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私達の日常

 シャッとカーテンが開かれ、朝日の眩しさに顔を歪めた。侍女のエマがいつものように起こしに来たのだ。後ろから朝日を浴びて、彼女のきちっと纏められたオレンジの髪がところどころ光って見える。


「おはようございます。ソフィー様」


 エマはキャノピーの横に立ち、腰をキレイに折って挨拶した。


「…おはよう、エマ」


 寝覚めが悪い。いつものことだった。上半身を起こしただけで、まだベッドから出ることができない。

 エマは心配げに目を細めた。

 小さな体は息をするたびに上下している。ボリュームのある真っ赤な髪が、汗をかいた顔に数本貼り付いていた。緊張で強張った顔にはいつもの血色がない。


「本日も()()ですか?」

「…そう」


 それだけ返すことで精いっぱいだ。小さな手で顔の汗をぬぐう。心臓の音がドッドッと早くてうるさい。


 ソフィーがここまで疲労困憊している理由——それは、毎日のように「悪夢」に(うな)されているからだった。


 物心ついた頃から、夢の中で一人の女性の人生を疑似体験させられている。毎日毎日ストーリーが進んでいくが、決まって悪夢だ。それが八歳になった今も続いている。

 ソフィーの人生の半分は、彼女の人生と言っても過言ではなかった。


 夢の中の女性も、同じソフィーと言う名前で、紛らわしいので「フィフィ」と呼んでいる。派手さのない顔にも親近感があり、何より彼女も赤毛だった。と言うより、彼女の容姿はまるでソフィーがそのまま大きくなったようだ。


 フィフィは自分の顔を嫌っている。エレーヌのような目鼻立ちがくっきりとした美人と比べると、地味な顔には違いない。いや、素朴と言わせて欲しい。


 うん、わかるわ、フィフィ。でもね、もう少しお化粧してニコッと微笑めばエレーヌとはまた違った魅力が私達にだってあると思うわ!

 うんうん、と一人で何やら頷くソフィーを気にもかけず、エマが支度にとりかかる。


「こちらへ」


 乞われた通り、窓側の椅子に座った。明るい黄色を基調とした部屋は、朝日を浴びて爽やかさを増している。


 目の前の鏡に向かってニコっと笑ってみた。

 笑顔は化粧に勝るって言ったのは誰だったか。

 フィフィは全く笑わない。鏡もほとんど見ない。見てもすぐに落ち込んだ様子で目をそらしてしまう。

 とびきり美人では確かにないけれど、そんなに落ち込む程、ひどくもないと思うんだけどな…。


 はぁぁぁぁという長いため息をエマに聞きとがめられた。


「ため息など、ついてはいけません」

「だってぇ。フィフィが可哀そうなんだもん」

「『だって』や、『もん』などという言葉は使ってはいけません」

「はぁぁぁい」


 ジトッとした目で形だけの返事をする。


「『はい』は短く。変顔もやめてください」


 こんな顔よ、失礼ね。エマといると感傷に浸る時間もない。


「それで、本日はどんなお話だったのですか?」


 ソフィーのボリューミーな髪をとかしながらエマが問う。寝癖がすごい。


「王室の舞踏会に行ったの。バカ王子が贈ってきたあのクソドレスでね」


 バカ王子にクソドレスという単語のチョイスにエマの眉が少し上がったけれど、何も言わなかったので続ける。


「鼠色よ、鼠色。それに真っ黒のリボンがついているの。まるで未亡人よ。エレーヌにはバラが咲いたようなドレスを贈って、フィフィにあのドレスって、どんな嫌がらせよ!私達、地味顔族は暗い色を着ると顔が死ぬのよ!」

「お顔は関係ないのでは?」

「大ありよ!しかも何でエレーヌのエスコートをしているの⁉ あんたの婚約者はフィフィでしょうが!あぁ腹立つ、腹立つ!なんなの、あの男」


 ソフィーが鬱憤を晴らしている間に爆発した髪はすっかり落ち着いていた。胸の下まである髪は艶々だ。

 エマが櫛を机の引き出しに仕舞う。


「予知夢だったらどうします?」

「ないわよ。だって私に妹はいないもの」


 フリルが沢山ついたレモン色のドレスに着替えている間に、他のメイド達がテーブルにクロスをかけていく。クロワッサン、オムレツ、ヨーグルト、庭で取れたフルーツの盛り合わせが綺麗に並べ置かれた。


