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you are my love  作者: ぐるぐる
後日談
3/7

あなたの魔法使い

※断罪の日から戴冠式当日までの話です。



 先日の一件により、セリオンは実父を玉座から引きずり下ろした。

 不義に不正を影で重ねていた男にセリオンがかける情けはない。多少強引ではあったが、セリオンは昨日の内に国王退位の宣言を完了さた。

 ならば当然、次に来る問題は次期国王の即位である。

「新たな国王には、セリオン王太子殿下で決まりでしょう。魔術関連は宮廷魔術師で補えばよろしい」

「しかし、いくら優秀とは言え王太子殿下は未だお若い。やはり、このまま即位されるのは無茶があるのでは?」

「だが空白期間が出来るなど言語道断ですぞ。外交公務を何度か経験済みであることや、堅実に国内事業の実績経験を積んでおられることを鑑みても、他に適任はおりますまい」

「はい、私も承知しております。当然ながら、対抗馬の話をしているのでもありません。ただ、側近の充実度合いが懸念事項であることは明白でしょう」

「左様。宮廷魔術師では天才と謳われたヒースグリーン魔法卿が席を空けた。全て補えるとは言えまい」

 議論はかなり活発だった。王宮執務における各分野の代大臣や国内貴族の各派閥代表など、主要人物が議員として会議場に揃い踏みしている。

 国王の交代については粛々と承認がなされた。満場一致の可決である。

 議員たちの意識はすでに過去になく、ただ将来だけを見つめていた。それ故に、少しでも不安要素を減らしてしまいたいのが議員たちの総意だ。

 側近たちの経験値不足。

 天災宮廷魔術師の代替。

 年若い新国王への懸念。

 誰も口にはしないが、魔力暴走が原因で現在療養中の王妃の意見をどうするのかという問題だってある。

 セリオンは目を閉じた。小さく息を吐き出し、やがて吸い込む。丁寧に呼吸を整え、力を込めて瞼を持ち上げた。両の手のひらを合わせて叩く。

 方向性を見失って加速を始めた議論が、一瞬で失速した。

「課題が多いのは承知している。だが、全ての課題を一つの議題に詰め込んで話をするのは、結論がずれてしまうので止めるように。まず決めたいのは、次の国王を誰にするのか。そして戴冠式を執り行うまでの日程だ」

 明瞭な声が会議場に響く。凜としたセリオンの佇まいに皆が息を吐き出した。余計な熱を逃がす。そして気を取り直した様子で、一人の議員が口を開いた。

「それでしたら、」

 次の瞬間、何かが弾ける音がした。

 続いて、何もない空間から人が一人飛び出してくる。

「セリオン陛下、おめでとーッ‼」

 議会は一瞬で沈黙した。場違いに明るい声がこだまする。誰かが掠れた声を捻出した。

「あ、貴方は……」

 知っている。本当は聞くまでもない。

 だが他の会話の糸口は見当たらなかった。ありきたりな質問には、何とかして場を繋ごうとした咄嗟の反応と努力が詰まっている。

 しかし、相手が悪かった。

「魔女の子、アーサー・レイン。レイン魔法伯じゃよ~」

 伸び伸びと宙を滑りながら乱入者がのほほんと名を述べる。まったく胡散臭い老爺である。

 アーサー・レイン。ヴァルドラ国の魔女の子の一人だ。色彩を代償とする魔女の子であり、自ら魔女に志願して魔女の子に成った経緯を持つ強者である。

 そして最悪なことに、魔女の子であるアーサーは、ヴァルドラ国の民なら緊張せずにはいられない人物でもあった。

 魔女の子。天災級の力を持った、他とは一線を画する存在。

 権力や武力などは通用せず、また、魔術でさえ余程のものでない限り障害にもならない。気まぐれで自由奔放な彼らは、恐怖の代名詞だ。

 そんな恐ろしい存在が突如目の前に現れる。これほど恐怖心を煽る出来事はそうそう起こらないだろう。これから死地に突入する気持ちで、最初に問いかけた議員が質問を重ねた。

