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不食人10完結

 

「今に警察が踏み込んでくる。そのジャンパーを見られたら言い訳なんて出来ないぞ。自首するなら今しかない。それとも君は、逃げ出すつもりだったのか!」


 長岡は僕の顔を正面から見つめ、不思議そうに首を傾げていた。こちらの気持ちが通じていないのか、どうも彼の様子がおかしい。


「まだ寝ぼけてるのか! 長岡!」


 僕は彼の胸元を絞り上げた。見開いた長岡の目に、僕以外の人間が映っていることに、彼の瞳を通してようやく気が付いた。


 振り返る隙も無く左肩を押され、バランスをくずした僕の体は、畳の上を一転する。転がった拍子に部屋の柱に頭を打ち付けた。


「つうっ!」


 僕は苦い顔で、突き飛ばしたであろう人物を睨みあげた。一人の女性が長岡の前に両手を広げ、僕の視界を遮っていた。


「この人は病気です! そんな人にこんな乱暴するなんて、あなた正気ですか!」


 親の仇でも見るかのような両の目が、僕をしっかりと捉えている。その女性の艶のある黒髪が、肩から滑り降りた。突然現れた女性に僕は怒りさえ忘れ、声を発することすら出来ずにいた。


「柏木君?……どうして、あなたがここに?」


「秋野さんこそ……」


 聞きたいのは僕の方だった。秋野さんがこの場に居るはずがないのだ。いや、彼女だけではない。この部屋には、僕以外の人間が来るはずがないのだ。


「と、とにかくその男から離れて下さい! 一昨日の晩のひったくり事件の容疑者です。昨晩は人を襲って殺してる。殺人犯なんですよ!」


「何を、言っているの?」


「秋野さんだって、そこにある黒いジャンパーに、見覚えがあるでしょう?」


「確かに見覚えはあるわ。でも彼は、犯人じゃない。昨日の晩、私とずっと一緒にいたから間違いないわ」


「ずっと……一緒に?」


 悪い夢でも見ているのだろうか? 今まさに何が起こっているのか、僕の頭は混乱し全く状況を掴めずにいた。


「彼女の言っている事は本当だ。昨日だけじゃない、一昨日の晩も俺と一緒にいたらしい」


「なんだよ、それ。大体、なぜ秋野さんがここに居るんだ?」


「隣に越して来たのよ」


「いつ?」


「一昨日」


「嘘だ! 僕は毎日このアパートに来てた。だけど、一度だって人の気配なんて感じなかった!」


 隣に人が居たなんて思いもしなかった。しかし、僕がこのアパートに来ていた時間、秋野さんは仕事をしていたのは確かだ。


「じゃあ、あの日秋野さんが休んだのは?」


「引っ越しをするためよ。知ってる? このアパートお風呂こそ無いけど、ただ同然で借りられるの。すぐに越さない手はないでしょう?」


「長岡が、隣がうるさいって言っていたのは、秋野さんが引っ越しをしていたから……」


「お前が知らないのも無理はない。俺も全く気付かなかった。一昨日の晩、お前が帰った後の話だ。彼女は引っ越しの挨拶をしようと俺の部屋を訪ねてきたらしい。そこで寝たきりの俺を見て放って置けなかった。記憶はないが、俺に食べ物を与え看病してくれた。俺が元気になったのは、彼女のお蔭らしい。それに気が付いたのは、昨夜の事だ。俺はそんな彼女に、とんでもないことを……」


「いいのよ、気にしないで」


「しかも、柏木の知り合いだったなんて、本当にすまない事をした」


「あんな状態だったんですもの。仕方のないことよ」


 落ち込む友人を、秋野さんは手を添えて労わっていた。


「とんでもないこと?」


 顔を赤らめ寄り添う二人を、僕は両手をだらりと垂れ落とし、只々呆然と呟いた。


「僕はてっきり、長岡が犯人だとばかり……」


「その犯人なら、ついさっき捕まったわよ」


「捕まった?」


「今テレビのニュース速報でやってたの。なんでもこの近くのボクシングジムに通ってる、青田とか言う練習生って話よ。そこにある黒いウェアと、全く同じジャンパーを着てたわ。以前にも余罪があるんじゃないかって」


 それを聞いて、長岡がまた頭を抱えだした。


「青田先輩が? 信じられないな。俺はそんな人のウェアを貰っちまってたって事か?」


「なんだか怖い話ね。でも、無事に捕まって良かったじゃない」


「そうだな。そんな事で疑われでもしたら堪らないからな。とは言え、実際疑ってた奴も、いたようだが?」


 長岡の冗談めかした目線を、僕は否応なしに受け取った。


 秋野さんは幼くして、極限の飢えを経験している。寝たきりの長岡を見捨てられる訳がないのだ。友人が言った、襲った女性が誰であるかは考えるまでもなかった。


 そして彼女は、聖母でもあるかのように全てを受け入れ許してしまった。綺麗に揃えられた靴の理由を、僕は図らずとも知る事となった。


 友人が犯人でなかったことに安堵すると同時に、受け入れがたい現実を、今まさに目の当たりにしていた。


 僕はきっと、不食人になってしまうに違いない。なにせ体中の関節があっという間に抜け落ち、僕の体を支えるものなど、もう何もかも無くなってしまったのだから―――。


 第一部「不食人」最後までお読み頂きありがとうございました。今後この場に、一話完結物を置いて行きたいと考えております。よろしくお願いいたします。

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