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悲しみの前夜

「それじゃあまた明日。最後のライブ、私も全力で頑張るし楽しむから、みんなも目一杯楽しんでいってね!」

 明るくふるまっている彼女の声は震え、鼻啜る音は僕らの涙を誘因となる。それでも彼女が笑顔を望んでいる以上僕らも泣いてはいけない。

 卒業の発表から半月ほどは経っていて、その間にも彼女は同じ事務所のタレントと最後の時を過ごしていた。そのため僕らには心の整理をする時間が、慌ただしい日常の中に与えられていたのだ。

 彼女の前向きな発言に触発されながら、幾度となく現実を受け入れてきた。しかし、ふと瞬間に彼女のいない空虚な世界が姿を現す。色のない味気ない世界が。それもこれも全部、きっと明日を迎えれば、そして過ぎ去れば正解の世界がわかるのだ。



 この配信業において、視聴者であるファンと、配信者である推しとの距離は一般的なアイドルと比べれば近く、どこか相互関係のあるように思われる。

 多くの配信者はほとんど毎日のように生放送を行っており、そのさいにコメントを打ち込めば取り上げてくれることがある。配信者側もコメントが流れれば流れるほど、配信自体が盛り上がっているといっても過言ではない。

 物理的な距離としては決して縮まることはないが、こういった面から相補的な関係にあるといってもいいだろう。

 しかし、やはり実情は一方的でファンはただすべてを享受するだけの存在である。間の事務所という大きな壁を挟んで僕らは隔たれている。タレントに関する情報は水面下で秘匿され、厳重に管理され漏れることはほとんどない。

 そしてリスナーもまたタレントに関する不必要な詮索は暗黙の了解としてタブー視されている。


 だから事務所の中では予め決まっていることであっても、われわれの前に現れるのは突然のことなのである。


 ある日突然立った意味深な枠。

 詳細のないサムネと「大事なお知らせ」という簡単なタイトル。タイトル詐欺の場合をの除いて、たいていは悪いお知らせのことが多い。通常良いお知らせの場合は「重大告知」というほうが一般的である。この界隈では。

 このサムネを見たリスナーは様々な思考を働かせ、最悪の状況――引退を忌避しつつ、最低限心の傷が広がらない報告を願っている。

 例えば記念グッズの販売が遅れるといった些細なことでもよい。(これに関してはタレント自身が発信することは基本ないので可能性としては極めて低い)

 となれば本線は活動の一時休止であろうか。事務所に所属しているタレントの多くは週に一度程度の休みがあるだけで基本毎日のように配信を行っている。そのため冬休みといった感じでまとまった休暇期間を設けることもある。

 場合によっては健康的・精神的不調から長期の休止を決定する場合もある。

 いずれにせよリスナーとしては辛いことに変わりはないが、それであるならば待つことができる。

 しかし、卒業というのであれば……。



 数時間後に公開されたその動画はあっという間に100万再生はされ、ネット記事にもなった。



 彼女の配信終了後、彼女の名前でSNSを検索する。「猫屋敷 にゃも」。彼女に関する投稿は配信後ということもありかなりの数見受けられた。

 いまから七年ほど前、V-tuberタレント事務所「Glow Stars」(通称グロスタ)の一期生としてデビューした。

 当時のグロスタは今とは比べ物にならないほど小さなニッチ企業であった。そもそもVtuber自体がYoutuberとしては稀有な存在でり、革新的な技術を用いたある種、実験的な存在であった。

 今ではV-tuber事務所の最大手であり、タレント数は100弱を抱え、総登録者は被りを含め1億は超える。

 にゃもはそんなグロスタを牽引してきた存在であり、グロスタのメンバーにとっても憧れの存在である。

 そんな彼女の通常の配信も今日が最後となり、SNS上では感謝を綴るメッセージが大半を占めていた。それでも明日本当に居なくなっていしまうことに懐疑的なコメントも多かった。かく言う僕も未だに実感がわいていない。

 しばらくしてにゃも自身が今日の配信の振り返りとお礼、そして明日への抱負を投稿していた。

 実感がないのは恐らく彼女も同じで、終わりたくないという気持ちも見え隠れしている……ように感じた。

 同胞たちの感想投稿に「いいね」を押して回りながら、変わらないこの作業をしているうちは安堵しさえする。でもふとした瞬間に居なくなってしまった近未来を想像し、震えてしまう。


 その夜は心が落ち着かず、何かが渦巻いている気がした。当然彼女の未来を応援したい、しかしながらやはり行ってほしくない。これがドッキリであってほしい……。明日が来なければいい。

 多様な感情は僕の心を乱し、疲れ切ってしまった体と頭を休ませる気はないらしい。何かしたけれども何もできないもどかしさが僕を苛む。

 それでもひたすらに目を閉じ、頭を真っ白にし邪念を払う。いくら雑念を払おうともふとした瞬間、僕が一番好んでいる彼女のオリジナルソングが頭に流れ込んでくる。

 それを聞くと心が安らぎ、気が付いた時には朝を迎えていた。

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