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4、脱衣の決闘


 井戸から水を汲んで何杯か飲ませると、少女は少し元気を取り戻したのか、自分で桶を受け取って飲み干すようになった。

 吐かされるのが嫌なのか、ユアンが顔に指を近づけるたびにずいぶん暴れて抵抗したが、ユアンは力づくで指を突っ込んで、容赦なく吐かせた。

 もはやほとんど水だけになった吐瀉物を吐き出す少女の背中を軽く叩いて、

「まあ、このぐらいでいいか」と、ユアンは桶を奪い取った。

 撥ね釣瓶を落として水を汲み、天を仰ぎながら、澄んだ水を力一杯飲み干していく。雪を食べても得られない流水の喉越しが心地よい。

「……つめてぇ」

 ひりつくような冷たさがこめかみを貫き、めまいを起こさせる。冷えきっているはずの全身が不思議と火照ってきて、ユアンは妙に気分が高揚していることを自覚した。

「まったく、惨めなもんだよな」

 少女に空っぽの桶を突き返して、ユアンは彼女の頭を撫でた。

「何かを得ようと思って旅に出たはずなんだ。それがどうだ、あっという間に丸裸。我がことながら、ちょっとおもしろくなってきた」

 ユアンは遠巻きに見つめてくる群衆たちを見返した。多少の違いはあるが、全員赤を基調にした毛皮をまとっている。痩せていて、背は高くも低くもなく、目鼻立ちに際立った特徴があるわけでもない。

 おそらく種族は「人」に属するのだろう。エルフやドワーフといった変わり種ではない。ここが古代の城壁なら、古代人(アーシ)に近しい種族が残っていてもおかしくはなかった。

「誰か、言葉が通じる者はいないか」ユアンはあらん限りの大声で叫んだ。

【汎用語でも古代エルフ語でもいいぞ】

 群衆から返答はなく、代わりに怯え混じりの投石が飛んできた。何人かの若い男たちがニヤつき混じりに近づいてきたが、《未到の力》によって空中で止まった石を見て、足を止めてしまった。ユアンには分からない言葉で耳打ちするものや、怒鳴りつけるものもいる。

「アリア、ここの連中はいったい何語で喋ってるんだ?」

『すぐには分からないが、おそらくここ以外では使われない言葉だろう。元は汎用語と同じ古代ユースタリア語だろうから、しばらく時間をくれれば、私が解析しよう』

「どれぐらいかかる」

『なんでもいいから、もっと喋らせてくれ。今のままでは材料不足だ』

「と言われてもな……」

 これ以上刺激してもいいものかと悩むうちに、ユアンは目を見開いて、登ってきた崖下の辺りを見つめた。

「……まてよ。さっき蜘蛛から投げ飛ばしたじいさん、汎用語、喋ってなかったか?」

『うん、喋ってたね』とアリアは事もなげに同意する。

「喋れる奴もいるんじゃないか」

『洞窟に住んでいた連中――おそらくはハーフドワーフと連絡を取るときに使うんだろう。政治や商売を仕切っているような老人層には、汎用語を話せるものもいるんじゃないかな』

「なら、なんで話しかけて来ないんだ」

『さあね。裸の君を警戒しているのか、さっきのおじいさんのように投げ飛ばされると恐れているのか。それとも、うかつによそ者と話すことは慣習で禁止されているとか。村落共同体にはままあることさ』

「らちがあかないな。結局、エルフらしくやるしかないってことか」

『エルフらしく?』

「狩って奪う」

『なるほどね』


 ユアンは群衆を見回し、一番背の高い青年を指さして、軽く手招きをした。挑発だと通じたのかは分からないが、青年は傍にいた仲間に持っていた剣を預けて、素手でユアンの方へと歩いてきた。

 ユアンの目当ては、青年のまとっている暖かそうな毛皮だった。指と仕草で勝ったらよこせと伝えようとしたが、青年は意に介さずに突っ込んできて、ユアンのむき出しの下腹部に向けて蹴りを放った。

 ユアンは小さな動きで蹴りを避けると、その踵を掴んでから軸足を蹴り払った。あおむけに倒れこんだ青年の腹にかかとを落とす。青年が腹を押さえてもだえるうちに、ユアンは彼の被っている赤い帽子を剥ぎとって、自分の頭に付け直した。

「痩せすぎだな、蹴りが軽いぜ」

 ユアンはさらなる衣服を狙って青年に手招きをする。

 青年は立ち上がって、なおも向かってこようとしていたが、後ろから別の男たちに呼び止められた。

 青年は名残惜しそうにユアンの頭を見つめながら群集の中に退き、代わりに、青年を呼び止めた二人の男たちがユアンの前に立ちはだかった。いずれも背は低く、顔にはシワが多いが、手足には筋張った筋肉がついている。利き手に刃の湾曲した剣を持ち、もう片方の手に木の板と毛皮を貼り付けた小型の盾を構えていた。

 二人の男は左右から同時に襲いかかってきた。ユアンは《未到の力》で空中に留まったままの石を掴んで、向かって左側の男に投げつけ牽制すると、右側の男の切り下ろしを飛び下がって躱してから、井戸の石を足場に跳躍して蹴りかかった。右側の男は盾で受け止めたが、衝撃を殺しきれずに膝をつく。しゃにむに突き出した剣を冷静に躱され、盾の裏から横殴りに顎を殴られると、その場に崩れ落ちてしまった。

 ユアンの動きを目で追ってしまって、すっかり出遅れた左側の男は、はっと気がついて剣を繰りだそうとしたが、ユアンは既に右側の男の剣を拾っていた。湾曲した刃を返して左側の男の剣を一合で弾き飛ばしたユアンは、男の首に剣を突きつけ、

