婚約破棄から始まる真実の愛
「アイラ、キミとの婚約を破棄する!」
建国記念パーティーの会場にウィン王太子殿下の声が響き渡った。その言葉の相手は、彼の婚約者にして、この国で最大の権力を持つ侯爵家のご令嬢――つまり、わたくしです。
正直に言いましょう。
その言葉は完全に予想外でした。
まず、建国記念パーティーの会場で婚約破棄を叫ぶところからして意味が分かりません。愛を叫ぶならまだしも、婚約破棄ですよ、婚約破棄。
普通、お互いの名誉を考え、こっそり告げるものじゃないですか? それを、建国を記念したパーティーの会場で叫ぶなんて、どう考えても常軌を逸しています。
その証拠に、会場に集まっている貴族達が眉をひそめています。分別をわきまえない男が王太子――つまり次期国王だなんて、不安でしかありませんものね。
ですが、その心配は杞憂に終わるでしょう。
わたくしの名はアイラ・フローレンス。
この国で最大の権力を握るフローレンス家の長女です。
そして、最大の権力と言ったのは誇張でもなんでもありません。長い歴史を誇るこの国は徐々にその姿を変容させ、いまでは王が権力を持たない国の象徴となりつつあります。
その流れを止めるため、最大の権力を持つ家の娘である私が、王族に嫁ぐことになりました。そうすることで、急速に失いつつある王族の権力を取り戻すという名目です。
つまり、わたくしが選んだから、ウィン王子は王太子になったのです。
わたくしとの婚約を解消するのなら、彼は王太子ではいられません。ましてや、このように一方的な破棄をしてしまったら、彼は王子ですらいられないでしょう。
一体なぜ、このように愚かなことを……と、そこまで考えたわたくしは、まだ婚約破棄の理由を訊いていなかったことに思い至りました。
「ウィン王太子殿下、せめて婚約破棄の理由をお聞かせいただけますか?」
「それは――真実の愛を知ってしまったからだ」
うわぁと、思わず声を漏らしそうになりました。
いるんですよね、ときどき。そういう夢見がちなことを言っちゃう人って。
まあ……分からなくはありません。
王侯貴族に生まれた以上、政略結婚はよほどの力がなければ逃れられません。愛する者同士が結ばれるなんて、奇跡でも起きなければ不可能でしょう。
わたくしだって、想いを寄せる相手に愛を囁かれるというシチュエーションに憧れたことはあります。もっとも、憧れは憧れ。わたくしはちゃんと現実を見ていますけど。
だからこそ、この婚約破棄も受け入れなければなりません。
ということで、わたくしが考えるのはこれからのこと。一方的な破棄とはいえ、破棄は破棄。ちゃんとケジメは付けなくてはいけません。
というか、この状況を国王陛下はどう思っていらっしゃるのでしょうか? そう思って視線を向けると、仏頂面でこちらを見ていました。
この状況を快く思っていないのは間違いなさそうです。
ただ、介入するつもりもないようですね。
既に王太子殿下を見限っているのか、あるいは別の理由があるのか……手持ちのカードが少なすぎて、現状ではこれ以上の判断を出来そうにありません。
ひとまずは撤退。
ケジメを付けていただくのは、情報を集めてからの方がよさそうです。
「ウィン王太子殿下の言い分は理解いたしました。詳細は後日話し合うとして、いまは一言だけ。――貴方の真実の愛が叶うこと、心より願っておりますわ」
責任問題もあるので、無償で破棄に応じることは出来ない。だけど、通常の賠償で手打ちにするつもりがあることだけはほのめかした。
刹那、ウィン王太子殿下の顔が悲しげに歪んだ。
え? と思って見返すが、次の瞬間には普通の表情に戻っていた。気のせいかしらと首を傾げながら、私は優雅にカーテシーをして、クルリと踵を返した。
そして立ち去ろうとしたわたくしの行く手に、オルタ第二王子が現れました。彼は私の行く手に立ち塞がると、わたくしの前で片膝を突きました。
「義姉上……いえ、兄上と婚約を破棄した以上、もう義姉上ではありませんね。アイラ嬢、ずっと貴方をお慕いしていました。どうか、僕の手を取っていただけませんか?」
それは、紛れもなく求愛の言葉です。
その言葉に、一度は静まっていた会場がざわめきます。
優秀な第二王子。
兄より優れた弟として、彼は実に様々な分野で活躍しています。
そんな彼がわたくしに求婚したことで、わたくしと彼が婚約すればこの国は安泰だ――なんて声が上がりました。会場は、わたくしと彼が結ばれることを望んでいるようです。
国王陛下が静観していたのは、この展開を予想していたからでしょうか?
