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喫茶店ローズ1話

この作品は一部にAIによる文章生成を含みます

俺には、どうしてもわからないことがある。


公園のベンチは冷たかった。制服のズボン越しでも、金属の冷えがじわじわと伝わってくる。

学校帰りにここへ座るのは、もう何度目かわからない。家に帰りたくないわけじゃない。ただ、まっすぐ帰る気力がないだけだ。


夕方の空は、もう暗くなり始めている。

子どもの声が遠くで聞こえた気がしたが、すぐに消えた。

風が吹いて、木の葉が擦れる音だけが残る。


俺は、無意識に指を握りしめていた。

爪が掌に食い込む感覚で、ようやく自分が震えていることに気づく。


まただ。

考えないようにしていたのに。


兄の声。

あのときの表情。

最後に交わした、あの言葉。


胸の奥が一気に詰まった。息を吸おうとしても、空気が入ってこない。

喉が鳴って、視界の端が滲む。


「……俺の、せいだ」


声に出したつもりはなかった。

でも、口は確かに動いていた。


俺が気づいていれば。

俺が、違う言葉を返していれば。

あれは、兄なりのSOSだったんじゃないか。


そう考えた瞬間、頭の中が一気にうるさくなる。

否定したいのに、否定できない。

考えるなと思うほど、同じ場面が何度も再生される。


耳鳴りがして、遠くの音が全部薄れていく。

視界がぐらつき、地面が傾いたように感じた。


まずい、と思ったときには遅かった。

ベンチの縁に手を伸ばしたが、力が入らない。

指先の感覚がなくなっていく。


世界が、静かに暗くなった。


次に目を開けたとき、最初に見えたのは、知らない天井でも空でもなかった。

目の前にあるのは、二階建ての建物で、赤い屋根とアーチ型の窓。

煉瓦の壁、古い木製のドアと、小さな看板。

看板には、Openと書いてあり、小さな赤いバラのイラストが描いてあった。

こんなレトロな雰囲気が出ているのは初めて見た。


「喫茶店 ローズ」


そう書かれている。

柔らかい灯りが、ガラス越しに漏れていた。


立ち上がろうとすると、少しだけふらついた。

けれど、さっきまでの息苦しさはない。

胸の奥にあった重さも、ほんのわずかだが静まっている。


周囲を見渡しても、公園はない。

見覚えのある道も、帰り道の風景も、どこにもなかった。


ここは、どこだ。


そう思ったのに、不思議と怖くはなかった。

理由はわからない。ただ、この場所は、俺を拒まない気がした。


ドアに手をかける。

小さなベルが揺れて、澄んだ音が鳴った。


――ここで、何かが変わるのかもしれない。


その考えを、俺は否定しなかった。

「……」

 俺は、勇気を出して、ドアノブを回す。

 ドアを開けると、そこはレトロな雰囲気の喫茶店だった。

 木製のカウンター、落ち着いた色のテーブルと椅子。

古いはずなのに、不思議と汚れは見当たらない。

長い時間、誰かがここを大切に使ってきた場所――そんな印象を受けた。


俺は足を止めたまま、しばらく店内を見渡していた。

無意識に、逃げ道を探すように。


知らない場所に入るのは、正直苦手だ。

特に、こういう静かな空間は。


誰かに話しかけられるかもしれない。

何をしているのか、どこから来たのか、聞かれるかもしれない。

今の俺には、答えたくない質問ばかりだ。


それなのに――。


胸の奥が、さっきまでより少しだけ楽になっていることに気づく。

さっきまであった、息が詰まるような感覚が薄れていた。


コーヒーの匂いが、鼻に届く。

苦いはずなのに、嫌じゃない。


「……落ち着け」


小さくそう呟いて、俺は一歩、店の中へ踏み出した。

床板が小さく軋む音がする。

その音が、やけに現実的で――ここにいていいのだと、言われている気がした。


ここは、公園じゃない。

兄の記憶が勝手に浮かんでくる場所でもない。

少なくとも、今は。


壁に掛かった時計の秒針が、一定の間隔で進んでいる。

その規則正しさに、心臓の鼓動が少しずつ合わせられていく。


……変だな。


俺は、こんなふうに落ち着く資格なんてないはずなのに。

兄を失って、何も償えていない。

それなのに、ここでは――呼吸ができる。


「ここにいていいのか?」


誰に向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。

返事があるはずもない。


それでも、俺は踵を返さなかった。

ドアを閉めることもせず、そのまま店内に立ち尽くしている。


逃げなかった。

それだけで、少しだけ――自分を褒めてもいい気がした。


立ち上がってドアに手をかけると、柔らかなベルの音が鳴った。

「――ここで、何かが変わるのかもしれない」

そう思った瞬間、かすかな声が耳に届いた。


木製のドアに手をかけた瞬間、微かに鈴の音が鳴った。


反射的に、肩が強張る。

知らない場所に足を踏み入れる感覚に、胸の奥がざわついた。


中は、思っていたよりも静かだった。

古い木の匂いと、甘い焼き菓子の香りが混ざっている。

照明は柔らかく、外の時間とは少し切り離された空間のように感じた。


そのときだった。


「いらっしゃいませ〜! わぁ〜! 新規のお客様だ〜!」


明るい声が、店内に弾ける。


カウンターの奥から、小柄な少女が駆け寄ってきた。

栗色のツインテールが揺れ、黒い瞳がまっすぐこちらを見る。

着ているのは、どこか懐かしさを感じるメイド服だった。


年齢は、どう見ても子どもだ。

それなのに、動きに迷いがない。


「えっと……初めてですよね? ローズに来るの」


俺は一瞬、言葉を失った。

質問の内容ではなく、その距離感に。


警戒も、探る視線もない。

ただ、本当に「来店した客」として扱われている。


「……ああ」


短く答えると、少女はぱっと表情を明るくした。


「よかったです! 私、アンナ・ハーヴィーって言います。

本日はご来店ありがとうございます」


丁寧な敬語。

年相応の無邪気さと、仕事としての礼儀が不思議に同居している。


「お席、こちらにどうぞ。空いてますから」


案内されるまま、椅子に腰を下ろす。

その間も、頭の中では同じ疑問が渦を巻いていた。


ここはどこだ。

この店は、なんなんだ。


「ご注文、決まったらお呼びくださいね」


そう言って、アンナは一礼した。

形式通りの動作なのに、どこか人懐っこい。


立ち去る直前、彼女は少しだけ首を傾げた。


「……大丈夫ですか?

