3度目の夜
肌を焼く日差し、それに並ぶ眩しさを放つ青海。
やっと…やっと、海だー!
予定外の来客があったために昨日は断念した海水浴に今日こそはと、サラと共に色違いの水着のようなラフな服装で小さな砂浜まで来ていた。
窓から海を眺めれば、いつも海の音を想像していたが、実際の海は波の音が想像より大きく、また海鳥の鳴き声が響いている。
少し先にある砂浜はかなり大きく、遊びに来ている人たちが沢山いるようだが、この場所は穴場のようで、地元民らしき人たちが何人かいるだけだった。
「サラ、行くよ。」
「いえ、私はここで。」
(んなー!まだ言ってるよ、この娘は!)
実はここまで来るのに一悶着あったのだ。サラは真面目。とにかく真面目だった。
普段から身の回りの手伝いは私の要望通りにやってくれる。けれど、少しでも侍女としての本分を超える要望だとすぐ断ってくる。それが私の侍女として完璧である為の矜持なのだとか。
そんなわけで、サラの分の海に入れる格好を買うだけでもまぁ一苦労したわけだった。
今はまだサラも子供だから言い包められるけど、この先成長したら厳しそう。
「サラ!それ置いて置いて!ほら、来て。」
気温が高く日の光が熱いため、止まっていると汗が止まらない。砂浜の熱は足の裏が火傷しそうほど熱い。とにかく冷たい水に触れたくて、タオルなど色々持ってきているサラの手を取って海に走り出す。
「あっ、ちょっと待ってください!」
「待たないよ!なんのためにサラにも着替えてもらったと思うのさ。 サラが入らなかったら私ひとり寂しく遊ぶことになるでしょ。 だから、ほら!」
「それはテオ様がいつの間にか私の分も買ってしまったからで…」
(あれー聞こえないぞー)
波によって色の変わった砂浜に足を入れると、さっきまでの足に牙を剥いてきた熱とは打って変わり、少しヒンヤリとし足が沈む。
そこから一歩二歩と足を踏み出すとそこは海であった。ザーザーと音を立てながら、波が足を覆っていくとそから体が冷えていく。
それからは周りの目も気にせず、とにかく遊びまくった。
疲れ果て、ふたりして浜辺に大の字に寝転んだ時には、気温が下がり空は茜色に染まっていた。
「ははははっはーはー。気持ちよかったー!」
「ですね、少しはしゃぎ過ぎてしまったかもですけど。」
「そうだね~でもいいリフレッシュになったよ、今日は。サラもすんごくはっちゃけてたしね!いやーうん、来てよかった、ホントに。 ンーよし!そろそろ帰ろうか」
タオルを拾って顔を拭う。何年ぶりだろう、こんなにいい気分で笑ったのは。戦場ではこんなふうに笑うことなんてなかったのだから。
いや〜それにサラもめちゃ楽しんでたなー。誘って、うんよかった。
とにかくこの興奮を大切に噛み締めて、ふかふかと包み込む砂浜を歩き、サラと肩を並べて帰路につく。
「あら、仲の良い姉妹ね。ご両親は近くにいるの?」
ちょっかいを掛け合いながら海道沿いの道を歩いていると、仲良く歩く並んで歩く老夫婦に、すれ違いざまに声をかけられた。
自然とサラは私と老夫婦の間に入り込む形で私の前に立つ。
「大丈夫、ありがとうサラ。」
サラの耳元でそっと言いながら肩に手を置き、さり気なく後ろに下がらせる。サラは素直に私の言う事を聞いたものの、未だに老夫婦のことを警戒しているようだった。
けれど私はあまりにも無警戒に老夫婦に近づく。まるで、よく知っている人に対してのように。
「ん〜と、貴女がお姉さんなのかな。」
「いいぇ、、あっはい、そんな感じです。」
ーそんな!?、私がお姉さんです。ー
(この子、なんか言ってるよ)
ゾク
私が不用意に近づいたのがいけなかった。自分は王族の人間であるという自覚が薄かった。いや無かった。
今まで戦場で日々味わってきたものとは少し違う、冷たく鋭い不愉快な殺意を周囲に感じる。正確には私に向けてではなく、老夫婦に向けられたものだったが。それでもこのようなものを一般人に向けてはいけない。
しかし、老夫婦、特にお婆さんも私が近づいたために歩み寄ってきていた。夕日でできた影より迫る者たち。その時には私とお婆さんとの距離は既に腕を伸ばせば簡単に届く距離だった。
いけない
「まちなさい!! ・・・何も問題はないです。引いて下さい……、
お婆さんお爺さん、家はすぐ近くにあるので大丈夫です。」
私は咄嗟にそう言うと、スッと鋭く肌に刺さっていた殺意が消えていった。
「あっ、うんいいのよ、真っ暗になる前に帰りなさいね。」
「はい、失礼します。お二人もお気をつけて。」
私が突然大きな声で誰もいない空間に向け喋ったため、老夫婦もサラも驚いていたが、私は気にせずサラの手を引いて老夫婦の横を通りすぎる。
