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5、不慣れな悪意

 ユアンが連れてこられたのは集落の外れにあるなんの変哲もない平屋だった。中はガランとしていて、物が少ない。中央の柱に幾つか棚が備え付けてあって、そこに小物が入れてある。他には小さな箪笥としなびた毛布ぐらいなものだった。

「適当に座れ」と老人は言って、毛布の横にあぐらをかいた。

「もうちょっとマシな場所はないのか」

 ユアンはため息をついて、老人の向かいに座った。

「ここがあんたの家なのか?」

「いかにも」

「この木材は崖下の森から持ってきてるな」ユアンは木張りの床を撫でた。「屋根を草で葺く代わりに、蜘蛛の粘液を使ってる。それで屋根がねずみ色なのか」

「ずいぶんと、喋りたがるエルフのようだ」

 老人は渋い顔つきでユアンを見つめた。

「言っておくが、この山村にお前が期待するようなものは何一つない。宿も、エルフが食べるような肉もない。諦めて森へ帰れ」

 空き家に勝手に泊まるさとユアンは思ったが、口には出さなかった。

「それにしても、肉がない?」

 ユアンは老人の筋張った首を見た。老人だけではなく、集落の誰もが痩せていたことを思い出す。

「食用の蜘蛛はいないのか」

「肉は食わないと言っている」老人は気難しげに繰り返す。「儂らは蜘蛛の蜜を食べるが、よそ者に与えるものではない」

「蜘蛛が、蜜を出すのか」

 ユアンは森にいた虫のことを思い出した。ほとんどは葉食い蟻と、その蟻を食べる蟻食い蜂だ。土を掘り返せば鎧ムカデやミミズもいるが、九割が蟻で、九部が蜂と言ってもいいぐらい、個体数に差がある。

 樹液が好物の葉食い蟻は巣に蜜を貯めこむ性質があり、蟻食い蜂や小型の熊が、それを狙って群がってくる。森に居た頃、付近の樹液が滲み出ている樹の場所は残らず覚えていたものだ。

「樹液を好む虫なら、森で見かけないはずはないんだがな」

「エルフの森はエラ以外針葉樹しか生えておらんだろうが」と老人は言った。「エラほどではないにせよ、針葉樹の樹液には毒性がある。あれを食える虫は少ない」

「そうなのか。なら、蜘蛛は何処から蜜を持ってくるんだ」

「教える必要はない」

「頑ななじいさんだ」とユアンは呆れた。「食い物もない、宿もないから帰れと言われて、はい帰りますって言うと思うか? 悪いが、俺は何をしてでもこの山を越えて南へ行きたいんだ。洞窟のでっぷり太った連中と、痩せたあんたたち。奪いやすいのがどちらかは、言うまでもないことだよな」

「野蛮な」

 老人はしばらくユアンを睨みつけていたが、やがて目を伏せ、口を開いた。

「蜘蛛を殺したあの力、精霊のものか」

「……へえ、あんたは精霊を信じるのか」

 ユアンは少し以外に思った。半月以上も戦い続けたエランたちは、どの部族も精霊の力を知らないようだったからだ。おかげで不意を討つことができ、浅い傷だけで生き延びることができたのだった。

「異様な力だ。他に考えようもない」と老人は言った。「それに、お前の汎用語にはエルフ訛りがない。精霊から教わったのだろう」

「ああ、そうだ」

 ユアンは頷いてから、ふと、気づいた。

「もしかして、あんたの汎用語も……?」

「そうだ」老人は首をたれた。「もうずいぶんと昔のことになるがな」


「詳しく知りたいが、長話する前にもう少し友好的になってくれないとな」

 ユアンは鳴り止まない腹の虫を撫でた。

「あんたが食べ物を用意できないってんなら、急いで話す必要もない。適当に探させてもらうとするよ」

「……少し待て」

 老人は箪笥の棚から小さな壺を取り出した。

「儂に用意できるのは、儂の配給分だけだ。この村――パウークでは全ての物は分かち合われる。勝手な奪い合いなど、起こらないし、起こさせてもならん」

「配給?」

「エルフの敗残者には馴染みのない言葉か。所詮お前たちは飢えた簒奪者でしかない。わきまえることだ」

「とことん話の分からないじいさんだ」

 ユアンは中腰になって老人に掴みかかったが、抵抗しようともしない老人に呆れ、座り直した。

「そういや、まだあんたの名前を聞いてなかったな」

「言う必要はない」

「なら、適当にパウークとでも呼ぼうか。汎用語が使えるのがあんただけってんなら、あんたを代表として扱うしかないしな」

 ユアンは微笑みを浮かべた。

「俺は毛皮の売買を提案したと思うんだが、その配給って仕組み? ――みんな平等に配るってやり方は、売り買いとは正反対だよな。断られたと思っていいのか」

 老人――パウークは無言で答えた。

「俺がその配給を手に入れる方法はあるのか。例えば何か仕事をするとか」

「立ち去れ」とパウークは繰り返す。「労働の割り当ても、平等だ。お前の入る隙間はない」

「処置なしだな」ユアンは立ち上がって耳をほじった。「交渉する気がないんなら、どうしてここへ連れてきた? 時間稼ぎをすることに意味があるとも思えないけどな」

「……物は何一つ与えられん」とパウークは声をひそめた。「しかし、儂はお前が必要とするであろう情報を持っている」

「情報?」

 ユアンはそれ以上座り直そうとはしなかった。パウークが何を知っていようとも、食糧と衣服の調達が先だ。

「この山の越え方だ」とパウークは言葉を続けた。「体力任せで登れるほど、パジルテの山は甘くない。精霊任せで突っ切れるほど、洞窟の闇は浅くない。お前だけが南へ行こうとしたエルフの敗残者ではないが、お前の他はみな死んでいる」

