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喫茶店ローズ11話 逃げろ

夜の空気は冷えていた。


店の裏口を出て、颯太はゴミ袋を肩に担ぐ。

紙と生ごみが混じった、少し重い袋。

距離は大したことはないが、街灯の間隔が妙に広く、夜になると心細い。


昼間の喧騒が嘘みたいに、街は静まり返っている。


――ここ、ほんとに現実なんだよな。


頭の中で、何度目か分からない確認をする。

異世界だとか、通貨が違うとか、住み込みだとか。

どれもまだ、実感に追いついていない。


ゴミ捨て場が見えた、その時だった。


向こうから、誰かが歩いてくる。


足音は静かで、急いでいない。

街灯の下に入ったその姿を見て、颯太は思わず足を止めた。


白いローブ。

長い白髪。

穏やかな微笑み。


――おじいさん?


第一印象は、それだった。


老人は颯太の存在に気づくと、にこやかに目を細めた。


「こんばんは」


声は柔らかく、よく通る。


「こんな時間に大変だね。お手伝いかな?」


普通だ。

あまりにも普通。


颯太は反射的に頭を下げた。


「え、あ……はい。店のゴミ出しで」


老人は満足そうに頷く。


「偉いね。若いのに、ちゃんと役割を果たしている」


その言葉に、胸の奥が少しだけ緩む。


――知らない人に、初めて“普通”に話しかけられた。


昼間はずっと、判断されて、測られて、流れに乗せられていた。

けれどこの老人は、ただの世間話をしている。


……はずなのに。


なぜか、背中が冷たい。


視線が、合っているのに。

見られている感じが、しない。


代わりに――

測定されている、という感覚だけがある。


老人が、ふと首を傾げた。


「君、最近ここに来たね」


断定だった。


「え?」


「匂いが違う。ここに“馴染んでいない”」


柔らかい声のまま、言葉だけが鋭い。


颯太の喉が鳴る。


「……そう、かもしれません」


否定する理由が見つからなかった。


老人は満足そうに微笑んだ。


「なるほど。なるほど」


独り言のように呟いてから、名乗る。


「僕はアーサー。

この街を、長く見てきた者だよ」


その瞬間だった。


理由は分からない。

名前を聞いただけなのに。


――逃げろ。


頭の奥で、はっきりと警鐘が鳴った。


颯太はゴミ袋を握り直す。


「……すみません、急いでいるので」


老人――アーサーは、少しだけ目を見開いた。

驚いたというより、興味深そうに。


「そうかい? 残念だな」


一歩、近づく。


距離はまだある。

触れられるほどではない。


それなのに、颯太は息が詰まる。


「でも、覚えておくといい」


低く、静かに。


「“居場所”は、与えられるものじゃない。

正しい形に、戻されるものだ」


意味が分からない。

理解したくもない。


颯太は何も言わず、深く頭を下げ、ゴミ捨て場へ足を向けた。


背中に、視線が刺さる。


振り返らなかった。

振り返ったら、何かが壊れる気がした。


ゴミを捨て、足早にその場を離れる。


角を曲がる直前、思わず息を吐いた。


「……なんだよ、あの人」


胸が、ざわついたまま収まらない。


その頃、アーサーは一人、街灯の下に立っていた。


「ふふ」


微笑みは、最初から最後まで変わらない。


「……ノイズだね。でも」


ゆっくりと、歩き出す。


「修正は、順番にすればいい」


その背中は、夜に溶けていった。


――この出会いが“偶然ではない”と、

颯太が理解するのは、まだ先の話だ。

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