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you are my love  作者: 木村いと
後日談
6/7

ノット・エンディング


 クリスロード・リアライト。若くしてライル領を治めるライル公爵家当主だ。

 ミルクティー色の髪に薄青色の目をした、ザ・正統派イケメン。自分の容姿・能力・才能に確固たる価値と自信を持っているナルシストである。

「うーん……ここの紅茶はまあまあだね!」

「何しに来たんだお前」

「仕事だとも、セリオン陛下。あ、このお菓子パサついてる」

「よし、表出ろ」

 セリオンは立ち上がった。我慢ならん、というのが本音である。

 しかしクリスロードは依然として優雅だった。セリオンの執務室でソファに腰掛け、まあまあと評した紅茶をなおも口に運んでいる。指の先まで意識が通ったクリスロードの振る舞いを目に入れながら、セリオンは舌打ちを噛み殺した。

「クリスロード……お前は不敬という言葉を知らないのかい?」

「ははは。当然存じ上げておりますとも、陛下」言葉を区切り、クリスロードは意地悪く微笑んだ。表情に影が差す。「ただ、今陛下には即戦力が必要でしょう? 先王と揉めに揉めた私が陛下の執務補佐官としてこの場に馳せ参じているのが、その証拠です」

 だからこいつは嫌なんだ。セリオンは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 セリオンは先日新国王として即位した。その背景には先王とその周辺による、不義と不正の精算が関係している。正直なところ、一連の動きは王位簒奪だ。

 表面上は問題がないように見えた先王はしかし、なかなかに周囲へ悪印象を与えていたらしい。おかげさまで、セリオンが即位すること自体に反対意見は見受けられなかった。そればかりか、没交渉だった魔女の子との公式な接点が出来たほどである。

 だがその一方で、セリオンの側近等に関する問題は暗礁に乗り上げていた。

 簡単な話、ウィルベルト以外の側近候補達は信用出来なかったのだ。もっと言ってしまえば、役に立たない。

「……なら、今手にしている書類の確認を」

「もう終わったよ。不備はないけれど……昨年の報告と比較して見た方がいいね。気候が昨年と大幅な変動がないのに収入がマイナスになっている。もし原因が施策改革に由来するなら、施策計画書の収支予測と照らし合わせて確認すべきだろう」