だけど、この先の展開までは読めなかったようですね。
「――お断りいたします」
わたくしが第二王子の手を取ると思っていたのでしょう。
パーティー会場がシーンと静まり返りました。
そして――
「――なぜだっ!?」
声を荒らげたのはウィン王太子殿下でした。
逆にオルタ第二王子は諦めに近い表情を浮かべています。
ウィン王太子殿下は信じられないという顔をして、私のもとへと詰め寄ってきます。
「アイラ、キミはオルタを愛していたのではないのか!?」
「……はい? 彼は……こう言っては失礼ですが、弟のようなものです」
「馬鹿なっ! では、俺は、なんのために……っ」
ウィン王太子殿下が慌てたように口をつぐんだ。でも、それは決して聞き逃せない言葉だった。わたくしは「お待ちください」と彼の袖を摑む。
「いま、なんとおっしゃったのですか?」
「いや、それは……どうでもいいことだ」
「どうでもよくなんてありませんわ!」
らしくもなく声を荒らげ、彼の目をまっすぐに見つめた。彼は視線を逸らそうとするけれど、私はそれを許さない。彼の目に、答えてくださいと訴えかける。
「俺は、その……アイラ、キミがオルタを愛していると思ったんだ。だから、俺が一方的に婚約を破棄すれば、キミはオルタと結ばれると思った」
その言葉に、私の胸がドクンと脈打った。
だって、それは、つまり――
「わたくしのために身を引こうとなさったの、ですか……?」
「……そうだ」
「で、ですが、ウィン王太子殿下はこの国の王を目指していたではありませんか。そのために、わたくしとの婚約を受け入れたのではなかったのですか?」
「たしかに、最初はそうだった。だが、言っただろう。真実の愛を知ってしまったと」
彼の真摯な瞳が映すのはわたくし。
彼のいう真実の愛は私に向けられたものだった。
「~~~っ」
顔が真っ赤に染まるのを自覚する。
「だから、身を引こうとしたんだ。キミの幸せを願って」
「……事情は分かりました。ですが、ウィン王太子殿下は大きな勘違いをなさっています」
「勘違いだって?」
「はい。ウィン王太子殿下との婚約は、わたくしがお父様に提案したものです」
彼と私の婚約は、私がお父様に提案したことから始まった。王になりたいと、王になって、この国を豊かにしたいと願う彼の横顔に惹かれたからだ。
王侯貴族に生まれた以上、政略結婚からは逃れられない。
――よほどの力を持っていなければ。
そのよほどの力を、フローレンス家は持っていた。
だから私は、ウィン王子との婚約を望んだ。
彼にとっては政略結婚でも、私にとってはそうじゃなかった。
だから、真実の愛を知ったという彼のために身を引こうとした。
なのに、彼が身を引いたのも私のためだった。
「わたくしは、ひたむきに努力するウィン王太子殿下のことをお慕いしています」
「まさか、そんな、嘘、だろう……?」
「どれだけ自分に自信がないのですか」
「だが、キミはオルタのことを愛しているという噂が……」
「第二王子派の謀略でしょうね」
二人の王子は決して仲が悪くない。だが、それぞれに派閥が存在し、自分が擁立する王子を次期国王にという動きは少なからず存在する。
「……まんまと騙されたということか。やはり俺は不甲斐ないな」
彼は悲しげに目を伏せた。
「アイラ。俺もおまえを愛している。だが、俺は大きな汚点を残してしまった。このまま王太子でいることは叶わぬだろう。それでも……」
「――それでも、なんの問題もありませんわ。わたくしが望んだのはウィン王子、貴方の婚約者であって、王太子の婚約者ではありませんもの。それに――」
と、わたくしはイタズラっぽく笑った。
「ウィン王子が国王ではなく、他のなにかを望むのなら、私はそれを全力で叶えて差し上げますわ。心配は要りません。フローレンス家に不可能はありませんから」
