誰も知りえない
テソロ通りに立ち並ぶアパートの一室。そこに今日まで知り合いではなかった4人が、期せずして同じテーブルを囲んでいた。
「……減ってるな」
アパートに住むアビオン・マインウェルトは、テーブルの真ん中に置かれた鍋の中をのぞいて呟いた。その言葉どおり、鍋の中身はほとんど底が見えており、具もスープもすっかり減っている。
「ありぁ、ほぼ残ってないな」
セシリオも腰を上げ、同じように鍋をのぞき込んで口を開く。
彼は今しがた目を覚ましたばかりで、自分がどうしてここにいるのか、先ほどアビオンたちからざっくりと事情を聞いたところだった。もともとセシリオは物腰の柔らかい青年であるが、体質により月に一度目覚めた直後は神経が過敏になる。
最初こそ警戒していたが、アビンたちの飾らないやり取りに触れているうちに、だんだんと肩の力が抜けていった。
気づけば、アビオンが作った夕飯は、話し込んでいる間にすっかり減ってしまっていたのだった。
「減ってますね……これは」
アパートに侵入したサラ・ヴィアンも、二人に倣って鍋を覗き込み、ちらりと視線を横に送る。彼女もまた、食事より会話に夢中になっていた一人だ。だが、唯一最初から黙々と食べ続けていた人物がいる。マロは、アパートにサラと共にこの部屋に侵入した共犯者である。
彼女は皿に向かってひたすら食べ続け、周囲の騒がしさなどどこ吹く風といった様子で、ひと口、またひと口と口へ運んでいた。
「ん…? どうしたの?」
三人の視線に気づいたマロは、最後の甲殻類の頭を口に放り込んだまま顔を上げ、咀嚼しながら問い返す。
「マロさん、お腹減ってました?」
サラが問いかけると、マロは無造作に答えた。
「うん。昼、食べてなかったからね」
そしてそのまま、鍋に残っていた最後の一口までもきれいに平らげる。
「容赦のない、いい食べっぷりだ」
「私もお昼食べてなかったんだけどなぁ……」
サラが小さく嘆く隣で、アビオンは朗らかに笑っていた。
すると突然、部屋中に「グゥォオオ……ゴゴゴ」と、重く低い音が響き渡る。誰もが一瞬静まり返り、その音に耳を傾けた。
「すげー音。」
感心したようにボソッとマロが呟いた。
「俺ですわ」
セシリオが手を挙げて、どこか達観したような顔でそう言った。
「……たぶん、昨日から何も食べてないっぽいんすよね」
自分でもあまり自信がないのか、腕を組み、首をかしげながらぽつりと続ける。
その様子が妙におかしくて、アビオンとサラは吹き出した。
サラはふと思う。この人たちといるときの空気は、家族とも、テオ様とも違う。けれどなぜだか、どこか似ている気もする。
言葉を交わせば交わすほど、不思議と次の言葉が自然に浮かんでくる、そんな心地よさがあった。
「ちょっと待ってな」
アビンが立ち上がり、空になった鍋を軽々と持ち上げる。
「作れるもんが今は無いんだが…つまみくらいならある。それで少しは腹の足しになるだろう」
そう言って、台所へ向かうアビオンに、サラはすぐさま立ち上がって続いた。
「あっ、私も手伝います!」
迷惑をかけた上に料理まで出してもらっているからと、サラは彼の後について行った。
「あぁ、頼む」
アビオンはその様子を見て、特に断ることもせず、台所脇の小さな収納部屋へと彼女を案内した。
彼は自分が動けば、きっと彼女も動く――そんなことを、最初からわかっていたかのように。
ひとりで鍋の具をほとんど食べたマロのお腹は未だ満たされていない。そんなマロの正体は赫守である。
赫守とは王国最古の組織。その存在は、自ら舞台に現れない限り誰も知りえない。
〘ならばなぜ、彼女に姿を見せたのか。〙
「・・・あの、なんすか?」
ジロジロと見られている。ただ顔を見ているわけではなさそうだが、何を考えているのか分からない。
「・・・・・・・、」
「・・・・・・・。」
アビオンらが食べ物を取りに行っている間、セシリオはコップに水を注ぎ足し、空腹をごまかしていた。 そんな彼を、マロは先程まで興味をほとんど示さなかったとは思えないほど凝視している。
どちらも何も言葉を発さず、緊張感のある空気が漂う。
「君、名前は?」
「え…?あっと、セシリオ・アマラントです」
「ふ〜ん」