 クリスロードはサッと応えた。その素早い返しはセリオンとそう年が変わらないにもかかわらず、公爵領を見事治めているだけのことはある。的確だ。

 途端に重たい気持ちがセリオンの腹底から沸き起こる。溜め息と共に吐き出した。

 この、打てば響くクリスロードのような切り返しが、側近候補達には出来なかったのだ。

 まず書類の内容が咀嚼しきれない。

 咀嚼をし終えても噛み砕けない。

 挙げ句には、振り出しに戻る。

 これには各大臣だけでなく平の執務官ですら頭を抱えた。セリオンとウィルベルトも例に漏れない。

 いくら年が若いと言えども、年齢で言い訳出来る期間はすでに満了している。そもそも、年齢を言い訳にするには、セリオンやウィルベルトの実績を鑑みると無理があるのだ。

 遊んでいたのかと誰もが一瞬疑ったが、そうではない。単純に高位貴族の嫡子の人数が少なく、優秀な者ほど側近候補に立候補しなかっただけだった。

 この、ライル公爵家当主のクリスロード・リアライトのように。

「……早いな」

「伊達に成人直後から公爵家当主をしていないよ」

 クリスロードは書類の束を弄んだ。紙が乾いた悲鳴を上げる。

「それよりも、ねえ陛下? そちらの釣書はご覧にならないのかい?」

 本当に、だからこいつは嫌いなんだ。セリオンは一秒足らずで無の表情になった。平べったい目でクリスロードを見る。

「……お前が見ればいいだろう」

「いやだなあ。そちらは陛下に届いた釣書です。私が開いて良いものではありませんよ」

「いい。許可する。見てみればいい」

「遠慮いたします」

「そう言うな。見てみればいい」

 セリオンはクリスロードに釣書を差し出した。即座にクリスロードの手が押し返す。二人の間で釣書がさ迷い始めた。右へ左へ。もはや押し付け合いの様相を呈している。

 国王即位に関しては大きな支障がなかったセリオンだが、それ以外については問題が山積みというのが実情だ。

 側近は勿論のこと、新しい王宮魔術師長の任命。先王妃との話し合い。

 そして結婚相手。

 実は、セリオンには婚約者がいないのだ。

「ははは。ご冗談を。何故私が陛下に届いた釣書を開かねばならないので?」

「冗談など一言も言っていない。私はぜひ、お前に、この釣書を見てほしいと言っている」

「嫌ですねえ。そのような無粋な真似いたしませんよ」

「大丈夫だ。見れば無粋だなんて言えなくなる」

 クリスロードは口を閉ざした。二人の間に沈黙が落ちる。そっと釣書を見下ろす。

 やばいヤツだな、これ。

 不穏な気配を敏感に感じ取ったクリスロードは、再度手に力を込めた。

「絶対嫌。断固拒否。無理」

「そう言うな。仕事の先輩として、ぜひとも開いてくれ」

「無理。絶対嫌。断固拒否」

「順番を変えて言えばいいってもんじゃないからな」

 二人は静かに争う。力の籠もった手には、絶対に受け取るまいという決意が詰まっていた。

 不意に執務室の扉が開く。

「……何をしていらっしゃるんですか、お二人とも」

 呆れ顔のウィルベルトが、氷点下の眼差しで扉の向こうに佇んでいた。



  ◆



 争いを解決するには、双方の言い分を確認する必要があるだろう。

 セリオンとクリスロードが並んで座るソファの反対側にウィルベルトは腰掛けた。視線で話を促す。

「釣書をクリスロードに見て貰おうと思ってな」

「一臣下が釣書を開くなどあり得ないよ。お断りしていたところさ」

 そして押し付け合いの静かな戦いに移行したわけだ。表面上は笑みを浮かべる二人を、ウィルベルトは何とも言えない気持ちで見つめた。

 説明が端的すぎて前後が少々不明だが、問題はセリオンに届いた釣書らしい。

 ウィルベルトは釣書に視線を落とす。それから再度、二人を見た。見た目麗しい青年が、肩を並べて座っている。

 セリオンは容姿端麗だ。輝く金色の髪と鮮やかな瑠璃色の目。ほのかに甘い気配が漂う顔立ち。微笑みを見た者が頬を赤く染めることは少なくない。

 一方で、クリスロードもまた容姿端麗であった。ミルクティー色の髪に薄青色の目をした、ザ・正統派イケメンである。黄色い悲鳴は飽きるほど聞いただろう。

 だが、残念なことに二人は婚約者がいなかった。

「……そうですか。釣書が原因で、お話をされていらっしゃったのですね」

「君、何かおかしくない?」

「お前のせいだろ」

「私が? 何故? 陛下の間違いだろう?」

「はあ?」

 二人の空気が一瞬で悪くなった。ウィルベルトは遠い目をする。ある意味仲が良いな、と現実逃避だ。