「動くなよ」と、ありったけの殺意を込めて威嚇した。

 動きを止めた男の上着のボタンを、ユアンは片手でゆっくりと外していく。男が屈辱に耐え切れなくなり、顔を真っ赤にしながら殴りかかろうとした瞬間に、剣を引っ込めてみぞおちを殴った。

 気を失った二人の男の服を、ユアンは遠慮なく剥ぎ取っていく。一番欲しいのは靴だったが、ユアンの足には小さすぎて履くことができなかった。

 ともかくもぴちぴちの上着とズボンを手に入れたユアンは、さらに男たちの盾までひっぺがして、自分の左手に備え付けた。

「誰か、足の大きな男はいないか」

 ユアンは大声で叫んだが、群衆は遠巻きに石を投げつけるばかりで、返事をするものはいなかった。

「あぁ、腹が減った」

 ユアンは再び少女が持っていた桶を引っ掴んで水を汲み、音を立てて飲み干した。冷水が麻薬のように脳を痺れさせていく。靴よりも食べ物が欲しくて仕方なくなってくる。まともな家畜のいなさそうなこの集落で、食べられそうな肉といったら――

 ユアンの周囲に、数匹の蜘蛛が忍び寄る。蜘蛛の背中には赤服の痩せた男たちが乗り込んでいて、思い思いに弓や弩を構えてユアンに狙いをつけている。

「アリア、蜘蛛の肉ってのは、うまいと思うか?」

『さあね。さすがの私も食べたことがない』

「はははは、俺に付いてきてよかったな。お前が何よりも待ち望んでる、新鮮な体験て奴だ。今から腹いっぱい食ってやるよ」

『いやあ、こういうのはちょっとね。上品な私には合わないかなぁ』

 

「少し待て、野蛮なエルフめ」


 群衆の上を飛び越えて、一匹の蜘蛛がユアンの前に降り立った。背中には先ほど言葉を交わした老人が乗っている。

「なんという乱暴を働くのだ。今すぐやめよ」

 老人は怒りのしわをたぎらせながら、ユアンを睨みつけた。

「やめるかどうかは、あんた次第だ」とユアンは睨み返した。「まずは名乗って、俺の話を聞いてくれ。なにせ話が通じる相手が、あんたしかいないんだからな」

「傲慢な」

「悪意があって、ここに足を踏み入れたわけじゃない。エラの毒にやられた女の子を助けるためだ」

「その毒も、お前が盛ったのではないのか」

「事故だ。――質問ばかりしてないで、少しは俺に親切にした方が、お互いのためだと思うがな」

 ユアンは敵意のなさを示すために剣と盾を投げ捨てた。

「蜘蛛を引っ込めてくれ」

 ユアンは老人に、例の、どう受け止められても構わないというような、曖昧な微笑みを向けた。

「蜘蛛が俺に向かって糸を吐いたら、交渉は終わりだ。奪えるだけのものを奪って、山越えに備えることにするよ」

「……この山を、越えたいというのか」

「あんたらの財産が千リーゲルよりあるんなら、手っ取り早く洞穴を行くかな」

 ユアンは言うだけのことを言って、老人の反応を待った。

 

「具体的な、望みは」

「下の木陰に毛皮を何枚か持ってきている。それで服と食糧を買いたい」

「毛皮なら足りている」

「虎や黒豹の毛皮が足りているだって? エルフの間でさえ高級品で通ってるんだ。欲しい奴はいるはずだ」

「――お前が本当に毛皮を持っている保証はない」

「それはこの子に聞け」

 ユアンは井戸の裏にへばりつくように隠れている少女を指さした。

「まだ喋れないだろうから、筆談で聞けよ」


 老人はしばらく思案しているようだったが、やがてユアンには分からない言葉で何事かを呟いた。それに赤服の男たちが声を荒らげて文句を言っているようだったが、老人が言葉を重ねるうちに静まり、やがて少しずつ、ユアンの周りから人が減っていった。

「お前の名前は」と老人は問う。

「ユアン」

「姓はないのか」

「捨てたさ」

 老人は蜘蛛から降りて、足の一本をそっと撫でた。蜘蛛は静かに後ろを向いて去っていく。

「とりあえず、私について来い。仔細はそこで聞く」

「ああ、分かった」

 話が一段落すると、急に眠気が襲ってきた。

 ユアンはあくびをしながら、もう一度少女の元に近づいて、しゃがみこんだ。

「おい、じいさん。通訳してくれ」

 老人は立ち止まって、しぶしぶ井戸の傍に近づいてくる。

「いいか、毒はだいたい洗い流せたはずだけど、喉はそうとう弱ってるはずだ。しばらく固いものは喰わない方がいいし、食うときはよく噛んでから大量の水と一緒に流し込め。分かったな?」

 老人が通訳すると、少女は小さく頷いた。

「面倒だな。なんで汎用語を教えないんだ」

 とユアンが愚痴ると、

「誰もが覚える必要はない」と老人は答えた。「余計な口を挟むな。お前に悪意がなかろうと、その傲慢な幼さは、我々の気に障る」

「傲慢なのはお互い様だと思うけどな」

 老人の後ろについて歩くと、裸足の冷たさが身にしみた。

 とにかく、靴を手に入れるまではおとなしくしておこうと決意するユアンに、

『もう遅いんじゃない?』とアリアは注意を促した。

 相当な数の痩せた男たちが、まだ遠巻きにユアンを睨みつけているようだった。



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