TRUMP~Trick or Treat!!~
「夏ー、今日なんの日か知ってるか?」
「ハロウィンですよね? 仮装をした子供を何人か見ましたよ」
リビングで二人の男が話をしている。一人は短めの髪を立てて、その左サイドには銀色のメッシュが三本入っている。垂れた両眼はまだ幼さを残しているが、それは力を入れれば鋭く光る。顔立ちは標準的だが、カーゴパンツに白いYシャツ、ピンの代わりにエンブレムのついたネクタイという服装は、どこか不良的だ。極めつけは、彼の左耳に二つついているピアスと、銀色に光る無骨なネックレスや指輪の数々である。
もう一人の男は、ひどく目を引いた。それには二つの理由がある。一つはその長身である。百八十センチ後半の背丈は、椅子に収めるには少々窮屈そうだ。そしてもう一つは、その美麗な顔立ちである。女性が十人いれば十人振り向くであろう整った顔と、洒落たカフェの店員のような服装。それらは彼の優等生ぶりをよく現していた。
「せーかい」
椅子の上で胡座をかいている不良の青年春一は、人差し指を立てて笑顔を作った。その笑顔にもう一人の男、夏輝は背中に悪寒が走るのを感じた。春一がにんまりと笑う時は、必ず裏がある。そしてその「裏」は、夏輝にとって厄介事である。
「ハル、何を考えてます?」
「いんや、何も」
嘘だ。そう直感的に判断した夏輝だったが、それ以上追求したところで春一が口を割るはずもない。
「で、夏。入った依頼ってのは?」
春一が本題を切り出す。依頼というのは、彼が開いている妖万屋のものである。人間と妖怪の間で起こるトラブルに赴き、解決するという仕事を春一は請け負っている。夏輝はその助手であり、彼が春一に対して敬語なのもそのためだ。
「実は、依頼というか、福良君からの相談なんです」
「福良の?」
福良というのは妖怪の子供であり、春一の友人でもある。福良は現在小学二年生である。ちなみに、彼らの種族、呱々(ここ)は人間と姿形は同じなため、妖怪であることを隠して生活している。
「福良が学校から帰っている途中、妖気を感じたらしいです。興味本位に近付くと、二人の妖怪がある会話をしていたようで」
「どんな会話?」
そこで夏輝は一呼吸置いた。そして息を吸い、重大な事実を告げる。
「ハルの拉致計画です」
一瞬その場が凍りついたように停止する。春一も若干目を見開いて、瞬きを忘れる。
「マジか」
春一はそう言ったと思ったら、今度は先程よりも笑顔になった。
「いやー、人気者は辛いねぇ」
面白がっている。夏輝は即座にそう判断した。この笑顔と、しばし上を向いた視線。これは、相手をどう愚弄しようか思案しているのだ。……本人にそんなことを言ったら「人聞きの悪いことを言うな。俺は遊ぶだけだ」と堂々返されるに決まっている。よって夏輝はその言葉を飲み込んだ。
「で、詳細は?」
「福良君の話によると、その妖怪は二匹とも騏鬼です」
「騏鬼ってあれか、日本刀で首を斬る死神」
「はい。相手が相手だけに用心はした方が」
「わーってるって。じゃ、夏にお願いがあるんだけど」
「何ですか?」
「その二匹の騏鬼の居場所を洗い出してくれ。あ、夢亜は今、重要案件に追われてるからなるべく使わないでやって」
「わかりました」
夢亜というのは春一と同じ高校に通っていた凄腕の情報屋である。しかし、今回はその夢亜に頼ることはできない。夏輝は騏鬼の居場所を探るべく、単独で動き出した。
「さて、まずは何か手掛かりを見つけないと……」
夏輝は一人、福良が騏鬼を目撃したという公園にいた。十月の終わりともなると、なかなかと冷え込む。春一達が住む数珠市は日本の中でも温暖な気候ではあるが、それでも秋が深まった今、迂闊に薄着などしたら風邪を引いてしまいそうだ。
「福良君の話によると、この辺で騏鬼達は話していたはず……ん?」
公園の奥、木々が茂っているちょっとした散歩道に、それは落ちていた。
「何だ、この紐……」
それは掛け軸にでも使われていそうな太い紐で、赤の中に金糸が混じっている。
「これは……下げ緒?」
その選択肢が出てきたのは、騏鬼という妖怪は日本刀を用いるという知識があったからだ。日本刀の鞘と着物を繋ぎ、刀が落ちないようにするための下げ緒は、アクセサリーの意味もあり、装飾がなされている。
「まさか、騏鬼の……」
夏輝は道に落ちていたそれを拾い上げて、近くで見てみた。長さも太さも、下げ緒と一致する。
「いや、しかし騏鬼のものと決めつけるには早計すぎる。もう少し何か手掛かりを……」
見つけよう、と続けようとした夏輝の言葉は、風によって遮られた。明日から十一月ともなると、もう寒風と呼ぶのに差し支えない風だ。寒さに体を丸めると、何かの香りが彼の鼻をくすぐった。
その異変に気付いた夏輝は、先程の下げ緒を顔の前に持ってきた。
「これは、ローズマリーの香り?」
風に乗って鼻腔をくすぐった香りは、よくよく確かめてみるとローズマリーのものだった。
「何故、下げ緒にローズマリーの香りが……?」
腑に落ちない部分はあるが、夏輝には一つ思い当たる節があった。それは、この香りがどこで付いたか、ということである。
「あの店か……?」
春一と夏輝が住む四季文房具店の近くに、ひっそりと佇む白い小屋のようなショップがある。そこはアロマの専門店で、店を経営しているアロマセラピストは、その世界では有名らしい。