「お前が釣書を見れば話は簡単だった」

「見たくないって言ってるんですよ。分かりません?」

「承知しているが? 見るくらいいいだろ」

「意味が分からないんですが?」

 セリオンとクリスロードは頭が良い。そして普段は人当たり良く、やわらかい口調で話をする。今のように攻撃的な空気を表に出すことなど、普段は絶対に行わない。

 まるで二人の間で飛び散る火花が眼球を突き刺すようだ。

 釣書一つでと嘆けばいいのか、感心すればいいのか。ウィルベルトの双眸を水の膜が覆う。遣る瀬ない気分だった。

 やがて二人が立ち上がりかけた瞬間、扉をノックする音が響く。

 三人は一斉に音の方に顔を向けた。視線の先では、開けた扉にジストが凭れ掛かるようにして立っている。平坦な眼差しが部屋を一周した。

「お取り込み中ですか?」

「あ、いや……」

「違うかな!」

 目を逸らしたセリオンに対して、クリスロードはほがらかに答えた。途端に空気が丸くなる。ウィルベルトは人知れず息を吐き出した。

「えっと、何かありましたか?」

「文官の方がお困りの様子でしたので」

 特に感慨のない声だ。ジストの菫色の目が廊下へと移る。体を横にずらした。

 はたして、そこには書類の束を一つ手に持った一人の文官が、泣きそうな顔で立っていた。三人は一気に押し黙る。

 やがて、文官が恐る恐る書類を前方に掲げた。

「あの……こちらのご確認を、お願いします……っ」

「あ、はい……かしこまりました……」

 しかし、涙目の文官は部屋には入らなかった。まるでそこが唯一の安全地帯だと言わんばかりにジストの隣で足を止める。両腕を精一杯伸ばし、小刻みに震えながら数十枚におよぶ書類の束を差し出した。

 いや入れよ、と誰かが思った。しかし、誰も何も言わなかった。

 執務室に可笑しな空気が漂い出す。三秒、五秒。十秒を経過したあたりで、結局ジストが書類を掴んだ。

「こちらの期限は?」

「あ、とっ、十日後ですっ」

「決裁印は陛下の物で?」

「いえっ、補佐官様の物でも問題ありませんっ」

「決裁後の書類提出は貴方へ?」

「はいっ! 問題ありませんっ!」

 文官が激しく頷く。上下に揺れる音が聞こえてきそうなほどだ。

 一方で、ジストも頷いた。数十枚におよぶ書類をぱらぱらと捲り、最後のページを弾く。文官を見遣った。

「お名前を伺っても?」

「ゼン・ガードベルです! 二番執務室です!」

「かしこまりました。お疲れ様です」

「いえ! お邪魔しましたぁッ!」

 次の瞬間、ガードベル文官は駆け出した。

 瞬く間に米粒になる後ろ姿をジストは無言で見送る。やがて後ろ姿が完全に見えなくなり、そのまま執務室に足を踏み入れた。

「東部の鉱山で魔石が発掘されたことの報告書です。過去に出来た魔石が出てきた可能性が高いですが、念のため鉱山を所有する貴族と、あとは魔石に詳しい宮廷魔術師と連携して問題の鉱山を確認した方がいい。ここは確か……リンイル子爵領ですね」

「え……?」

 流れるようなジストの説明だった。三人は絶句する。

 今何をしたんだこいつは。

「読んだのか……?」

「はい」

「さっきのぱらぱらで?」

「はい」

「エヴァレット公子、普通って言葉はご存じですか?」

「はい」

 続けざまに投げかけられる質問にジストは淡々と答えた。相変わらず平坦な顔付きをしている。そのまま集まる視線を全て素通りし、足音も立てずに足を進めた。

 ジストがウィルベルトの隣に腰掛けた。書類をクリスロードの膝に置く。乾いた音がした。

「それよりも、先王妃殿下の容態報告をしてもよろしいですか?」

 よろしかないが。

 セリオンは咄嗟に口を噤んだ。無言でジストに報告を促す。この空気でよくもまあ報告が出来るな、という本音は飲み込んだ。真面目くさった顔付きを披露する。

 わざとらしいほど厳かに、セリオンは頷いた。

「頼む」

「はい。先王妃殿下の経過は良好で、体調は順調に回復。治療薬の服薬は本日で終了です。今後の薬投与はありません。なお、殿下の行動範囲内は一通り確認し、魔力暴走を引き起こす物は全て回収済みです」

 仕事が早いな、とセリオンは思った。色々と凄すぎて正直もうお腹いっぱいである。

 しかしジストには関係がないので、そのまま報告が続く。

「また、先王が贔屓にしていた医師は捕縛しました。理由は詐欺罪。一等医師免許保持者との話でしたので確認したところ、実際は三等医師相当でした。更新試験は受けていないかと。余罪の可能性があるため、現在は騎士団が調査中です。以上が私からの報告になります」