ちょっと、顔色悪いみたいですけど」


その一言で、胸の奥が小さく痛んだ。


「平気だ」


即答だった。

理由を聞かれる前に、会話を切り上げたかった。


アンナはそれ以上踏み込まなかった。

ただ、穏やかに微笑む。


「無理はしないでくださいね。

ここ、静かですから」


その言葉だけを残して、彼女はカウンターへ戻っていった。


店内には、再び静けさが落ちる。


それなのに、不思議と孤独ではなかった。

理由はわからない。


ただ、

この場所は、俺を追い詰めてはこない。

そのことだけは、直感的に理解できた。


俺は、空いているカウンターの椅子に腰を下ろし、メニューを手に取りながら、

もう一度、店の名前を心の中でなぞった。


――喫茶店ローズ。


まだ、この場所の意味はわからない。

けれど、ここで何かが始まる。

そんな予感だけが、静かに胸に残っていた。

「アレクシア様ー! 新規のお客様ですー!」


アンナの声が店内に響く。


カウンターの奥で、何かを書いていた人物が、ゆっくりと顔を上げた。


赤紫の髪を低い位置でまとめ、黒いリボンで留めている。

白いシャツに黒のベスト。無駄のない服装が、妙に目に残った。


視線が合った、と思った瞬間。

正確には、合わされた。


逃げ場を探すような目ではない。

こちらを値踏みするでもない。

ただ、状況そのものを把握するための目。


「……そう」


低く、落ち着いた声。


アレクシアはペンを置き、カウンターから出てきた。

歩き方に無駄がなく、空気が少し引き締まる。


「いらっしゃいませ。

喫茶店ローズの店長、アレクシア・ハーヴィーです」


丁寧だが、どこか距離を保った挨拶。

感情を乗せない声音が、逆に印象に残る。


「初めてのお客様のようですね」


「……ああ」


また短く答える。


アレクシアは一瞬だけ、俺の顔を見た。

目つき、姿勢、声の調子。

見ているのは外見ではなく、反応だと直感した。


「アンナ」


「はいっ」


「無理に話しかけなくていい。

この方、今は静かにしたいみたい」


アンナは一瞬きょとんとしたが、すぐに頷いた。


「わかりました!」


その判断の早さに、少しだけ驚く。

俺は、何も言っていない。

それなのに、当てられた。


アレクシアは俺に視線を戻す。


「ここは、押し売りもしないし、詮索もしない。

居たいだけ、居ればいい」


言い切りだった。

慰めでも、優しさの押し付けでもない。


「……聞かないんだな」


思わず、口をついて出た。


「何をですか?」


「俺が、どうしてここにいるのか」


一拍の沈黙。


アレクシアは、ほんのわずかに口角を上げた。

笑顔というには、あまりにも薄い。


「本人が話したくないことを、無理に聞く趣味はありません」


その言葉に、胸の奥がざらついた。

否定でも肯定でもない。

ただ、境界線をはっきり引かれただけなのに。


「それに」


アレクシアは、カウンターの方へ戻りながら続ける。


「理由があって来た人も、

理由がわからないまま来た人も、

ローズでは同じ“客”です」


歩みを止めずに、最後だけ振り返る。


「あなたがここにいる理由を決めるのは、

私じゃない」


その視線は、突き放すようでいて、どこか逃げ道を残していた。


