零れたモノ
「本当に、君も来ないか?」
このあたりで珍しい黒髪の男はそう困ったように、
そして、どこか心細そうに問いかける
私、ルアはいつも通りの笑顔で頷く
「ええ、気を付けて」
それに、黒髪の男、サーノは一瞬傷ついたような顔をした後
そうか、と吐息を吐き出すような声で呟く
そんな囁き声もろとも、それに含まれた彼の
躊躇や悲しみを含んだ複雑な感情すら踏み潰したかったのだろう
それまでは黙って、だが、親密さを見せつけるように
彼の両脇にぶら下がったり、その肩に手を乗せたりして
存在をアピールしていた女たちが一斉にしゃべりだす
「もうもういこぅよぉ、リィ、あきたぁ」
「彼女は店もあるんだし、無理言っちゃダメよ」
「そうね、名残り惜しいけど、仕方ないわ」
「ほら、もうそろそろ出ないと馬車が出てしまうわ」
私はそんな一塊を何の感情も浮かべず、ただ、薄ら笑いで手を振る
「そうね、じゃあ、良い旅路を」
さすが、数年とはいえ、
激動する状況に飲み込まれるような日々を共に乗り越え、
濃密な時間の中で同居していただけある
私の、どうでもいい、そんな感情に気づいたのだろう
サーノは懐かしそうに、可笑しそうに、そして、慈しむように
また、彼もいつも通り困ったような顔で笑った。
「わかったよ」
これだけは貰って、と私の腕に押し付けるように
次元袋を押し付けて、サーノは女たちに引っ張られるように
店を出て行った
ドアを出る前、最後まで振り返ろうとするサーノ
でも、女の一人はそんなわずかな未練さえ許せなかったのだろう
これ見よがしにチュッと音を立ててキスをして、サーノを慌てさせる
私も、ずるい、と他の女たちが騒ぎ出すと
サーノは慌てて店から離れていく
そういう行為を見せられることを
私がとても嫌うことを覚えていたからだろう
それでも、最後まで薄ら笑いを浮かべたまま
開けっ放しになっていたドアをパタンと閉じると
私はようやく顔の表情を捨てた
シンと先ほどまでの騒がしさが嘘のように静まり返った部屋で
私は一人、店の長椅子に座ると目を閉じ、
ここ数年の、煩わしくて、心労が絶えないが、
暖かな日々を味わうように思い返す。