「――ふうん、先輩がいたのか」

 ユアンは不運な、そして力強き先達者たちを、心の中でそっと偲んだ。エランの攻撃を掻い潜ってこの山裾まで辿り着くだけでも、生半なことではない。精霊の加護を持たないならなおさらだ。

「屈強なエルフの狩人でも山を抜けられないとしたら、たしかにあんたの言葉に価値はあるのかもしれない。でも、後で聞こう。今は腹を満たすのが先だ」

「儂らから奪うな」パウークは繰り返し、壺をユアンに突き出した。「どうしても腹が減っているというのなら、これを食え」

 ユアンはパウークの壺の中身を覗きこんだ。乳白色の、甘ったるい匂いのする液体がたまっている。これが蜘蛛の蜜なのだろうか。

 試しに手を差し入れて一口すすってみる。想像していたよりも甘みが薄く、ざらついた歯ごたえがあった。

「……ん?」

 歯に引っかかったものを口から取り出すと、ねずみ色の粉が固まりになっていた。

「これはなんだ、アリア」

『蜘蛛の毒さ』とアリアは答えた。『耐性がない者が食べると死ぬ。ここの住人たちは小さい頃から少しずつ蜜をすすって、耐性をつけているらしいね』

「まったく、俺には慎重さが足りないな」とユアンは苦笑した。「未到の力がなければ、ここで死んでたってことか」

『とっくに死んでいたよ。私抜きではエランの襲撃も躱せなかっただろう? 感謝することだね』とアリア。

「……またくるぜ、じいさん」

 ユアンはパウークをひと睨みしてから、彼の家を出た。周囲を見回しがてら、頭を振って気持ちを切り替える。

 寂しい森の生活から抜けだしたところで、そう簡単に安息の場所が手に入るはずもない。これから何処へ行こうとも、よそ者としての、それなりの扱いが待っていることだろう。

 遠慮していては生きていけそうもない。とにかく、食べ物と着る物だ。また喧嘩で手に入れることにしようと思いながら人通りを辿って集落の中心部へ行くと、何匹かの蜘蛛に乗った男たちが、屋根の上からユアンの周囲を取り囲もうとしてきた。ユアンが応戦するべく手近な屋根によじ登ろうとしたとき、視界の端に手招きをする、喉に包帯を巻いた少女の姿が見えた。

 しかし、その姿に反応している暇はない。屋根に飛び上がった瞬間を狙って、近くにいた蜘蛛が粘液を吐いてくる。ユアンは前方へ転がりながら粘液を避けた。蜘蛛乗りの男は蜘蛛の前脚の付け根をさすって回頭させながら、別の脚をさわって後退し、距離を取ろうとする。どうやら蜘蛛を操縦するには、いちいち指で部位をさわって、細かな動きを一つ一つ命令しなければならないようだった。

「遅いぜ」

 ユアンは屋根を蹴って蜘蛛の斜め後ろに回りこむと、脚の一つを強く蹴った。嫌がった蜘蛛は体勢を崩し、蜘蛛乗りの男は振り落とされないようにしがみつかざるを得なくなる。その隙を狙って蜘蛛の背中に取り付いたユアンは、男の首根っこを掴んで引きずり下ろし、蜘蛛の背中を適当に指で撫でさすった。

「うおっ」

 刺激を受け取った蜘蛛は、撫でられた脚の向く方向へと一直線に進み始めた。屋根を飛び越え、道路を横切る。速さの割に縦揺れが少なく、ユアンは不格好にしがみつきながらも、周囲の様子を伺うことができた。後ろから何匹かの蜘蛛が追ってくる。前は急な登り坂で、このまま行くと追い付かれてしまうだろう。左右を見回すと、先ほど少女が手招きをしていた近くの空き地に、ぽっかりと空洞が空いているのが見て取れた。この集落には地下があるようだ。

 ――行くべきか、行かざるべきか。

 少女の手招きが見間違いでなかったとしても、ユアンを助けるためなのか、それとも嵌めるためなのか、結局のところ分かりはしない。言葉の通じない少女には、ユアンに助けられた認識などなく、近くによったら毒を盛られて、好き勝手引き回されたと思っているだけかもしれない。

『どちらでも同じことさ』とアリアは告げた。

『私がついている限り、捕まることはない』

「……なら、行くか」

 ユアンは蜘蛛の左脚をさわり、空洞へと蜘蛛の行き先を変えた。


 精霊がついていなければ、背負えない危険だろう。逃げ場の少ない地下に進むよりも、地上での追いかけっこを続けた方がまだ分がいい。

 精霊がいるからこそ、できる選択。迷う度にそれを選んでいけば、先達のゲーレンたちが辿りつけなかった場所まで旅ができるのかもしれない。そうユアンは思った。

『いいや、君は受けた悪意を癒やしたいのさ』とアリアは言う。

『パウークに毒を飲まされたのが、頭に来てるんだろう? 自覚がないなら教えてあげよう。部族の最後の一人として大事に育てられた君の心は、自分で思っているよりも、やわだ。悪意に慣れていないんだ。だからこそ、あの娘に癒してもらいたがってるのさ』

「よく分からない理屈だな」

 蜘蛛ごと空洞に飛び込んだユアンは、蜘蛛がやっと一匹通れる程度の狭い通路の先で、少女が手招いているのを見つけた。

 見つけた瞬間、心が緩んだ。蜘蛛から降りて少女の元へと走るうちに、だんだんと、アリアに心を言い当てられてしまったことに気がついて、恥ずかしくなってしまった。






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