喫茶店ローズ9話「この街を牛耳っている大商人ですよ……」
颯太は声を落として、オスカーに身を寄せた。
「あの。ゴードンさんって……?」
オスカーは紅茶を注ぎながら、表情を崩さずに答える。
「この街を牛耳っている大商人ですよ……」
颯太は一瞬、聞き返しそうになって言葉を飲み込んだ。
「牛耳る、って……その……」
「文字通りです。物流、資金、裏表の流れ。ほとんど彼を経由しています」
さらりと言われた内容が重い。
颯太は思わず、さっきの手の甲キスを思い出した。
「じゃあ、さっきのって……」
「アレクシア様に惚れているだけです」
即答だった。
「え、止めないんですか」
「止めています。今も」
少し視線をずらすと、ルシアンが無言でゴードンのカップの位置を修正し、砂糖を遠ざけている。
ゴードンは何も言わず、それを受け入れていた。
「……力関係、逆に見えます」
「表と裏が違うだけです」
オスカーはそう締める。
その会話を、悟真は胡座のまま聞いていたらしく、ふっと鼻で笑った。
「商人など、刃を持たぬ武人よ」
颯太は反射的に悟真を見る。
「でも、怖くないんですか」
「怖がる必要がある相手は、近づく前に殺気を隠さぬ」
そう言って、悟真は視線をゴードンに一瞬だけ向けた。
「――あの男は、欲が顔に出過ぎている」
ゴードンがちょうど大声で笑う。
「いやぁ、今日も静かでいい店だ!」
その隣で、ルシアンが淡々と告げた。
「旦那様。静かな原因を作っているのは、貴方です」
「細かいこと言うなって」
颯太は、喫茶店全体を見回した。
誰も動じていない。
警戒も、緊張も、特別扱いもない。
――この店にとって、大商人は“特別”じゃない。
その事実のほうが、颯太には一番衝撃だった。
ゴードンは両手を広げ、芝居がかった調子で言った。
「なぁ、アレクシアちゃん。俺と結婚してくれよ」
店内の空気が、一拍だけ止まる。
オスカーはカップを置く音すら立てず、静かに目を伏せた。
エドワードは眉をひそめ、アルフレッドは露骨に嫌そうな顔をする。
次の瞬間。
「却下です」
即答だった。
アレクシアは微塵も間を置かず、低く淡々と言い切る。
「理由、聞いていい?」
「聞く必要がありません」
ゴードンは一瞬だけきょとんとしたが、すぐに破顔した。
「ははっ! そこがまたいいんだよなぁ!」
その背後で、ルシアンがため息を一つ落とす。
「旦那様。公の場での求婚は成功率が著しく低下します。統計的にも」
「数字で恋ができるかよ」
「できます。失敗率の算出は可能です」
「夢がねぇなぁ」
そのやり取りを、鷹司は静かに眺めていたが、ふと口を開いた。
「……商人殿」
ゴードンは即座に振り向く。
「お、鷹司さん。どうした?」
「求婚も勝負も、間合いが肝要だ。踏み込みが雑だな」
ゴードンは一瞬だけ真顔になり、すぐに笑った。
「なるほど。一本取られた」
「取られてはいない。ただ、美しくない」
鷹司は抹茶ラテに口をつけ、それ以上は言わない。
颯太は小声でオスカーに囁いた。
「……本当に、あの人が大商人なんですか」
「ええ。ですからこそ、誰も相手にしていないのです」
「どういう意味です?」
「本物は、余裕がある」
その言葉通り、ゴードンは振られた直後だというのに、肩をすくめて笑っていた。
「ま、今日もダメか。じゃあ次はいつにしよ?」
「次はありません」
「冷てぇなぁ。でも好きだ」
その瞬間、ルシアンが静かに一歩前に出る。
「旦那様。これ以上は“無様”の領域です」
「……はいはい」
ゴードンは素直に一歩引いた。
颯太は理解した。
この男は軽い。
だが、軽く振る舞えるだけの力と余裕を、確実に持っている。
そして、この店は――
そんな男ですら、特別扱いしない場所なのだ。