「良いにおい」


 目を閉じて、部屋中に漂う小麦の香ばしさを胸いっぱいに吸い込んだ。

 ノックの音がしてドアが開き、可愛い弟がひょっこりと顔を出す。


「おはようございます。ソフィーお姉様」

「おはよう。ジェレミー。さぁ食べましょう」


 貴族の男児は五歳から学校へ通うのが一般的で、七歳であるジェレミーも例外なく通学している。

 ジェレミーの学校が休みの日だけ、朝食の時間を一緒に過ごすのが恒例だ。


 ナプキンを二つに折って膝の上においたら神へ感謝の言葉を述べてから食べ始める。

 焼きたてのクロワッサンを手でちぎってバターを塗ると、すぐにとろぉと熱で溶け出した。慌てて杏子のコンフィチュールを塗り重ねる。

 一口食べるとバターのこってり感と、少し酸味のある杏子が口の中で混ざった。


「うーん。とっても美味しいわ」

「ソフィー様。頬張ってはいけません。お口の周りにパンくずもついています」

「…気を付ける」


 食事の時間はマナーのお勉強時間でもある。が、いつも夢中で食べてしまう。


「本当にお姉様は食いしん坊だね」


 ジェレミーは笑うだけあって、もうテーブルマナーを身に着けているようだった。焦る気持ちを誤魔化すためクロワッサンを置いて、ほぼミルクでできたカフェオレを飲む。これも美味しい。

 近くの牧場から毎朝届けられる為、ミルクはいつも搾りたてだ。甘くて濃さがギュッと詰まったミルクが、コーヒーの苦みを消して風味だけ残してくれる。牛さんありがとう。


「そろそろお母様も帰ってくる時間かな」


 優雅に食後のコーヒーを飲み干してジェレミーがこちらを向いた。ソフィーはもちろん食べ続けている。甘酸っぱいクロワッサンを食べた後のオムレツの塩気がたまらない。


「まだじゃないかしら。今日はデザイナーに新しく作らせたドレスを着て行くって昨日から張り切っていたし」

「そっか。それは見せびらかさないとね」


 母は朝も社交場へよく出かける。そういう日は帰宅後に朝食をとるのが常だった。社交場は情報交換の場でもあり、顔を広め家の勢力を拡大する場でもある。朝でも午後でも夜でもそういう場があればできるだけ顔を出すようにしているらしい。

 しかし本当はドレスや帽子を褒めて欲しいだけかもしれない。


「お母様ってパワフルよね」

「お姉様ももうすぐ連れて行かれるんじゃないの? 今みたいに食い気に負けちゃダメだよ」

 

 ヨーグルトにも溢れんばかりのコンフィチュールをつけているソフィーに、呆れたような目線を送る。


「わかっているわよ。あなたって、できすぎていて可愛くないわ」

「一つしか変わらないからね」


 いつものような何気ない会話をしていた時、エマがピクリと動いた。


「メラニー様がお帰りになったようです」


 馬車の音が聞こえたらしい。目の前のご馳走に集中していたから気づかなかった。コーヒー風味のカフェオレをグッと飲み終え、急いで階下に向かう。


「お帰りなさい」


 玄関まで行き、二人で声を揃えて抱きついた。


「まぁ私の天使達。いい子にしていたかしら?」


 フリルたっぷりの緑色のドレスで優しく包み込んでくれた。ご機嫌な様子から褒められたことが伺える。


「はい。お母様」

「偉いわ。もう食べ終わったの?」

「今ちょうど食べ終えたところです」

「そうなの。エマ、この子達のマナーはどう?」

「はい。ジェレミー様はいつでも社交会に出られます」

「そう。さすがね、ジェレミー」


 頭を撫でられて嬉しそうにジェレミーがはにかんだ。私に見せる表情と違い過ぎない?


「それからソフィー様ですが」


 ギクリとして自然と目線を逸らす。


「マナーは頭に入っているようですが、食べ物を前にすると我を忘れる傾向があります」

「ソフィー…」


 眉を顰めたメラニーの視線が痛い。


「いい? あなたは淑女なのよ。どんな時でもそれを忘れちゃ駄目」

「はい、お母様」


 しゅんと目線を下げたソフィーの顔を覗き込んでニコリと微笑む。


「大丈夫よ。できるわ。あなたは私の娘なのだから。自信を持って」

「はい!」


 今度はちゃんと目を見て答えることができた。

 お母様に背中を押されると何でもできる気がするわ!


「じゃあ私は今から朝食にするわ。あなた達はこれからお勉強ね」

「はい。お母様!」


 二人で元気よく返事して、自室へと戻った。

 ジェレミーは領地の管理や政治の勉強をした後、猟に使う馬と鷹の世話を、ソフィーは音楽・美術・詩の勉強の後にダンスの訓練をする。


 これが私達の日常だった。


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