 本当にお腹いっぱいである。セリオンはスンッとした。前に座るウィルベルトも同様だ。

 唯一違うのは、いつの間にか気を持ち直したクリスロードだけである。気が付けば、クリスロードは紅茶を片手に先程の書類に目を通していた。その姿は無駄に優雅だ。

 クリスロードがジストに微笑みかける。

「ねえ、陛下の釣書見る?」

「結構です」

「だよね。私も嫌だ」

「ジストは嫌までは言ってないだろ」

 セリオンは即座に噛み付いた。ジストには慎重だが、クリスロードには強気の姿勢である。

 また始まってしまう。ウィルベルトは溜め息を零した。

 しかし、ウィルベルトの予想に反して、二人の静かな言い争いは始まらなかった。おもむろにジストが釣書を手に取る。

「釣書にあるこの刻印、国内貴族の家門ではありませんね。隣国の物です」

「公子の知識量おかしくないですか?」

「そうですか」ウィルベルトを一瞥してジストが呟く。「不死鳥……王家の刻印か」

 執務室に沈黙が落ちた。セリオンとウィルベルトの顔色が悪くなる。青色を通り越して、もはや真っ白だ。顔一面をペンキで塗りたくったように、他の色は見当たらなかった。

 その傍らでクリスロードが納得した様子で何度も頷く。星を背負いながら爽やかに笑った。

「陛下、国内のご令嬢にモテないものね」

 こいつは戦争するべきだ。セリオンは直感した。火種を投下した人物は紅茶を片手に優雅にソファに腰掛けている。

 ――そう大差ないくせに、この若公爵。

 白い顔色を元に戻し、セリオンは感情を削ぎ落とした顔をした。

「お前だってモテないだろ」

「――はあ?」

 クリスロードの声があからさまに低くなった。地面を這いつくばっている。薄青色の目が眼光を鋭くした。

 え、めちゃくちゃ怖い。一秒で豹変したクリスロードの姿にウィルベルトは縮こまった。ガタガタと小刻みに全身を震わせる。

 次の瞬間、二人の間で架空のゴングが鳴り響いた。

「陛下? よく思い出してください。通常、国の頂点に立つ殿方との婚約はご令嬢であれば、皆が一度は夢を見るものです。それが陛下はどうです? ん?」

「ライル公爵。言葉を返すようだがそれは貴殿も同様だろう? 三家しかない公爵家の一角を担いながら、婚約者候補すら一人もいなかったじゃないか」

 ウィルベルトは震え上がった。

 全力で相手を煽っていくスタイルは当然恐ろしいが、双方ともに相手の婚約事情を把握しているのも恐ろしい。

 やっぱり仲良いだろと思いながら、ウィルベルトは隣を見た。そして固まる。

 ジストが釣書を開いていた。

「エッ⁉ 公子⁉ なに開いてるんですか⁉」

「釣書」

「誰もそんなこと聞いてないんですけど⁉ 何で開いてるのか聞いてるんですけど⁉」

 堪らずウィルベルトがジストに掴み掛かる。体を揺さぶられながら、しかしジストは釣書から視線を外さなかった。真剣に、菫色の目は釣書に佇む女性を見つめている。

 まるで観察するような目だ。ウィルベルトはそう思った。

「十数年前、隣国で王位簒奪があったのはご存じですか? 我々の世代だと……ちょうど六、七歳頃で……陛下達の世代だと、十歳頃かと」

「え、ああ……そう言えば……」

「こちらの女性は恐らく旧王家唯一の生き残りです。まさか国外に出して婚姻をさせるとは思っていなかったので、確認したくこちらを開きました」

 ジストが釣書を広げる。他の三人にも強制的に中身を見せた。

 あれだけ拒絶していたにもかかわらず、セリオンとクリスロードの二人が素直に視線を釣書に落とす。ウィルベルトは、もう何も言うまいと思った。

「……俺、国内の子と結婚したい」

 ポツリと執務室に落ちたセリオンの声は、願望を凝縮したせいか酷く小さかった。

 そもそも、本来であれば相手に困らないはずのセリオンとクリスロードに成人しても婚約者がいないのは、親世代の煽りを食っているからだ。

 先王弟のきな臭い婚約状況と、それを推進した先王。その先王に明らかに目を付けられている公爵家。

 端から見て、王家と公爵家の動向は怪しすぎる。

 装飾だらけのおとぎ話によってブリジットの葬儀は滞りなく進んだが、貴族達の不信感を払拭するには至らなかった。むしろ効果の作用は逆方向だ。全てが王家にとって好都合すぎる一連の出来事は信頼を逆撫でるには十分だ。

