエルフもいるらしいわよ。馬も蜘蛛も、大して変わらないと思うけど」

 ミラの言葉にテアニは頷く。ユアンが見ているのに気がつくと、素早く姉の後ろに引っ込んでしまった。

「まあ、俺が世間知らずなのは、いいさ。おいおい知れていくことだ」

 ユアンは気を取り直して、質問の数を絞った。

「さしあたって訊きたいことは二つだ。俺をここに呼んだのは何故か。何か食べられるものはないか」

「食べ物なら用意できると思うわ。蝙蝠のお肉でよければね」

「蝙蝠?」

「ええ、羽なし蝙蝠。私たちは蝙蝠を養殖して蜘蛛を増やしているの」

「――蜘蛛の餌か。まあなんでもいい、毒がなくて食べられるんなら」

「そう。なら、頼み事の報酬はそれでいいわね」

 ミラはそう言ってからテアニの耳元に何事かを囁いた。テアニは頷いて立ち上がると、奥の垂れ幕をくぐって何処かへ行ってしまった。

「俺に何を頼みたいんだ」

言伝(ことづ)て」

 ミラは小声でそう言うと、毛皮の上を滑るように膝行して、ユアンの傍まで近づいた。

「あなたにとっても、有益なことよ。先に約束してもらえないかしら。私の望みを叶えてくれるって」

 ユアンが嗅いだことのない、甘い香水。しかし、何処かに毒のような苦味が混ざっている。

「空約束でいいんなら、いくらでもしてやるがな」

「その代わり、蝙蝠は先払いにしてあげる。――配給じゃ絶対に手に入らないものもあるのよ。私はそれを手に入れたいの」

「……分かった。肉が食えるんならできる限りのことはしてやろう」

「ありがとう」

 ミラはにこやかに笑って、

「テアニの言うとおり、あなたって人がいいのね」そう言葉を続けた。

「テアニを助けたことを恩に着せようともしないし。そもそもテアニを助けることもなかったのよ? あの子、眠り込んでるあなたを見つけて、毛皮を盗もうとしただけなんだから」

「……気づいてたさ」

 ユアンはあぐらを解いて寝そべった。「水場まで案内してくれそうだったから、殺すわけにもいかなかったんだよ」


『下手なだけだ。交渉も、人見も』


 アリアの茶化しを黙殺しながら待っていると、テアニがまるまると太った焼き肉を、皿の上に置いてもってきた。

「簡単なもので、ごめんなさいね」ミラはテアニから受け取った皿を、ユアンの目の前に置いた。

「付け合せも調味料も、ここにはないのよ」

「――なら、あんたの話を肴にさせてもらおうか」

 ユアンは食べ物の匂いに気をよくし、座りなおして手を合わせた。

「食べる前にもう一度聞き直す。ミラの望みとは、なんだ」

「南へ、行くこと」

 ユアンは思わず左右を見回したが、糸を紡いでいる女たちは顔も上げなかった。


「私はここを抜け出したいの」



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