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出会いは突然に

 少女は金縁のふかふかのソファーに腰かけてホットココアを飲もうとしたが、想像よりも体が沈んで顔にこぼしかけていた。慌てつつもココアをこぼさないようにズルズルっと慎重に体を起こす。

 ソファーの端にお尻を乗せて、白い湯気を浴びながらココアを一口。


「ふぅ~〜」

と声に出して一息つく。その拍子に見上げた先には装飾された天井がある。

 そうして改めて自分には不釣り合いな場所にいるなと思う。少し前まではただの一般人であった自分がこのような豪華な部屋でひとり、ココアを飲んでいるという状況に可笑しく思えてならなった。

 

 突然、扉が勢いよく開かれると自分よりも幼い少女が部屋に飛び込んできた。

 

「フワァ!?」

 思わず声を上げてしまったのは、気が緩んでいたせいだ。もう少し朝食に時間がかかるだろうと油断していたからだろう。

「あ、ごめん!」

 彼女は、驚いた自分の様子を見て申し訳なさそうに謝った。


 少女(この方)が私の仕えるテオレーネー様だ。テオ様は私よりも幼いけれど、誰よりも一生懸命な人。現在(いま)も、そんな彼女の真っ直ぐな瞳がこちらを見つめている。


「朝食はもう済まされたのですか?」

 どうにか声を出して繕おうとする。


「うん、バゲットサンドだった」

 そう答えるテオ様の表情は満足そうな顔をしていて、つい自分も微笑んでしまう。テオ様の明るい表情を見ると、こちらも自然と明るい気持ちにさせられる。

『本当に、この方のそばにいられるだけで幸せだ』――ふとそんなことを思う。


 その後、サラはテオレーネの提案に従って、一度自分の家に帰ることにした。


 サラ・ヴィアンの実家はラグナーレ街に隣接する地区の一つ、”アバンダ地区”にある。アパンダ地区には未だ古い町並みが広がる。全国各地で新たな開発が進む中、王都もまた先駆的に開発が行われ、王都の空は狭まった。しかし、ラグナーレ街とガランサ川、他の地区に挟まれた場所に位置するアパンダ地区だけが取り残される形となった。

 そのためか、アパンダ地区は伝統に包まれた宮殿街と、先進的な他地区をアパンダ(区切る)地区と言われるようになったのである。


 複雑に入り組んでいる狭い道を慣れた足取りで進み、気付けば自分の家に着いていた。2ヶ月もの間、この家に帰らないことなどこれまで一度もなかったため、家を見たときに自分がどう感じるのか、心の奥で少しドキドキしていた。

 そしていざこうして帰ってみると、目の前にあったのは特別豪華でも広大でもなく、ただ少し古びたけれど特別な「(うち)」だった。


 いつものように、日中は鍵が開いている玄関から入る。


「ただいまー!」


 少し浮かれたようなその声は、家中に響き渡った。すると、ドタドタとした足音と共に「お〜かえり――!!」と弟の元気な声がすぐさま返ってきた。ほどなくして、一階奥の部屋の扉が勢いよく開き、弟のレノが飛び出してくる。

 兄と自分との年が少し離れた弟であった。


「レノ〜!ん――、元気だった?」


 サラは懐に飛び込んできた弟の頬をぐりぐりしながら、額をくっつけて尋ねる。レノも嬉しそうに「うん!」と大きくうなずいた。


「サラ、おかえりなさい。」


 その穏やかな声に、サラの心がすっと落ち着く。顔を上げると、そこには前掛け姿のお祖母ちゃんが立っていた。サラの顔がふっと緩み、満面の笑みが浮かぶ。


「お祖母ちゃん、ただいま!」



 *      *      *



 サラは自分を中心にグルグル回るレノを制して、お祖母ちゃんと会話をしながら居間に入った。中庭に通じるている窓が大きく開けられていて、風が優しく吹き込んでいる。


「・・・・!お兄ちゃん…」


 居間には王都(アムラ)国立学校中等部の制服を着た兄のイアンがいた。彼は夢中になって、お祖母ちゃん特製の豆料理をガツガツと頬張っている。この豆料理は、数種類の豆と肉を合わせたカスレ風の煮込みで、家族全員の大好物だった。


「んっっヴゥ゙〜〜〜〜〜〜!!」


 口いっぱいに料理を詰め込んだまま、イアンが何かを言ったけど、肝心の言葉はすべて口の中に飲み込まれてしまい、サラには聞き取れない。


「イアン、口の中を空にしてから話しなさい。何を言ってるのか全然分からないわよ。」

お祖母ちゃんが優しく注意しつつ、イアンの席の向かい側にレノを座らせた。


「サラはもう朝ごはんを済ませてきたのよね?」

「うん。」

軽くうなずきながら、サラも席に着いた。その横では、イアンが必死に口の中の食べ物を飲み込もうとしている。


「ねぇねぇ、お姉ちゃん、きゅうでんではたらいてたんでしょ?ねえ、すっごく高いものいっぱいあった?王様には?王様には会えたの?」


 レノが目をキラキラさせながら、前のめりになって、矢継ぎ早に尋ねてきた。兄弟ふたりはサラが宮殿で働いていることだけ()()()いる。

 王都アムラに住む子供たちにとって、王都にあるラグナーレ宮殿は一度は足を踏み入れてみたい憧れの場所だ。サラ自身も、これまで何度か宮殿を訪れたことがあるが、滞在時間は短く、全てを知っているわけではなかった。それでも、これからはテオ様が王都に定住される予定なので、自分も宮殿のことに詳しくなれるかもしれない――そう思うと、少し胸が弾んだ。