 何か裏がある。ほとんどの貴族が考えたことだった。実際に先王らは後ろめたいことがあったのだから、まるで笑えない話だ。

 燻る不安。

 潜む悪意。

 今の王家は、はたして忠義を捧げるに相応しいのだろうか。我が子や我が領を、ただの踏み台のように扱ったりしないだろうか。

 各貴族の脳裏に疑心がこびり付いた結果、影響はセリオン達子ども世代にまで累が及んだ。

 本等引く手数多だったはずの二人は、おかげで婚約者がいたことは一度もない。さらに言えば、誰かに言い寄られた経験すらなかった。

「清潔感があって、良識があって、善悪の判断が適切な人なら、もう他に贅沢言わないから。だから出来れば国内の子がいい」

 咄嗟にウィルベルトが口を挟む。「年齢は大事ですよ」

「うん。あと年齢」

 セリオンは黄昏れていた。王家の権力は役に立たないと、何か悟りを開いた顔だった。

「年齢と見た目と頭脳と能力。陛下、高望みしすぎじゃないかな?」

「嘘だろ。大半が人が生きる上で必要になる力じゃないか! あと正確に言うなら清潔感のある見た目! 王妃が節度のない格好じゃ駄目だろ⁉」

 正論である。そして、セリオンにとって妥協出来ない部分だ。

 しかし。

「……いますかね? 条件を満たす方」

「本当に贅沢を言わなければね。まあ、可能性くらいはね」

「エヴァレット殿~……」

 情けない声を上げてウィルベルトはジストを見た。ジストは無言で何かを両手で包むような仕草をしている。

 両手の中で青白い光がくるくると踊る。淡い輝きを放ちながら、光が細くたなびいた。

 やがてジストが三人に向けて視線を順番に滑らせる。

「爵位はいくつかの有力貴族を後見人にし、最終的にユグリ侯爵家かライル公爵家が養子とすれば問題はなくなると思います。ですので、国中を探せば可能性は十分でしょう」両手の光を真剣に見つめ直してジストが続ける。「ただ、陛下。陛下は完全な政略結婚ではなく、完全な恋愛結婚でないと後々人生が破綻すると予想出来ますので、ご自分からお相手を探すべきだと進言いたします」

 執務室が沈黙した。三人はジストを見る。ジストは相変わらず、何の感慨もない表情をしていた。菫色の目だけが真剣な色を帯びている。

 いやに静まり返った執務室を肌で感じ取りながら、ジストは光を揺らめかせた。

「貴方は一途なんだ。身を持って愛を知っている。そして統治者としては致命的に優しい。そのような方に政略結婚は出来ません。なので、妥協せずにご自分で選ぶべきです」



  ◆



 クリスロードとジストを見送り、セリオンは自室にいた。草臥れた様子で自室のソファに体を投げ捨てている。あまり生気の感じられない姿だ。

 目を閉じる。息を吸う。息を吐く。静かに呼吸を繰り返した。

「お疲れですね、陛下」

「俺の周りは可笑しなヤツばかりだ……」

 否定はしない。ウィルベルトは苦笑いを零した。

「ですが、救われるような気になりませんか?」

 若いながら公爵領を治めるライル公爵家当主のクリスロード。

 歴代最強の魔女の子であるエヴァレット侯爵家嫡男のジスト。

 どちらもかなり優秀だ。それが当然であるように、他者の追随を許さない。頭脳、振る舞い、能力。二人はセリオンとは違った視点で、子どもである時間が少なかった人間だ。未熟であることに人一番敏感で、不可能という言葉に何度も触れたことだろう。

 二人は望まれて大人になったのではなく、環境が大人に変貌することを決めたのだ。

 だから自分に自信がある。

 だから他者を認められる。

 だからどうしても、甘えても許されるのではと考えてしまう。

 セリオンは顔を顰めた。口元を斜めに傾ける。

「……国を背負って立つ者がそんなのでは、駄目だろ」

 誠実でありたい。正しくいたい。

 ブリジットを裏切るような人間には、絶対、死んでもなりたくない。

 幼い日から今日この時まで、セリオンを支え続けた渇望だった。初めて恋に落ちた時から、死を見送ったあの日から。ずっと。

 ――貴方は一途なんだ。

 涼やかな声が鼓膜の奥で空気を震わせる。確信を持った響きだった。

「致命的に優しいなんて、許すなよ……」

 嘘だ。

 本当はきっと、許されたかった。

「僕は許してほしいですよ」ウィルベルトが絞り出すように続ける。「許してほしい。貴方の情けないところ、弱い部分、やわらかい心の内側を……全部は無理でも、許してほしい」