「……俺の婚約者が頼もしすぎる」
「でも、とっても傷付きやすいので、もう二度と放そうとしないでくださいね?」
「……ああ、約束する。キミを必ず幸せにしてみせる」
彼は力強く頷くと、成り行きを見守っていた国王陛下に視線を向けた。
「父上、お聞きの通りです。未熟な俺に王太子の座は相応しくありません。どうか、王太子の座を私ではなく、オルタにお譲りください」
「……ふむ。と言っているが、おまえはどう思う?」
陛下はオルタ第二王子に問い掛ける。ここで彼が頷けば、この場で王太子の変更がおこなわれるだろう。そして多くの人々がそうなることを予想した。
だけど――
「王太子の座は兄上のものですよ」
またしても、おおよその予想を裏切ることとなった。
だが、陛下は「そうか」と笑っただけ。
どういうつもりだと口を開いたのはウィン王太子殿下だった。
「オルタ、おまえならば、俺がどれだけ未熟なのか知っているだろう?」
「……たしかに、兄上は隙が多いですからね。ですが、誰よりも誠実だ」
「誠実なだけでは王は務まらぬ」
「当然です。ですが、兄上には義姉上がいる。それならば、立派な王になるでしょう。もちろん、義姉上に逃げられないだけの努力は必要ですが……」
「その努力ならば惜しむつもりはない」
「そうですか。では、僕から言うことはありません」
彼は戯けて一歩下がる。
それを見た陛下が「答えは出たようだな」と口を開く。
「ウィン、おまえはたしかに未熟なところがある。だが、アイラ嬢ならばその不足を補ってくれるだろう。そして、誠実なおまえならば、アイラ嬢の助言を聞き入れられるはずだ。よって、王太子を変更することはない。これは決定事項だ」
国王陛下が高らかに宣言した。
王太子をすげ替えようとした者への牽制だろう。
そして――
「皆の者、パーティーを中断してしまったが、それもここまでだ。今日というめでたい日を、心から楽しんでいくがよい」
陛下の言葉に、オーケストラが中断していた音楽を奏で始める。
そうなると、私達に集まっていた視線も少しずつ分散していった。そしてほどなく、国王陛下が「おまえ達も踊ってくるといい」と退席の許可をくれた。
それを切っ掛けに、ウィン王太子殿下が私を見つめた。
「アイラ……俺と踊ってくれるだろうか?」
「ええ、もちろん。一曲でも、二曲でも、貴方となら何曲でも踊りますわ」
◆◆◆
「……さて、オルタ。なぜ、ウィンが誤解するような噂を流した?」
アイラ達が幸せそうに手を取り合って、ダンスホールへと向かう。
その後ろ姿を見送りながら、国王が息子であるオルタに問い掛けた。彼はそれに「もちろん、王太子の地位が欲しかったからです」と悪びれずに答える。
だが、国王は小さな溜め息を吐く。
「王太子妃が欲しかった――の間違いであろう? おまえは子供の頃からアイラ嬢に惹かれていたからな」
「……分かっているのに聞くのは酷くありませんか、父上」
オルタが眉を寄せるが、国王はかまわずに話し続ける。
「謀略で二人の仲を引き裂けば、アイラ嬢の気持ちを得られると思ったのか?」
「それがないとは言いません。ですが……腹立たしかったのですよ。僕がどれだけ望んでも得られない彼女の気持ちを手にしているのに、いつまでも自分のことを卑下する兄上が」
「……あれ‘も’、鈍感だからな」
「まったくです。義姉上の気持ちが誰に向いているかなど、少し考えれば分かるでしょうに。なにが、キミのために身を引こうと思った、だ、ぶん殴りますよ」
「ずいぶんと荒れているのだな」
国王はそう言いながらも、長年の初恋が破れたのだから無理はないと思う。その上で、少しはフォローが必要だろうかと考えを巡らす。
だが、オルタが次に浮かべたのはずいぶんとスッキリした表情だった。