「うん、お姉ちゃん働いてるよ。宮殿はね、すごく大きくて静かで、どの部屋もすごく綺麗だったよ。王様には会えなかったかな。」


 サラは、宮殿の壮大なホールやテオ様の部屋を思い浮かべながら答えた。


「へぇ〜そっかー、レノもきゅうでんに入ってみたい!」

「うん……そうだね。いい子にしてたら、レノもいつか入れるかもよ」


 サラが微笑みながら答えると、隣でようやく食べ物を飲み込みきったイアンが会話に加わった。


「それなら、もっとイイ子にしないとな。」


イアンの一言に、レノは「そっかぁ!」と素直にうなずき、満面の笑顔を見せる。その様子を見て、サラもイアンも自然と笑みがこぼれた。


 サラは、お兄ちゃんの明るい表情を見て、もう自分に怒ってはいないのかなと思った。するとちょうど、お兄ちゃんと視線が合った。


「・・・・・・・。」


 バチッとふたりとも視線を外せなくなり、暫く見つめ合っていたけれど、恥ずかしくなってきて、サラが先に机に視線を移した。すると、イアンの方から話しかけてきた。


「サラ。」


 静かだが、強い声音。彼からしたら妹の名前は、サラが生まれたときから呼んでいる名だ。


「宮殿で働くのはどうだった?礼儀作法とか規律はやっぱり宮殿は厳しいのか?」

「うん、けどまだ色々教わってるところ」


 ウェザー邸ではテオ様と少ない使用人と共に過ごしていたこともあって、あまり形式を気にすることもなかった。そのため、これからは宮殿の形式をウィリーさんに教わることになっている。


「あ、でもお祖母ちゃんに教わってきたことは結構役に立ってるよ」

「そうか…ならよかった。 それでまだ仕事、続ける気なのか?」


 サラには、お兄ちゃんが私にこの仕事を辞めてほしいように聞こえた。


「それは、今のお仕事を辞めてほしいってこと?」

「いや、宮殿での仕事ってことじゃない。もちろん僕は、サラが宮殿で働いていることはすごいことだと思うけど。でもな、僕たちはまだ子供なんだぜ。働くことより、もっと大事なことがあるだろ」

「・・・・! でもそれじゃお父さんの()()使うことになっちゃう」

「そうだ、その為の父さんのお金だろ。この時に使うために母さんはこれまで使ってこなかったんだから」


 お兄ちゃんが言っていることは正しいと思うけど、でもどうしてもあのお金を使いなくないと思ってしまう。使ってしまったら、お父さんとの繋がりがなくなってしまう。そんな恐怖心からそう思った。


「それにサラ、宮殿で働いてると言っても、大した仕事なんか任せてもらえないだろ。それならやっぱ、復学した方がいい。」


 イアンは厳しい口調で、サラにそう言い放った。



 許される限り、テオ様の侍女であり続けたい。そう思うほどに、テオ様の傍らにいられる今の環境が、サラにとってはかけがえのないものだった。侍女としての自分を必要としてもらえている――その実感が、この場所を心地よいものにしてくれる。

 テオ様の傍で過ごす時間は、サラにとって特別だった。テオ様は明るいけれど決して多くを語る方ではない。教えてもらえないけれど、多くの秘密ごとがあって、それをおひとりでお抱えになっていることも近頃分かってきたように思う。その重みを私に見せないようにして下さっていることも。

 だから、きっと何か大きなことを成し遂げられるテオ様に、いつか(サラ)を頼ってもいいと思ってもらえるくらい、もっと強くなりたい。ただ傍にいるだけではなく、少しでもお支えできるようになりたい。それが今の私の目標なのだから。


 だからこそ――


「私は……学校には戻らないよ。 このまま今の仕事、やり続けたいって思ってる。」


たとえ、どんなに兄が反対しても。あの場所が、自分にとっての特別な場所だから。



 この後、何か言いたげな表情を浮かべたが、結局イアンは何も言わずに家を出ていった。お祖母ちゃんの作ったお弁当を忘れて。 


***


「はい、ありがとうございました。」

 

 そうお礼を告げては、立ち去る。これを何度も繰り返していた。

 現在、サラはお兄ちゃんのお弁当を届けるため、制服を着て王都(アムラ)国立学校へと足を運んでいた。お兄ちゃんの同級生らしき人を見つけては、お兄ちゃんの所在を尋ねて回ったけれど、誰も知らないと言う。

