喫茶店ローズ番外編「ビリヤードが趣味の老人2人の話」
――閉店後、喫茶店ローズ。
照明は落とされ、ビリヤード台の上だけが淡く照らされている。
エドワードはキューを回しながら、無言で配置を眺めていた。
その向かい、鷹司は静かに抹茶ラテを置き、立ち上がる。
「……エドワード。その立ち位置、少し前だ」
「細かいな。これで十分、入る」
「“入る”と“美しい”は別概念だ。
その角度では、球が泣く」
「球に感情はないだろ」
「剣にも感情はない。だが、振るう者の呼吸で、斬り口は変わる」
エドワードは一瞬だけ舌打ちし、半歩下がる。
「……これでいいか」
「まだ半寸、左だ」
「お前、僕の身体の誤差単位どうなってんだよ」
「まあ、同じ相手を見続ければ、誤差は敵になる」
「執念深すぎだろ」
「修行とは、そういうものだ」
エドワードは構え直し、今度は無言でショットを放つ。
球は音もなくポケットに吸い込まれた。
「……ほら、入った」
「今のは、七十点だ」
「は?」
「軌道は正しい。だが、迷いがあった。
勝つための一打だ。美しくはない」
「相変わらず意味わかんねぇ評価基準だな」
「君は、常に勝ちを欲しがる。
だからこそ、君の球は時々、荒れる」
「お前は逆だろ。
勝てる場面で、わざと難しいルート選びやがる」
「勝利は結果だ。私にとっては副産物にすぎない」
「だったら何のために勝負してんだ」
「“呼吸”を確かめるためだ。
己がまだ、衰えていないかどうかを」
エドワードは一瞬、言葉に詰まる。
「……じいさんのくせに、生き方がストイックすぎる」
「君にだけは言われたくない」
「は?」
「アルフレッドと並んだ時の君の目。
あれは、勝敗ではない何かを追っている目だ」
「……余計なこと言うな」
「似た者同士だと言っているだけだ」
「最悪の評価だな、それ」
鷹司は静かに微笑い、キューを取る。
「では次は、私の番だ。
今度は“美しい負け方”を見せよう」
「負け前提かよ」
「勝ちに執着した瞬間、呼吸は濁る。
君が最も強いのは、“勝とうとしない時”だ」
「……ほんと、哲学ジジイだなお前」
エドワードはそう毒を吐く。
「それでも、君はここに来る」
「……来るなとは言われてねぇし」
二人の視線が、静かにビリヤード台に戻る。
勝負なのか、会話なのか。
その境界は、もうどちらにも分からなくなっていた。
「(鷹司のやつ、本当に性格も趣味悪っ)」
70歳の男性2人の美学の話です。