アンナがそっと水を置く。


「よかったら、これ飲んでください。

落ち着きますよ」


俺は黙って頷いた。


この店は、

何も説明してくれない。

けれど、何も奪おうともしない。


それが、やけに心に引っかかった。


俺はグラスを手に取りながら、

もう一度だけ、店内を見回した。


――喫茶店ローズ。


ここが何なのかは、まだわからない。

だが、少なくともここでは、

誰かの「正しさ」を押し付けられずに済む。


その事実だけが、

今の俺には、十分だった。

 店の奥から、硬い音が響いた。

視線を向けると、そこに二人の男が立っていた。


揃いの燕尾服。

白銀の髪。


一人は髪をきっちりと後ろで束ね、白手袋をはめている。

背筋は伸び、姿勢に一切の崩れがない。

深い蒼色の瞳がこちらを見た瞬間、空気が冷えた。


もう一人は、同じ白銀の髪をやや無造作に流し、ネクタイも緩めている。

赤みがかった琥珀色の目が細められ、楽しそうに笑った。


「……新顔か」


蒼い目の男が声をかける。

穏やかな口調だが、背中に冷たいものが走る。


アレクシアが淡々と告げる。

「エドワード、無闇に睨まないで」


「睨んでない。観察してるだけ」


その言い方が、逆に信用ならない。


赤い目の男が肩をすくめる。

「やめときなよ、エド兄。今はそれどころじゃないだろう」


“エド兄”。

その呼び方で、二人が兄弟だと気づく。


「……初めまして」


颯太が言うより早く、蒼い目の男は一歩近づいた。

距離は近いが、侵入ではない。逃げ道を塞ぐわけでもない。


「立てるだろう?」


「……え?」


「座ったまま固まってると、余計に疲れる」


淡々とした口調。

次の言葉が続く。


「立てないなら、死ね」


意味がすぐには理解できなかった。


「無理なら無理でいいさ。

ここじゃ、倒れたやつを責める趣味はない」


赤い目の男が軽く肩をすくめて、柔らかく言う。

「座りなよ。死なれたら、面倒だから」


……この店の人間は、どうしてこう極端な言葉を使うんだ。

だが、不思議と怖くはない。


蒼い目の男が颯太の胸元を一瞥する。

「……重いな」


「何がですか?」


「背負ってるもの」


その一言で胸の奥がきしむ。


「安心しろ。ここじゃ、それを下ろせとも、忘れろとも言わない」


言葉は冷たい。

だが、拒絶はない。


アレクシアが静かに割って入る。

「二人とも、そこまで。お客様です」


「はいはい」


赤い目の男は両手を上げて笑う。

「じゃあ改めて。アルフレッド・ハーヴィー。この店で一番、厄介なジジイの片割れ」


「余計なことを言うな」


「事実だろ」


蒼い目の男は軽くため息をつき、颯太に視線を戻す。

「エドワード・ハーヴィーだ。居心地が悪くなったら、いつでも言え」


その言葉だけは、妙に真面目だった。


二人が少し後ろに下がると、店内の空気はわずかに緩んだ。


それでも、颯太は確信する。

ここは普通じゃない。

そして、この人たちは、自分が今まで生きてきた世界の延長線上にはいない。


だが同時に、

ここでは、壊れたままでも居ていい。


そう思ってしまった自分に、

颯太は少し戸惑っていた。

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