不食人9
翌朝僕は、バイトに向かおうと、公園東口に自転車で向かった。ところが公園の入り口に、黄色いテープが張り巡らされ、立ち入り禁止の看板が掲げられていた。昨日の晩、長岡の住むアパートからの帰り道には無かったものだ。公園の中には、警官の姿が見受けられた。
まだひったくり事件を調べているのだろうかと、僕は思った。仕方がないので公園を迂回してバイト先のコンビニに行くことにした。公園を突っ切れば十五分と掛からないが、遠回りだと三十分以上掛かってしまう。バイト先に着いた頃には、遅刻寸前だった。
駐輪置き場に自転車を止めると、店の駐車場に停めてある一台のパトカーが目に入った。僕は訝しげながら、コンビニ入り口に近づく。ドアに来た所で、スーツを着たいかつい二人組の男と目が逢った。僕は反射的に目を逸らすと、店の中にそそくさと入って行く。
「やあ柏木君。今日は朝から参ったよ」
店長は、誰かに愚痴をこぼしたくて堪らないといった様子だった。
「今すれ違った二人は、警察の人ですか?」
「ああ、昨日の夜遅く、公園で若い女性が殺されたらしい」
「殺された? 若い女性って……。誰なんですか?」
「さあね」
「まさか、秋野さんじゃないですよね?」
「え? 違うよ」
それを聞いて僕は胸を撫で下ろした。
「名前まではわからないが、またウチの客らしい。昨晩十時過ぎの、店のレジとカメラに、弁当を買った記録が残ってた。ところが何処を探しても現場に弁当が無い」
「殺した挙句に、弁当を盗んで行ったってことですか?」
「警察も、一昨日の犯人と同一人物だと思ってるみたいだな。公園のホームレスが普段見かけない怪しい男を目撃してるらしい。警察が言う犯人像と、昨日秋野君が話してた男の特徴とが一致してた。ウチとしては迷惑な話だよ」
「たかが弁当では、済まなくなりましたね」
「こみかみに一撃だそうだ」
「なんです?」
「被害者の死因だよ。左こみかみが陥没してたそうだ。しかも素手で殴られた。素人技じゃないな。通り魔だかなんだか、目的はわからないが、ウチの客ばかり狙いやがって冗談じゃない」
「一撃……」
その時、僕のお尻の辺りで携帯電話が震えた。後ろポケットを漁り携帯を取り出す。開けて見ると、昨日喧嘩別れしたばかりの長岡から、短いメールが入っていた。
(夢に出てきた食い物も母親も夢じゃなかった。俺はとんでもないことをしてしまった)
最後にすまないと添えてあった。これが何を意味するメールなのか、昨晩起きた事件を考えれば、さすがの僕でも解かるというものだ。
一昨日の晩、長岡の意識は朦朧としていた。僕が帰った後、彼の生きようとする本能だけで行動したというのなら、理性などとうの昔に吹き飛んでいたはずだ。そして彼は本能に従い、殺すつもりこそなかっただろうが、昨日の晩も女性を襲い弁当を奪ってしまった。彼はようやく自分のしでかした事に気付き、謝罪しているのだ。
「やっぱりあの日無理にでも、止めておくべきだった……」
「なんだい?」
「急用ができました。ちょっと出てきます」
「え? 仕事はどうするの? ちょっ、ちょっと待って……!」
最早僕の耳には、途中から店長の声は届いていなかった。僕は店を出た後自転車に跨ると、一直線に友人のアパートを目指して漕ぎ出した---。
僕は長岡の住んでいるアパートのドアを勢いよく開くと、友人の姿を探した。彼はちゃぶ台に肘掛、頭を抱え蹲っていた。
「長岡!」
長岡はハッとして僕を見上げた。その顔は蒼白だが、昨日より目の窪みが薄くなっている。盗んだ弁当で、栄養を補給したに違いない。
「柏木、メールを見たのか?」
僕は部屋に掛けてある、フード付きの黒いジャンパーを見て確信していた。
「長岡、馬鹿なことをしたな」
「昨日夢を見た。俺は目の前の食い物をむさぼり食ってた。だが、それは夢じゃなかった。気が付いた時、俺の近くに女が転がってた。俺の知らない、見たこともない女だった。怖かったよ。俺は自分の知らない間に、とんでもないことをしてしまった」
長岡の痩せ細った手が、小さく震えていた。
「長岡……」
「一昨日の夜も俺は……。信じてくれ柏木。お前を騙すつもりはなかった。本当に何も覚えていないんだ!」
「分かった、もういい。信じるさ。こうなった責任は僕にもある。長岡、一緒に行こう」
「行く? どこへ?」
「君は病気だ。肉体は限界を超え、精神が崩壊してしまったんだ」
「俺が病気?……そうかも知れない」
「だが心配するな。僕が付いてる。君の事は僕が証言する。罪はきっと軽くなる」
「罪?」
「自首しよう」
「自首?」
僕の言葉に、長岡は完全に呆けていた。