「なっ、な、なぜ、レイン魔法伯が、こちらに……」

 誤魔化せないほど声は震えていた。脅えを前面に押し出した様相に、アーサーがにんまりと笑う。

 あ、俺死んだ。問いかけた人物が震え上がった瞬間、再び乱入者が現れた。

「ちょっとアーサー! アンタ何してんのよ」

 濃紺のローブの端をひらめかせながら、その人は現れた。鮮やかな赤い髪がなびく。絶望を詰め込んだ声が、ぼそりと呟いた。

「っ! ふぁ、……ファナリナ・ユグシル、魔法伯……」

 魔女の子は全員が漏れなく有名だ。それは魔女の子が持つ特殊性という理由の他に、分野に違いこそあれど皆が有能かつ優秀だからだ。

 けれど、恐怖心を煽るという点において右に出る者がいないほど名が知れ渡っている人物は、間違いなく一人しかいない。

 ファナリナ・ユグシル。時間を代償とする魔女の子であると同時に、恐怖の代名詞をほしいままにする人物だ。

 白雪のような肌。艶やかな赤髪。温度の低い灰色の目。賞賛する言葉の全てを捧げても十全に表現出来ないほどの美しさと、薔薇のような特性を持つ女性である。

 そして同時に、ヴァルドラ国に現在する魔女の子の中で最も峻烈で凶暴な、最年長の女性でもあった。

「ウザい」

「はいッ! 申し訳ございませんッ!」

 ファナリナは周囲を不愉快そうに一瞥した。不快感を言葉で吐き出す。

 とんでもない美少女に睨まれるだけでも恐ろしいのに、その相手が恐怖の代名詞だった時の絶望感はいかほどか。

 思わず名前を呼んでしまった議員は、光もかくやの速さで謝罪した。

 恐怖で腰が引けている議員を無視して、ファナリナがアーサーに歩み寄る。静まりかえった会議室に一人分の足音が響いた。

「飾り付けどうすんの?」

「えっ」

「えぇ? じゃって、あれくらいならエヴァンス一人でも出来るじゃろう?」

「えっ」

「アンタねえ……ちゃんとエヴァンスに装飾図案渡したの? アイツ、思ってる以上に下手くそなんだけど!」

「えっ」

「なんと! それは困るのぉ……センスを疑われてしまう」

 議員からあがる困惑の相槌は全て無視だ。有象無象と言わんばかりに二人は会話を進めてしまう。傍若無人にもほどがある。

 やめろ。本当にやめてくれ。二人を除いた総意だった。

 最悪の予感に胃が軋む錯覚を覚え、セリオンが魔道具を取り出す。力一杯握りしめた。辛抱ならんと腹の底から叫ぶ。

「じ、ジストーッ‼」

 悲鳴だった。

 沈痛。最年長の議員が思わずセリオンに労りの目を向けた。他の議員も同情の目でセリオンを盗み見る。ああ、お可哀想に。魔女の子を除いて、その場にいる全員が思った。

 一方で、セリオンが握りしめた魔道具が光を帯び始める。シャランと繊細な音を一つ奏でた。気が付けば、セリオンの目の前には一人の青年が立っていた。

 銀色の髪に菫色の目。濃紺のローブの隙間から垣間見える体躯は細身だが、男らしい骨張った骨格が見受けられる。

「ジスト……!」

 助かったと言わんばかりの声だった。実際、セリオンの目は生気を取り戻している。他の議員も同様だ。

 あまりに異様な空気を感じ、ジストはまず正面を見た。次に左右を見る。おもむろに首を傾げた。

「アーサーにファナリナ……二人とも今日は一日予定があるのでは? 何故ここに?」

 議員たちは会議が始まってから、今日一番の感動をした。会話が出来そうな予感に思わず胸が熱くなる。

 この人、まともだ……!