特に名前に反応した様子もなく、マロは続けてぶっきらぼうに質問していく。それは住んでいる場所から身分、交友関係、特技・趣味などの情報であった。
マロの声はドスがきいていて、まるで尋問だなと思ったセシリオは、なぜこのような質問をするのかと問うと、「君に興味が湧いた」などと怖いことを言うので、これ以上は何も言わないようにしようと決めた。
(しっかしほんと、得体の知れん人だ)
と、アビオンらが持って来るであろうおつまみを一緒に大人しく待ちながら思う。
リンピオ地区 橙色の家
空は瞑色となり、風は優しく吹いている。
タカセは遅れてやって来ると、音もなく、ある一室へと足を向けた。
そこは、重厚な骨董家具や、気品ある装飾品に囲まれた静謐な空間だった。優美な曲線を描く陶磁器のランプ、繊細な模様の花瓶――そのひとつひとつに、贅沢で洗練された趣味が滲んでいる。
部屋の灯りをともすと、窓辺で本を読んでいる少女の姿が浮かび上がる。
「目を悪くしますよ、テオレーネー様」
声をかけても、テオレーネーはすぐには本から視線を離さなかった。
やがてページから顔を上げ、手にした緑の表紙の本をちらりと見せる。
「“たくさん読み、たくさん旅をする人は、多くを見て、多くを知っている”って、書いてあったの。読書は簡単だけど、旅をするのは難しいね」
何気ない言葉だったが、タカセはそれを、彼女の立場ゆえの嘆きだと感じ取った。
「……いずれ誰しも、旅に出るものです。わたしですら、いくつかの地を巡ったことがあるのですよ」
励ましのつもりだった。だが、テオレーネーの目がきらりと光り、思わぬ反応が返ってくる。
「えっ、タカセも旅をしたの? ねえ、どこに行ったの? 教えて教えて!」
「・・そうですね……、ではスエニートと呼ばれる地の話など、いかがでしょう」
「ほほぅ…興味あり!」
「そこには【金の塔】オルレイドがあると言われていまして――――」
タカセは、軽い気持ちで最も印象深い旅の話を選んだがそれが思わぬ誤算だった。琴線に触れたようで、彼女の興味は尽きることがなく、その後も話を求められ続ける羽目になったのである。
・・・・・、
「じぁタカセは、その“不死の人”には会えなかったのね」
「ええ。お会いすることは叶いませんでしたが、その智略には深く感銘を受けました」
「……まるで、人生の冠だね」
「! なんとも粋な言い回しをされます」
「むふふっ」
テオレーネーが楽しげに話を聞く様子に、タカセは話してよかったと感じながらも、内心では「こんなに長く話し続けたのは久しぶりだな」と、少々の疲れも感じていた。
「すっかり外、暗くなったね。そろそろ帰ろう」
本当はもっと聞きたいと思ったけれど、タカセが疲れているのがわかったため、彼女は自ら話を切り上げた。
椅子から立ち上がり、ぐいぐいっと左右に揺らして、こわばった体をほぐす。
「ん~~うん、ふぅ……。ねぇタカセ、私も、貴方みたいに旅がしたくなっちゃった。その時は一緒に行こうよ」
「喜んで、お供させていただきます」
ふたりだけの小さな約束。けれど、その言葉に込められた思いは確かなものだった。
「あ、でも……旅の話はどうかご内密に。ヴェルダットに知られてしまうと、私、叱るられてしまいますから」
タカセは冗談めかしつつも、声の調子を落とし、ひそやかに懇願するように言った。
「タカセもまだ、怒られることあるんだ。 うん、わかった。・・・・それなら私も秘密を教えちゃおうか」
自分のことを明かせば、タカセとも少し対等になれる気がした。何より、タカセになら話してもいいと思えた。
けれど、タカセは静かに首を振る。
「釣り合わないかと」
「・・・! ふふっ、そうかもね……」
断られたことに、テオレーネーの胸に痛みはなかった。むしろ、少しだけ感謝はしていた。きっと、自分は少し焦っていたのだと気づかせてくれたから。
これから自分は何をすべきなのか、何を果たさねばならないのか。
その道のりはまだ霧の中にあるけれど――、
それでも、見据える将来だけは、確かに心に灯っている。
そう―――『祖国のために』
小さな約束を交わしたことで、ふたりの間にひとしずく、静かな信頼が落ちた。
それはきっと、これから訪れる――ひとりでは乗り越えられない日々のための、ささやかな備えだったのかもしれない。