親切心で声をかけてくれた老夫婦にしていい態度じゃない。それに、本当はもっと話してみたかった。どこか懐かしい雰囲気の老夫婦だった。でもあれ以上一緒にいるのはいけない。
サラの手を固く握りながら、テオレーネーは少し俯いて歩いている。その落ち込んだ様子を見て、サラは手を強く握り返しながら、明るい口調で話しかける。
「テオ様!今日は楽しかったですか? ・・えっ、私ですか。もちろん!楽しかったですよ。」
もちろん私も楽しかった。
サラが話し掛けてくれたおかげで少し気が紛れた。
それでも、頭では老夫婦に迫った者たちのことをずっと考えていた。
「サラ、私もう1回入ってくる!」
肌にこびりついた上着を脱ぎ、再び放り投げて、既に冷たくなった浜辺をペタペタと走り抜けて海に飛び込む。
静かに波が恐怖も祈望も、すべてを洗い流す。
いつもとは違った肉体的疲労がのしかかる中、帰り道に起きたことで精神的にも疲れた。
ゆっくりとお風呂に浸かった後、私は寝巻きに身を包み、ひとり屋根裏から屋根の上に登っていた。ある人が来るのを待つために。
「お待たせいたしました。」
屋根の上に座ってから少しした後、その人は忽然と私の前に立っていた。月の光を背にして立っているため、表情が見えないためか、恐怖を覚える。
「お呼び立てして申し訳ありません。」
正確にはこの人を直接呼んだわけではない。でも、ここに来るだろうという確信があった。
「いえ、私もお話ししたいことがありましたので。」
その声はどこか冷たさと優しさを兼ね備えていた。
(なんだろうか、何か嫌な予感がする。)
少し気まずい雰囲気が二人の間に流れていた。
あっ、そうだ
「初めまして、テオレーネーです。」
丁寧にお辞儀しながら自分は名前を名乗る。そんな私を見て、その人はフッと笑ったように見えた。
「大きくなられましたな。前にお会いした際は人見知り為さっていたので。」
当然ながら覚えていない私は上手に返答することが出来ず、微妙な顔をしていた。そんな私の様子がおかしかったのか、月明かりの陰で表情まではわからなくても、クツクツと愉快そうに笑っているように見えた。
テオレーネーがバツが悪そうにしているのを見て、自己紹介をその人もする。
「申し遅れました、赫守統括ブェルダットと申します。」
赫守…?って、あぁ多分彼らのことか。それじゃ先に私の要件から話したほうがいいかな。
そんな私の意図を汲み取ってくれたようで、ヴェルダットさんも私の方を向いて姿勢を正していた。
「ヴェルダットさん、私の護衛をして下さっているのは、その赫守の方たちでしょうか」
「いかにも、彼らも赫守です。」
「それでは夕方にあった事も聞いて、ここに来てくれたという認識でいいですか?」
勿論であると、ヴェルダットは深く頷いた。
「いつもありがとうございます。 ですが、私が不用意であったとしても、ああいう場で一般人にあのようなものは向けないでください。」
「・・・承知致しました。 おまえ達、聞いていたな。テオレーネー様の命令だ。従うように。」
私が何を言おうとしてたのか最初から分かっていたのだろう。私の言葉を聞き入れ、すぐにヴェルダットは誰もいない虚空に話しかけた。夕方の時に姿を現した、彼ら赫守は気配を消して今もなお近くに居たらしい。
「お手数をおかけしました。」
「私の仕事ですので、お気になさらず。」
私が再び屋根に座ると、ヴェルダットも私の横に移動し、そして跪いた。
彼は最初に「私もお話ししたいことがありましたので。」と、言っていた。次は彼の話す番だ。
「我々赫守が確信を持って、言わせていただく。」
体の向きが変わり、影になって見えていなかったヴェルダットの顔が月明かりに照らされる。レナルト皇太子のような迫力も、これまで戦場で見てきた人達のような覇気も、人間らしさ感じられない。さっきまで明るい調子で話していたのがウソだったかのような。無精髭を貯え、ただ静かにそこにある冷徹、顔が見える前よりも彼のことを恐ろしいと思った。
「テオレーネー様、貴女は次期王となられる。」
・・・ん?
リュブラタートの老夫婦:
アル・ラ・リュブラタートに住む老夫婦。キエナ・サントシウダーの祖父母に雰囲気が似ている。
テオレーネーとサラの水着:
レナルト皇太子が帰ったあと、二人で街に買いに行ったもの。
赫守:
王を守る組織のこと。名をクルス。アルゼラ王国建国時とほぼ同時期に組織されたらしい。
ヴェルダット・シンク:
赫守を統括している。王家のヒホウを知る少ない人物のひとり。