 ジストの背後に光が見える。後光だ。議員は全員、無自覚ながらかなり疲弊していた。魔女の子に対する潜在的恐怖心に脅え、アーサーやファナリナの一挙手一投足に神経が磨り減っている。本当の意味で冷静な者など、魔女の子を除けば誰もいない。

 その証拠に、ジストはアーサーとファナリナを止める素振りはどこにもなかった。ただ疑問を口にしただけだ。

 議会の空気が可笑しな様相に転じていく中、ファナリナは堂々とジストに向かい合った。

「だって戴冠式って盛大に祝うものなんでしょ?」

「えっ」

「それなら、街中飾らないといかんからのぉ」

「えっ」

「国中で祝福するって聞いたわ。今からやらないと間に合わないじゃない。こういうの、エヴァンスは下手だし」

「えっ」

「それとほら、わしってば陛下の好きな色とか物とか聞いとらんし? こりゃいかんと思って確認しに来たんじゃよ~」

 議員からあがる困惑の相槌は全て無視された。二回目だ。

 しかしアーサーには全く関係がないので、仕上げとばかりにぱちんとウインクをする。目尻からキラッと星が弾ける幻覚が見えた。

 え、何今の。

 絶句する周囲を気に掛けることなく、ジストは静かに頷いた。

「そう。双方の意向が合致するのはいいことだな」

「でっしょ~? わしってば偉くない?」

 どこがだ。

 言っていることは間違いではないが、アーサーたちの行動は何も偉くない上に、双方の意向は一つも合致していない。

 待て待てこの老爺。誰かが思ったが制止は叶わなかった。

「ああ、偉いですね」

 自由だなあ。いや本当、自由だなあ。今何の話してるんでしたっけ。

 議会に出席している全員が再び気持ちを同一にする。アーサーとファナリナが楽しそうにジストへ意見を述べているのを、気が遠くなる心地で見守った。気絶しなかったのが不思議なくらいだ。

 もう終わりだ。俺たちは無力だった。議会の空気がお通夜に向かい始めた直後、ジストが不思議そうに口を開く。

「しかし、王太子殿下をもう陛下と呼べるとは……今回の議会は採決をかなり急いだんですね」

 今日の天気は晴れだね、くらいの調子だった。ジストの言葉に魔女の子を含め、全員が固まる。時間が一秒止まった。

 アーサーとファナリナは予想外のことを言われた顔をし、セリオンと議員たちは一筋の希望を垣間見る。

 きょとんと呆けるファナリナたちに、ジストは首を傾げた。

「新国王陛下を決するのには、議会の承認が必要になる。……聞いたことない?」

 国王が玉座を辞すると宣言したのは昨日の日没頃だ。現在時刻は午前十時。退位を明言してからまだ数時間しか経過していない。文字通り、昨日の今日でセリオンが新国王として即位するのは無茶な話だ。現実的でないとも言える。

 議会の承認。国民への周知。戴冠式の準備。

 どれもセリオンが新国王として君臨するために必要なことだ。言葉の表層だけなら簡単に見えるかもしれないが、実際の労力はかなりの量になる。

 だが、新国王決定に関するルールなど、魔女の子には全く関係がない。

 つまり。

「えっ」

 嫌な気配がする声だ。全員の視線が声の主であるアーサーに集まる。

「……え?」

 空気が凍る。

 固唾を呑む。

 次第に恐怖が滲み出した視線を受けて、アーサーが渾身の猫なで声を披露する。

「わしってば、セリオン殿が陛下になると思ってもう結構街中飾ってきちゃったし、街の人にもそう言ってきちゃったんじゃけど……駄目じゃったカンジ?」

 絶句した。

 セリオンは未確認生物を見た気分でアーサーを見つめ直す。何を言われたのか理解出来なかった。今アーサーが使っている言語は、実は違うものなのではないかと本気で疑う。

 古語だろうか。何を言っているのか分からない。

 硬直するセリオンや議会の空気を気にすることなく、ファナリナが不機嫌そうに首を傾げた。苛立ちを露わにセリオンを指さす。

「なんで? コイツが次の国王でしょ? 他に適任なんていないじゃない」

「仰るとおりでございます」

 刺々しいファナリナの声に採択は即決した。全員が一斉に頷く。一糸乱れぬその動きは、実は打ち合わせをしていたのではとセリオンを打ちのめした。その場に立ち尽くす。白昼夢だと言われても驚かない。むしろ悪夢じゃないのかこれ。