(お兄ちゃん、どこに行ったんだろ。お祖母ちゃんにさぼったのバレたら、怒られるよ)


 その(あと)も思い当たる場所をいくつか回り、そして、ついにカラパル公園広場でお兄ちゃんを見つけた。

 イアンは、広場の縁に設置されたベンチに座っていた。休日ではないのに、朝から多くの人が公園にいた。広場の周りには、囲うように舗装された道があり、そこを年齢を問わず様々な人が走っている。



「学校、行かなくていいの?」

「――――――・・・・!」


 道を走る人たちの邪魔にならないように横切ってから、イアンの後ろからそっと忍び寄る。そして、イアンの頭に弁当を乗せながら声をかけた。


「なんだ、サラか……。よくここがわかったな」

「すっごく探したけどね。久しぶりに来たよ、この公園。3年ぶりぐらいだよね」


 前に家族(みんな)で遊びに来たことを思い出しながら、イアンの隣に腰を降ろした。


「確かーあの時はレノが転んじゃって、すぐ帰ったっけ」

「・・・でも僕らがごねて、すぐ近くの店でお母さんにアイスクリーム買ってもらった」

「あーごねたね~。そうだ、お兄ちゃん!アイスクリーム、あとで食べようよ。今お金持ってる?」


 イアンは小さく頭を振った。そして横目にこちらの様子を伺いながら聞いてくる。


「学校、行く気になったのか」

「・・・・?あ、制服(これ)?ううん違うよ、お兄ちゃん探しに学校寄っただけ」

「そうか……そりぁまた悪いことしちゃったな」


 そのときサラは、兄の顔に見覚えのある表情が浮かんでいるのに気づいた。お兄ちゃんはすごく責任感が強い人だから、自分が許せないんだと思う。妹を働かせてしまっているという状況に。

 でも、私は自分の意思(かって)で働きたいと思って、お祖母ちゃんにも相談したし、それでテオ様にも出会えて。私としては今の状況が「出来過ぎだよ」と思えるぐらい満足している。


「私ね、すごい方の近くでお仕事させて貰えてるの」


 王室内・宮殿内でのことは、外では誰にも、それが家族であっても話してはならない。それでもお兄ちゃんにそんな思い詰めたような表情をしてほしくなかった。


「今じゃなきゃだめなのか?」

「えっ……?」

「その仕事はサラが大人になってからは出来ないのかって。

いや、だからってもう反対する気はないよ。その仕事をやりたいってのは、もちろん応援する。でも僕たちぐらいの年齢でこの先の将来を決めちまうのは勿体ない、かもしれない。やりたい、やってみたいって思う仕事が本当は他にあったかもって。そう今は思わなくても、いつか思って欲しくはないんだよ」


 イアンは分かっている。サラは途中で放り出すなんて、絶対にしないということを。最後まで、自分の納得する最後まで、必ずやり通すやつだと。

 ゆえに、今ここで仕事を続けたら、それがサラの()()を決めてしまうものになる。


「・・・・れちゃう。」


 サラは悲壮感を漂わせて、吐き出すように答えた。


「遠くに行かれちゃうの。そしたらっ!……私なんか頼ってもらえなくなる……!」


 それは、誰かに聞いてほしいというよりも、自分の中で漏れ出すように吐き出した言葉だった。

 

 慟哭を押し殺すかのように、必死に感情を抑え込むサラの表情。唇を噛み、涙を堪え、それでも零れ落ちそうな想いをどうにか飲み込もうとしている。

 そんな妹の姿を見て、イアンはふと興味を抱いた。妹にこうも強く思わせる()()()()とは、一体どんな人物なのか。


 だが、それ以上に、イアンは分かっていた。今のサラに必要なのは、迷いを増やす言葉ではない。だから、彼は言わざるを得なかった。サラの背中を押す、決定的な一言を。

 実際に言葉に出すと、心の内でとどめておくよりも覚悟が決まったように思えた。モヤモヤが取れて、視界がはっきりした気がする。

 無性にテオ様のお顔が見たくなって、サラは次第に駆け出していた。


 イアンとは公園で別れ、ラグナーレ宮殿にサラはひとり向かっていた。

 

 カラパル公園の周辺と比べると、カラパル地区テソロ通りは人の流れが少なかった。道の両側には四階建ての建物が並んでいる。至る所に花屋があった。チューリップ、カーネーション、バラ――あたりに花の香りが混ざり合っている。花の香りより、いまのサラには食べ物のにおいの方が魅力的だった。



 サラは目撃してしまった。高身長の男性がぐったりしている男性を後ろから抱えてアパートに連れ込んでいるところ。高身長な男性は見た目以上に力があり、軽々とアパートの階段を上がっていた。

 サラは突然のことに、物陰に隠れてその一部始終を見守ることしか出来なかった。

(え……えっ、え?! な、な、なんだったの?)


「あーあー見ちゃったね。」


 耳もとで声がして、サラは分かりやすく肩をビクリと震わせた。その肩に声の人物の手が置かれ、見てはいけないもの見てしまったのだと悟ったサラは、その時生きた心地がしなかった。

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