これだけ強く香るのだから、ローズマリーの葉が少し擦れた、というわけではなさそうだ。アロマオイルが垂れてこの下げ緒に染み付いたと考えるならば、辻褄は合う。騏鬼とアロマショップがどう関係しているのかはわからないが、少しでも手掛かりが欲しい今、店に行ってみるのは無駄ではあるまい。
夏輝はそう考えて、足をアロマショップへと向けた。
ギイィ
徒歩で数分。アロマショップへと赴いた夏輝はそのドアを押した。薄暗い店内には、数えるのが億劫になるくらいの小瓶が並んでいた。全てアロマオイルだ。よく見ると、ラベルに書いてある文字はそれぞれ違う。
「すみません」
店内に一歩入り、声をかける。しかし返事はない。夏輝は更に一歩踏み込んで、後ろ手にドアを閉めた。
「すみません、どなたかいらっしゃいますか」
奥に部屋があるようだ。そこで調合でもしているのだろうか。声を大きめにして、再度呼びかけた。しかし、返ってくるのは沈黙と静寂だけだ。
「!!」
夏輝は急にドアから身を離し、半身を翻して入口を睨んだ。確かに、ドアの向こうに妖気が感じられる。人間である夏輝は、妖気を感じ取れるだけで、それがどの種族のものかという所まではわからない。もし扉の向こうにいるのが騏鬼だったら。そう考えると、背中に季節外れの汗が流れた。
自身の武器である、呪符で作られた紐に手を伸ばすと、足音がしてドアが乱暴に開けられた。
「Trick or Treat!!」
ドアの向こうから現れたのは、変装をした春一。そして、彼の幼馴染である丈と琉妃香、それに依頼を持ち込んだ福良である。
「おい、菓子よこせよ。でねーと悪戯するぞ?」
ニヤニヤと笑いながら右手を差し出す春一を見て、夏輝は全てを悟った。
「……やってくれましたね」
「何を?」
未だにやけ顔をやめない、狼男の格好をした春一。そう、全ては春一が仕込んだことだったのだ。福良が依頼を持ち込んだのも、公園に下げ緒が落ちていたのも、それにアロマオイルの香りが付いていたのも。全ては、夏輝をここに誘導するための仕掛けだった。
「ナッちゃん、トリックオアトリート! ほら、早くお菓子出せヨ」
「夏兄、アップルパイは? ないなら……わかってるよね?」
透明人間と魔女の格好をした丈と琉妃香はそれぞれ好きなことを言っている。
「パパ、トリックオアトリート! お菓子くれなきゃ悪戯するぞ!」
春一の狼男を小さくしたような福良が、夏輝を見上げて笑顔を弾けさせた。
「……全く、お菓子をあげる前に悪戯してどうするんですか」
ショップの近くにあったコンビニでお菓子を購入し、店内ではちょっとしたパーティーが開かれていた。ちなみに、このショップは琉妃香の従姉妹が経営しているため、好きに使っていいらしい。その有名なアロマセラピストは、現在旅行中だそうだ。
「福良、いっぱい食べていいからね」
「ありがと、パパ!」
チョコ菓子やスナック菓子を争うように食べる春一達から死守したお菓子を、福良の前に持ってくる。彼はぱあっと顔を明るくして、おいしそうにチョコを頬張った。
「何でこんなこと考えたんですか」
「いや、せっかくハロウィンだし何か悪戯をと思って」
「……悪戯はお菓子をくれない人にするんですよ」
「そこら辺はほら、楽しんだもん勝ちってことで」
「意味がわかりません」
ぴしゃりという夏輝だったが、春一はそれをまるで意に介さず、菓子を食べ続けていた。
「お前もまだまだだな。俺の仕組んだこんなミエミエの仕掛けに引っかかるなんて」
「悪戯に気付くヒントは、今思えばいくつかありました。わざとヒントを出したのでしょう?」
「当たり前だろ。悪戯に気付くかどうか、それを見るのもまた面白いんだよ」
「依頼を福良が持ち込んだというのが、まず一点目のヒントですね。もし本当に騏鬼達が話をしていたのなら、育て親である佐伊さんに言うはずですから」
「そ。二点目は?」
「夢亜さんが重要案件を追っているということ。彼は一流ですから、どんな重要案件を追っていても私達のサポートは朝飯前のはずです」
「いいね。じゃあ、三点目」
「下げ緒は着物と鞘をつなぐもの。それが取れれば、気付くはずです。それが落ちていたという点」
「全問正解」
ジュースを呷りながら、春一は満面の笑みで答えた。その横では、丈と琉妃香が彼のことを睨んでいた。
「くっそー、ハルの一人勝ちかヨ!」
「あーあ、あたしが飲むはずだったお酒が」
それぞれに不満を言う彼らにいやらしく笑いかけて、春一は更にジュースを飲んだ。
「いやー、ビール二本もごちそーさん」
そこで夏輝は、彼らの話している内容に見当がついた。
「ハル、まさか……」
「ああ、お前が途中で気づくかどうかで勝負してたんだよ。ビール一本賭けてな」
最早溜息すら出ないこの現実に、夏輝は頭を抱えた。
「まーまー、そんな落ち込むなって」
夏輝の背中をバシバシと叩きながら、豪快に笑う春一。そんな春一が憎いようで、どこか憎みきれない。損な兄貴役。そういうことで、良しとしよう。
夏輝はそう思い始めた。何せ今日は、ハロウィンなのだ。お祭りに沈んだ顔は似合わない。そこまで考えて、彼は顔を上げてジュースに口をつけた。そして、重要な言葉を忘れていたことに気付く。
「そう言えば、忘れていました」
「? 何を?」
「Happy Halloween!!」