 あまりの出来事に、セリオンは思わずジストを見つめた。縋るような視線を受けてジストが二度瞬きをする。

 数秒後、ジストはそっとセリオンの肩を叩いた。

「……おめでとうございます、セリオン陛下」

 セリオンは死んだ魚の目をした。権力って凄いんだなぁ……と、国王になったにもかかわらず黄昏れる。魔女の子の権威を前にすれば、国王の権力なんて紙のように薄っぺらいのだと肩を落とした。内臓から声を絞り出す。

「ちがう……そうじゃない……っ」

 哀れなり、陛下。その場に居合わせた者たちは、せめて自分だけでもセリオンの味方になろうと固く誓った。



  ◆



「あ、こんにちは国王陛下」

 頼むから昏倒してくれ。セリオンは本気で思った。苦い顔で口を開く。

「……エヴァンス・サラ魔法伯」

 爽やかな笑顔を浮かべた青年が駆け寄ってくる。濃紺のローブこそ身に着けていないが、エヴァンスは正真正銘魔女の子だ。昨日先王の首筋に刃を添えた張本人でもある。

 魔女の子の中でも、雰囲気に惑わされると痛い目を見る人物ナンバーワンだ。

 セリオンはお腹の上部に手を当てた。胃が苦痛を訴えている。鉄骨よりも重たい気持ちを切り替えるため、大きく溜め息を吐いた。

「私が即位することはつい先程決まったばかりだ。何故、既に知っている?」

「え?」

 エヴァンスは何を言っているんだろうこの人、という顔をする。たったそれだけでセリオンは答えが分かった。

「何故って、昨日アーサーさんが『セリオン王太子殿下が次の陛下で決まったぞ』と仰っていましたので」

 あの狸爺。

「アーサー・レイン……ッ‼」

 セリオンは呪詛を吐き出すようにアーサーの名を口にした。おどろおどろしい声が出る。

 本当に許しがたいあの老爺。

 激しく収縮する胃を手で慰めながら、セリオンは歯を食いしばった。制御しきれずにギリギリと歯軋りをする。恨めしい気持ちを噛み砕いた。

 今にも人を呪い殺しそうな様子のセリオンを、エヴァンスは数秒の間観察した。実はセリオンに付き添っていたジストに尋ねる。

「どうしたんですか、これ」

「初手でアーサーに出し抜かれたんだ。そっとして差し上げよう」

「あー……陛下、気にしてはいけませんよ」

「出し抜かれていない!」

 セリオンは噛み付いた。こんな無慈悲な先制攻撃があってたまるかと、セリオンの目尻に涙が溜まる。

 本当なら、今まで没交渉だった魔女の子との接点が正式に生まれたことを喜ぶべきだ。頭では分かっているのに、先程の暴挙がセリオンの不安と胃痛を煽る。

 どう考えても手に負えない。無理だ。

 それは天災という理由ではなく、人災という原因でだ。

 セリオンの考えを裏付けるように冷気を漂わせ始めたエヴァンスこそが、その証拠である。

 微笑みを浮かべてエヴァンスが口を開く。

「それよりも、何故陛下がジスト様を喚べる魔道具をお持ちなのですか?」

 とてつもなく怖い。冷気と言うよりも殺意だろう。セリオンは頑なにエヴァンスに視線を向けなかった。正確には、見られなかったと言うのが正しい。

 経験したくなかった修羅場の気配を察知し、セリオンは青ざめた。血の気が引いていく。

 没交渉のままの方が安全だったのでは。エヴァンスの殺気にセリオンが硬直した直後、濃紺のローブがはためく。エヴァンスの前にジストが立ち塞がった。

「以前俺が渡した」

 涼やかな声が端的に告げる。ジストは平然としていた。その一方で、エヴァンスの目に剣呑な色が混ざる。何か思うところがあるらしい。微笑みが丸ごと削げ落ちた。

 エヴァンス・サラは痛覚を代償とする魔女の子であり、その前は王宮騎士団所属の騎士だった男だ。

