序章
序章
女子高生って、めんどっちい。
グループとかおそろいとかハブるとかなんちゃらかんちゃらと束縛が多い。校則をけなしてるスカート丈短めのみなさーん。あんたらの仲間意識のほうが数百倍もめんどっちいですよー。
でもそんな中でもダントツでめんどっちいのは、その中で笑って立っていなければ学校になんか居場所がないと本気で思っている、自分だ。
「越谷―」
「ん?」
高校。二年三組の教室。クラス替えしてすぐ。戦場。仲間、未だにゼロ。とりあえず愛想笑い中。
私は甘ったるい声と匂いに振り返る。想像していた通りの煌びやかな女が私に雑誌を見せつけてきた。
「ね、この雑誌に載ってるスカート、よくない?」
「あー、いいね、すっごいかわいい」
にっこり笑ってやる。生まれついた家庭環境のおかげか、私の笑顔は状況反射でぱっと飛び出す。考えなくても頬の筋肉が動く。習い性、というやつだろうか。このサバイバルを生き延びる上では大事なポイントだ。
「うっそー、ほんとにそんなん思ってる?わたし、チエにこんなんありえないって言われてー。ちょっとショックだったんだよねー」
そうですかい。その前に私にはあなたの名前がわからないのだがどうしよう。一昨日遊んだ時聞いたよなー、なんだっけ。
疑問をいったん押し込めて、私は鉄壁の笑顔を作る。
「思ってるよー、わたしこういうストライプの好きー」
たくさんの折り目のついた雑誌。きらきらと光る唇。ぴらぴらする髪飾り。鼻を突く香水の匂い。
どうしてこうも女という生き物はちゃらちゃらと。
そんで私もちゃらちゃらと。
髪の毛整える十五分、ふつーに寝てたいのに。
ファッション雑誌買うお金で、たこ焼き食べたいのに。
昼休みのガールズトークなんか無視して、一人でマンガでも読みたいのに。
アイドルが出てるバラエティ見て感想考えるぐらいなら、一人でサスペンスドラマでも見てドキドキしたいのに。
そんでも愛想笑い。そんでも巻き髪。そんでもちゃらちゃら。
滑稽という言葉は、私たちのためにあるんじゃなかろうか。
「でね」「かっこいい~」「そんであの男がさ」「あいつ?まじ?やだ、キモい」「だからだからあ」「え、やばくね?」「うざー」「てかさ、あの人何様」「アタマオカシイって」
くるくると回る言葉。くるくると変わる価値観。くるくると訪れる流行。くるくると翻る友人関係。
ついていこうと必死になると頭がくるくる、いや、くらくらしてくる。
そんで私もくるくると。そこに何の意味もないと知っているのにしがみつこうと躍起になっている女の一人。
はは、くっだらない。
でもそのくだらない日常に終止符を打つこともできず、結局曖昧に笑うだけの日々を過ごしていく。
めんどくさいよね、ほんとに。
めんどくさい。
「あ」
目の前の、まだ名前の思い出せない女が声を上げた。それから私の方へ身を乗り出して来る。なんだか引き寄せられて、私も彼女の方へ顔を寄せた。
「ヨネダが来た」
ヨネダって誰よ、と訊きたいところだがぐっとこらえる。代わりに教室のドアの方を見やると、細身の女が入ってくるところだった。
「ちょっ、越谷、なにガン見してんの」
囁かれるが気にせずじっくりとその女を見た。いや、見てしまった、のほうが近い。日頃、しかも学校なんかで私が興味を持つ人間なんてほとんどいないのに、今後この煌びやかな女と良好に付き合っていくためにはさっさと目を逸らして彼女の紡ぎだす噂話を聞いた方がいいのに、何故だか、何故だろう、私はその女を凝視してしまった。
地味。
その一言で片づけられそうな容姿だった。ぱっとしない顔。重たそうなフレームの眼鏡。輪郭を覆う長いこげ茶のロングヘアー。どこにでもいそうな平凡な女子高生。平均より細いであろう四肢が目につくが、それだって「イマドキ」の女子には珍しくない。病気を疑ったり歩けるのかと心配になるほど細すぎるわけではない。要するに、特徴がないのだ。その他大勢にあっという間に紛れてしまう。クラスメイトの中心になどなりそうにもない。
それなのに、オーラと言っても過言ではないものが彼女から滲み出ていた。いわば、普通の人間にはないなにか。普通の女子高生が身に着けているはずのない雰囲気。
私は少し、ほんの少しであるが身震いした。
直観する。
なんか、すごい。
なにが「なんか」なのか全く見当がついていないけど、なんか、この子、すごい。
ヨネダはスタスタと自席まで歩いていくと、誰とも挨拶せずに(もちろん私とも目を合わせずに)すとんと椅子に腰を下ろした。スクールバックから本を取り出し、さも当然のように読み始める。その横顔がまた、なんとも言えず凛々しい。
「ね、お高く止まってんでしょ」
嫌味交じりの、いや、嫌味オンリーの口調で煌びやかな女子が言う。ていうかいい加減この人の名前思い出せ、私。思い出せないなら適当に名前付けろ。あー、なんか雰囲気工藤だから仮名工藤でいいかな。なんつって適当すぎ?でもめんどくさいからそれでいい。よろしく、工藤さん。
「あんなんしてたら目えつけられるっつうの」
工藤(仮名)が言った。「そりゃうちらはイジメとかしない善良な生徒だけど、ああいう人間いるとクラスでの扱い困るじゃん。高2なんて一番行事多い年なのにさあ、めんどくてしょうがなくない?」
「うーん……」
私は悩むように顎に手を当てたが、実際は悩むことなくヨネダを見ていた。
「一年の時ヨネダとクラス一緒だったカオリがさ、『あんまり調子乗んない方がいいよ』って言ってあげてもなんも反応しないでこっち見てくるだけなんだって。キモいよね」
あいにく、私にその感受性はない。誰かをキモいとか不細工だとか思ったことは16年生きてきて数えるほどしかなく、だからすぐに人を見た目で侮辱する女という生命体と相いれないんじゃあないかと思う。
ていうか「あんま調子乗んない方がいいよ」とか上から目線で言われたら私だって呆れて返す言葉がない。もしかしたら思いっきり睨みつけるかもしれない。何の反応もしなかったヨネダはある意味大人だ。
狭い世界。
狭い人間関係。
そこで生きていくことが、ため息の出るほど鬱陶しく思える時だってある。そして、そんな時私はただ笑顔をこれでもかとばかりに前面に出すしか術がない。
半端ない倦怠感と自己嫌悪。ハハ。
これが今後の人生の役に立つってんだから、日本の社会ってほんとどうしようもない。協調性?社交辞令?愛想?そんなもんが能力より大事だとか、そんなもん自体が人間性として評価されるべきだとか。おかしくないわけ。
まあそんなことを考えつつ私は何かを変えようとかいう大した野望もなしに、むしろそういうものを目いっぱい使わせていただく意地汚い人間なのであります。が。
めんどくさい世の中に興味を持てるものが一つでもあるってことは、奇跡じゃあないだろうか。
彼女を知りたい。話がしてみたい。
それは多分、ひと目惚れに近い。
私はヨネダという人間を、一瞬で気に入ってしまった。
思わず喉を鳴らして低く笑った。
これはもう、面白くならざるを得ないんじゃないでしょうか。
めんどっちい日常が、くるりと背を向けた気がした。
単純かもしれない。けれど、ヨネダは確実に私の興味を惹きつけて離さない人間だと確信した。
ここからこの一年が始まるのだと何の比喩でも誇張でもなくそう思った。