「でも、まぁ……許します。義姉上を幸せにすると言ったから」
「そうか、それはよかった。だが……おまえが謀略を仕掛けて、あのような騒動を起こしたこと、わしは許しておらぬぞ?」
「ぐっ。父上、傷心の僕に酷くありませんか?」
「それくらいの覚悟でやったのだろう?」
「……分かりました。僕はなにをすればいいのですか?」
不安そうな顔をするオルタに、国王はかねてより計画していたことを口にする。
「そうだな。おまえには見合いをしてもらおう」
「父上、さっきも言いましたが、傷心の僕に酷くありませんか? と言いますか、さきほど義姉上に求婚して振られた直後ですよ。それなのにお見合いだなんて、不健全です」
「いつまでも、兄の婚約者に横恋慕しているよりは健全だ」
「言ってくれますね。一体、相手は誰なのですか?」
「クレア嬢だ」
「……は?」
オルタは信じられないという顔をした。
なぜなら、クレアという名の心当たりは、クレア・フローレンスしかない。オルタが妹のように可愛がっている、アイラの妹だったからだ。
「冗談でしょう? 彼女のことは妹のようにしか思っていませんよ」
「むろん、知っている。だが、いまのおまえなら、ずっと想いを寄せていた相手に、兄弟姉妹のようにしか思われない者の気持ちが分かるはずだ」
「……それは、まさか?」
オルタは、クレアのことを妹のようにしか思っていなかった。
だが、クレアは?
そんな疑問に答えるように、国王が「先方から申し出があった」と告げた。
「まさか、クレアが、僕のことを……?」
オルタはずっと、アイラのことを思い続けていた。アイラが兄上を愛していて、自分のことは弟のようにしか思っていなくても、それでも、ずっとアイラのことを思い続けていた。
その切ない想いを、クレアが同じように抱いていると知って胸が苦しくなる。
「言っただろう。ウィン‘も’鈍感だと。鈍感なのはおまえも同じだな」
「……どうやら、そのようですね」
知っていれば、クレアのいるまえでアイラに求婚したりはしなかったと、彼は悔やむ。彼が愛するのはアイラだが、クレアのことも妹のような存在として大切に思っているから。
「……やはり、お見合いは断るべきでしょう」
「なぜだ?」
「彼女のまえで姉に求婚しました。傷付いているでしょう」
「そうだな。まったくヒドイ男だ。ウィンのことを馬鹿に出来ぬではないか」
「……ぐっ」
自覚があるのだろう。
オルタはきゅっと唇を噛んで俯いた。
国王は一度パーティー会場に目を向け、そこで目当ての相手を見つけて小さく微笑んだ。
「だが……彼女はそれくらいで諦める玉ではないようだ」
「……はい?」
「考えてみれば当然か。なにしろ、おまえが姉を慕っていると知りながら、何年も何年も、おまえのことを見続けていたのだからな。……いまのように」
国王が視線を向けた先をオルタがたどる。
そこには、不安と期待をないまぜにしたような顔をしたクレアの姿があった。
「ほら、混乱するのは分かるが、ダンスくらいは誘ってやれ」
国王に押し出され、オルタはクレアの前に立った。
――そして、月日は流れ、ウィン王太子は新たな王になった。
彼は至らぬところも目立ったが、それを認め、必死に努力する誠実さがあったし、王妃となったアイラが、彼の足りないところを補った。なにより、ウィン王とアイラ王妃の側には常に、一組の仲睦まじい男女の存在があり、王夫妻を支えていたという。
信頼する者達に支えられたウィン王は少しずつ成長し、やがて賢王と呼ばれるようになるのだが……それはまた別の話である。
お読みいただきありがとうございます。
少し新作の宣伝をさせてください。
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