 魔女の子であると発覚した当初、方々でかなり揉めたらしい。エヴァンスの騎士としての才能は本物であったが、魔女の子の力も本物だったからだ。

 痛みを感じない魔法を扱う騎士様。これほど凄惨なことはないだろう。護りたいものを全て失うほど、エヴァンスにとって当時の出来事は不幸の連続だったに違いない。

 味方は敵へ。

 友人も敵へ。

 護りたかったはずのものは、呆気ないほど簡単に踏み潰されていく。

 数多の非情によってエヴァンスが王宮へ抱えた断絶は、相当に根が深い。先王に刃を当てたことや隠す素振りのない嫌悪感からも、簡単に予想出来る。

 目に浮かぶ剣呑な色が暗澹と濁った。

「……何故?」

 地面を這うように低い声だ。不快感が惜しみなく露出されている。

 冷たくて重苦しい。エヴァンスから放たれる圧力を、けれどジストは涼しい顔で退けた。

「必要だったから。何か気になる?」

「……いえ。何でもありません」

 明らかに何かを飲み込んだ様子だった。その証拠に、エヴァンスはわざとらしいほど綺麗に微笑んでいた。

 ジストとエヴァンスの視線が絡む。温度の低い目と仄暗さを内包した双眸は、そのまま何事もなかった様子で離れていった。

 これ以上は手間だな。時間が惜しくなったジストが口を開く。

「そう。まあいいや。用がないなら一緒に行こう」

「どちらへ?」 

「まずは南方。アーサーにしてやられたんだ。すでに外堀は埋められていて、戴冠式まで日がない。だから俺たち魔女の子も手伝うことにした」

 ジストは歩き出す。すでに脳内で計画案が完成しているのか、歩みに迷いはない。セリオンから離れ、エヴァンスを追い越していく。

 しかし、セリオンにとってジストの言葉は捨て置けない内容だった。

 アーサーとファナリナの暴挙によって、セリオンの国王即位と戴冠式を執り行う日程が決定したのは確かだ。いずれは同じ結論に至っただろうが、決定に要した時間は比較するまでもないだろう。

 だが、これは二人が政に興味がないから起きた事故である。だからセリオンや議員たちは、帳尻を合わせるように必要な部分を無理やり調整したのだ。もしこれがアーサーの策略によるものなら、恐怖以外の何物でもない。

 胃が痛い。顔色を悪くしながらセリオンは喉を震わせた。

「待てジスト、それはどういう――」

 セリオンを遮ってエヴァンスが食い付く。低い声でジストに尋ねた。

「アーサーさんが勝手にしたんですよね?」

 ジストは足を止めた。菫色の目がエヴァンスを貫く。廊下は息苦しいほどに沈黙していた。

 固唾を呑んで二人を見守るセリオンを横目に、ジストは素っ気ない早さで歩き出す。驚くセリオンや戸惑うエヴァンスは無視だ。涼やかな声が廊下に響く。

「別に、嫌なら来なくてかまわない。俺一人で行く」

「嘘です。お供いたします手伝います」

「来なくていいよ」

 昏い気配が霧散した。エヴァンスが一秒足らずで手のひらを返す。それをジストは切り捨てた。そのまま歩き続ける。

「待って、待ってください! 置いて行かないでジスト様!」

「俺はお前と関係のない用事がある。来なくていいよ」

「ジスト様ぁ!」

 エヴァンスが追い縋る。情けない声でジストの名を呼んだ。淡々としたジストの返事に構わず、エヴァンスは健気に後を追いかけた。

 容赦なく離れていく二人の背中をセリオンは呆然と見送った。もう、何が何だか分からない。

「あ、陛下」

 そのまま姿を消すかと思われたが、不意にジストが足を止める。首を反らして顔をセリオンに向けた。

 言い忘れていたと、ジストが淡々と告げる。

「アーサーは昔宮廷魔術師長だったことがあります。なので貴族のやり方を知っています」

「もっと早く教えてほしかった!」

 ばかやろう!