「ウィル……」

 ウィルベルトは唇を噛む。無力感を奥歯で細かくすり潰した。

「誰でもいいわけではありません。僕は、あの二人に、貴方の弱さを許してほしいのです」

 セリオンは一国の王だ。これからいくらでも非情な選択をしていく。綺麗事だけで国を守ることは不可能だ。いつか足下に犠牲を横たわらせ、そうして未来を先導していく日がやって来る。

 血塗れの玉座。

 無慈悲な決断。

 その瞬間、誰がセリオンを支えるだろうか。盾になるだろうか。セリオンはどこにでもいる、ただの人間だと理解している人は、一体どれだけ。

「貴方がただの人であることを忘れてほしくない。だから、だから……」

「……うん」

「だから、……すみません」

「どうして?」

 被せるようにセリオンが言った。体を起こしてウィルベルトを見遣る。瑠璃色の目が柔和にたわんだ。

「俺は嫌だと思わなかった。どうして謝ったんだ?」

「……失礼をしたと、思ったので」

 ウィルベルトの声が微かに震える。動揺と不安が滲んでいた。

 セリオンは優秀だ。その実力は長年積み重ねてきた努力と努力と努力が裏付けている。国王即位に際して異を唱える声がなかったのがその証拠だ。周囲がセリオンを歓迎したのは、先王に不信感を覚えていたからだけではない。

 皆がセリオンという人間を認めていたからこそ、異常な早さで即位が認められたのだ。

 しかし、だからこそ不安になる。

 貴方はいつまで、ただの人間だと忘れられずにいられる?

「だが、俺は嬉しかったよ」隙を与えずセリオンが言葉を重ねる。「俺の幼馴染みで最も近しいお前が、弱音や甘えを否定しないでいてくれたことが嬉しかった」

 ウィルベルトの心配事は、容易に察せられるところだ。軽口を叩いては関係性のバランスを取るこの男が、セリオンがこれから進むであろう血塗られた茨道を案じていることくらい、考えるまでもない。

 周囲の求める声に応じるがまま生き急ぐように成長するセリオンに、ウィルベルトは何度も手を伸ばして待ったを掛けてきたのだから。

「ジストは俺となら、繁栄も失墜も共にいてくれるらしい」

 ウィルベルトは目を見張った。勢いよく顔を上げる。

 大げさなほど揺れる双眸に、セリオンの唇が弧を描いた。自信に溢れた顔をする。

「ウィルベルト」

 二人の間に静かな声が落ちる。空気へ溶けるように、それは優しい響きを持っていた。堪らなくなったウィルベルトの呼吸が乱れる。

 もし叶うなら、出来るだけゆっくり成長してほしかった。

 初恋の人が殺されたのだと理解してから、息つく暇もないほど階段を駆け上っていくこの人に。全てを背負う覚悟を、早々に決めてほしくないと思った。

 ただ、甘えに似た優しさを捨てないでほしくて。

「お、れは……」

 咄嗟に両手を握りしめた。ウィルベルトは視線を落とす。特別な力なんて一つも持たない手が拳を作っていた。

 本当に、ただの男の手だ。魔術は扱えず、当然魔法なんて話にならない。出来ることなんてたかが知れている、そういう手だった。

 だがその一方で、この手が今までセリオンを支え、時に引き留めてきたのだと、ウィルベルトは唐突に理解した。

 恐らく、この事実はこれからも変わらない。

「セリオン陛下」

 何を言われると思ったのか。

 何を言おうと考えたのか。

 思考が明確な形になる前に、ウィルベルトは跪いた。

「俺をなめないでください。死ぬ時までだってお供しますからね」

 もはや喧嘩腰の言葉に、セリオンは笑った。


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