 セリオンは膝から崩れ落ちた。さもありなん。



  ◆



「国王陛下、万歳!」

 街のあちらこちらから歓声が聞こえる。笑い声や華やかな喧騒が、ヴァルドラ国を彩っていた。

 戴冠式だ。時間がまるでないにもかかわらず万全の状態で式を執り行うことが出来たのは、偏に魔女の子の力があってこそだろう。先王との断絶状況とは打って変わって、魔女の子は協力的だった。

 セリオンが王城のバルコニーに出る。金色の髪が風で揺れた。瑠璃色の目が瞼の下に隠れる。

 とうとう、ここまで来た。

 ブリジットの死に不審を覚え、肉親を警戒し。王子という肩書きなんてまるで意味がないと、唇を噛み締め、足掻き、藻掻いてきた約十四年の歳月。憎悪よりも真心を求めて迎えた、あの断罪の日。

 ――何も無駄ではなかった。

 幼かった頃も。

 無力な自分も。

 何も。何一つ無駄でなかった。

 瞼の裏でハニーブロンドの髪が靡く。優しく微笑む幻を追いかけるようにセリオンが目を開く。

 晴れていた。雲一つない青空だ。

 頬を撫でるやわらかい風に誘われ、セリオンは周囲を見渡した。

 薄桃、黄色、水色、白。色とりどりの花々が空から降っては消えていく。地面に触れる直前で跳ねる淡い光が柔らかい。

 国中で起こる幻想的な光景を、セリオンは息を潜めて見つめる。

 湧き上がる歓喜の声。彩られた鮮やかな街並み。空を自由に飛び跳ねる魔女の子たち。楽しそうな民草の姿。降り止まない花の雨。

 今この瞬間、目に映る全て、何もかもを。

「あぁ……」

 頭上で輝くのは血に塗れた王冠だ。醜悪な罪、凄惨な過去、残酷な現実。ろくでもない今までが積み上げてきた、王家の歴史の象徴だ。どれだけの犠牲を足下に築いたのか、想像も出来ない。

 玉座も。

 王冠も。

 王位も。

 全てが薄汚れ、血の跡が拭い去れない。

 それなのに、目の前の光景が美しく見えて仕方がない。

「……きれいだ」

 絞り出すようにセリオンが言う。声の端々が震えていた。たどたどしい音になる。

 無力な子どもであった時から知っていた。父に抱いた憎悪に、幸福は来ないのだと。いつの日か必ず袂を分かつのだと。

 俺は必ず人を傷付ける。

 国のため。民のため。自分のため。――生きるために。

「っ、……ブリジット様」

 セリオンは、ブリジットの最期を知らない。どのように救われ、癒やされていったのか分からない。

 ブリジットの半生は、幸せと呼べるのものだったのだろうか。

 せめて今目の前に広がる光景のように、美しい時間があればいいのに。

「これは、ブリジット様に見せるために作った魔法です」

 涼やかで落ちついた声だった。

 いつの間に来ていたのか、セリオンの隣でジストが箒に腰掛けて浮いている。濃紺のローブの下には、貴族として正装した服が仕舞われていた。

「花が好きなひとだった」

 ジストの指先から、色とりどりの花が零れて落ちる。光を纏い、溶けるように消えていく。

 感慨のない声がそれでも訥々と言葉を表出させていった。独白だ。

「何の効力も、力もない……まるでおとぎ話に出てくるような、甘ったるい魔法……」

 ジストは目を伏せた。やわらかなひとを脳裏に思う浮かべる。

 綺麗な見た目の薬草を渡してブリジットが目を瞬かせた時。ジストはこれしかないと思った。他に気を逸らせる方法も、紛らわせるための手段も見付けられないと直感した。

 なにせ、ジストは心を代償とする魔女の子だ。

 人を泣かせた経験は山のようにあれど、誰かを笑わせた経験は数えるほどもない。

 そんな有様だ。幸福に導くことなど、まさしく夢のまた夢だろう。魔法は奇跡の力ではないのだから。

「最初は子ども騙しだと思った。もうこれ以上、誰にも傷付けられたくない彼女が求めた、痛くなくて甘やかな夢を作り上げるための魔法だと」

 痛みより優しさを。

 寒さより温もりを。

 ――叶うのならば、微笑みを。

 復讐も、制裁も。ジストが持つ圧倒的な力は、何一つとして求められることはなかった。一度も、一瞬だって、ブリジットは望まなかった。むしろ、欲しがられたのは別のものだ。

 気にかけてほしい。大切にしてほしい。優しくしてほしい。

 言葉の表層を変えながら、何度も願われた。誤魔化しながらも、幾度と祈られた。

 だが実際の所、幾多の願いは一つの形に収束する。最期まで独りにしないで。これが全ての装飾を取り除いた末に残る、願いの根幹だ。

 この希求に気付いた次の瞬間、ジストは無心で絵本を開いていた。そしておとぎ話を学習した。やさしい魔法使いを覚えていった。理想的な外装を整え続けた。

 ただ、少しでいいからブリジットが明日を夢見るように。心を代償とする魔女の子であるジストが、魔法使いになるために。

 たとえそれが、ハリボテの姿でしかなくとも。

 花を降らせる。

 光を零させる。

 幻想を見せる。

 結局の所、ジストが身に着けた“おとぎ話に出てくるような甘ったるい魔法”は、全て自発的な行為によるものだ。暗い目をするブリジットを生かすための、一方的な自己満足と称しても差し支えない。

「でも、違ったのかな……」

 セリオンは歯を食いしばった。下唇を噛み締める。揺らぎ始めた視界で、必死になってジストを探す。

 ジストはささやかに笑っていた。

「……陛下も、泣き虫だったんですね」

 細長い指先が、ゆったりと動く。爪の先から淡い光と色彩豊かな花々が踊り出す。やがて淡い光が形を変え、蝶や小鳥の姿で空をひるがえる。

 ――本物の魔法使いを、初めて見た。

「おまえ、ほんとうに……失礼だなぁ……」

 セリオンの視界が滲んだ。唇を噛んで激情に耐える。熱い。

 こんなの、泣かない方がどうかしている。

 魔法は人を殺し支配する力なのだと言ったのに、誰かを救い幸福に導く力ではないと思っているのに。

 魔女の子は奇跡を起こせないと、理解しているくせに。

 それなのに、子ども騙しのように甘ったるい魔法を作る。痛みのないおとぎ話のような魔法を操る。

 ただ、泣き虫な誰かのために。

 ばかだなあ。セリオンは目尻に涙を浮かべたまま、晴れやかな顔をした。はにかむ。

「俺は、あのひとに胸を張れるような王になる」

 拙い発露。淡い意地。

 それはどこにでもいる、一人の人間としての言葉だった。ただのセリオンとしての本音である。

「だから、俺に力をかしてほしい」

 ジストは肩を竦めた。指を鳴らして魔法を操る。

 次の瞬間、王城の上空を極光が鮮やかに広がった。明るい日差しに溶けることもなく、空から裾を伸ばしている。

「対価は頂戴しますが……でも、いいですよ」ジストが言葉を区切る。涼やかな声が下から沸く歓声を抑えるように続けた。「繁栄も失墜も、貴方と――セリオン様となら、ね」



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